こういうのがいい
中学3年生になり、初の登校日。
昇降口は多くの人で混み合う。
新たな門出を祝うに相応しい。
昇降口前の桜の木は、
桜花爛漫そのものであった。
多くの人で混み合っているのは
桜に見惚れている、、
というわけではなく。
新しいクラス分けの発表を
今か今かと待ち侘びているからだ。
あと5分もすれば掲示されるだろう。
一通り、人がはけたら
じっくり見させてもらうとしよう。
そう呑気に外から眺めていた。
どうせ今年も去年とさほど変わらない。
なんとなく過ごして、なんとなく終わる。
特別なことは受験があることくらいか。
しかし、いざ目の前に、
となるとやはり緊張してしまう。
多くの人が新しい下駄箱で靴を履き替え、
新しい教室に向かうなか、
僕は一枚の張り紙の前に立っている。
単なる紙なのに、
人のこれからを左右するような、
重いものを背負わされて。
なぜか紙に同情している自分がいる。
僕もこれからを多少は
左右されるその1人であるというのに。
変化には、リスクがつきものだ。
それゆえ僕はあまり好まない。
失敗なんかしたくないから。
「前川翔…あった。
クラスは2組、出席番号は28番。」
出席番号は変わらずか。
去年のものと書き間違える、
と言った心配はないだろう。
誰か知ってる人はいないかな。
目線を上へ向け、
1番から順々に目で追ってみる。
○23 桐谷 恋奈
ふと目を引く名前があった。
「何か聞き覚えが…」
過去の記憶を遡る。
「誠が言ってた人か」
彼は僕の唯一と言ってもいい友達だ。
去年は同じクラスで色々と助けてもらった。
ちょっと変わってるとか
なんとか言ってたな。
「やばっ、もうチャイム鳴るじゃん」
その時は特に気にもかけず、
足早に教室へと向かった。
黒板に貼られた座席表を見て
驚愕する。
隣の席、、
桐谷じゃん。
廊下側、
前から2列目。
僕の席の隣に、、?
チャイムが鳴るほんの数秒前、
廊下をバタバタと
全力ダッシュする音が聞こえた。
我がクラスの教室の扉の前で
立ち止まったかと思うと、
こちらに向かってきた。
隣の席、
そのイスに腰掛けた彼女は、
顔が小さく、肌は色白、
さらさらな茶色の髪に
色素の薄い目の色も相まってか、
「ほんとにあいつ、
この人のこと言ってたのか、、」
普通のかわいい女の子であった。
僕は目を疑った。
もっと一目でこいつかっ!とわかるような
クセの強い人なのかと。
友達の誠には申し訳ないが
到底信じられない。
これが、彼女との出会いであった。
後々聞いてみたところ、
僕の第一印象は
「ちょっと怖い」だったらしい。
緊張していただけなのに…ちょっと心外。
そんな彼女は変?というよりかは
面白い人だった。
授業中。隣の人とペアを組んでの
教科書読みの時間。
よく読みを間違えたり、読み飛ばしたり。
クラスメイトによくツッコミを入れられる。
最後まで読まず終えてしまった時には、
「「まだ読み終わってない!!」」と、
2人同時にハモリながらツッコミを
入れられていたこともあった。
そのうちの1人が自分だったりして。
修学旅行は同じ班だった。
コース決めも楽しかったし、
当日だっていっぱい笑った。
同じ班のメンバーとは
今でもたまに遊ぶことがあるぐらいだ。
ほんとうにこの1年間、
僕は彼女に振り回されっぱなしだった。
だがそこに、
マイナスな気持ちは生まれなかった。
