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「夏休み、一歩踏み出したら」 川崎わかな

「片岡さん……僕はどうしたらいいのかなぁ……」


「またとないチャンスじゃないか。何がいけないんだ?」


 僕は頭を抱えた。視線を落とした先で、アリが一匹、道に迷ったのか右往左往している。


 夏休みに入って数日。僕はとんでもない状況に置かれてしまっている。片岡さんはチャンスだと言うけれど、僕はそうは思えない。


 


 僕が通う高校では、夏休み中に、夏期講習が開かれる。苦手分野を復習する講義や、応用問題に挑戦する講義。今まで習ったことを総ざらいする講義に、教科書の一章分だけを深掘りする講義と、様々なものがある。どれに参加するかは自由だと言われるけれど、どれか一つの講義は受けなければならない。できることなら、家に引きこもっていたい僕は、一講義だけ取ることにした。


 僕が受ける講義の科目は国語。「文章を読んで、自分なりの意見が書けるようになろう」といった目標が掲げられている。僕は昔から本の虫。書くことに苦手意識もない。自堕落な話だけど、楽にやれそうかな、とこの講義を選んだ。


 普段通り、早めに教室について、なるべく目立たなそうな、隅の席を選ぶ。僕は人見知りで内気なのだ。話すことは大の苦手。自分から人に話しかけるなんて、考えただけで、緊張のあまり気絶しそうになる。


 それなのに。授業時間になって、先生は教室に入って来て早々、こう言った。


「この授業では、文章を読んだ後に、二人組になって話し合ってもらいます。ペアと座席は私の方で決めてしまったので、今から言う席に移動してくださいね。」


 なんと。


 僕は、同じ講義を受けている、僕のただ一人の友人とペアになっていることを、ひたすら祈るしかなかった。


 先生の声が遠く聞こえる。祈りも虚しく、僕のただ一人の友人は、僕より先に呼ばれてしまった 。僕の隣はどんな人になるのだろう。不安で、どきどきが止まらない。ギュッと握りしめた拳の内側に、嫌な汗がにじむ。


 先生に指示された席に座る。隣の席に、ノートと筆記用具が静かに置かれた。びくびくしながら、そっと様子をうかがって、僕は目を見張った。


 色白の肌、みずみずしい黒髪。澄んだ白目に、大きな瞳。弧を描いてまぶたを縁取るまつ毛が、ふさふさと長い。


 間違いなく、僕が一目惚れした、あの人だった。


「よろしくね」


 僕の好きな人は、にこりと微笑んだ。


「えっ、あ、う、うん……」


 僕の情けない声は、はたして届いただろうか。


 


 僕は、好きな人の名前を初めて知った。(とみ)(さわ)(あい)。とみさわ、と濁らないらしい。あい、はラブではなく、染物の方の藍。よく似合う名前


 


 白黒の写真に写ってる男性の顔の絵


 中程度の精度で自動的に生成された説明


 


 だ。さわやかな感じがそのまま。名は体を表すって、案外本当のことかもしれない。だとしたら、僕がなよなよしているのは、「(ゆう)()」なんて、男の子らしくない名前だからなのかも。


 席替えに時間がかかったこともあって、これからの授業の流れを確認しただけで、ひとまず今日の授業は終わった。文章を読んで、配られた紙に感想を書き、それをペアの人と発表し合う。そして、座席も二人組も、このままだと。気絶するかと思った。


 


「どうすればいいの? 好きな人と話すなんて、僕には難しすぎるよ!」


 学校帰り、いつもの公園で僕は片岡さんにぶちまけた。


「それだけ文学的に語れるなら、いくらでも話せそうだがなぁ」


 片岡さんは顎をこすった。


「流暢に話せるなら、相談なんてしないよ!」


 例の講義の後、僕は慌てて、友人の長谷川(はせがわ)(とし)()を捕まえて相談しようとしたが、部活にボランティア活動と、多忙な彼は行ってしまった。そんなに忙しいのに、なぜ夏期講習をいくつも取っているのか、僕には訳が分からない。ともかく、俊樹が無理なら、あとは相談できる人は片岡さんしかいないのだ。それで、浮足立ったまま帰ってきて、現在、片岡さんに相談している訳だ。


