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「落ちるべくして芸術の秋」 七八五十六

 その紅葉は、しかし紅葉の赤ではなかった。本来、紅葉の色には穏やかに衰えて儚くなる、そんな暖かみがある。だがこの落葉(らくよう)は、激烈な絶命の緋色であった。


 その中心には、見知った女の体が横たわっている。呆気にとられたような青白い顔は、同級生だったザクロのものである。風に吹かれた落ち葉が、腹に広がる赤い染みの上をからからと転がって、途切れ途切れの微かな筋を描いた。


「ちょっと、ぼうっとしてないで」呆ける私を咎めたのは、ザクロと同じく昔の同級生だった唐松(からまつ)である。


 彼女と交代しながら土を掘っていたのだが、私の番が巡ってきてから大分時間が経っていた。加えて、私はここに来るまでに長い距離を歩いていたので、体力がかなり削られていた。


「疲れたから交代してくれる? もう少しだけたと思うから」


 だが頑張った分、作業の終わりに大きく近づいた。最後は任せようと思って剣スコを差し出すと、唐松の眉間にしわが寄った。


「こっちも疲れてんだけどさあ」唐松は不満を隠そうともしない。額に汗の一滴でも滲ませてから言ってほしかった。


「でも私、朝ご飯もまだ――」


 言いかけたところで、唐松の声と手が震え、生々しく真っ赤に汚れた包丁を突き出してきた。もしや、ほんの一瞬の後に、私から引き抜いた鋭刃こそ、たった今目にしている緋ではなかろうか。


「手伝ってくれるって話だったよね?」その目は脅していると言うより、親に駄々をこねる子供のものに近かった。


「そう言ったけど、もうエネルギーが尽きて動けるものも動けない。今の私より、余力があるマッちゃんがやる方が早く終わるから、頼むって」唐松の機嫌を必要以上に損ねないよう、言い方を選んだ。


「だとしても、あたしだってさあ」子供のようにうだうだ言いながら、唐松はスコップを取って穴掘りを再開した。


 彼女は非力で、私よりもかなり仕事効率が悪い。作業時間は私よりも長いが、それでも掻き出した土の量は私に及ばなかった。


 さて、交代したところでやれることも少ない。元々紅葉狩りに興じるつもりだったが、無惨に転がるザクロの存在感があまりにも強すぎた。お湯を入れたカップ麺を前にして最高級トリュフが運ばれてきたような気分で、ならばいっそ食べ合わせてみようと思い、この珍妙ながら怪麗な風景をぼんやりと眺めた。


 


 


 


 私は昨日まで真っ当な人生を送ってきた。善事を善しとし、悪事を悪しとすることを心掛け、それが最も無難だと思って生きてきた。ゆえに谷の少ない道だったが、高く登った山も無く、振り返れば退屈な人生だった。だから心の底で刺激を求めていたことも事実で、それを抑える忍耐さえも善しとした。とはいえさすがにこの状況は、いくらなんでも劇物が過ぎる。


 こんなことになったのは、私とザクロと唐松、誰の運が悪かったからなのか。私としては、日課のウォーキングのついでに錦秋を堪能しようと、思い付きで近所の山に足を伸ばしたことが悔やまれる。山道を散策していたところにザクザクと不審な音が聞こえたので、道を外れて音の出所を探したところ、血にまみれたザクロの傍らで穴を掘る唐松に出くわした、という経緯だった。唐松の驚きようは凄まじく、見つけたのが私でなく制服の警官だったとしても、あれほどまでに目を剥くことはなかっただろう。


「ヒノきん……!」


 私の名前はヒノキだったが、その呼び方をするのは唐松しかいなかった。正直好きな呼び方ではないが、付けた本人が気に入って変えてくれなかった。思い返せば随分昔のことである。


 あの頃はなよなよした奴だったが、このとき目の前にいたのは既に一人を殺したであろう危険人物だった。その一挙手一投足に気を配り、変に刺激しないように振る舞おうとした。


