「雪上に火花散る」 七八五十六
二人の少年、ウイとソウマは、大きく息を吐いてスコップを雪に突き立てた。白くなった息は、顔面から出る湯気と混ざって寒空に消えていく。――こんなものでいいだろう。
昨夜から今朝にかけ、かなりの雪が積もった。せっかくなので、ウイの家の広い駐車場で、雪かきも兼ねてかまくら作りをしていた。
「それじゃあ完成したところで……さっそく準備と行くか」
「あれ、親父さんから許可下りたの?」
「おう。あと、お前に雪かきのお礼しとけ、ってのも言われた」
「遊びの一環なんだから、そんなのいいのに」
ただ作って終わりというのもつまらない。作ったからには有効活用したかった。例えば、かまくらの中でおやつの時間なんて、乙なものではなかろうか。ウイの父親が許してくれるか心配だったが、それも杞憂だった。さて、あとは楽しい時間を満喫するだけだ。
意気込んだところに、不意に後ろから薄い雪を踏む音がした。振り向くと、見知った少女達が向かってきている。ウイの双子の姉、ユミと、その友人のエリサとスズだった。
「お疲れー」
エリサが無造作に雪玉を投げた。標的はソウマ。瞬時にスコップを引き抜き、持ち手で弾き飛ばした。
「お前ら来てたのか」
「ユミに誘われたんよ。……うっはー、汗臭っ」
「やめろ、気にする。それだけ動いてたってんですよ」
ソウマは完成した力作をスコップで軽く叩く。制作時間はかなり長引いたが、その分クオリティには自信があった。
「凄いねぇ……これ中入っていいかなぁ?」
「生き埋めになるぞ」
「うそぉ⁉」
答えを聞く前に踏み入ったスズは慌てて飛び退き、勢い余って尻餅をついた。予想通りの反応に、ウイは肩を震わせる。
「うそ。ちゃんと確認してる」
「何それぇ、ウイくんサイテー」
体を起こしたスズは改めてかまくらに入ると、さっそく感嘆の声を上げた。いい反応だ。自然と男子二人の口角が上がる。――が。
「でさ、気になってたんだけど、ユミ?」
「何?」
ユミはやや後方から傍観していて、一言も発さずにいた。嵐の前の静けさと言うべきか、何かを溜め込んでいるようで、ウイは嫌な予感がしていた。そして、さらに気になるのは、その格好だ。
「揃ってやけに完全防備だなと思って」
今は雪が止んでいるし、気温もそこまで低くない。だというのに、ユミとスズはスキーウェア、エリサはかなり厚手のダウンジャケットと、少しやり過ぎなくらいの防寒着だった。
「みんなで雪合戦しようって話になったから」
雪合戦――雪合戦。その単語がウイとソウマの耳で反響し、その体を強張らせた。――マジで? このタイミングで?
「……えっと、みんなって、お前ら三人でってこと?」
「いや、五人でしょ」
即答されて、男二人の震える深呼吸が重なった。それも当然だ。この女子三人は、それはもうべらぼうに雪合戦が強いのだ。五人の間では、雪合戦は冬の恒例行事となっているが、ウイとソウマはその度に大敗を喫し、罰ゲームという名の苦汁を飲まされてきた。彼らにとって雪合戦は、屈辱とトラウマの記憶なのだった。
相手は強敵。まして今、ウイ達はかまくら作りで体力を消耗している。まともな思考なら、この勝負は受けないだろう。――だが
「……ソウマ、初白星の後だと、食う物も美味くなると思わないか?」
「……いやまあ、そうでしょうけどね。……え、馬鹿?」
「違うな……挑戦者だよ」
「無謀者ですよ本当・・・・・・」
逆境に燃える魂がある。なお、まともじゃない馬鹿なのも事実。
そんなわけで始まる雪合戦対決。チーム分けは例によって男対女。つまりさらっと数の優位を取られているわけである。
戦場は近所の三号公園。東西に横長で、南と北に入り口がある。今回はその二つの入り口を両チームそれぞれのスタート地点とする。重要なのが、この公園、北側が南側より最大十五メートル程高く、つまり北側スタートの方が有利なのだ。しかしウイがじゃんけんに負けたため、場所の優位も取られてしまった。
「幸先悪すぎるでしょ……。お前のせいだよ。何とか言えよ」
「……日本で一番窒息しやすい食べ物って、餅らしいよ」
「何で今言うんすか」
「じゃあ……あけましておめでとう」
「先週聞いた」
二人のスマホからアラームが鳴った。――試合開始。
開始早々、ウイ達は東側を大きく迂回して登っていく。遠回りだが傾斜は緩く、雪が深くても進軍しやすいルートだった。
刺客は、そんな二人の何倍もの速度で迫ってきて、理性の無い化け物のように雪玉を乱れ撃つ! その青い上着は――
「……スズだ! ……スズだけか⁉」
驚異的な手数と弾速――だが、冷静に見切れば何てこともない! 二人は弾幕の空隙を縫って、反撃の雪玉を放った。全部で四球、眼前に迫る脅威に――しかしスズは顔色一つ変えない。
「っ――」
青が翻り、玉が弾かれた。見えぬ一瞬――されど答えは明白。彼女の右手に上着がはためき、赤いセーターが露わになっている。『脱衣・盾式』。脱いだ上着を盾にする技。アーマーをパージするのに防御力が上がるとは、これ如何に。
「……他二人が出てこねぇな……上で待ち構えてんのか?」
「かもね。となると、こいつは時間稼ぎか、あとは囮で――」
ヒュッ――と、風切り音を聞いた! 目より先、ソウマは体を捻る――と同時に、後方に雪玉が着弾、穴が開いた。
姿勢を崩したソウマに、スズは既に雪玉を投げている! 咄嗟に飛び退くが、敵前においてはあまりに大きな着地隙ができた!
