後妻と義妹に着せられた冤罪 ~証拠がないなら作ればいいわよね?~
わたくし――アドマロイヒ・トンツはトンツ伯爵の長女で跡取りだった。
わたくしが14歳の時にお母さまは亡くなられた。
それから1カ月もせず、お父さまは後妻とその娘を家に連れてきた。
婿養子だというのに、浮気をしていた上、娘までいたらしい。
娘の名前はエリカといい、わたくしと同い年だった。
一応、義妹だと紹介された。
その日から……お父さまは後妻とエリカとともに過ごすようになり、わたくしは屋敷の中で孤立していた。
ただ、孤立していたというのは家族の中で、という話だ。
……もっとも、わたくしは後妻とエリカのことなど家族だとは思っていなかったのだけれどね。
元からいた使用人たちの態度は特に変わることもなく、伯爵家の跡取りであるわたくしに対して心を尽くして仕えてくれていた。
礼儀は尽くしてもそれ以上のことはしない伯爵家の使用人に苛立った後妻は、お父さまに新しい使用人を雇ってほしいと求めた。
お父さまはその求めに応じて、後妻とエリカのために新しい使用人を雇った。
そして、お母さまの死から3か月が経過した。
「アドマお嬢さま。お父上が執務室で呼んでらっしゃいます。いかがいたしましょうか?」
のんびりと王国史の本を読んでいたところ、侍女のマリアがそう知らせてきた。
マリアは領地が隣接している男爵家の令嬢だ。
行儀見習いも兼ねて、トンツ伯爵家で働いているのだ。
もちろん、お父さまの呼び出しなど無視することもできる。
正直な気持ちを言えば、このまま王国史を読み続けたい。
事実とされた出来事が淡々と書き綴られている王国史を読みながら、その裏にはどのような感情があふれていたのか、また、どのような謀略が進められたのか、そういうことを夢想するのがわたくしは好きなのだ。
だからこのまま読み続けたいのだけれど、そうするとこの子が何か罰を受けるかもしれない。
「……執務室へ向かいます」
「はい」
わたくしは開いたままの本を閉じることなく、席を立った。
すぐに戻るつもりで。
呼ばれたから行く。それだけのつもりだったのだ、この時は。
マリアが開けてくれたドアを通り抜け、そのまま廊下を歩く。
お父さまの執務室は同じ階にある。
執務室の前では執事のサムエルが待っていて、わたくしに一礼するとドアを開いた。
サムエルも領地が隣接する男爵家の令息だ。マリアとは別の男爵家である。
このように伯爵家以上の家格だと、下位の貴族家から次男や三男、次女や三女が上級使用人として奉公に出ることがある。
「アドマお嬢さまがいらっしゃいました」
「中へ」
短いけれど、不機嫌さが分かる声が執務室の中から聞こえてきた。
……どうやら、あまりよろしくない話のようね。嫌だわ。
わたくしはゆっくりと執務室の中に入る。
サムエルとマリアもその後に続いて、サムエルがドアを閉めた。
ふと目をやると、執務机の両端に燭台があった。
お母さまが生きていた頃にはなかったものだ。
お父さまではお母さまのように執務をこなせないのだろう。
陽が沈んでからも何かをしているらしい。
……わたくしが半分近い仕事を手伝っているというのに、ひとりでやっていたお母さまよりも時間がかかるなんて。本当に使えないわね。それとも、執務以外の時間が多いのかしらね?
執務机を見ただけでわたくしはとても残念な気持ちになった。
「お父さま? わたくしをお呼びとか?」
「アドマ、つまらない嫉妬をするんじゃない」
お父さまはわたくしに椅子をすすめることもなく、いきなりそう言った。
……使えないだけでなく、常識もどこかへやってしまったのかしら?
「嫉妬……とは? どういうことでございましょう?」
「嫉妬は嫉妬だ。サリナに暴言を吐き、エリカには暴力を振るっているそうだな?」
「……まったく身に覚えがないのですけれど?」
わたくしは本当に身に覚えがないので首をかしげた。
それを見たお父さまは苛立ちを増したらしい。
「ふざけるな! サリナからもエリカからも話を聞いている! 見ていたメイドもいるんだ!」
「まあ、不思議ですこと。何か証拠はございますの?」
証拠などある訳がない。
身に覚えがないのは本当だからだ。
「だから、サリナとエリカがそう言っているんだ! 見ていたメイドもいると言っただろう!」
「それは証言であって証拠ではございませんわ、お父さま」
「このっ……」
「まずは確認されてはいかが? わたくしは証拠を用意できますことよ?」
「何っ?」
「まずは……おふたりと、その、何かを見たメイドとやらをこちらにお呼びくださいな、お父さま」
わたくしは努めて冷静にそう言った。
「お義姉さまは何度もあたしの髪を掴んで引っ張ったり、頬を叩いたりしたんですっ!」
「わたしには『おまえなど母親ではない』とか、『この家でまともに暮らせると思うな』とか、毎日、そういう冷たいことをすれ違いざまに……」
お父さまに呼ばれて執務室へと入った後妻のサリナと義妹のエリカはそう説明した。
やはりわたくしには身に覚えがない内容だった。
「こう言っているが?」
「まったく身に覚えがありませんわ」
「……おまえは実際に見たのだろう?」
お父さまはわたくしからメイドへと視線を移した。
「は、はい……見ましたし、聞きました……」
「そら見ろ。本人以外にも証人がいるぞ? それでも身に覚えがないというのか?」
「ええ、身に覚えがないですわ。それに、すぐに証拠は用意できますわよ?」
「お義姉さまはなんてヒドいのっ!」
「なんという嘘つきなのかしら……」
特に苛立ちはないけれど、あまりにもうるさい。
わたくしはすっと半歩、お父さまの執務机に近づいた。
「……証拠が見たいですか、お父さま?」
わたくしは感情を込めずに、お父さまへ向けてそう言った。
これは最後の温情だ。
ここで考える力があれば……または思い止まることができれば……いいのだけれど。
「……見せてみろ」
お父さまは判断を間違った。
本当に残念なことだ。
「分かりましたわ」
わたくしは手を伸ばして執務机の上の燭台を握った。
そのままエリカの方へと振り向きざまに燭台を振り抜いた。
「がっ……」
めきっという、あまり聞いたことがない音とともにエリカの右頬が吹っ飛ぶ。
そのままエリカは横にいたメイドを巻き込んで倒れた。
お父さまも、後妻のサリナも、目を見開いたまま動きを止めた。
何が起きているのか、分からないのだろう。
わたくしは倒れたエリカに近づき、その豊かな金色の髪を引っ張って上半身を起こした。
ぽろり、と赤い血に染まった歯が落ちた。
そして、今度は左頬に燭台を叩き付ける。
「げへっ……」
衝撃で口から飛び出した血まみれの歯が後妻の方へと飛んだ。
血まみれの歯が後妻の首のあたりにくっついていた。
「ひ、ひいぃぃぃっ⁉」
「なっ……何をしているっっ⁉」
そこまでやって、ようやくお父さまは反応した。
エリカの両頬はおかしな形にへこんでいて、元の顔がよく分からない。
そもそも、あまり顔を見た覚えもないので、これが本当にエリカなのかどうかもわたくしには確信が持てない。
……別人だったら申し訳ないのだけれど、これがエリカでいいわよね?
