時報タライ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おーっと、もう午後6時になったか。あっという間だったねえ、今日は。
防災無線から流れる音楽、小さいころからずっとなじんできているから、ついつい意識が反応してしまう。夏場と冬場で流れる時間が異なっていることが多いけれど、かつてはお寺が鐘をついて、時刻を知らせるのが主流だったとか。
それを合図に、仕事へ区切りをつけたり、家事へ取り掛かってみたり……多くの人に、相応の反応を促したわけだ。
合図。これによって動く機会は、今も昔もたくさんある。
中には合言葉のように、一部の者にしか気づかない、特別なものが存在することも。
関係あるものにさえ分かればいい、というのも大事だが、それ以外のものへの被害もあるかも……となるとちょっと考えものだよねえ。
僕たちだって、いつどのような合図のもと、どのような目に出くわすか分かったものじゃない。それがごくごくレアケースであっても、再び出会ってしまう者があらわれたときのための用心が、言い伝えとして残っているのかもしれないね。
ちょうどこれで仕事も区切りだろ? つぶらやくんのネタになるかもだし、少し合図に関する話を聞いてみないか?
友達の仕事場だと、仕事終わりに学校のチャイムが鳴るという。
リアルの学校のチャイムが聞こえてくるわけじゃなく、仕事場で時報代わりに録音してあるものだとか。
誰が始めたものかは、もはやはっきりしていない。しかし、義務教育はまず誰もが一度は通る道。
チャイムを聞けば、それが区切りと身体が判断してくれるくらい、自然となじんでいる。
ゆえにこの音が響くときは、ある意味で安寧の訪れであり、空気を緩めるのに一役買ってくれていたのだけど。
ある日。
友達がたまたま残業をしていたときのことだ。
コスト削減のために定時で帰ることが職場ですすめられていたが、この場でないとできない仕事もあるもの。
思わぬ用事が入ったりしてペースを乱されたりした日には、うまく行く予定も、行かなくなる。
そのぶん、周囲の目を気にしなくていいというのは楽だけど、それに甘えてしまうと、ついつい仕事の能率が落ちていきがちだ。
そうして夕飯も食べ終わるときには、午後八時。
人によってもう遅いと見るか、まだまだ宵の口とみるか、微妙な時間帯だ。
先にも話したように、みんなはすでに退社してしまい、ひとりだけという孤独な自由空間。とはいえ、やることは決まっている。
明日もあるし、あまり遅くはなりたくないな……と、かちかちパソコンを叩いていたところで。
『キーン、コーン、カーン……』
学校のチャイム音が、オフィスに鳴り響く。
ふと、友達も顔をあげてしまった。
これまでも残業してしまったことは何度かあったが、このタイミングでチャイムが鳴ることなど、なかったからだ。
誰かが設定を変えたのだろうか? とはいえ、ここしばらく勤めていて、いじるような様子はなかったと思うのだが。
そう感じながら、漠然と耳へチャイムの音を入れていた友達だけど、その途切れぎわになって。
ポクン、ポクンと、間の抜けた高い音が入ってきて、またも頭をあげてしまった。
これもどこかで聞いたような音だぞ……と、友達は意識をめぐらせていく。
――そうだ、タライの音だ。
厳密には金ダライなどの、溝がついたそこを叩くような音。
それが断続的に連なって、このような場違いで間の抜けた響きを広げているんだ。
これこそ、誰かがいたずらで仕込みでもしたのだろうか? チャイムとあまりにかかわりがなさすぎて、首をかしげたくもなる。
おかしなことをやるなあ、とパソコン画面の入力しかけのエクセル表へ目を戻して。
さっと、一瞬ディスプレイを黒い筋が走った気がした。
横一線ではなく、波長を示すかのような、乱れし曲線が一本だけ。ディスプレイの異状にしては、少し妙な印象を受ける。
目をよくこすって見つめてみても、画面には変化が現れない。スクリーンセーバなどとー考えることもない。
――これ、だいぶ疲れてんじゃないか? 自分?
もう、帰ってしまったほうがいいかも、とも思い始めた友達。
明日、ちょっと早く来てかたすことも、できなくはない量だ。持ち帰ってやるには、情報が少しばかり重要すぎる。
そそくさ、帰り支度を始める友達だったが……。
ポクン、ポクン、ポクン……。
再び、タライの底を叩く音。しかも今度はチャイムを経てからでなく単体で、間隔も先ほどまでよりも短く、連打と表してよかった。
カウントダウン? と思ったときには、まだつけていたパソコンの画面に、無数の波線が走っていたんだ。
やはり、ディスプレイの故障などではない。そして、平常なことでもない。
なにせ、それらの波線はいくらか画面上に明滅したかと思うと、不意に飛び出してきて、友達の顔を一打ちしてきたのだから。
目の前の光景が信じがたくとも、叩かれた感覚ははっきりと顔に残っている。
友達は最低限の荷物の用意と戸締りのみを済ませ、その場から逃げ出したらしい。
家に帰り着くまで、叩かれた顔はずっと痛み続け、いざ鏡で見てみると、額からやや右にそれる曲線で、頬にまで赤い腫れが浮かんでいたのだとか。
そして翌朝。
勇気を出して、誰よりも早く出勤したオフィスの床の大半には、長い長い髪の毛が何本も散らばっていたらしい。
特に友達のパソコンのディスプレイには、フレームの間にがっちりはまったものが数本残っていてね。ここから出てきたように思えた昨日の光景を、裏付けるかのようだったのさ。
結局、掃除をして証拠を隠滅したけれど、それから友達は例のタライの音がまたするんじゃないかと気になって、ほどなく仕事を代えてしまったようなんだ。