 


 僕が富沢さんを初めて見たのは、夏休みまで二週間という時だった。


 僕の日課、お弁当を食べた後に、図書室へ。今日はどのあたりの棚を回ろうか。考えながら廊下を進んでいた。あと五歩くらいのところで、図書室から人が出てきた。その人を目にした途端、僕の世界は変わったのだ。


 他の物や音が遠ざかり、その人だけがはっきり見えた。目が釘付けになる、とか、目を奪われる、とか、ありきたりな言葉しか出てこない。けれど、他のものは一切目に入らなかった。


 ものすごくゆっくり時間が流れているように感じた。一挙手一投足すべてを覚えられそうなほど、僕は彼女に集中していた。


 色白の肌、大きな黒目。青く澄んだ白目に、弧を描く長いまつげ。背はスラリとしている。ツヤツヤの黒髪は、肩口にギリギリ届かないくらい。重力に従って、サラサラとまっすぐに流れていた。


 僕がぼうっとしている間に、その人  富沢さんは歩いていってしまった。その日の午後、もちろん僕は上の空だった。次の日から、僕はその人を探すために図書室に行くようになった。お弁当を食べるのを後にして、昼休みになってすぐに図書室に行ったりもした。この間のように会えないか期待して。


 僕の唯一の友人、(とし)()にも相談した。僕と違って、顔の広い彼なら知っているかもしれないと。部活は三つか四つ所属していて、地域のボランティア活動までしている。


「いや、わからん」


 これが俊樹の答えだった。


「手がかりが少なすぎる。学年とか、クラスとか……部活がわかれば話は早いんだが」


 僕が俊樹のようなレベルまで行くのは無理そうだ。所属部活がわかれば、見つけられるとは……これは俊樹の交友関係が広いからか、それとも全部活のメンバーを覚えているのか? ともかく、僕にはその仕組みはわからない。


 白黒の写真に写ってる男性の顔の絵


 低い精度で自動的に生成された説明

 


 まぁ、探してみるけどさ。俊樹はそう言ってくれた。


 それでも、あの人を見かけることなく、夏休みになってしまった。


 ところが、だ。まさかこんなサプライズが待っているとは。夢にも思わなかった。


「片岡さん……僕はどうしたら」


「それはさっきも聞いたぞ。何も身構える必要はないだろう。まぁ、まずは授業の話し合いだけにとどめておけ。知り合ってすぐにプライベートな話をするのは難しいだろう。特にお前さんには」


 その通りだ。当たり前のことでも、片岡さんに言われるとなぜか素直に受け取れる。


「そう、だよね……。うん。とりあえず、明日からの授業を頑張るよ……」


 片岡さんは、一言で無粋に言ってしまうなら、不思議な人だ。ほとんど毎日、決まった時間  僕が学校帰りにちょうど通りかかる時間  に、僕の家の近くにある公園にいる。なぜ、こうしてお悩み相談する仲まで至ったのかは、忘れてしまった。僕が落とした物に気づいて声をかけてくれたことがあったなぁ、というおぼろげな記憶は残っているけれども。


 


 翌日。僕はド緊張しながら学校へ向かった。普段通り、授業が始まるまで、本を読んで過ごす。それでも、やっぱり、隣の席を意識しないでいることは難しかった。心なしか、いつもより読むスピードが遅い。富沢さんも、早めに来る性質(たち)のようで、僕の少し後にやって来て、「おはよう」と声をかけてくれた。僕もなんとか挨拶を返した。彼女も本を開いたから、僕の知っている本だったらいいなと願いつつ、横目でそっと伺った。僕の知っている本だったけれども、残念ながらそれは英語の参考書だった。少しがっかりしつつ、僕はまた自分の本に目を戻した。