「……久し振り……だけど、今忙しい感じ?」街中で旧友と再会した風に、軽く手を振った。


「ヒノ、ちょっ、ちょっと待って!」


「いやいや大丈夫大丈夫。誰にも言わないから――」


「動くな!」びりびりと、怒鳴り声が空気を震わせる。唐松はリュックから素早く包丁を取り出し、私に突きつけた。


 金属特有の光沢に、頭がぐうっと冷えた。本当なら、刃物を背中に投げられるリスクを負ってでも、ここで必死に逃げ去るのが良かったのだと思う。だが私は、既に人殺しとなった唐松を放っておく気になれず、同時に他殺体となったザクロへの興味もあって、この場に留まってしまったのだ。


「ねえ、手伝ってよ。ヒノきんなら、してくれるよね」


 握られたスコップに視線が吸い寄せられた。それを取れば後には引けないと、超えてはいけない一線だと、理性が告げる。


「手伝うのは、ちょっと、私早く帰らないとだから――」


「――お願いだから! ……じゃないと……お願いだから……!」


 唐松の手、震える赤い切っ先。ザクロの腹、静かな赤い穴。私の眼球がぐりぐりと動くのを感じる。唐松がザクロに虐められるようになったのはいつからだったか。もう覚えていないが、その後に私が彼女とつるむようになったのは確かに覚えている。彼女にとって私は、大人になった今でさえ、たった一人の味方なのかもしれない。


 ともかく、こうして私は、脅されて犯罪の片棒を担がされた哀れな人間という、ある種の免罪符を得たのである。


 


 


 


 せっせと穴を掘る唐松を尻目に、事切れたザクロを風景に交ぜて観察する。同級生の中でも屈指の美人だった彼女は、血にまみれた屍の姿も様になっていて、不気味な美しさがあった。上も下もなく、景色を埋め尽くす紅葉も相まって、今のザクロは女優だった。


「ヒノきん、余計なことしないでよ?」唐松が金切り声を上げた。


「しませんて。見てるだけです」私は反射的に答えた。


「あのさ、手ぇ伸ばしてんの見えてんだからね?」


「いやそれはその、本当に息してないんだなって、鼻の穴のところで確認しようと、ね?」


 無意識に伸びた腕は何処に触れようとしていたのか。死ぬ前のまま、さらりと艶やかな黒髪なら忌避感も薄いし、実際の触り心地も良いだろう。いや、むしろ冷めきった死人色の肌に触れると、生者でないことを実感できて、死体に触る意義があるのではないか。それともいっそのこと、べたべたと赤い傷口に手を突っ込んで、人肉の感触を記憶に刻もうか。


「……聞いてんのか人の話」唐松の声が一段と刺々しくなる。


「わーかってます。わかってます。大丈夫大丈夫」


 亡骸の感触を求める手を引っ込め、次に目を向けたのは、その傍らに捨てられた鞄だった。ブランドものとかでは無さそうだが、美人と一緒だと何でも様になるものだ。


「ねえ、鞄の中って見た?」私は問いながら、手を使わずに中身を見られないかと、体を傾けていた。


「必要あんの?」唐松は舌打ちが混じっていそうな声で言った。


「別に、死ぬ前に何してたのか気になっただけ。持ち物とか見ればわかるかもって」


 既に私は、その中身を想像していた。まず、スマホは当然入っているだろう。誰かと連絡を取っていたりしただろうか。小説が入っていたなら、栞は何ページに挟んだのか。その時は、まさか自分が殺されるとも思わずに。途中のままに終わった諸々は、まさしく到達に訪れた落命の物証であろう。


「……だったらこれで十分?」唐松はため息をついて、土で薄汚れたデジタルカメラを突き出した。この型は最新型だったはずだ。


「……これはザクロの?」彼女の趣味は写真撮影だと、本人から聞いたことがあった。


「……刺したときに落としたから拾っといたの」


 殺した、という言い方を躊躇ったのがわかった。今更気にして何になるのか。だが唐松らしいと思った。


 いそいそとカメラのフォルダを見ると、今日の日付で十数枚ほどの紅葉の写真が収められていた。どれもザクロが惹かれて切り取った景色なのだから、当然綺麗ではあった。しかし後ろから覗き見た唐松は、鼻笑とともに肩をすくめた。


