「拝啓、泡沫の君へ」 七瀬夕
目が覚めたら人魚になっていた。
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子どもの頃から、人魚姫のお話が好きだった。悲しくて切ない結末だけど、心から愛する人を見つけて、恋は叶わずとも愛する人の幸せを願うことの出来る自分に出会えた姫は幸せだったんじゃないかなって思うんだ。
いつしか、ぼくはそんな人魚に憧れを抱いていた。聞いたことある? 海の底の世界の歌。あんなに素敵でキラキラと輝く場所で生まれた時から過ごせて、最期は美しく消える。憧れを抱かざるを得なかった。
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そんなぼくだけど、ある日目が覚めたら人魚になっていたんだ。嘘みたいな話だろう? ぼく自身も信じられないよ。でも現実なんだ。おへその下あたりから魚の体になっていて、光の当たり具合で色が変わる鱗はキラキラと輝いている。もちろん、足なんてないよ。綺麗な二股の尾ひれが水中で揺蕩う。人魚だから、もちろん水中にいても苦しくないし、目を開けても痛くない。浸透圧の仕組みも人間と違うのかな、なんて思ったりして。
まあ、そんな事実はどうでもいいんだ。それよりもぼくが気になるのは、この世界のこと。前に何処かで聞いたことがあるんだけど、深海は宇宙よりも調査が進んでいないんだって。遥か遠い、想像さえも出来ない宇宙のより、身近な海の方が知らないことが多いなんてなんだか不思議な感じがする。そんな場所で暮らせるんだ。
昔からぼくは好奇心が旺盛な方だった。わくわくしない訳がない。
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人魚になって、まず何をしようかと考えた時、真っ先に浮かんだのはこれだった。
見渡す限り色とりどりの珊瑚礁や海藻。隙間から覗く様々な形と色の熱帯魚たちが透明な水にいっそう彩りを加えている。やってみたかったんだ、スキューバダイビング。まあ、人魚になったから、ダイビングというよりは人間で言うところの散歩にあたるのかな。でも、それより遥かにいい。顔にあたる水は髪の毛を靡かせて心地よいし、可愛い熱帯魚たちは通りざまに挨拶をしてくれる。何より視界が人間の世界よりも何倍も華やかだ。いつまでも飽きずに見ていられる。
泳いでいるとたまにクラゲと出くわす。彼らはゼリーのように透明でぷるぷるとしていて思わず両の手のひらに収めたくなるけれど、毒があるから触れられない。もしかしたら、人魚の体なら耐性があるのかもしれないけれど、もし、試して死んでしまってはたまったもんじゃない。後ろ髪を引かれる思いを心の奥に押し込めて別れを告げた。
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海の底の世界には住所というものは存在するのだろうか。
気の向くまま、時の流れをはかる道具も無いから心の赴く方へひたすらに進んでいたら、見える景色が変わっていた。一流の建築士が建てた格好良い建物も、都会の洗練されたデザイナーの創った目立つオブジェも無いから、何も目印にできない。自然の景色は同じように見えて、徐々に徐々にグラデーションをかけるように変わっていく。そもそも、ぼくも目が覚めたら海の中にいたわけで、元の場所がこの海のどこに位置していたか知らない。それに、適当に泳いできてしまったから元々の場所に戻りたくとも、来た道などわかるわけがない。
昔からぼくは無鉄砲な性格だった。先を見ずに、好奇心のまま動いてしまうから、よく怒られたっけ。
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良く言えば行動力がある、悪く言えば後先を考えていないぼくの行動はいつも、最終的にぼく自身の首を絞めることになる。
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仄暗い海の水は冷たかった。
気が付けば、深海域に迷い込んでしまったようだ。太陽の明かりは遥か彼方、ほとんど光が届いていない。色とりどりの熱帯魚たちも、いつの間にやらいなくなっていた。それもそうか。確か、熱帯魚が派手な色を身にまとっているのは、太陽からの紫外線を必要以上に取り込まないようにするためだと聞いたことがある。ここなら、太陽の光も届かないし、その必要はないってわけだ。その代わりに、ここにはここで生きるに適した進化を遂げた生き物たちがたくさんいる。発光器官をもち餌を探すもの、水圧に耐えるために体自体を大きくしたもの、わずかな光を集めるために目を大きくしたもの――人間には未だ発見されていないものもたくさんいるだろうし、なぜそのような進化を遂げたのか解明されていないものも多くいる。そもそも、地球の七割を占める海のうち、九割五分は深海域なのだから……って、ぼくは今この状況で何を考えているんだか。冷静に思考を巡らせている場合じゃないだろう。こう考えている間にも、勝手に体は進んでいたが、ぼくの目指すべき方向は絶対にこっちではない。また無計画に進んでしまった。そうだ、ぼくは暖かくてきらびやかな空間に――それが難しくても、願わくば近い環境に戻りたかったんだ。帰らなくちゃいけない。
帰らなくては。
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海に、方向という概念はあるんだろうか。
海っていうのは、僕が考えていたよりも何もなかった。ただ、膨大な量の水が、質量をもって存在している。たまに、自然のオブジェが足されているが、それすらもないところがほとんどだ。プールででんぐり返しをしたことがある? 水中でそれをやると、どこも同じ景色で、自分がどこに存在しているのかわからなくなるんだ。でも、プールはまだいいさ。だって、二十五メートルという枠組みがあって、足をついて立ち上がれば水面はすぐそこだ。ただ、今の僕はかなり絶望的だね。だって、ぐるりとその場で一周してみても、景色は変わらない。海底はたぶんこのずうっと下。せめて、海面に近いところまで上がりたいが……さっき、くぐってきた洞窟のせいかな、頭上は人一人が通れないほどの穴しかあいていない。海底洞窟ってのは、海難事故が多いと聞いた。確か、深いところでは窒素の濃度が高くなるせいで、人間は酩酊状態になってしまうとか。正常な判断が下せなくなるんだって。ぼくが何度も、同じような過ちを繰り返してしまうのはそのせいかな。そのせいだといいな。まあ、人魚の体がそうなるかはわからないけれど。
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人魚に死は存在するのだろうか。
お伽噺の中の人魚は泡になって消えてしまった。けれど、実際はどうなのだろう。不慮の事故でも、命が尽きた途端に、泡になってしまうのだろうか。ぼくみたいに、迷子になった人魚は飢えて消えてしまうのだろうか。それとも、肉食の魚類に食べられてしまう? だとしたら、その魚は運がいい。だって、人魚の肉を食べたものは不老不死になれるのだから。
…………?