むしろ、それで良かったと
思えるほどに満たされていたのだ。
★ ★ ★
それから時が経ち、
僕は高校生になっていた。
燦々と注ぐ太陽の光。
木漏れ日へと変化させてくれる
頭上を覆うフィルターは、
衣替えを終え、若葉を纏う桜の木々だ。
空は青く、夏を覗かせながらも、
足元はじめじめと湿っている。
濡れた路面に水たまり、
紫陽花が彩る通学路。
水たまりを避けながら自転車を漕ぎ、
川沿いの並木道を走っていた。
6月になり、高校生活も日常に馴染むこの頃。
残念ながら僕には、友達がいない。
中学の時だって、
今と大して変わらなかったはずなのに、
なぜだか焦っている自分がいる。
周りからどんどん置いてかれるような。
劣等感が纏わりつく。
「桐谷がいたらなぁ」
気づいたらそんな言葉をこぼしていた。
しかし、桐谷とは別の高校。
同じ高校だとしても
同じクラスになる確率は低い上、
こうなることは必然的だった。
わかってたのにな、、
かと言って、
もうすでに6月。
今から自分の居場所を、
友達を作るなど、不可能に近い。
かといって、クラスから完全に孤立、
というわけでもない。
何か用がある時は話すし、
軽い雑談ぐらいなら。
知り合い以上、友達未満。
モブキャラという言葉がよく似合う。
今日は長い長いテスト期間を経て
迎えた試験最終日。
これが終われば解放だ。
脳内で自分語りをしながら
自転車を漕ぎ進め、学校は目前。
ふと見た水たまりの照り返しが、
ひどく眩しく感じられた。
☆ ☆ ☆
テストも終え、帰路につく。
周りの人たちは遊ぶやら部活やら、
ごちゃごちゃ騒いでいた。
帰りのホームルームが終わると同時に
足早に教室を後にする。
階段を降り、
ロッカーに用済みの教科書たちを預け、
下駄箱で靴に履き替える。
カバンが軽い。
駐輪場に向かい自転車の鍵を回す。
甲高い音が鳴り、耳にこだまする。
これから向かうのは自分の居場所。
もうすっかり常連だ。
見つけたのは高校入試も終え、
卒業式を済まし、
訪れた長い春休み。
★ ★ ★
本屋の帰り。
寄り道に寄り道を重ね、
ふと目に飛び込んできたこの喫茶店。
本屋でふと一冊の本が目に入り、
ビビッと、「この本、読んでみたい!」と、
感じさせるそれによく似ていた。
よく手入れされた庭。
赤、白、黄色。童謡の如く並ぶチューリップ。
桜の花弁が目前を掠める。
眩しい太陽の光を腕で遮りながら、
目を細めて見上げてみると、、
桜花爛漫。
見事に咲き誇っていた。
ひらひらと舞い落ちる花弁を
目で追っていると、、
視線の先、
ある立て看板が目に入った。
喫茶店かな?
このたまごサンド美味しそう、、
看板の横、
続く石畳の先には一枚の扉。
なんだか誘われているみたい。
気づいたら扉の前まで歩みを進めていた。
ほのかに薫る、甘さ。
こういう店に1人で入るのは初めてだ。
ひとつ深呼吸をし、
扉に手をかけもう一度。
意を決して扉を開くと、
ベルの音と同時に不思議な感覚に包まれた。
☆ ☆ ☆
「タイムスリップ」
その言葉が相応しい。
アンティーク雑貨が部屋を包み、壁にかかる振り子時計。
中は薄暗くありながらも、
窓からは柔らかな光が差し込んでいる。
あまり閉塞感は感じない。
それでも外とは違う、隔絶された空気を纒う店内には、
1人の店員と呼べばいいのだろうか。
ウェイター?マスター?