「なんでこんなの撮ってんだろ」唐松は昔から、美とかアートとかいったものに微塵の興味も無い女だった。


「残したかったんじゃないの。また見れるように」私は思ったままを言った。対象が家族だろうが研究材料だろうが、写真は後に残す記録である点で変わらない。


「それがわからないっての。観光地とかでもないのに、わざわざ写真にする意味無いでしょ。写真家気取ってんかね」


 その記録に思い出や美しさを見出すとき、初めて記録以上の価値が生まれるのだろうが、想像通り唐松はそれをしない女だった。


 彼女の態度は今更驚くべきもない。むしろ私が驚いたことには、自分もこの写真をつまらなく感じたのである。他人が撮った写真など、本人が満足していればいいと、悪く言えば無関心なのが普段の私であるはずだった。だが今は、ザクロの撮影した紅葉の帳を一目見て真っ先に、味気ないと思ったのだ。


 この写真は普通に綺麗だと思う。しかしそう、普通だった。ネットで検索すれば出てくる有象無象の画像と違いない。とはいえ、それを言ったら何だってそうではないか。何故に今更、難癖じみた理屈でこの写真を不満に思うのかと、私はカメラから顔を上げた。


 そこにはやはり黄赤のパノラマがあって、やや斜めに見上げれば、ザクロの写真とほとんど同じものを見られるだろう。しかしそうはさせまいと、落葉に囲まれた血まみれの遺体が主張している。


 これだ、と思った。私はカメラを返すと、ザクロのとの距離を測りながら指で枠を作り、そこに景観を収めた。絵画と思しき非現実的な光景だが、事実として己の眼前にあることに改めて認識すると、痺れるような興奮を覚えた。片田舎の取るに足らない空間だというのに、一つ置かれた美女の亡骸が退屈を塗りに塗り潰していた。それでいて、紅葉景色の寂を殺さずに引き立てていた。今まで真面目に生きていたのが馬鹿みたいに思えた。


 眩しい照紅葉の天井、一枚二枚と落ちる先は美女、赤の明暗が隣る。足先から埋め尽くされた、朱の海に沈む緋染の人魚。落葉が肌を撫でようと、微動だにせぬ彼女は人形――


「……満足?」枠の外から、唐松がじとっとした目を向けていた。


「うん、もういい」私は眼前の画に魅入られるばかりだった。


 私が不審な動きを止めたからか、唐松は黙ってスコップを振るっていた。だがしばらくすると、余りに何もしないので、かえって落ち着かなくなったらしい。


「……ヒノきんさ、そんなに見てておもしろい?」


「滅多に見れるもんじゃないし」私は未だ視線を動かせずにいた。


「滅多にって、引きこもりとかじゃないなら嫌でも見るでしょ」と馬鹿にするように唐松が言った。そこで私は、彼女が紅葉の話をしていたのだと気付いた。


「毎日忙しいから、こんなにじっくり見ることが無いってこと」私はすぐに付け加え、視線を少し上に逃がした。


「ふうん」唐松は目を細めて、つまらなさそうに言った。


 彼女は私の発言を変に思うことも無かった。ザクロに触るのを咎められた私が、それに対して興醒めしたと見えたのかもしれないが、おそらくは、そもそも死体に釘付けになっている可能性を考えなかったのだと思う。


 それよりも問題なのは、何か癪に障ったらしいことだった。彼女は大袈裟に息を吐くと、手にしていたスコップをバタンと倒した。


「嫌なこと思い出しちゃったよ」憎々しげに呟き、唐松は腰を下ろした。「小六の修学旅行で――ヒノきんも覚えてると思うけどさ」


「ザクロ関係?」思い当たる節はあった。何度か聞いた話だ。


「ん。ザクロらが紅葉をバックに写真撮ってたところに、あたしが写っちゃってさ、邪魔だってキレられた話。前にしたっけ」


「何か聞いたことあるかも」この話はザクロからも聞かされていた。曰く、用も無いのにずっとフォトスポットの前に突っ立っていたから頭にきた、とのことだった。あと、本人は口にしなかったが、写真にこだわりのあったザクロのことだ、修学旅行という非日常、特別な旅先の写真に嫌いな奴が写るのは人並み以上に嫌がっただろう。