命が尽きた途端に泡になってしまうのなら、どうして人魚の肉は存在する?
あれ、人魚は死んだらなにになる?
泡になるのは……
そういう魔法にかけられていたから?
あれ、ぼくは何か勘違いをしていたみたいだ。人魚は泡にならない。特別な魔法をかけられた人魚だけが泡になる。
……だとしたら、今後ぼくはどうなってしまうのだろう。
迷子になって、帰る場所もなくなって、海での生き残り方も知らない人魚は……
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人魚になったら、死ぬことなど怖くないと思っていた。
だって、きれいな泡になって消えることができるのだから。
それはぼくの思い違いだったようだ。
昔から、ぼくは何かと早とちりをしがちであった。好きなことに突っ走るあまり、何か間違えてたことを後になってからようやく気付く。幸いにも取り返しのつかなくなったことは、今まではなかった。これが、取り返しのつかない出来事第一号かもしれない。
ああ、でも、どっちにしろ消えてしまう事には変わりないのか。人間も、人魚も――生き物というのはいずれ死する運命なのかな。
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もし、人魚が人魚の肉を食べたのならどうなるのだろうか。
人魚の肉を食べると、不老不死になるという伝説が、ぼくの国には存在した。ぼくが人間だった頃は、人魚なんて空想の生き物だと思っていたから、そんな話は夢のまた夢だったけれど、ぼくが人魚になったとなれば、話は別だ。多少の痛みは伴うかもしれないが、自分の肉を食らえば、おそらくぼくは死ぬことはない。死が怖ければ、そうすればよい。
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人間は何故死を恐れるのだろう。
また、どこかで聞いた話になるんだけどさ、人間ってのは未知を恐れる生き物なんだって。それはきっと、長い歴史の中でご先祖様たちが生き残るために身に着けた防衛機構。
これはぼくの持論なんだけど、人間の中で、死は非日常なんじゃないかって思うんだ。野生動物にとっては、生も死も日常だ。だけど、人間だけは、死を生の一部と切り離して考えているんじゃないかって。だから、きっと怖いんだろうな。
人間ほど、生に固執する生き物はいない気がする。病気になれば治療をし、死にかければ延命をする。でも一方で、生に固執する社会のあまり、自ら死を選ぶ人たちもいる。なんだか歪だな。
かくいうぼくも、こんな思考を巡らせるなんて、随分生に固執しているんだけどね。
それこそ、泡になって消えることができたらな。
そんなことを考えながら ぼくは自分の肉を食んだ。
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目が覚めたらいつもの部屋のくたびれたベッドの上だった。なんだか、おかしな夢を見た気がする。長考した後のようなずっしりとした頭の重さに眉を顰めつつ、朝の準備をするために布団を出た。
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やはり早朝は風呂に限る。朝は時間がないから、シャワーで済ますという人が多いらしいが、僕は断然風呂派だった。街がまだ眠っている夜明け前、少し早く起きて湯船に浸かる贅沢感がたまらなく心地よい。風呂場の窓を少し開け、隙間から差し込む朝日に目を細め、小鳥の囀りを聞いていると、今日も一日が始まるなという気がしてくる。でも、風呂が好きなんて、僕も随分歳を取ったなとしみじみ思う。昔は、風呂なんて熱いし面倒くさいしで嫌いだったのに。
お気に入りの入浴剤の香りも楽しみつつ、一時間程湯船に浸かっていれば、流石にのぼせそうな感じがしてきたので立ち上がって浴槽を抜ける。
風呂場を出て、タオル掛けからバスタオルを手に取り髪をわしゃわしゃっと拭いていたところで、ふとわずかな違和感を覚える。その違和感は、普段なら気付かない程の本当に些細なもので、でもどうしてか今日は鮮明に感じることができた。
長時間水につけていたはずの指先が風呂に入る前かのようにぴんとハリを保っていた。
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