 授業が始まってからも、僕は気が気でなかった。目の前の文章に集中することを、こんなに難しいと感じたのは初めてだ。必死で読み、紙に感想を書いた。できるだけたくさん。こういう物って、たくさん書いていくと、個性的な意見を思いつくことがある。僕は口で話すのが苦手だから、ペンで書く方にエネルギーを注ぐしかない。


 ちらっと隣に視線を送ると、富沢さんは綺麗な横顔で紙にペンを走らせていた。見とれそうになったけど、なんとか自制して、紙に目を戻す。


 時計の針はどんどん進んでいった。あっという間に、話し合いの時間になってしまう。


 富沢さんは、スラスラと感想を読み上げた。彼女の見た目によく似合う、凛とした声。ともすれば、ぼうっと聞きほれてしまいそう。なんとか意識を内容に集中させた。僕の番。僕は一生懸命、文字を声に出す。途中で何度もつっかえた。そのたびに、顔が、かあっと熱くなる。それでまた、どもったり嚙んだり。それでも富沢さんは、黙って聴いていてくれた。微笑を浮かべて、時々頷きながら。その笑顔でまた、僕はぼうっとしそうになる。


 僕がどうにか感想を読み終えると、富沢さんは拍手をしてくれた。


「森本くんってすごいね。細かいところまでよく気がつくんだね。ハッとさせられる意見も多かったなぁ」


 くらくらした。なんと言っていいのかわからない僕は、それでもかろうじて、「ありがとう」とだけ絞り出した。


 二分くらい、時間が余ってしまった。僕は、こういう時の雑談の持ち合わせなんてないから、途方に暮れてしまう。(とし)()に何か教わっておくべきだったか、と悔やんでも遅い。


 受け身なのが本当に情けないけれど、僕は富沢さんが振ってくれた話に相づちを打つとか、簡単に答えるくらいしかできなかった。富沢さんの人となりが、少しずつわかってきたような感じがする。僕は、富沢さんが僕の隣のクラスだと、初めて知った。図書室に行ってばかりいないで、休み時間に廊下をふらふらしていたら、会えていたのかもしれない。その発想に至らなかった自分にあきれる。富沢さんも、本を読むことが好きなのだそうだ。なら、どうして図書室を探しても会えなかったのだろう? 訊ねたかったが、僕の心の準備が整う前に、二分間の時間は終わってしまった。


 


「ほう。ずいぶんと良い感じにできたみたいだな」


 片岡さんは腕組みを解いた。


「まぁ、とにかく、良かったよ……」


 僕はベンチにへたり込んだ。家の近所まで戻ってきたら、どっと疲れが襲ってきた。


「話が途中で切れているというのも良いな。次に会った時に話すことの手がかりになる」


「そう、なのかなぁ……」


 僕は手を団扇にして、自分をあおぎながら言った。


「だって、お前さんは、その場で話すより、じっくり時間をかけて考える方が得意だろう。話す勇気の準備もできるしな。今日中に、聞きたいことや話したいことを整理しておくんだな。紙に書き出すのもいいと思うぞ」


 片岡さんの言うことは、的を射ている。けれども僕は、そうでもしないと話せない自分自身に嫌気が差してきていた。


 


 次の日も、またその次の日も、講義でやることに大差はないから、ここでは割愛することにする。


 僕は、片岡さんの勧め通り、家に帰ってから、話すことをリストアップしておいた。


「全部を話さなくていいんだ」


 片岡さんは言った。


「たくさん書いてみて初めて、妙案を思いつくこともあるだろう」


 授業中に僕が考えたことと重なる。授業でしか役に立たない訳じゃない、と片岡さんは教えてくれた。


 僕は富沢さんに、どんなジャンルの本が好きなのかを聞いてみた。僕にしては、かなり頑張った。富沢さんは、質問には答えずに、僕の好きなジャンルを訊ねてきた。小説、特にファンタジーが好きかな。僕はそう答えた。富沢さんは、しばし逡巡していたが、心を決めたように口を開いた。