「ああ、一度口に出すとどんどん出てくるわ。ああ――」


 顔を合わせると睨まれた。陰口を叩かれていた。クラスでペアを作るときにあぶれた。自分と隣接する席は皆が露骨に嫌がった。近い席になったクラスメイトはまともに話しかけてこなかった。そんな昔話を、ザクロを筆頭とする元同級生への愚痴を所々に詰めて、唐松は今日一番の饒舌ぶりを披露した。あるいは、本人にとっては現在進行形の苦労話で、昔話ですらないのかもしれない。


「思い出したら余計にムカついてきたなあ」唐松は唸りながら傍らの幹を蹴った。すると落葉が顔に降りかかってきて、振り払うはめになった。そのまま地面に落ちた葉を、唐松は既に落ちていた無数の紅葉もまとめて、舌打ちしつつ蹴散らした。


 再び宙に放たれた落葉は風に運ばれ、ザクロの上で踊る。それを追った私の視線は、決まっていたかのように死体へ誘導された。


「ムカついたから殺したの?」私は欲のままに画を見つめ、その心持ちのままで躊躇わなかった。


 息を呑む音が大きく聞こえた。ちらりと横目で見ると、唐松の目はカミソリのようになっていた。


「……そりゃ、そうでしょうよ」木枯らしのような笑い声だった。「こいつ、ろくな奴じゃなかったじゃん。人の神経を逆撫でるのだけは一丁前だったんだから」


「まあ、マッちゃんにとってはいい迷惑だったよね」


「本当だよ。くたばって当然の奴だったっての」と、もう一度木の幹を蹴った。先程と同じく落葉が降る。


「――はっ、同じじゃんか」唐松はそれを拾い、二つに裂いた。


「落ち葉が?」彼女の意図したところが、私にはわからなかった。


「秋になったら葉っぱが落ちるなんて当たり前でしょ。こいつの命もそんなもんだよ。落ちるべくして落ちたんだ」


 唐松はスコップを取って立ち上がり、足下に積もる葉を強く踏みつけた。そして掘っていた途中の穴に、スコップを八つ当たり気味に突き刺し、土を抉った。ここに落としてやる、とでも言いたげだ。


 落ちるべくして落ちるとは、言い得て妙だ。哀れ、今の唐松こそがその証明だった。最初、私が現れたときこそ相当に焦った顔を見せたが、今は憎い女を殺した達成感と、死体埋めという非日常的行為への高揚感で満ちている様子だ。私が協力者となり安心を得たことも大きいかもしれない。


 そんな彼女だが、そもそも、大人になっても子供時代の鬱憤を引き摺り続ける女が、いかがな日々を送っているのか、想像に難くない。過去に思いを馳せてばかりの暇人と言えばまだ聞こえはいいか。そんな愚女の末路には、こんなこともあろう。


 モチベーションが回復したらしい、唐松はラストスパートをかけた。ザック、ザックと鳴る音を傍耳に、私は当然のごとくザクロを中心に据えた紅葉景色を堪能する。唐松が飛び散らした紅葉がザクロの体に何枚も乗っていた。献花のようで、装飾のようで、あるいはともに捨て置かれただけにも見える。しかしいずれも、ザクロの青白い肌を際立たせるアクセントなのだった。


 落ちるべくして落ちた。唐松の言葉が頭の中で反響している。落葉の儚さをザクロの遺体にも重ねて眺めた。するとこの風景がまた違う味わいを持ってきて、本当に飽きが来ないものであった。


