第6話
第6話
ソクユンはスーパー前の平台で老人たちとマッコリを飲みながら話をした。ムドンバウィゴルで長い間住んでいる老人たちの話を聞いて、今まで全く知らなかったエソンについて多くのことを知ることができた。エソンからは自分の父親が酒とギャンブルをたくさんして借金し、身体を悪くして早く亡くなったと聞いていたし、自分の母親が巫女だったという話はしなかった。
祖父が僧侶だったという話も聞いていなかった。スーパーの平台で老人たちと話をしながらマッコリをかなり飲んだので酔いが回ってきた。このまま運転してソウルに戻れそうにはなかった。
「ソウルから来た若いの、マッコリも飲んだんだし、ここで一晩寝て明日帰ることにしろ。」
「はい、そうしようと思います。 ちょっと飲みすぎたようです。この辺りに民宿はありますか?」
「釣り人がよく来るから民宿はいくつかあるよ。 近いよ、歩いて5分で行ける。この前の道路を挟んで向かい側に見える田んぼが見えるだろう? その田んぼの奥に家々があるんだが、そこに行けば民宿がいくつかあるはずだ。」
「そうですか、ありがとうございます。私はこれで失礼します。」
「車はこのままここに停めていいから、そのまま歩いて行くといい。」
老人たちに挨拶を済ませ、車に行って洗面用具と簡単な荷物をまとめて道路を渡って民宿に向かった。2車線道路で車もほとんど通らないので、車道を渡るのは楽だった。田んぼの間にある小さな道をひたすら歩くと、奥に家々が何軒か集まっていた。民宿の看板がいくつか見えた。
最初に見えた民宿に入った。民宿の主人に会計を済ませ、部屋に入って荷物を解き洗顔を済ませて横になった。老人たちとマッコリを飲みながらキムチチゲも一緒に食べたため夕食を食べなくても良さそうだった。隣の部屋には釣り人が来ているのか、部屋で話す声が小さく聞こえた。庭には釣り道具があちこちに置かれていた。少し酔っていたせいか、すぐに眠りについた。
ソクユンは翌朝早く目を覚ました。小腹が空いたので、昨日行った通りの向かいのスーパーに立ち寄った。スーパーの店主は真面目なのか、すでに店を開いて朝の営業の準備をしていた。キンパ一本、ゆで卵2個、サイダーを買ってスーパーの前の平台に座って食べた。コンビニでもないのに果物やキンパ、生活道具、パン、飲み物などありとあらゆるものが揃っていた。
この辺りを少し散歩してソウルに戻ろうと思っていた。朝なのであちこちで鳥の鳴き声も聞こえた。ムドンバウィゴルを反時計回りに大きく一周した。15分ほど歩いたようだ。すると、どこからか管楽器のテグム(:朝鮮の伝統音楽で広く用いられる管楽器)のような音が聞こえてきた。気になったので音が聞こえる方へ歩いてみた。音が近づくにつれ、テグムの音よりトンソ(:国楽器の一つで竹の管楽器)の音に似ているなと思った。
しかしトンソとも妙に違っていた。子供の頃、侍や忍者が出てくるゲームのBGMで聞いたような音に似ていた。どこから聞こえてくる音なのか気になり音が聞こえる方に行くと、棒の先端から旗が揺れているのが見えた。さらに近づいてみると、昨日行ったエソンの母親がいる海龍神堂から聞こえてくる音だった。朝に巫女たちはこんな音楽を聞くのだろうかと思った。
昨日も少し会って話をしたが、こんな早朝くからまた会うのは何だか気が引けた。
開いている正門の近くにある塀に背を預け、頭を少し横に傾けて家の中を覗いてみると、エソンの母カン・ソンファは袖がとても大きな白い服を着てトンソの音に合わせて巫女踊りを踊っていた。髪を長く解きほぐし、動きを大きくして両手を左に出したり右に出したりし、そして早足で前後に行ったり来たりしていた。
お線香からは煙が出ていて、ソンファは広めの袖に手を入れ、小麦粉のような白い粉を飛ばしていた。ソンファは祭壇の前で何かの儀式を行なっているように見えた。祭壇の両脇の床にはかなり大きなスピーカーがあった。トンソの音はそのスピーカーから出ていた。携帯電話に保存しておいたMP3ファイルから再生させているようだった。
ソクユンが顔を少し出して見ているのはソンファの左肩の斜め後ろの方向だったのでバレることはなかった。スピーカーから聞こえてくる音楽がどんな音楽なのか気になった。以前、携帯電話にインストールしておいたアプリを思い出した。街中を通る時やラウンジバーなどで音楽が流れている際に、その曲がどんな曲なのか気になった時にこのアプリを起動すると曲名が分かるというアプリだ。 後ろのポケットから携帯電話を取り出し、アプリを起動させた。アプリを起動して数秒後に曲名が表示された。