「わたしはね、絵本が好きなんだ」


 予想外。僕が何も言えなくて黙っていると、富沢さんは続けた。


「このことを話すとね、馬鹿にする人もいるから、あんまり言わないんだけどね」


 富沢さんは微笑んだ。


「森本くんなら、大丈夫そう」


 え、と声が出た。


「だって、森本くんの感想を聞いていると、本に対する深い  そうね、尊敬みたいなものを感じるから。そういう人は、きっと絵本を馬鹿になんてしない」


 うん、と僕は強く頷いた。


「絵本作家さんってすごいな、って思ってる。人が生まれて、最初に読む本だもん。責任重大だよ」


 富沢さんは、フフ、と声を出して笑った。


「やっぱり、森本くんの視点はおもしろいね」


 富沢さんが、本好きなのに図書室にいない理由がわかった。高校には、絵本はほとんど置いていない。


 


 共通の話題を見つけてからは、けっこう話せるようになっていた。小さいころ、いちばん好きだった絵本。語り口調が好きな絵本。絵が好きな絵本。


 少しずつ、本当に少しずつだけれども、会話を楽しめるようになってきた。その分、夏期講習の残り期間も短くなっていく。夏期講習が終わってほしくないと願うなんて。昔の僕に言っても信じないだろう。でもそれは、講義自体が楽しいというより……うん、自分でもわかっている。


 話すことに慣れてきたら、話したいことがあふれるほどだった。大きなことも、小さなことも。以前のように、話すネタが尽きたなんて考えることはなくなった。いつも、話しきれずに余ったものが、いくつも手元に残った。


 僕にとって、この時間は大切で。そしてやっぱり。


 


 僕は、富沢さんのことが好きなのだ。


 


「できなそうなことがあったら、それをよく観察するんだ」


 以前、片岡さんはそう言った。


「そのまま飛びつくことはできなくても、自分でいくつかのステップに分解したら、登れるかもしれない。あるいは、その形を少し変えれば、できるかもしれない。お前さんの場合、話すことは苦手かもしれないが、よく考えて書くことはできるじゃないか。上手く伝えられなそうだと思ったら、書き置きにしたらどうだ?」


 


 夏期講習、最終日の前日。僕は自分の部屋で、机に向かった。何日も前から、ノートに書いては消し、直してはボツにした文章を、清書する。長々していたら、言いたいことが伝わらないような気がして、短くした。紙に書き写す。丁寧に、時間をかけて。最後に、封筒に入れて、シールで封をした。僕は、大きく息をついて、それを鞄にしまった。


 


 最終日。授業の後、先生に質問をしに行った富沢さんの机に、僕は封筒を置いて立ち去った。これから、どうなるのかはわからないけど。もし、続きがあるのなら、頑張りたいなと僕は思う。


 


 富沢藍さんへ


 僕は富沢さんのことが好きです。


 またお話できたらうれしいです。


 森本優麻         

あとがき




みなさん、こんにちは。川崎わかなです。今回、佐藤さんのプロットを基に小説を書かせていただきました。


このような書き方は初めてでしたが、とても楽しかったです。普段、恋愛小説はあまり書かないため、新鮮な気持ちでした。佐藤さん、素敵なプロットをありがとうございました。


話は変わりますが、私は児童書が大好きです。「文でも絵でも語る」という表現方法が好きだからです。言葉でないと語れないニュアンス、ビジュアルでないと語れないニュアンス、両方がバランス良く混ぜ合わされているところが特に。高校の時も、文芸部の部誌で挿絵付き小説を書いていたため、そのままのノリで書いてしまいました。文章は優麻くんの視点ですが、イラストは第三の視点  神の視点ですから、比べてみると発見があるかもしれませんね。




読んでくださって、ありがとうございました!

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