 しかし私はこのとき、果てしない寒気を感じた。「落ちる」と理性の警告を聞いた。


 単調な山の彩りに紛れ、一つの点、物言わぬ麗人が静寂を乱す――起伏の無い毎日、真面目に振る舞うだけの私に流し込まれた赤色の甘美な蜜は、価値観を狂わせるには十分すぎる劇薬だった。一度脳が覚えた興奮は二度と忘れられず、日常からの逸脱を求め続けるだろう。その果ての姿こそ、今横にいる唐松なのだ。


 そうだと理解しても、亡骸を取り巻く風景は私を強く掴んで離さない。この先も生き続けて、再びこの光景を目にすることができようか。ああ、またひとひら、葉が落ちてゆく――


 秋風に冷える人形、舞う紅葉。電池かあるいはぜんまいか、動いた頃を土に汚れた靴が語り、閉じた鞄が内に秘める。服の赤い染みは乾いた風にさらされ、今は柄――


「よし、もういいや!」集中して無言だった唐松が大きく伸びをした。「さっさと埋めよう。ヒノきん、交代」


 溶けそうになっていた意識をなんとか保って、私はスコップを受け取った。作業に集中していれば、余計なことを考えなくて済む。それだけ考えて、返事をするのを忘れていた。


 唐松がザクロを蹴って転がす。これも仕返しの一環か、彼女の口角は釣り上がっていた。脱力して唐松の為すがままになっているザクロを見ていると、ぞくぞくとした感情が膨れ上がる。――集中すると決めた途端にこの始末だった。


「じゃあ、最後頑張って、よろしく」唐松はザクロを穴へ落とし、鞄とデジタルカメラもその上に投げ入れた。


 私は無心で穴を埋めると決意した。余計な気持ちが湧く前に、まずは急いで体を、顔から隠していった。満遍なく土を落としていけば、すぐに肉体は見えなくなり、服と靴が少し覗く程度になった。


 そのまま機械に徹して土を戻していくと、程なくして完全に何も無くなり、一見ただの穴になっていた。この調子でさっさと終わらせようと躍起になっていると、不意に唐松が横にやってきて、両手一杯になった紅葉を穴の中に降らせた。


「ちょっと何――」それを視認した私の目は、とっくに隠れた遺体を透視した。私の脳は既に、紅葉と死体を結び付けていたのである。


 つい声を荒げてしまったが、落ちた葉の色が朱と緋の二色だったことに気が付いた。「――証拠隠滅ね」


「全然考えてなかったんだよね。最初から集めとけば良かった」


 ザクロが横たわっていた場所を振り返ると、ここで事件がありましたとばかりに、血染めの葉が散乱していた。これだけでもなかなかの数だが、既に飛んでいった枚数も少なくないだろう。


「こんなにあるんじゃ、集めたって持っとけなかったでしょ」


「それもそうだけど。……まあ、一枚二枚誰かが見つけたところで、気には留めないと思うしかないかあ」後の祭りだと、唐松は肩を落とした。


 そこから、今残っている分だけでも、と唐松は血の付いた紅葉を穴の中に入れていった。私としては、その度に見えないはずのザクロの姿が濃くなっていくのが非常に困った。降り積もる赤色は、やはり献花のように綺麗だった。野山の錦に囲まれて埋葬されるとは、中々にそそるものがあった。


 硬い土を掘り出して穴を作るのには随分時間を食ったが、埋めるときは横に退けられた土を落とすだけだったので、それほど長くならなかった。終わってみればあっという間だった。


「ヒノきん以外、誰も来ないで済んだわ」と唐松が息を吐いた。


「道路からは外れてるし、その道にしても全然人通り少ないしね」


「だとしても怖いじゃんか。最悪、警察がパトロールで通ったりとかもありえるっしょ」


 そうなっていたら私もただでは済まなかった。脅されて協力していたなんて、誰が見ても信じないだろう。


 同時に、もし警察がやってきて、鑑識が写真を撮ることになったとして、現場を撮影した写真をただの記録に留めることができるだろうか。周囲の風景に目を向けず、ひたすらに遺体だけを切り外そうとしても、遺体そのものが唸るほどに容姿端麗で、朱色の絨毯を下に寝転がり、体のあちこちに天然のアクセサリーを施しているのだ。下手な美人画よりも名作たり得るに違いない。