日本語の曲名だった。 壁に寄りかかりながら携帯電話を後ろのポケットに入れ、首を傾けて家の中をもう一度覗き込んだ瞬間、ソンファが首を左に回したまま、瞳孔がその先にいるソクユンを見つめていた。瞳孔が左に傾き、目の白目がたくさん見えた。
髪の毛を解いたまま白目が多く見えるその目と合った瞬間、ソクユンはゾクッとしてちびりそうになった。この状況で挨拶なんかできるはずもなく、目が合うやいなや素早く顔を引っ込めた。歩みを早めた。すぐに飛び出したかったが、怖くて逃げているように見えそうで飛び出せなかった。周りに人は誰もいなかった。
挨拶でもすべきだったのだろうかと一瞬後悔したが、この状況では体が先に反応してしまい、逃げるように出てきた。目が合った瞬間は0.5秒もなかったはずだが、エソンの母親はソクユンだと認識しただろう。その瞬間、またゾクッとした。荷物を取りに民宿に行った。
荷物を持って駐車しておいた車まで歩きながら、昨日の老人たちとの会話の中で出てきたエソンの母方の祖父がいたという寺の名前を思い出した。インターネットで東大寺がどこにあるのか検索してみた。日本の奈良県にあるお寺と出てきたが、韓国には東大寺というお寺は検索しても出てこなかった。
最近はインターネットで検索すればほとんどのものが出てくるようになっているが、この寺が出てこないということはよっぽど小さな寺なんだろうか。老人たちが東大寺は近いと言っていたから服と洗面道具を車の後ろに置いて田んぼの奥にある山へ向かった。15里(約6キロ)ほど離れているという。平地なら15里は簡単に歩ける距離だが、山道なら平地よりはるかに時間がかかるだろう。田んぼの後ろの山のふもとに到着した。
有名な山でもなく近所の山なので山道が人が作った道なのか、動物が通った道なのか、道幅が狭く人一人しか通れないほどだった。山道に沿ってひたすら歩き始めた。歩いているうちに水を持ってくるのを忘れてしまった。一本道を40分ほど歩くと分かれ道があり、小さな古びた木製の看板に東大寺と表示されていた。
文字は人が書いたもので標識が建てられてから時間が経ったせいか、文字もぼやけていた。ソクユンは自分が歩いている道が正しかったんだと安心した。山の中に入っていくと、遠くでたまに聞こえてくる車の音も全く聞こえなくなり、風に舞う葉っぱの音だけが聞こえてきた。山道を歩いている途中、誰一人として会わなかった。
人がよく通る登山道なら途中にベンチがあるはずだが、ここにはベンチが1つもなかった。足を休めようと道端の石畳に腰を下ろした。 これで東大寺まで半分は来たような気がした。最近のほとんどの山には、登山者の安全のために手すりや階段があちこちに設置されているが、あまりにも過剰に設置されているなと思った。
山を登っているというよりは階段を登っているような感じがしたが、ここには人工的な施設が1つもなく、朝鮮時代に山を登る人はこんな感じだったんだろうなと思った。途中に渓谷でもあれば水を飲むことができるが、渓谷もなくかなり喉が渇いた。遠くに山頂が見え始め、山頂に行く手前の途中にお寺らしき建物が見えた。
目的地が見えてきた。さらに30分ほど登って到着した。あまりに人里離れたお寺だからか、お寺に着いたが僧侶らしき人は1人も見当たらなかった。とりあえず喉が渇いたので周りを見渡すと、隅に井戸があった。さっそく井戸に行ってひょうたんを取り出し水をがぶ飲みした。水を飲んでいると人の足音が聞こえてきた。
「ゆっくり飲みなさい。そう慌てて飲むとむせるよ。」
水を飲みながら後ろを振り返ると、年配の僧侶が声をかけてきた。
「あ、はい。ここまで来るのに水を持ってこなかったのでとても喉が渇いていたんです」。
「最近ずと雨が降らないから、渓谷の水が干上がってしまったんだよ。ところで、どうしてこんな辺鄙なお寺に来たんだい。」
「東大寺にいる僧侶と話がしたくて来ました。」
「ふむ、そうか。ではついてこい!」。
荷物を背負う僧侶の後ろ姿を見ながらついていった。僧侶は広々とした部屋に案内し、若そうな僧侶を呼び、お茶を用意させた。
「東大寺は随分と離れにあって規模も小さいようですが、僧侶は何人いらっしゃるのですか?」
