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第9話.

 第9話.

 5月の早朝、釜山西面のある公園でボランティアたちが付近を掃除したり、足早に通勤するサラリーマンの姿が見えた。営業熱心な店はすでにシャッターを開けてオープンの準備をしていた。

  公園内にはベンチがいくつかあったが、あるベンチに新聞紙をかぶせて横になって寝ている女がいた。人通りの多い都心のど真ん中の公園なので治安は安全なのか、若そうな女が1人でこのベンチで夜を過ごしたようだ。

  その女はすくっと起き上がって公園のトイレに入り、簡単に顔を洗った。公園の片側にはリヤカーが5台並んでいて、リヤカーには大きな文字で「高麗」という文字が書かれていた。公園のすぐ横には「高麗古物商」という看板が見えた。

  都心部では古紙やペットボトル、また瓶などのリサイクル品が多く出るため、都心部に位置する古物商はリサイクル品の回収に有利だ。女は洗顔などを済ませて出てきて、立ち並ぶリアカーの間にある折り畳み式の台車を一台引っ張って出て行った。

  古紙を集めるのが彼女の仕事だった。ぼさぼさの髪の毛から見える顔は20代後半か30代前半くらいにしか見えなかった。通りすがりの通行人は老人でもない若い女が台車を引きずりながら古紙を回収している姿に、不思議そうに振り返る。

  台車を引いている女の名前は、ジョン・ファジョン。年齢は31歳。釜山が故郷のファジョンは一人っ子で、小学生の時に母親が病気で早く亡くなった。その後、父親は家を出て音信不通のまま祖母の手で育てられた。

  高校生になると祖母も老衰で亡くなり、1人になったファジョンは祖母と住んでいた半地下のワンルームに住み、食堂でアルバイトをしながら高校に通っていた。しかし、アルバイトだけでは家賃と生活費を賄うことができず、2年生の時に学校を中退し、働いていた食堂で従業員として採用された。

  どこで生きているのか死んでいるのかもわからない名前だけの父親がいたが、彼女は孤児と同然だった。不遇な家庭環境でうつ病を患っていた。 学校も辞めたため、食堂はファジョンにとって重要な職場だった。

  そうして5年間同じ食堂で働いていたが、食堂の常連客である男性D氏とよく顔を合わせるようになり、親しくなった。Dはファジョンより10歳年上で、2人は恋に落ちた。住んでいた半地下のワンルームを出て、Dが住むワンルームに入り、同棲生活を始めた。 結婚式はせず婚姻届を出して一緒に暮らしていた。


  Dは日雇い労働をしていたが、酒好きでオンラインカジノにハマり、また風俗店によく通っていた。時にはオンラインカジノでお金を稼いで肉を食べようと外食をすることもあったが、ほとんどの場合お金を失うことが多く、ファジョンがこれまで働いて貯めたお金もオンラインカジノと風俗店に使い果たしてしまった。お金がなくなると、いつからかDの暴力が始まった。

  そんな中、ファジョンは妊娠したが、幼いころから患っていた鬱病と夫の暴力が加わり、肉体的にも精神的にも非常につらかった。 妊婦のストレスが極限に達したせいか、体に異常が生じ食堂に働きに出ることもできず、結局流産することになった。

  夫はギャンブル依存症で借金がどんどん膨らみ暴力も続いたため、ファジョンは結婚生活を維持することができなくなり、結局離婚した。ファジョンは慰謝料を一銭ももらえず路頭に迷うことになった。

  心身共に疲れ果て、手元にお金もなく、頼るところもなかった。幸いだったのは、家を出る時外は寒くなかったので外で寝ても凍死しないということだけだった。 そうして定住したのが釜山・西面の繁華街の中心にある公園だった。

  今の状態でできることは古紙を集めることしかなかった。コンビニのアルバイトでもしようかと思ったが、うつ病と流産、離婚によるストレスで髪の毛が抜け落ち、精神が疲弊していたので人と対面する仕事をするのは困難だった。高麗の古物商で折り畳み式の台車を手に入れ、古紙を集めるために都心を歩き回っていた。

  古紙がたくさん出る地域なので、リアカーに古紙をいっぱい積んで通り過ぎる老人もいた。 その中の1人の老人が折りたたみ式の台車を引っ張って行くファジョンが気の毒に見えたのか、声をかけてきた。

