噂
エミリアたち6人は上位の成績のまま無事学園を卒業した。充実した2年間を過ごせた。13歳に王子は王家の特例を利用して入学し、かなりの額の賞金が支払われた。エミリアたちは王子に会わなくて済んで心穏やかだった反面、婚約者候補の身である以上、進学も留学もできず、旅行にも行けず、相手のことが未だ好きになれないこともあり苦々しい思いでいっぱいだった。
王妃教育試験に向けた勉強もしつつ、富得賭けのイベントを開催したりとそれなりに忙しく過ごしていたある日、ヘイデンがバケーションハウスに女の子を連れてきた。
「ルイーズ・マックオニールです。王立学園に通っているの。」
と名乗り、スカートの端を持って軽く会釈した。素朴で可愛らしくて、エミリアより幼く見えたのだが、
「あなたたち学園にまだ通えないの?学園で見たことがないわね。お勉強のことで分からないことがあったら私に聞いて。ではヘイデン、案内をして。」
と返事も聞かず部屋から出て行く姿を見て、全員ポカーンとしてしまった。
ヘイデンは一度出て行った後、すぐに戻ってきて言った。
「驚かせてごめん。女史もいるから蔵書室に案内してきた。彼女あぁ見えて15歳なんだ。俺の母上の姪だとかで、マックオニールのタウンハウスから学園に通っているんだ。ではまた!」
と慌ただしく言うとまた戻っていった。
エミリアたち5人はやっぱり挨拶しよう、と蔵書室に向かった。蔵書室に近づくと、マーガレット女史の「あぶない!」という声がして、何かが倒れたような音がした。慌てて中へ入ると、ヘイデンがうつ伏せに倒れていて、ルイーズは散らばった本に囲まれて立っていた。
「ヘイデン!」
「おにさま!」
カミーユとエミリアがヘイデンに駆け寄った。とっさに息を確認して、ホッとして額を見ると血が滲んでいた。エミリアはハンカチで額を押さえた。
「あの人が急に本を投げてきて怖かったわ。」
とマーガレット女史を指差し、涙を流しながらルイーズは言った。マーガレット女史は怖いものを見たような顔をして固まってしまっていた。ルイーズは続けた。
「私がここにいたらあの人が本を投げてきたの。ヘイデンは私を守ってくれて… あの人平民なんでしょう?怖いわ…」
涙を流すルイーズにクラウディアは優しく話しかけた。
「ここは危険ですから、マックオニールのお屋敷に戻りましょう。使用人の元へ案内します。」
クラウディアはエミリアに目で合図をしてからマックオニールの使用人の元へルイーズを連れて行った。
クリフはエミリアに声をかけると、クロムバンカーの使用人を呼びにいった。モニークはマーガレット女史にハンカチを差し出した。
「お怪我はありませんか?」
マーガレット女史は頷き、受け取ったハンカチで滲み出た汗を拭きながら困り顔で答えた。
「あの方はどなたなのですか?」
マーガレット女史を椅子に座るよう促した。
「ルイーズ・マックオニールさんだそうです。おにさまのお知り合いのようですけど、私はさっき初めてお会いしました。ご挨拶できなかったので私たちもこちらへ。何があったのですか?」
「ルイーズ様お1人で残られてヘイデン様が出て行かれた後、書類仕事をしていると何かが扉にあたったような音がしたのです。何かあったのでは?と思い見に行ったら、ルイーズ様が本を投げているところでした。」
カミーユは本を拾い集めてテーブルに並べていた。破れてしまったものもあった。それを見ながら、女史は悲しそうに言った。
「本をこんな風に扱う人、初めてです。ジュリエッタ様の大切な蔵書を守れず、申し訳ありません。以前孤児院の図書室で働いたこともありましたけど、あのような方は…」
エミリアはマーガレット女史の両手を包み込むようにして握った。
「本は直せばいいわ。大丈夫よ。」
エミリアは一度目を閉じて俯いた。心を落ち着かせるように深呼吸してから言った。
「聞かせて。なぜおにさまは怪我をされたのかしら。」
「扉が開く音がしてそちらを見ると、ヘイデン様が入っていらっしゃいました。ちょうどそこへルイーズ様が本を投げて… その本が頭にあたったヘイデン様は倒れてしまわれました。どうしようかと困っていたところに皆さまがいらしたのです。」
「ワザと当てたんだと思う。」
カミーユが言った。
「落ちていた本の位置から考えると、入ってくる人にあたるように練習してたんじゃないかな。段々と距離を伸ばしていったような… 足元に落ちていたのは重めの本だったから、投げられなかったんだと思う。ちょうど頭にあたったのは偶然かもしれないけど、何かにイラついていたのか、別の目的があったのか… そもそもマーガレット女史がどんなに本を大切にしているかを俺らは知っている。なぜあんな事信じてもらえると思ったのか分からないな。あの子何者なんだろう?今マックオニールはヘイデンだけのはずなのに… 」
突然扉が開いてクロムバンカーの使用人たちが入ってきた。
「「若様!」」
ヘイデンに駆け寄り、様子を簡単に確認し、さっと担架に乗せて医務室へ連れて行った。