「お寺というより、庵だよ。 私以外に2人しかいないよ。ここ東大寺は知り合いしか来ないしな。」
「インターネットで検索しても出てこなかったので、あそこの下にあるムドンバウィゴル村の人から教えてもらって来ました。」
「ふむ、そうか。」
「仏教徒たちはよくここに来るんですか?」
「いやあまりに人里離れた所だから知り合いしか来ないし、ほとんどいないよ。我々も必要な物資以外は自給自足で外に出かけることもほとんどないんだよ。」
「それはまさに修行の場ですね。」
「修行といえば俗世に生きる人こそ毎日毎日修行をしているんだよ。山奥のこんなところに住んでる方が気楽だな。」
「それは、俗世に住んでいる私のような人が修行しているということですか? 何だかピンと来ないですね。」
「経済活動をしながら人と人との関係の中で生きていくこと、それ自体が修行ではないかな。私たちは仏様をお祀りしているが、俗世はお金の神様をお祀りしている。」
「お金の神様を祀るって?」
「俗世のすべては、より多くのお金を稼ぐことが目的になっているよ。」
「そうなんですね。」
僧侶は口元に力を入れたまま、ソクユンの目をじっと見つめていた。
「君、心の中に何か悩みがあるようだな。」
「そう見えますか?」
「そうでなければ、こんなところまで来ないだろう?」
「はい、そうです。悩みもあるんですが、僧侶にお伺いしたいことがあって来ました。 あの、ムドンバウィゴル村の海龍神堂をご存知ですか?」
「ああ、海龍神堂は知っているよ。」
「近所のご老人たちに話を聞いたところによると、海龍神堂のカン・ソンファさんのお父様が東大寺の僧侶だったそうですが。」
「ははっ。ムドンバウィゴルの老人たちが君に色々なことを吹き込んだみたいだが、海龍神堂に直接行って聞けばいいのではないか?」
ソクユンは婚約者のエソンの失踪事件と、ムドンバウィゴルまで訪れた経緯を簡潔に説明した。
「ここまで尋ねに来る理由があったんだね。まずエソンは自分の母が巫女だったという話は他人には言いにくかったはずだ。 」
「エソンの故郷であるムドンバウィゴルでお母さんにもお会いしたんです。それに近所のご老人たちの話を聞いてからエソンの失踪と何か関係があるかもしれないと思ったんです。そしてここ東大寺でもしかしたらもっと調べられることがあるのではないかと思って来ました。 東大寺にいた僧侶が海龍神堂のカン・ソンファさんのお父さんだったんですよね?」
「ああ。古い話だけど、ソンファさんのお父様が先代の東大寺の住職だったことは確かだ。入山してからもう30年以上経ってるかな。」
「やはり海龍神堂と関係があったんですね。住職が曹洞宗の僧侶だと聞きましたが。」
「東大寺のルーツは倭国だ。薩摩の禅宗系である普化宗の僧侶が明朝で留学を終えて帰る途中、朝鮮の地、ここに東大寺を建てて定住したんだ。」
「曹渓宗や天台宗は聞いたことがありますが、普化宗は初めて聞きました。薩摩というのは地域名なんですか?」
「うん、今で言うところの日本の九州地方にある。」
「ああ、そうですか。」
ソクユンは首を横に傾け、壁に掛けられた絵を見た。仲間の姿を描いた絵のようだが、頭部に長い円筒形の籠を逆さまにした異様な姿だった。籠が密に編まれているのではなく、ぎっしりと編まれているため籠をかぶった人は前が見えるとはいえ、息苦しそうだった。帽子でもない細長い円筒形の籠をかぶっている姿で、トンソのような楽器を両手で持ち、口にくわえていた。
「あの絵の中の人の姿は珍しいですね。大きな籠のようなものをかぶって、トンソを吹いている姿。」
「あの姿は宝華宗の虚無僧の姿だよ。キョムソウを韓国語ではホムソと読むんだ。」
「虚無と言う時のその虚無ですね。手にトンソを持って、僧侶の中にトンソやテグムを吹く人がたまにいますよね。いつだったかテレビで見た記憶があります。僧侶なんですが片方の腕がなくて、もう片方の手でテグムやトンソを吹くシーンを思い出しました。」
「イサム僧侶を見たんだね。でもあの絵の楽器はトンソじゃないよ。尺八という楽器、和楽器だよ。東大寺にいる僧侶たちは伝統的な習慣で尺八を吹くことができるんだよ。」
海龍神堂をこっそり覗いた時に聞こえたトンソの音は尺八の音だった。トンソよりも風の音が多く入っていて、不気味な雰囲気を感じたことを思い出した。
「ソンファの子供時代はここ東大寺で育ったんだけど、あまりに人里離れた場所だから学校には行かず、僧侶たちに言葉と文字を教わったんだ。