  「お嬢さんかおばさんか、ご飯は食べているのかい? 」

「古紙をもっと集めて古物商に持って行って、コンビニでパンでも買って食べようと思っています。」

  「若く見えるけど何でこんなことしているんだい。 台車で古紙をどれだけ集めるつもりなんだ。」

  「リヤカーは重くて私が引きずることができないんです。」

  「こっちの大通りを渡るとコンビニがあるんだけど、そのコンビニの裏通りに炊き出しがあるよ。」

  「そうなんですか?」

  「平日の1日1回、お昼ご飯をくれるからそこへ行って食べたらいいよ。」

  「ああ、そのような場所があるなんて知りませんでした。おばあさん、ありがとうございます。」

  寝る時は公園で眠り、1日1食は炊き出しで済ませ、小さな台車で古紙を一生懸命集めていた。ファジョンは1日3食は到底食べることが無理だったため、1食でも無料で済ませることができて本当に良かったと思った。ただ、寒くなる前に部屋を確保するか、どうにかして室内に入らなければならないと思った。

  毎日炊き出しに行ってご飯を食べているうちに、いつからか炊き出しのおばさんたちと目が合うようになっていた。配膳を終えたおばさんがご飯を食べているファジョンの横にやってきて声をかけてきた。

  「このジャガイモの煮込み、私が作ったのよ」。

  「そうなんですね。とても美味しいです。」

  「若く見えるけど、何歳なの?」

  「31歳です。」

  「まだ31歳なのにこんな格好でどうしたの。可哀想で見てられないね。もっとおしゃれすればきれいになるはずだけどね。」

  配膳のおばさんたちは、ファジョンの正体が気になった。

  「ところで、毎日どこで寝てるの?」

  「近くの公園のベンチです。」

  「ええっ、あんな所で若い女が1人で外で寝るのは危険よ。それに季節が変わって寒くなったらどうするのよ。」

  「.......」

  ファジョンは何も言わずに頭を下げていた。おばさんは娘の歳くらいしか見えないファジョンの俯いている姿を見て、机の上にあったティッシュペーパーを1枚取り出し鼻をかんだ。少し涙が出たようだ。

  「はあ、何か事情があるんだろうね。あのね、女性シェルターというものがあるんだけど、聞いたことあるかい?」

  ファジョンは首を左右に振った。

  「知らないのね。そこは家も寺もない女性たちが泊まれるところなんだよ。 私の友人がそこで働いているから私から話しておくよ。そこに入所してしばらくそこで寝泊まりしたらいいよ。」

  「えっ、私がそこに行ったらそこで寝れるんですか?」

  「うん、そうだよ。寝られるよ。ご飯食べてすぐに行きなさい。ここから近いよ。」

  「おばさん、本当にありがとうございます。」

  おばさんはメモ用紙に大まかな地図を描き、ファジョンに渡した。配膳のおばさんは身体も不自由なさそうな若い女性が古紙を集め、炊き出しでご飯を食べる姿を毎日見ていた。顔つきからしてホームレスのようだった。

  役に立ちそうな情報をファジョンに教えた。食事を済ませたファジョンは台車を公園にあるリアカーの横に止めて、メモ帳の地図を見ながら女性シェルターへ向かった。

  古紙を集めるために一帯をずっと回っていたので、周辺の地理はよく知っていた。団体名は「釜山女性シェルター」という名前だった。幸い、公園から遠くなく歩いて15分の距離だった。大通りの奥に住宅用別荘が集まっている地域だった。

  赤レンガで建てられた5階建ての建物には、1階の正門に「釜山女性シェルター」という看板が掲げられていた。ファジョンは建物の中に入った。

「どうされましたか?」

  「あの、近所の炊き出しで働いているおばさんの紹介で来ました。」

  「少々お待ちください。」

  案内窓口の女性は後ろにいた50代と思われる女性らしき職員の方へ行き、しばらくして2人で窓口にやって来た。

  「お待たせしました。先ほどお昼休みに電話があったんです。 あぁ、よく来てくれました。」

  女性職員は書類を差し出した。

  「これが入所書類です。 これを記入してください。 それと身分証明書を見せてください。」

  「はい、ここにあります。」

 ファジョンは書類に記入し、女性職員に渡した。職員は書類を見て問題がないことを確認すると、ファジョンに書類を差し出し、名前欄にサインをするように言った。

  「すぐに入所できますよ。 荷物があれば持ってきてください。」

  「はい。少しあるのですぐに持ってきます。」

  ファジョンは古物商に預けた荷物を持って釜山女性シェルターに戻った。居住できる部屋を案内してもらった。部屋は2階にあり、廊下に左右に部屋が並んでいた。1フロアに8部屋ずつあり、各部屋は2人1部屋だった。ファジョンに割り当てられた部屋は203号室だった。 一緒に部屋を使う人はいなかった。まず最初にシャワーを浴びたかった。