「何を、と言われましても。証拠を作っておりますのよ? お父さまが望んだではありませんか?」
「ふざけるなっ! ただエリカを殴っただけじゃないか! それも燭台で! 何てことを!」
「わたくしの手を痛めたくはございませんもの。ちょうど燭台があってよかったですわ」
「エ、エリカ……あ、あぁ……」
お父さまは叫び、後妻はエリカの名を呼びながら自分の身体を抱きしめるようにして震えている。
わたくしはエリカの髪から手を放した。
ばたりとその場に倒れるエリカ。
うがぁ、うがぁ、と小さな音が聞こえるけど、身体は動かない。
とりあえず、まだ生きてはいるのだろう。
「何が証拠だ! ふざけるな!」
「ええ、これが証拠でございます。何かおかしいですか?」
「お、おお、おかしいに決まっているだろう!」
わたくしはエリカの髪から手を放しましたけれど、燭台は持ったままだ。
……お父さまの視線がわたくしの顔と手に持った燭台の間で行き来していますわ。おもしろいこと。ご自分も殴られると思ってらっしゃるのかしらね?
「ご覧になったでしょう? わたくしが暴力を振るったらこうなるのです。この部屋に入る前はいかがでしたか? このような怪我をしていまして?」
「な、おまえは……何を……」
「だから証拠だと申し上げております。わたくしが暴力を振るえばこうなるのです。こうなっていなかったのなら、暴力は振るっていないということですわ。お分かりになりませんか? 簡単な理屈ですのに?」
「ふ、ふざけたことを言うなっ!」
「あら、お父さまが証拠を求められたではありませんか? わたくしも証言だけで悪者にされるのは困りますもの。ちゃんと証拠を用意しなければ……ああ、そうでした」
わたくしはお父さまから、メイドへと視線を移した。
「おまえ」
「ひ、ひいぃぃぃ……」
「わたくしがこの娘に暴力を振るったところを見たのね? 本当に?」
「み、み、み、見てませんんん……」
わたくしがエリカに暴力を振るったところを見ていたと言っていたメイドは、今さらだけれど、見ていないと言い出した。
……あらあら、どういうことかしら? たった今、目の前で見たというのにね?
「見ていたと言ったではないの?」
「あ、ああ、あれは奥様と、おおお、お嬢さまにそう言えと言われてぇぇ……」
「あら……」
わたくしはメイドから後妻へとゆっくり顔を動かして視線を合わせた。
「ひいぃぃぃっっ⁉」
わたくしと目が合った後妻が、執務机の向こうの窓の近くまでバタバタと逃げ出す。
「サムエル。このメイドはのちほど地下牢へ」
「かしこまりました」
「お、おおお、お許しを……」
わたくしは許しを求めるメイドには何も答えず、お父さまの方を見た。
「どうやら、証言もあやしいようですわね? まあ、これでお父さまも納得して頂けたのではなくて?」
「お、おまえは……何という……」
「たかが伯爵代行の分際で、伯爵家当主となるわたくしに冤罪を? お父さまは何か勘違いなさっているのではなくて? それともまだ何か言いたいことでもございますの?」
「い、いや、それは……」
「もう少し、賢く生きることをおすすめしますわ。ああ、この娘に医者を呼ぶのなら、お父さまの予算の中で済ませてくださいますよう」
わたくしはぽいっと燭台を執務机の上へと放り投げた。
がたりという重い音とともに、お父さまは一歩後ろへと飛び退き、後妻はさらに壁に密着するように身をすくめた。
……娘がかわいくないのかしらね? あんなに痛い思いをさせて、かわいそうに。
「では、失礼しますわ。もう下らない用事で呼ばないで下さる?」
わたくしはそう言い残すと、マリアとともに執務室を出た。
サムエルはメイドを地下牢へ連行しなければならないので一緒に行動はできないだろう。
……身の潔白が簡単に証明できてよかったわ。
そうして、そのままわたくしは部屋に戻って王国史の続きをじっくりと読みふけるのだった。