第4夜『追いかける夢』
出勤前のメイクを終えて、ぼーっとテレビを眺めていた。普段はこの時間、ニュースか音楽番組くらいしかやってないのに、今日はたまたま都市伝説特集なんてものをやっていて、なんとなくそのまま観続けてしまっていた。
「26年前に忽然と姿を消した俳優・水越ユウヤ――」
ナレーションの声が低く響く。画面には、古ぼけたバラエティ番組の映像や、若い頃の水越の写真が映し出されていた。整った顔立ち、切れ長の目。昔で言う“二枚目”ってやつ。正直、私は観た記憶なんてなかったけど、名前にはどこか聞き覚えがあった。
番組によれば、水越ユウヤは20代半ばにして突然テレビから姿を消したらしい。周囲は、失踪前の彼のことを、「精神的に不安定だった」「見えないものが見えてるようだった」なんて証言をしていて、まさに都市伝説的な扱いになってるんだとか。
興味を引かれた理由は、自分が最近ツカサさんから怪談を聞きすぎているせいと、この俳優の出身地が私の住んでる街の隣、F市だったから。
番組がCMに入ったのを見計らって、私はテレビを消し、バッグを持って家を出た。
***
店に着くと、開店準備のドタバタが終わって、すでに何人かの女の子が接客に入っていた。私はいつものように出勤を告げて、更衣室で「ユミカ」の名札を付け、香水をひと吹きしてホールに出た。
「こちらのお席お願いしまーす」
ボーイに言われて向かった席にいたのは、いかにもって感じのスーツ姿に坊主頭の男。年は三十代後半くらい? でも妙に軽い感じがして、初見で「こいつチャラそう」って思ってしまった。
「おっ、可愛い子だねぇ。キミ、名前は?」
「ユミカで~す」
にこっと笑って言う。こういうタイプ、嫌いじゃないけど疲れるんだよなぁ。
「いやぁ、癒されるなぁ。実は、今日ちょっと厄落としに来たんだよねぇ」
「え~、そんなこと言って、女の子に触りたいだけでしょ?」
冗談交じりに返すと、男はクスクスと笑った。
「ま、それもあるけど。ちなみに僕、お坊さんなんだよね。住職やってまーす」
「……えっ? えぇ!?」
なんか知らんけど、今日一番びっくりした。っていうか、寺の住職がキャバクラっていいの?
「キミ、最近ついてないみたいだねぇ」
「えっ、分かります?」
うわ、出た出た。こうやって悩みを聞いて、距離詰めようとするパターン。前にもいたんだよなぁ、自称占い師の客でこんな感じの。
「最近通ってる場所、あまり行くことはおすすめできないねぇ」
「えっ?」
な、なんだこいつ……。まさか、ガチなやつ?
「でもね、僕に近づけば大丈夫、何も問題ないんですけどねぇ!」
そう言って、急に抱きついてきた。
「はあ!?」
反射的に、右手が動いた。
バシンッ!
音が響いて、店内が一瞬静まり返る。男――いや、住職は頬を押さえながら、「いたたっ」と顔を伏せていた。
「ユミカさん! お客様になんてこと!」
慌ててオーナーが飛んできて、私は我に返る。やば……私、客ビンタした……。
オーナーが住職の前に膝をつく。
「お客様、申し訳ありません。こちらのスタッフには厳しく指導を――」
「大丈夫。僕の方こそ、調子に乗って申し訳なかった。どうか、この方には何も罰は与えないでください」
やけに丁寧な口調だけど、その目はどこか底が見えなくて、不気味な印象が残った。
「ほらっ! ユミカさんも謝って!」
オーナーに言われるがまま、私は頭を下げた。
「すっ、すいませんでした……」
「ふふ。それだけ気が強ければ、大丈夫でしょう」
「……え?」
住職は立ち上がり、にこやかに会計を済ませながら、ひと言だけ残した。
「ではまたそのうちに、キョウコちゃん」
「えっ、なんで私の名前……!?」
返事をする間もなく、住職はスッと帰っていった。最後までなんか、引っかかる人だった。
***
仕事が終わった後、私はオーナーに呼び出されて、バックヤードで30分ほどのお説教を喰らった。もちろん反論はできない。悪いのは私だし、手を出すのは論外ってわかってる。でも……モヤモヤする。
家に帰ろうとする足が、いつのまにかあのコンビニへ向かっていた。もはや中毒かも。
暗い道を歩いてコンビニの前に立つと、壁がほんの少しだけ黒ずんでいるように見えた。気のせいかな……。