  持参した荷物をいったん部屋の隅に置き、下着を持ってシャワー室に入った。何年ぶりにシャワーを浴びたのか覚えていない。見た目がこんな姿なので銭湯に行こうとしたが門前払いされ、仕方なく公園のトイレで水を汲み取って、トイレの中に入ってさっと洗って済ませただけだった。

  ファジョンは着替える下着をタオル掛けに掛けて服を脱いだ。シャワーのお湯を出し、しばらくすると暖かい水が出てきた。

  温水を頭の上から浴びると、その感触がまるでオルガズムのように感じられた。鳥肌が立ち、少しめまいがした。心地よいめまいだった。シャワーを浴びた後、着ていた上着から洗わなければならなかった。洗わずに着続けていたので酷い臭いだった。洗濯室は廊下の奥にあった。洗濯室にはちょうど女性シェルターの職員がいた。

  「シャワー浴びましたか?」

  「はい、久しぶりに浴びることができました。」

  「洗濯機の使い方は壁に貼ってあるので見てくださいね。 洗剤はこの下の箱にありますよ。」

  「ありがとうございます。」

  ファジョンは洗濯を終え荷物の整理を終えた後、建物のあちこちを見て回った。建物の屋上には平台と物干し竿があった。1階に降りてみると、お知らせと書かれたところに求人案内もあった。ファジョンは今すぐどこかに就職したくはなかったし、そうすることもできなかった。まだ人と接することに慣れていなかった。

  女性シェルターで過ごし、心身がある程度回復するまで古紙収集の仕事を続けるつもりだった。 そうして古紙収集の仕事を1ヶ月間続けた。雨風を避けられる場所で寝て、1日1回はシャワーを浴びているので外で一日中古紙を集め回っても以前よりずっと疲れにくくなった。体力が回復したのか、台車を辞めてリアカーで古紙を集めることができた。

  台車よりはるかに多くの量を一度に積むことができるため、古物商に売ってもらえるお金も増えた。 それさえも少ないお金だったが、小腹が空いたときにキンパやパンを買うことができた。

  何よりも良かったのは、公園で寝ると他のホームレスや通行人から若い女だからか性的嫌がらせや売春の申し出がよくあったが、そういうことがなくなったことだ。

  女性のホームレスの方が男性よりはるかに危険にさらされる。そろそろ女性シェルター生活に慣れてきた頃だった。女性シェルターの職員がファジョンを相談室に呼んだ。

  「ファジョンさん、ここに入所してどのくらい経ちますか?」

  「2ヶ月ちょっと経ったと思います。」

  「もうそんなになるんですね。 古紙を集める仕事は大変じゃないですか?」

  「一日中歩かなければならないので大変ですが、安全な場所で寝ることができるので大丈夫です。」

  「ファジョンさん、若いのにいつまでも古紙集めばかりしているわけにはいきませんよ。 それで一つ提案ですが、女性シェルターに新しく求人依頼が入ってきたんです。その仕事にファジョンさんが適任だと思ってお呼びしたんです。」

  「どんな仕事なんですか?」

  「食堂の仕事です。 一緒に働ける人を探しているみたいです。」

  「そうなんですね。」

  「食堂を龍仁の方にオープンする予定とのこで、社長の年齢が30代前半の女性だそうです。 だからご自身と年齢が近い人を探しているみたいです。

  若すぎると責任感なくすぐに辞めてしまうかもしれないし、かといって年上すぎると負担になるようです。それから宿と食事も提供するそうですよ。」

  「宿と食事付きならとても良い条件ですね。」

  「ではファジョンさん、働けそうですか?」

  「はい。宿と食事を提供してくれる上に仕事もくれるということですし、もちろん働かせていただきます。 古紙を集める仕事よりずっと良いです。」

  「そうですか。よく考えてくれました。 では食堂の社長に話してみます。 詳しい日程が決まったらまたお知らせしますね。」

  「お気遣いいただき本当にありがとうございます。」


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