カミーユはヘイデンが運ばれた方向を心配そうに見ていた。しばらくして、マーガレット女史の方を見て言った。
「マーガレット女史にはしばらくお休みしてもらって、この蔵書室には鍵をかけよう。もちろんその間も給料は出すから、安心して休んでほしい。こんな目に合わせちゃってごめんね。安全な職場のハズだったのに… あ、本の修理はルイーズの件が落ち着いてからにしよう。今は噂でもなんでも情報が必要だ。」
カミーユの話を聞いたエミリアは言った。
「いっそハウスごと閉めましょう。使用人の掃除も一旦お休み。何かあった時、誰かが傷ついたり疑われたりしなくて済むようにしましょう。集めた情報はここではなくてクロムバンカーの銀行で精査します。会議室の前に警備を置いても不自然じゃないわ。ここだと警備しきれないし、ここにルイーズさんが近づく可能性を排除したいわ。」
「私はエミリアに賛成よ。大事な部屋には鍵をかけて雨戸も閉めましょう。状況がわからないからこそ、大袈裟かもしれなくても思いつく限り対応をしておきたいわ。」
「僕も賛成だ。アトリエと音楽室の鍵もかけておく。芸術棟は大丈夫かな。それもお父さまたちに相談しよう。」
4人はマーガレットに帰宅を促し、それぞれの父親に相談することを約束してタウンハウスに帰った。
次の日から情報収集が始まった。いくつかの噂はすぐ集まった。街には銀色オバケの話が広まりつつあること。銀髪性悪ジュリエッタがクロムバンカー公爵を騙して結婚したこと。本当に愛し合っていたのはルイーズの母であるジュリエッタの姉で、その証拠に今マックオニール伯爵邸にルイーズが住んでいること。
ルイーズがマックオニールを名乗っていることに関しては、学園にいるカミーユとヘイデンの数学仲間から情報が入った。亡くなったマックオニール伯爵の姉であるルイーズの母が伯爵位を継いだが亡くなっていて、ヘイデンは養子。ルイーズとは家族である、と涙ながらにルイーズが説明しているらしい。
学園では他にも噂があった。ジュリエッタの娘のエミリアも性悪で、学園に通えない程愚かでルイーズに嫌がらせをしている。しかもその正体は人間ではなく銀色オバケだ。王子が以前オバケの髪を勇敢にも切ってやったから弱っている。そろそろまた成敗してやる。同じ銀髪のヘイデンはルイーズが助けたから無事だ、という噂だった。クラウディアとモニークは王子になかなか会いに来ない程恥ずかしがり屋だという噂もあった。
学園の生徒全員がその噂を信じているわけではなく、エミリアたちの同窓生に兄姉や知り合いがいる人は嘘だと知っているので、王子の言動に困惑してなるべく近づかないようにしているとのことだった。
渦中のルイーズはエミリアがバケーションハウスを閉じてから寄り付かず、怪我が治ったヘイデンを伴って劇場や大人向けのお店、ミュージックホールなど王都を楽しんでいるらしかった。そこでもクロムバンカーとマックオニールの話をしているらしいが、その場では盛り上がるものの、以前から王都に住む人で信じる人はあまりいないようだとの報告だった。
しばらく経つと新たな噂が流れてきた。
王子とルイーズは相思相愛。ルイーズが婚約者なのでは?という噂だ。学園でも街中でもしな垂れかかるルイーズと触りまくる王子の姿や、欲しがるルイーズとデレデレと購入する王子の姿などが目撃されていた。ルイーズの金払いもかなり良く、目の前で繰り広げられる諸々にさえ我慢すれば良いお客さんと言われていた。
エミリアはジョルジオの執務室に向かっていた。ある提案をするためだ。するとちょうどそちらからヘイデンが歩いてきた。久しぶりに会ったヘイデンは少し痩せて、目つきが鋭くなった気がした。
「おにさま!」
エミリアが声をかけると、軽く会釈をしただけで歩いて行ってしまった。エミリアは不思議に思ったが、そのまま父の執務室へと急いだ。
「お父さま、おにさまに久しぶりにお会いしました。」
「今ヘイデンは重要な局面だ。そっとしておきなさい。」
ジョルジオの執務机にはしっかりとした造りの箱があり、それを見つめ、優しく撫でながら言った。
「ヘイデンから預かったんだ。時がくれば返す。今は伯爵としての試練だな… いざとなったら俺が出るか…」
ジョルジオはエミリアにソファに座るよう促した。
「ところで、何か提案があるとのことだったが。」
ニヤッと笑った。
「今クロムバンカーとマックオニールに関する噂があるのはご存知だと思います。そこで富得賭けを開催して情報を操作したいのです。」
「確かに今許せない噂が流れている。ジュリエッタのことが余程嫌いだったのか、エミリアの活躍が許せないのか、王妃の気持ちなど分からぬが、今更ジュリエッタの名が出ていることから、王妃が関わっている可能性もある。何度か屋敷へ侵入しようとした者がいたとの報告も受けている。我々の護衛が優秀で、思うように手を出せずにイラついているのかもしれない。外出時はもちろんのこと、屋敷内でも護衛は必ずつけるようにな。王妃は存在ごと消そうとするからな。」
ジョルジオは苦々しい顔をした。