 最後の仕上げに、埋めた穴の上にも、周囲と均一になるように落ち葉を広げた。もう何かがあったようには見えない、ありふれた眺めだった。本来、私が見るはずだった風景はこれだったのだと思うと、物寂しく感じた。ザクロの亡骸は土の中、もう二度とあの絶景を目にすることは叶わない。


「じゃあ、これでお疲れ様、ということで……」唐松はやることをやりきったあとの締め方がわからないようで、辿々しい喋り方だった。誰かと何かを成し遂げた経験が少ないゆえである。


「じゃあ、帰っていい?」さっきから何回も腹の虫が鳴っていた。我ながら、よく気にせずにずっと没頭できていたものだ。


「今日のことは忘れてよ」今更ながら、唐松が念押しした。


「わかってる。誰かに言ったりとかもしないから」


「うん。……ふふっ」たった今まで、自分で殺した人間を埋めていたのが嘘みたいな、自然な笑顔だった。


「何さ、いきなり笑って」


「あたしらだけの秘密とか、青春っぽくない?」


 幼い頃、近所の友達で集まって秘密基地遊びをしたことを思い出した。そんな楽しさも知らぬまま、唐松は大人になってしまった人間だった。昔の同級生と共に、これまた昔の同級生の死体処理をすることが数少ない青春の体験とは、なんとまあ悲しい人生である。だがもう、私には全く関係ない。


「――それじゃ、お達者で」


 唐松の手には何も握られていなかった。それだけ確認して、私はその場から走り去った。一度、唐松に手を振りながら後ろを見たが、彼女も手を振り返すだけで追いかけてくることはなかった。


 唐松にとって、私は親友みたいなものだったのだと思う。誰もが嫌っていたので、友達間の罰ゲームのような成り行きで相手をしたのがきっかけだったが、それでも彼女からしてみれば唯一の大事な友達だったわけだ。当時の私は、罰ゲームだとはいえ、独りぼっちのクラスメイトを放っておくのも良心が痛んだので話しかけたのだが、結果的にその判断が今日の私を助けた。何でもない元同級生だったら、すぐに口封じされていただろう。恩は売っておくものだ。今よりも大分純粋だった子供時代に感謝した。


 それにしても、この年になって過去の自分を省みる様子もなく、私が絶対に自分の味方をしてくれると信じて疑わないとは、真っ当に成長できないとあんなにも歪んでしまうのか、いい経験になった。


 あの分では、ザクロよりもいい死に方はしないだろう。それに、死んだザクロと紅葉景色のマリアージュに魅了された私とて、唐松の死体を重ねたい風景は無い。なるほど、ある意味彼女のせいで落ちそうになっていたが、彼女のおかげで踏みとどまれそうだ。


 殺人現場から程々に離れたところでようやく一息つくと、ポケットからスマホを取り出した。案の定、母から帰宅を催促する連絡が届いている。朝ご飯の時間には帰ってくると言って家を出たが、時刻は既に昼に差し掛かろうとしていた。


 母には謝るメッセージだけ返信し、私はすぐに電話をかけた。唐松に、お前は落ちるところまで落ちたのだと知らしめ、そして自分に、私は彼女と同じ場所になど落ちてやらないと叫ぶためだ。


 数回の呼び出し音の後、向こうと声が繋がった。


「――殺人事件です」


 私は一優良市民として、はきはきと答えた。


 


 


 


 


 


 その後のことを簡潔に記す。結局私は、罪を被らずに済んだ。ザクロは家族の元に帰って荼毘に付され、犯人の処遇も決定して、この事件は解決した。友達に根掘り葉掘り話を聞かれたりもしたが、今はそれも落ち着いて、元通りの退屈な毎日に戻っている。


 ただ一つだけ、大きな変化があった。あれから私は新たな趣味として絵を描くようになった。変哲の無い街、何処かの建物の中、著名な観光名所、適当な写真を元に何枚も風景を描いた。そしてその全てに、血を流す美女が一人、力無く倒れている。

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