喫茶店は初めて入るのでよくわからないが
男の人がエプロンを着け、
カウンターで洗い物をしていた。
丸い眼鏡をつけていて、ちょっぴり髭も携えて、
それでもあまり歳を召しているようには見えなかった。
むしろ親近感を抱くような。
喫茶店といえば、物静かなお爺さんがやっているイメージ(偏見)があった。
あまりに長く見つめていたせいか、
店員さんと見つめ合う形になっていたことに気づかなかった。
『お好きな席へどうぞ』
声をかけられる。
きょどりながらも、
軽く会釈をし、周りを見回す。
自分の他には誰もいない。
1人ならばカウンターで、
と行きたいところだかそんな勇気はない。
一対一。向かい合って世間話をしながら、
なんてことはハードルが高すぎる。
常連でもあるまいし。
どう考えても不自然な部屋の隅。
陽光の差し込む窓際の
ソファ席に腰を下ろした。
隅の方が心が落ち着く。
人間の心理なのだから仕方がない。
電車だって端が空いていればそこに座るだろう。
窓からは先ほどの桜、チューリップがよく見える。
ここで本を読んだら最高だろうな。
ちょうど買ったものもあるし。
ひと通りメニューに目を通して見る。
長く歩いたことだしお腹も空いている。
しっかりめに食べていってしまおう。
さっき気になったたまごサンドでも。
「すみません」
意を決して声をかける。人と話すのが苦手な僕には、
これだけでも一苦労だ。
見た目に反して、
ぴょこぴょこと子供らしく歩み寄ってくる。
『はい』
「たまごサンドをいただけないでしょうか」
妙にていねいになってしまった。
まあ、印象悪く思われることはないだろう。
あとは、さっき本屋で買った最新刊を読みながら、、
『“あとクリームソーダもお願いします!”』
「へ、、、?」
気づけば前に誰かが座っている。
頭が追いつかない。なぜ?いつから?
『たまごサンド、クリームソーダ、
おひとつずつでよろしいですか?』
『“はい!以上で!”』
ちょっと待て、何を勝手に。
「はい、それでお願いします。」
とりあえず穏便に済ませよう。
話はそれからだ。
☆ ☆ ☆
「で、なんでここにいるんだ、、?」
桐谷だった。
白のパーカーにサラサラな茶色の髪。
今更ながら思う。
普通に美少女なんだよな。
『まあまあいいじゃない、
ちょっと寄ってみたくなっただけだって』
理由が同じなのが少々癪に障る。
「お金は払ってね」
『何言ってるの、、そんなの当たり前じゃん!
財布持ってるし、ほら、お札もあります」
顔の前でひらひらと見せつけてくるそれは、
野口でもなく、諭吉でもなく紙の商品券であった。
「それ、使えないぞ」
『えっ、あーね、、はいはいはいはい、、』
顔からは余裕がなくなってくる。
しかし、そこから一転、
満点の笑顔でこちらをのぞき見る。
今はその顔見たくないな。
『いやちょっとうっかりしてたみたいで、ね!』
「返せよ…なるべく早く」
『ありがとう』
濁りのない、まっすぐな言葉だった。
心にすっと浸透してくる。
桐谷の言葉にはこういうところがある。
心のキャンバスが淡く、
優しい色で染められたような気がした。
陽光に照らされ、
ひらひらと舞う桜の花びらのように。
彼女は頬杖をつき、
何事もなかったかのように話し始める。
琥珀のように濃く、透き通った目をこちらに向けて。
「まあ、楽しみでもあるけど、少し不安だな。」
『きっと君ならそうだろうね。
友達つくるの下手そうだし』
「そんなに火の玉ストレートで
言われると傷つくんだけど」
『いやいや、今のはデッドボールだよー』
「もっとだめじゃねぇか!お前は退場したほうがいい」
『そこはレッドカードでしょ!』
「それはサッカーだ」
『そうだっけ?』
『“お待たせしました”』
ふと、左耳の方角から声が届く。
つい夢中になってしまった。
店員さん、いつからいたんだろう、、
少し恥ずかしくなってしまう。
「ありがとうございます」
『どうもです』
美味しそう。これ頼んでよかった。
たまご分厚い。
『それ、美味しい?』
「まだ食べてないけど」
『ではどうぞ』
「いただきます」
手に持ち、まずはひとくち。
ふわふわ全開のたまごを頬張れるように。
「そんなにジロジロ見られると、食べずらいんだけど、、」
『いやいや、お構いなく。で、どう?』