「いらっしゃいませ~」
ツカサさんの声。ああ、安心する。なんかもう、この声で心のチャンネルが切り替わる感じがする。
「おや、キョウコさんじゃありませんか。今日もお疲れ様です」
「お疲れっ! ツカサさんに会いにきてあげたよ~」
「またまた。何かあったんですか?」
「え~分かる~? まぁ、会いにきたのはほんとなんだけど、実はさ――」
私はさっきの住職との一件をツカサさんに話した。
「おやおや、寺の住職がキャバクラですか」
ツカサさんはいつもの調子で笑っていたけど、何か思い出すような目をしてた。
「だよね~。まぁ、ビンタしちゃったのは私が悪いし、その後オーナーから庇ってくれたから、悪い人じゃないんだろうけど」
「少し思い当たる人がいますね……」
「えっ?」
「いえ、なんでもありません」
絶対なんかあるでしょ、それ。
「てかてか、仕事行く前に都市伝説系の番組観てて、なんか昔に頭おかしくなって失踪した俳優が、隣街の人なんだって!」
私が話を切り替えたその瞬間、ツカサさんの目が鋭くなった。さっきまでの優しい雰囲気が一瞬だけ消えて、私は無意識に身構えてしまった。
……でもすぐに、彼の表情は元に戻った。
「そうなんですね。そういえばキョウコさんは、そのF市のK湖の近くにある、ホテルの廃墟を知ってますか?」
「知ってる知ってる! なんか結構前に火事があったよね。確か心霊スポットで有……って、また怖い話しようとしてるでしょ!」
「バレました? じゃあ……やめときますか……」
ツカサさんが少しだけ寂しそうに笑う。うぅ……だからそういう顔、反則だって。
「聞くわよ……」
「えっ、聞きたいんですか?」
いたずらっぽい笑顔。ずるいなあもう。だけど、こうしてまた、私はその話を聞いてしまうんだ。
「いいから聞かせなさいよ」
「ふふっ。ではでは、これはあるお客様から聞いたんですが――」
◆◆◆
あれは、大学の夏休みの終わり頃だったかな。俺は友人のIとSと三人で、F市にあるK湖のほとりにあるホテルの廃墟に行ったんだ。よくある心霊スポット巡りってやつ。行く途中から空気が重くて、正直言えば俺は乗り気じゃなかったけど、Iがどうしてもって言うからさ。
廃墟に着くと、Iが真っ先に建物の中へ入っていった。あいつ、怖いもの知らずっていうか、空気読まないっていうか。俺とSはビビりながら、足音をひそめるようにしてついていった。
すると奥の方から、Iの声が響いた。
「うわっ!」
慌ててSと駆けつけると、Iは古びたトイレの中で立ちすくんでた。その床には、何十枚どころじゃ済まない量の写真が散乱しててさ……見るからに異様だった。
「どうした!?」
そう聞くと、Iは手を震わせながらこう言った。
「女性の写真を拾ったんだけど……なんか、気持ち悪くて捨てた」
俺たちはその写真を探してみたけど、結局見つからなかった。妙に気味が悪くて、俺たちはそのまま廃墟を後にした。
そして、それから数ヶ月後のことだった。
Sからまた心霊スポットに行かないかって誘いがあって、俺は「Iも誘おうぜ」って言って、軽い気持ちで電話をかけたんだ。
だけど――
「俺を二度と心霊スポットに誘わないでくれ!!」
電話越しにIが怒鳴ってきた。こっちは軽い気持ちで誘ったから、マジで驚いた。
「ど、どうしたんだよ」
少し沈黙して、それからIは重い声で語り出した。
「……あの日、K湖の廃墟から帰ったあとから、毎日同じ夢を見るようになったんだ……」
彼の話によれば、その夢はいつも森の中。女性が男に斧で追いかけられている。そして、夢の視点は男の側で、必ず女に追いついて、斧を振りかざす瞬間に目が覚めるって――。
「……目が覚めたあとも、ずっと体が重くて……頭が変になりそうなんだよ。だから、もう俺を誘うな!」
そう言い残して、電話は切れた。
俺はその話をSに伝えた。そしたら、Sもすっかり怖気づいて、それ以来心霊スポットなんか一切行かなくなった。
それで、さらに数週間後。Sから連絡が来たんだ。
「Iの職場の先輩だって人が訪ねてきてさ。Dさんっていう、俺も顔見知りの人なんだけど……I が二週間も職場に来てないんだって」
