第1夜『無名戦士の墓』
扉が開いた瞬間、冷房の冷たい空気が全身にまとわりつく。
「涼しい……というより寒い!」
肩が露出したオフショルダーのワンピースが裏目に出たかも。私は汗ばんだ腕を慌ててさすりながら店内を歩き始めた。その瞬間、不意に耳に届いた声。
「いらっしゃいませ〜」
その声は、どこか絶妙だった。元気すぎず、かといってだるそうでもなく、妙に耳に残る中庸な響き。
店内に他の客はいなく、私はアイスコーナーを目指して歩き、シャーベットの棒アイスを一つ手に取った。ついでにコンタクトレンズの洗浄液も購入することにして、レジへ向かう。
「いらっしゃいませどうぞ〜」
レジには、店員の男性。長めの髪に色白の肌、中性的な顔立ち。年齢は……たぶん20代中盤くらいか。正直言うと、少し好みかも。
何考えてるんだろう。酔いと失恋の傷で弱りきった私は、なぜか思わず口を開いていた。
「お兄さんイケメンですね〜。彼女っています?」
言葉が出た瞬間、後悔が押し寄せてきた。いくら失恋したばかりだからって……。それでも店員さんは目を細め、柔らかな笑顔を浮かべてこう言った。
「ありがとうございます。恋人は……内緒です」
その笑顔、優しいのに儚げで……ちょっと、いや、かなりグッときた。
「私、失恋しちゃってさ〜。今日一日、最悪な気分だったよ〜」
どうして初対面の人にこんなこと言うんだろう。けど、店員さんはただ優しく微笑みながら、商品を袋に詰めていた。そして意外な言葉が返ってきた。
「それは大変でしたね。これ、廃棄ですけどよかったら食べてください。」
驚いて店員さんを見ると、ホットスナックを専用の紙袋に入れている。
「えええ、いいんですか?」
「捨てるのも勿体無いですから。自分は食べ飽きましたので。」
アイスと洗浄液が入った袋とは別に、ホットスナックの袋を手渡された。何だかその気遣いに救われた気がする。
「お兄さん、ここ長いんですか?」
「どうでしょう。長くもあり短くもありますね」
そのトンチみたいな返答に、つい笑ってしまった。なんだか空気が軽くなった気がする。
「何それ、面白い。てかお兄さん、コンビニの夜勤って変な客とかこないの?」
「"変な客"は来ませんよ。ただ、"変な話"はよく聞きますね」
この妙な言い方に興味を引かれた私は、つい食いついてしまった。
「変な話……どういう意味?」
「来店されるお客様が、暇つぶしに会話を投げかけてくるんですよ。その中には、たまに面白いお話もあるので。」
ますます気になるじゃん。
「何それ、聞かせてよ!」
勢い余って、レジに手をつき身を乗り出してしまった。すぐに自分の馬鹿な行動に気づき、顔が熱くなった。
「すっ、すいません。初対面なのに私……迷惑でしたよね」
苦笑いしながら言うと、店員さんは変わらず微笑みを浮かべて答えてくれた。
「いえいえ構いませんよ。コンビニは都合がよくてなんぼですから」
「ほんと!? 嬉しいー。それで、どんな話なの?」
興奮気味に尋ねると、店員さんの笑顔が少し強くなり、その目が鋭さを帯びる。
「"無名戦士の墓"というのをご存知ですか?」
「墓!? もしかして怖い話!?」
「おや、苦手でしたか?」
「全然! 大好き!」
「それはよかったです」
正直、怖い話は凄い好きというわけではない。でも、何かのきっかけになるかもしれないし……。
「無名戦士の墓ってあれでしょ? 戦争で亡くなった名前も分からない、身元不明の人たちのためのお墓」
「よくご存知ですね。私が今から話すのは、あるお客様が体験した、無名戦士の墓にまつわるお話です」
そう言いながら、店員さんの笑顔は少し影を帯び、その目が鋭く光る。その瞬間、背筋がゾクッとした。
「その方はAさんという男性で、ある日、先輩に誘われてドライブに出かけたらしいんです」
◆◆◆
ドライブに出かけたのは、確か梅雨明けの蒸し暑い夜でした。先輩は車の運転が好きで、暇さえあれば「どっか行くか?」と僕を連れ出してくれるんです。その日も、「夜景が綺麗なスポットがあるんだ」と言われて、何となく気乗りはしなかったけど、断る理由もなかったので助手席に乗り込みました。
向かった先は、「無名戦士の墓」という場所でした。名前は聞いたことがあったけど、行ったことはなかったんです。戦争で亡くなった身元不明の兵士たちを祀ってる墓で、地元の人は知ってるけど、観光地ってわけじゃない……そんな場所だと聞いてました。