「美味しい、、」
『それはよかった。わたし、うれしいよ』
「作ったわけでもないのに、、」
『幸せそうにしてる人見て嫌な気はしないよー』
幸せそうに見えてたのか。自覚ないな。
「そっちはどうなの、美味しい?」
エメラルドのような輝きの海に、
ぷかぷかと浮かぶアイスクリーム。
正直、それも頼んでもよかったかも。
『ひとくちいる?』
面白がるようなにやけた顔で、
アイスの乗せられたスプーンを
こちらによこしてくる。
「けっこうです」
丁重にお断りした。
『なーんだ。つまんないの』
それからなんだかんだいろいろな話をした。
ついこないだの卒業式のこと。
今日買った本のこと。
春休みどう過ごしてるか。
そんな他愛のない話だけれども、
その時間はとても楽しいものだった。
☆ ☆ ☆
会計も終え、店の外に揃って出る。
忘れていたけど、会計は僕持ちだ。
しっかり、返してくれるといいんだけど。
「お金返してね」
念を押して、もう一度言っておく。
『わかってるって、そこまでくずじゃないよ』
口を尖らせながら彼女は言う。
空は群青色に。桜は桜花爛漫に。
新しい季節を予感させる。
目の前のキャンバスは色鮮やかに彩られていた。
『絶対今度返すから!
じゃあね〜』
彼女の笑顔も桜の如く、
美しく花開いていた。
「またね」
そう言って彼女と別れた。
じゃあね。
その言葉に。
また会える、という
胸の高鳴りを感じていた。
★ ★ ★
それからというもの、僕はここの常連となった。
6月上旬。桐谷とはあれから会っていない。
連絡先ぐらい交換しておけば良かった。
自転車を石畳の隅に邪魔にならないように停め、
店の扉に手をかける。
あの頃のように緊張はしない。
カランカランと、ベルの音が鳴った。
☆ ☆ ☆
アンティーク雑貨に振り子時計。
外とは違う空気感。
もうすっかり慣れきった光景だ。
今日は曇りの日ということもあり、
店内もどんよりと、暗い影を落としていた。
灯は夕暮れのように眩しくも、
優しくカウンターを染め上げていた。
きれいな琥珀色、、
桐谷の瞳が脳裏に浮かんだのは気のせいだ。
僕はいつものように、
窓際のソファ席に陣取ろうとしたがそうはいかない。
普段ならば学校終わり、
夕方に訪れるのが僕のテンプレートだが。
今日はテストということもあり午前中で放課となっている。
いつもくる時間ではないお昼時。
あたりまえだが人が多い。
そして僕のソファ席(決して僕のではない)。
老夫婦が座っているではないか、、
なんということだ。
これでは、カウンター席に座る必要が出てきてしまう。
店員さんと一対一で対峙しなければならない。
かといって、今から店を出るのは完全に不審者。
なんだこいつと思われること不可避だ。
脳内会議が開かれる。
どうする、最適解は何だ、、
活発に意見を交わすこと十数秒。
(どうにもならないことを、どうにかするためには、
手段を選んでいるいとまはない。)
今回のテスト範囲であった、
羅生門の一節が頭に浮かんだ。
やむを得えん、カウンター席に座ろう。
一歩、二歩と確実に足を進める。
僕は常連。ここはすでに我のテリトリー。
自分に何度もそう言い聞かせ、
丸椅子に手をかける。
よし!いいぞ。
ここで座る。
カバンを置く。
よし、完璧だ。
まずはメニューだな。
丁寧に、ラックに立てられたメニュー表に手を伸ばす。
ひと通り全ページに目を通す。
メニューはおそらく全制覇した。
「あっ、新作出てる」
いつものたまごサンドに、
追加でこれも頼んでしまおう。
「すみません」
大きな声を出す必要がないのはこの席の利点だ。
『はい、お伺いします』
今日は眼鏡をつけていないようだ。
珍しい。
「たまごサンドと、
あじさいケーキをひとつ、お願いします」
『たまごサンド、あじさいケーキをおひとつずつですね』
「はい」
『少々お待ちくださいね』
背を向け、調理に取り掛かる。
出来上がるまでの間、
本を読みながら待っていたところ。
ここで特別イベント発生。
『いつも来てくれてますよね』
店員さんが調理中に話しかけてきたのだ。
「''はいっ!''」
あまりに突然のことで、声が上擦ってしまった。
声も大きかった。
『うちのメニュー、どれが一番良かったですか?