私を叔父さんのように慕っていたが、15歳の頃だったかな。いつの間にかソンファがやせ細って、夜も眠れなくなり、毎晩夜中に外で泣き叫ぶようになったから様子がおかしいと心配していたのだよ。その時住職である父親はその症状を見て自分の娘との縁はここまでだと言って、ある僧侶にソンファを預けたんだ。巫病であることを知っていたのだよ。
私は後になってからどこかの病院に連れて行かれるのかなと思っていたんだが、数週間経ってもお寺に戻ってこなくて住職に聞いたらその時初めて教えてくれたんだ。 菩薩の知り合いの僧侶にソンファを預けたんだが、そこでお告げを受け、健康が回復したと聞いた。
娘をとても可愛がっていたが、それから3年後にご逝去された。葬儀の時にソンファがここに来たのがその時が最後だ。 その時父を想いたかったのか、父が生前弾いていた尺八の音をテープに録音してほしいと言われて、私が弾いて録音してあげたのを覚えているよ。」
ソクユンは僧侶の話を聞いているうちに、いつの間にかかなり時間が経ったことに気づいた。暗くなる前に山の下に到着しなければならなかった。街灯もなくランタンも持ってきていなかった。
「そんな事情があったんですね。いろいろ教えていただきありがとうございました。山を下る前に日が暮れるといけないので、そろそろ下ります。」
「じゃあ、ジャガイモを蒸したものがあるからいくつか持っていって水も持っていきなさい。」
僧侶はジャガイモ4個とひょうたんに水を入れてソクユンに渡した。平地を歩くのでなければ、下り坂も大変だろう。東大寺まで来た道を再び下りた。登った時よりは時間がかからなかったようだが、下りるときに足がガクガクした。
足を休めながらジャガイモを食べ、水を飲んだ。ひょうたんに入った水だからか、より冷たく感じた。トイレもなく通行人もいなかったので、小便は道端の草むらにした。2時間ほど歩くと平坦な場所に出た。日が暮れかけて山に沈んでいる頃だった。クヌギの木の近くの駐車場に車を停めていた。すぐに車を運転してソウルに出発した。
ソクユンは家に帰って荷物を解き、近所の食堂でキムパとラーメンを食べた。家に帰ってきてテレビをつけて座った。そういえばアプリで曲名を探したことを思い出した。
歌のタイトルが日本語だったので、インターネットの日本語辞書で検索してみると、「土に還る」というタイトルだった。歌のタイトルに関連した動画がないかと思い、YouTubeで検索してみると、いくつかの動画が出てきた。
映像の中では巫女が踊っていたが、巫女の衣装が大河ドラマで見た百済の衣装に似ていた。尺八の奇妙な音と相性が良いというか、なんとも言えない踊りと音楽だった。踊りの途中で巫女は広めの袖に手を入れ、白い粉を宙に舞い散らしながら意味不明の言葉を発していた。
日本語であったということと、それに独特の口調で話していたので何を言っているのか分からなかった。何かコメントがあるかと思って見たが、すべて日本語で書かれたコメントばかりだった。一番下の日本語のコメントを見ると、何か詩のようなものが書かれていた。気になって日本語辞書で一行一行翻訳してみたところ、「人生50年、歩んできた軌跡を振り返れば.......」大体こんな内容だった。どこかで見たような文章だった。
どこで見た文章だったかな....... とりあえずシャワーを浴びようと風呂場に入り、水を流して髪を洗っていたところ、エソンと連絡が取れなくなった時に彼女の家に行って失踪の手がかりを探すうちに、机の引き出しの中にしわくちゃになったままになっていた1枚のメモを思い出した。 そのメモに書かれていた内容は何だっけ。急いでシャワーを浴び終わって、散らかっている机の引き出しを開けた。無造作にしわくちゃになったままの紙を広げて読んでみた。
人生50年
歩んできた軌跡を振り返れば
儚い夢であり幻である。
命を得てこの世に生まれた者として
誰の土にも還らぬ。
先ほど見た動画のコメントと同じ内容だった。「人生50年」というタイトルを見ると、ずっと前に書かれた詩のようだった。今このような詩を書くなら、タイトルは人生80年、いや人生90年と書くべきだろう。少なくとも朝鮮時代に作られた詩のようだった。死ねば誰でも土に還るし人生は無常である。まあこんなようなメッセージを含んでいるようだった。それにしてもなぜエソンはこんな昔の詩を持っていたのだろうか?