夜の山道を、先輩はハイテンションで飛ばして登っていきました。ようやく着いた頃には、辺りはすっかり真っ暗。車を降りて階段を登ると、確かに言ってた通り、夜景は綺麗でした。眼下に街の灯りが広がっていて、遠くの山の稜線もぼんやり浮かんで見えて……でも、なんだろう。僕はなぜか心が動かなかったんです。「綺麗だけど、なんか普通だな」って、そんな風に思ってました。
階段を降りて、無名戦士の墓の前まで行ったときです。僕は静かな気持ちで手を合わせようとしたんだけど、先輩がいきなりふざけ始めて。
「おい、A、見てろよ」
そう言って笑いながら、墓に向かって放尿を始めたんです。
「ちょ、やめましょうよ先輩。よくないですよ」
咄嗟に止めたけど、先輩は「何だよ、ビビってんのか? ただの墓だろ」と言って、笑いながら続けました。僕は唖然としました。怒りとかよりも、呆れが先に来て、でも相手は先輩だし、何を言っても無駄だって感じて、それ以上は言えなかったんです。
それから二人で車に戻って、先輩がエンジンをかけた、そのときでした。
「うわあああ!」
突然、先輩が叫び声を上げて、僕は心臓が止まりそうになりました。
「どうしたんですか!?」
聞いたけど、先輩は顔を両手で押さえて、「目があああ! 目があああ!」と叫び続けてる。僕は混乱しながらも、運転席側に回って顔を見たら、右目が真っ赤で、涙なのか血なのか分からないものが流れてたんです。
「見えない、見えない!」
そう叫び続けて……そして、意識を失いました。
僕は震える手で運転を代わり、近くの病院まで車を走らせました。診断は「原因不明の急性視神経障害」。結局、先輩は右目の視力を完全に失ってしまいました。
意識が戻った後も、先輩はときどきうわ言のように「何かが見えた」ってつぶやいていました。でも、何が見えたのか、それを最後まで話すことはありませんでした。
◆◆◆
「あの夜以来、Aさんは無名戦士の墓に二度と近づいていないようです。『まぁ、たまたまですよね』と笑いながら言っていましたが、その目がわずかに震えていたのを、私は見逃しませんでした」
「……」
私は息を呑んだ。店員さんが話を始める前と後では、店内の空気が明らかに変わり、まるで気温が数度下がったように感じた。背筋がぞくりとする。
「なっ、なかなか怖いじゃん……でも、さすがにそのAさんの作り話でしょ!」
そう言って強がってみせた私に、店員さんは意味ありげな笑顔で答えた。
「ちなみに、その先輩は国道沿いのガソリンスタンドで、今も働いているみたいですよ。」
「へっ、へぇ〜」
正直言うと、怖かった。でも同時になぜだろう、胸がざわざわと高揚している自分もいた。怪談というものには、どこか抗いがたい魅力があるのかもしれない。
「では、私はそろそろ仕事に戻りますね」
店員さんが微笑みながら言った。
「はっ、はい……。ホットスナック、ありがとうございました。それと……怖い話も」
「いえいえ。また都合のいい夜にでもお越しくださいませ」
最後まで何とも意味深な口調の店員さんに見送られながら、コンビニを後にした。冷たい夜風が頬を撫でる中、妙に静かな夜道が、いつも以上に薄気味悪く感じられた。
***
数日後、彼氏と別れて予定もなかったし、休みの日に久しぶりの昼間の外出を決めた。免許がないので、歩いて国道沿いのケーキ屋さんに行こう。
ケーキ屋さんに到着し、買い物を済ませて外に出ると、道路を挟んだ向かい側にガソリンスタンドがあることに気づいた。
コンビニで聞いた話が脳裏に浮かんだ。あの店員さんが語った話の「ガソリンスタンドで働いている先輩」のことが気になって、つい視線を向ける。真夏の陽炎が立つ中、車を誘導するスタッフの姿が目に留まった。
次の瞬間、私は息を呑む。目を疑うような光景がそこにあった。そのスタッフの男性は、右目に眼帯をしていたのだ。
胸の中で、あのコンビニの店員さんの笑みと、話の余韻が交錯する。だからと言って、あのスタッフがその先輩だとは限らない。信じたくない気持ちと、目の前の現実の間で揺れている自分を感じながら、私は足を一歩踏み出すのをためらった。昼間の強い陽光の下、それでも何か不穏な空気が漂っているように思えてならなかった。
お読みいただきありがとうございます。
もし楽しんでいただけましたら「ブクマ」や「いいね」だけでもいただけると励みになります!
また、誤字脱字や気になる点がありましたら、ご指摘いただけると嬉しいです。
引き続き、この物語を楽しんでいただけたら嬉しいです。