ひと通り全部食べられたでしょう?』
そこまで把握されているとは。
どれがと言われると、結構悩むな。
どれも美味しいし。
でもやっぱりあれだな。
「たまごサンドですかね。
初めて来た時に食べた、
というのもあるんですけど、、
たまごが本当に美味しくて、
弾力はしっかりあるんですけど
火が通り過ぎず、
中はしっとりとしていて、
もう好みです、あれは」
店員さんが鋭い眼光でこちらを見ている。
「すみません!少し喋りすぎました!」
僕の顔は今、真っ赤になっていることだろう。
慌てながら言葉を紡ぐ。
『いえいえ、そんなに言っていただけるとは、、
嬉しいですよ。励みになります』
その顔は晴れやかであった。
『手が止まっていましたね、今すぐお作りします』
びっくりした。
今まで話しかけてきたことなかったのに。
カウンターだから?
やっぱりそういうこと!
『お待たせしてすみません。
こちら、たまごサンドとあじさいケーキになります』
「ありがとうございます」
たまごサンドは言わずもがな。
このあじさいケーキ、可愛い。クオリティが高い。
この色合い、どうやって表現してるんだ?
紫の中にもグラデーションが。
葉っぱの差し色がまた良いな、、
「いただきます」
まずはたまごサンドから。
うん、いつも通り美味しい。
お腹が空いていたこともあり、
あっという間に食べ終えてしまった。
つぎはこちら。
おそらく季節限定、あじさいケーキ。
フォークを手に取り、
丁寧に端を切り崩す。
そして、そっと口元に運んでいく。
ゼリー?寒天かな?
清涼感があって甘ったるくない。
今の季節にぴったりかも。
『どうですか?』
今度はいつもの丸眼鏡をかけてのご登場。
「あ、はい。さっぱりしていて美味しいですよ。
見た目も可愛いですし」
またまた話しかけられた。
『そうですか、よかったです。
少し、心配だったんですよ。
初めて自分で考えたので』
「春限定のいちごタルトは違かったんですか?」
『あれは、うちの祖母が考えたものでしてね。
小さい頃からの私のお気に入りです』
「そうだったんですね。
あれもただ甘いだけでなく、
甘酸っぱさもあって、
重くなりすぎず、
けっこうパクパク食べれちゃいそうでした。
美味しかったです」
またもや眼光鋭くこちらを見ている。
眼鏡でさらに強調だ。
『味の伝え方ご上手ですね。食リポ向いているかも』
微笑みながら話すその言葉は、
お世辞には聞こえなくて、ほんのりと心が温かくなった。
『彼女さん、昨日来られましたよ』
「へ、、、?」
彼女と再会した時と同じ反応をしていた。
言葉が、飲み込めない。
「あ、えーっと。はい?」
『言葉足らずでしたね。
初めて来られた時、一緒にいられた方が、、』
「そうですか、、
で、どうかしました?」
『このメモをあなたに、と』
[6月30日 12時 この場所に来い]
桐谷
『了解です。ありがとうございます」
やっとか、と思った。
もう一度会えることを楽しみに、
ここに通っていたはずなのだが、、
でも、今は会いたくないかも。
☆ ☆ ☆
手元の時計を確認する。
6月30日、午前11時50分。
天気は雨。
傘をさして歩く。
空という名のキャンバスは、
白と黒を1対1。
絵の具を混ぜたような空模様。
そういえば彼女は美術部だった。
雨粒がビニールを叩き、無機質な音を響かせる。
彼女はきっと、、
いや確実に遅れてくる。
どこかに遊びに行くときはいつもそうだった。
今日も、そうであってほしい。
切実に願う。
雨音が耳に痛い。
それなのに、はやく会いたいと、
はやる気持ちは倍速で。
雨のビートが胸を打つ。
ちょっとした気分転換になればいい。