Iは社員寮に住んでて、様子を見に行ったけど、部屋には誰もいなかったらしい。ただ、部屋の中の様子がおかしいから、一度見に来てほしいって言われたらしくて。
「一人だとちょっと無理……一緒に来てくれない?」
頼まれて、断れずに俺はついて行った。
寮に着くと、Dさんがすでに待っていた。俺たちは三人でIの部屋の前まで行って、ふとドアを見ると……そこには一枚のお札が貼られていた。
もう、その時点で俺は引き返したかった。でも、Dさんが鍵を開けて、無言で中に入っていくもんだから、仕方なく俺とSも後に続いた。
部屋の中は……異様だった。
壁という壁にお札が貼られてて、床のあちこちには盛り塩。空気が重くて、息苦しいくらいだった。異様な静けさの中、テーブルの上に、裏返しの写真が一枚置かれていた。
「こんなのあったっけな……」
Dさんが首をかしげながら手を伸ばす。
俺はゾワっと背中に寒気が走った。嫌な予感しかしない。Sを見ると、あいつも同じ顔をしてた。言葉には出さなかったけど、俺たちはきっと、同じことを思ってたんだ。
Dさんが写真をめくる。
そこには――笑顔の女が写っていた。
◆◆◆
「怖すぎでしょ……。Iさんはどうなったんですか?」
思わず声が震えていた。自分の口から出た言葉なのに、耳に届いた瞬間、ひやっとした空気が背筋を這い上がっていく。
ツカサさんは、変わらぬ口調で淡々と答えた。
「それは分からないらしいんですが……なんでも、K湖であった火事は、Iさんが失踪した1ヶ月後に起きたらしいですよ」
「……えっ」
背中に冷たい風が吹いたような感覚が走る。ゾクリとしたのは冷房のせいなのか、話の内容のせいなのか、それともツカサさんの目に、一瞬だけ宿った“鋭さ”のせいなのか。
私は小さく身震いして、思わず口をついて出た。
「わっ、私そろそろ帰らないと……」
逃げるように出口へと歩きかけたそのときだった。
「じゃあこれ、サービスです」
振り返ると、ツカサさんがレジ袋を手にして差し出していた。
「え、なにこれ?」
「廃棄のチルドうどんです。温まりますよ」
ニコッと笑うツカサさんの顔に、思わず心臓が跳ねた。その笑顔に、怖がってたはずの私の頬が、ほんの少し緩んでしまった。……ちょろい女だな私は……。
***
家に着くと、エアコンもつけずに、なんとなくそのまま夜食の準備に入った。袋を開けて、うどんを取り出そうとしたときだった。
ヒラッ――と何かが床に落ちた。
「ん?」
うどんじゃない。ぺらぺらした紙……いや、写真? 拾い上げてみると、それはまるで写真のような質感だった。でも、肝心の中身はまったく見えない。というか――
「……真っ黒」
しかも、なんか焦げ臭い。炙ったように焦げてて、中心は煤けたみたいに黒く染まっている。写真に何が写ってたのかなんて、まったくわからない。
「ちょっとぉ……あんにゃろう……」
ツカサさんしかいないよね、こんなことするの。おどかすにも程がある。せっかくうどんで癒されようと思ったのに。
気味が悪くて、その紙――いや、あえて言うなら“黒いそれ”を、私はすぐにゴミ箱に捨てた。手のひらにほんのりと残った煤の匂いが、不快に鼻をつく。
気を取り直して、うどんをレンジに突っ込んで、あったかい出汁の香りにほっとした。
そしてその夜、私は夢を見た。
◇◇◇
黒い空。風もない静かな夜。目の前には、あのコンビニ。だけど、様子がおかしい。
コンビニが――燃えていた。
赤く、激しく。まるで何かを呪うように、火は静かに、でも確かに店を包んでいた。私はそれを、ただ黙って見ていた。足も動かず、声も出ず。感情さえもどこかに置き去りにされたみたいに、私はただ、炎の色だけを目で追っていた。
◇◇◇
……気がつくと、朝だった。
「はぁ……最悪」
額に汗がびっしょり。背中にも、シャツが張り付いていた。夏の暑さのせいかもしれない。でも、それだけじゃない気がする。あの夢の中の炎の熱が、まだ皮膚のどこかに残ってる気がした。
私は思わず、捨てた“黒い写真”のことを思い出した。あれ、もしかして、単なる悪戯じゃなかったんじゃ……。
いや、考えすぎ。……たぶん。
お読みいただきありがとうございます。
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