そんなふうに思っていた。
* * *
ドアを開けると同時にベルの鳴る音が聞こえる。
アンティーク雑貨に古時計。
時刻は12時過ぎ。
明度、彩度のともに低い、
フィルターのかかった店内で。
意外にも彼女、桐谷はすでにいつものソファに腰掛けていた。
『遅刻だね、珍しい』
声音に落ち着きがある。
凪いだ水面のようなゆらぎのある声。
やけに大人びで見えた。
雨のせいか、それとも気まぐれか。
「雨降ってたから、思ったより時間かかっちゃって」
嘘ではない、実際いつもより時間がかかったのだ。
「そう、なら許す」
いつにもなく上から目線だ。
彼女は手のひらを向かい側の椅子に伸ばし、
早く座れとばかりに睨んでくる。
「あ、はい、失礼します」
恐る恐るその椅子に腰掛けた。
なんだかこれから叱られるみたいだ。
『お金はすぐ返すから。で、たまごサンドでいい?』
「いいけど。奢ってくれるの?」
『そんなわけないじゃん』
まあ、そうだよな。あの桐谷だもんな。
いつも通りの彼女だ。
「で、桐谷は何頼むのよ?」
『ブラックコーヒー』
真面目な顔でそう告げる。
古時計の針と雨の音が同期する。
「本当に?」
『何、飲めないとでも思ってるんだー
まだまだおこちゃま扱いですか、、』
手をひらひらさせながら、
やれやれ、といった表情だ。
「そういうわけじゃ、、、ないけど」
『少し迷ったよね?』
目をガッと見開いて、
こちら側に、机を跨いで前のめりになる。
表情がコロコロ変わって面白い。
しばらく目が合っていた。
なんとなく窓の外へ視線を逸らす。
水滴で霞み、外が良く見えない。
本当に外の世界と隔絶されたようだ。
『ご注文はお決まりですか?』
今日は通常スタイルだ。
エプロンが梅雨色カラーになっている。
あら、いつの間に。
「あっ、はい。
たまごサンドをお願いします」
『あと、あんみつで』
『たまごサンドとあんみつですね、
少々お待ちください』
ささっとカウンターへ戻って行ってしまう。
『学校はどう?』
やっぱり聞かれるよな、、
「まあまあだよ」
言葉が濁る。
それでも、嘘はついていない。
『そっかー、それにしては
浮かない顔してるけど』
彼女はやけに感が鋭い。
これは1年間、彼女と同じハコで過ごして感じたこと。
こちらを一直線に見つめる琥珀色の瞳には、
何が見えているのだろう。
「雨だからじゃないかな、、」
『さっきもそんなこと言ってたよね。
雨アレルギーなの?』
「そんなものないでしょ」
『あるかもしれないじゃん』
実際どうなんだろうか、
僕は世界をまだ良く知らない。
「七瀬はどうなの?」
話題を逸らす。
『まあまあだけど』
「ならよかった」
『え〜それだけ?
もっと何か聞いてよ』
「毎日を満足に過ごせてるならそれで十分」
『君は満足できていないような言い方だね』
鋭かった。
まるでかみなりに打たれたかのようだった。
話せば話すほど漏れ出してしまう。
この雨漏りを直したい。
いっそのこと、すべて流してしまおうか。
もういいや、なるようになれ。
彼女の前で、
かっこつけて、取り繕っても意味がない。
「そうだよ」
もう隠しようもない。
僕はぶっきらぼうに答えた。
『その言葉を待っていた。』
彼女は微笑む。
分厚く、暗い雲の切れ目から注いぐ、眩い日差しのように。
『今はどんな感じなの?』
「まずだ、まともな友達ができていない」
『というと?』
「普段から話す人はいるにはいる。でもそれだけ」
『完全に一人、というわけではないのね。何がご不満?』
「他の人はいつものメンバー的なのがいる。
でも、自分にはいない」
『そういうのが欲しいの?』
「そういうわけではない」
そういうわけではない?
自分でもなぜ、この言葉が出たのかよくわからない。
『私に絡まれ過ぎて
感覚麻痺っちゃってるんじゃないの?』
自分で言うなよ。
でも、それもあるかも。
中学のとき、
学校にいる間はだいたい桐谷がいたし。
でもそれはなんだか違う。
「それはあるかも。でも、」
『でも?』
彼女が首を傾げる。
「うん、何だろう、、」
雨脚が一層強まってきている。
屋根越しに、音が聴こえるほどに。
『自分を客観的に見てみたらどう?
今までそんなの気にしたことあった?』
全てをわかったかのようなすまし顔で。
大袈裟かもしれないが、彼女の瞳は太陽だった。
『君は今、私と、喫茶店でおしゃべりしている。
これを客観的にみるとどうかな?』
「借金の返済現場」
『まだそれ引きずるか、、
それは主観だ』
真っ向から否定された。
真面目に答えたのに。
彼女は立ち上がる。
人差し指をこちらに向け、
彼女は満を持して言う。
『そう、これはデートでしかない』
名探偵のように、迷いなく。
「いや、それはない」
『いや、ありえるね』
そんなふうにあしらったが、
微かに、何かが掴めたような気がした。
この状況を客観的に見れば、
楽しそうに話す高校生2人に見える。
そこまでは認めよう。
僕だったらきっと、
羨ましい、楽しそうだなぁ、
と思っているだろう。
そうだとしたらこの時間はきっと、
僕が欲しかったもの。
そんな場面がこれまでもたくさんあったのだろう。
目の前のことに精一杯で、
取りこぼしていただけで。
『お待たせしました』
店員さんがやってくる。
先日、彼と話していた時間も、
実は楽しかったのではないだろうか。
「『ありがとうございます』」
彼女はコーヒー、僕はたまごサンドを手に取る。
「1つあげようか?」
これはほんの、感謝の気持ち。
『えー!いいのー?
じゃあわたしのコーヒーも』
「それは結構です」
『ちぇーっ』
たまごサンドを口いっぱいに頬張る。
やっぱりこれがいちばんだな。
『前川くん、リスみたいになってるよー!』
彼女の笑顔が花開く。
「ちょ、と、ばかにしてるでしょ」
窓の外へ視線を向ける。
水滴が陽に照らされて、宝石のように光っていた。
雨が止んでいる。
バケツをひっくり返し、水に塗れた世界に、
きらきらと日光が注ぐ。
空は一面青一色。迷いなく塗りつぶされていた。
『あっ、そうだ!連絡先交換しようよー
まだできてなかったし』
「おっけ、いいよ」
『あの2人とはもう繋いであるから、
今度また、修学旅行のメンバーでどっか行こうよー』
彼女が興奮気味に捲し立てる。
コーヒーを溢してしまわないか心配だ。
ふわりさらりと髪が揺れる。
上機嫌だな。
「とりあえず、ほら、登録だけしよう。ね!」
ひとまず落ち着かせる。
『え!?わかった』
すーはーと大袈裟な深呼吸をしている。
この時間が楽しい。
感覚が麻痺ってるにしろ、麻痺ってないにしろ、
僕は、こうやって話している時間が、
どの時間よりも好きだ。
お読みいただきありがとうございます。
今回は、もともと連載している「喫茶のまにまに」という作品のエピソード6〜9を
新たに再構築し直した、そういった作品になっています。
恋愛ジャンルか?と言われると微妙なところですが、
外から見ているぶんには付き合っているように見えるので問題なしです。