続けざまにスズが振りかぶる。猛攻を止めるべく、ウイは二つの雪玉を放った。――が、援護攻撃くらいお見通しである! スズは再び上着を広げて身を隠しながら、悠々とソウマを狙う。
「っ、上⁉」
しかしそれは攻撃ではなかった! 軌道は大きく上に外れ、盾を超えたスズの頭上で二つの雪玉が衝突、雪が飛び散った!
『双弾き(クラッシュバン)』。目くらまし用に考案したその技は、想定通りに効果を発揮した。スズは目を閉じると、上着を盾にしながら撤退していく。――ひとまずは安心か。二人は固まって生える低木に身を隠した。
「――気を引いて狙撃、でした。どこからだ?」
「真ん中んとこの木の上から。エリサだった。ユミはわからん」
「……スズだけが前衛で突っ込んでくるってのは初めてだな。学校でストレス溜まってる分、派手に暴れたくなったのかね」
ため息と共にソウマがこぼす。スズは可愛い顔とあんな喋り方から、一部の男子から大人気、同時に女子からは嫌われていた。ストーリーには関係ないので忘れてもらってどうぞ。
「口を開けばぶりっ子だと言われ、黙ってれば猫被ってるとか澄ましてんじゃねえとか言われ……」
「うっ、ううっ、スズ……俺達はいつだって味方だからなぁっ!」
「今、敵なんだけど」
嗚咽混じりにウイが叫ぶので小突いてやった。既にスズは爆速で上がってきている。ウイは両頬を叩いて、凜とした表情に戻った。
「……でも、大人になってもあれだったら、正直かなり引くかも」
「そこは味方でいてやれよ……」
二人は弾丸の如く飛び出した! 標的はエリサ。何をするにしても、一方的な火力支援は厄介だった。
「逃がすかぁ!」
スズが追ってきた! 大声で注意を惹き、雪玉を連射してくる!
「頼む!」
「わかってる」
弾幕を――空間ごと食い破る! ソウマは反転、マフラーを振り回し――『制空圏』を展開した。それは彼の得意技。超速の軌道は己を囲む球状のバリアと化し、雪玉の嵐を弾き飛ばす!
援護に後押しされ、突き進んだウイは、遂にエリサを射程圏に入れた。この期に及んで、彼女は逃げる様子を見せない。ならば――
「誰にも見られず終われっ! 『鋭角描く画竜点睛』!」
走る勢いもそのままに、左足を軸に一回転、仰々しく裏拳を打つように放たれた渾身の一投。右に逸れた大暴投からヘアピンカーブを描く軌跡は、木に隠れるエリサを横から打ち落とせる!
「――『難攻不落の絶対要塞』」
ぞくりと、囁きを聞いたまさにその時、横から雪の奔流が襲ってきた。白く、高く、繁吹く怒濤、それは日本海の荒波――
「なッ――」
逃げ場は――ある! ウイは咄嗟に、エリサが隠れる木の根元に跳ぶ。雪崩は幹に遮られるから、そこなら直撃は免れる――
しかし、雪崩に気を取られすぎたウイにはもう一つの脅威が見えていなかった! それは木の上からの落雪。着地寸前のウイに降り落ち、地面に叩き付けるように呑み込んだ。
「ウイ⁉ ……ユミだな!」
「余所見してっからさぁ!」
気を取られたソウマ、そこに紅の影――スズが雪玉を手に飛びかかってきた! ――それは『直撃』。雪玉を直接ぶつける技だ。
スズの体まではマフラーで弾き飛ばせない! 転がって躱すのが精一杯――だったが、スズはそのまま通過すると、エリサのいる木、いや、そこに積もった雪を登っていった。……追撃よりも移動を優先したか。
ソウマもすぐに身を起こし、目の前の木を見据える。雪崩と落雪が、雪の城砦を作り上げていた。木の枝と雪の壁が邪魔で、敵を狙うに狙えない。
「おほほほほ! 下民風情に我が城を落とせまして? ……なんて」
甲高い声と共に、やっとエリサが現れ、お姫様気取りでソウマを見下した。その仰々しい振る舞いは、ソウマに嫌でも寒気を感じさせる。あるいは共感性羞恥とも言う。
「……お前、まだ白馬の王子様とか信じてたりする?」
「白ければ芦毛でも可ですわ」
「どうでもいいです。こいつはお前とユミの合わせ技だな?」
そんなエリサの隣にユミもいた。その視線がソウマの恐怖心を煽る。エリサの寒いお嬢様言葉に比べて、刺すように冷たかった。
「何だっていいじゃありませんの。貴方はここまでなのですから」
エリサの口調は、単なるシンデレラ症候群の発露ではない。勝ちを確信した余裕の表れでもあった。事実、ソウマ一人で三人を討つことなど、春の雪ほどの儚い夢だ。ウイを助け出さねば勝てないが、そんな余裕があるものか。
「それでは、たっぷり甚振って――ッ⁉」
しかし突如として、轟音と共に雪の城が崩れた! ソウマの前に、狙ってくださいと言わんばかりに、ユミとエリサが落ちてくる!
「なんかよくわかんないけどラッキィィィィ! FOO!」
瞬時に雪玉を放つ。で、あっさりユミに防がれた。『畳返し(ラッシュ・ラッシュ)』。地面を叩いて雪の壁を作る技だった。
「……やっぱユミは過剰戦力じゃないですかね……」
「――ラッキーじゃ、ないっての……!」
「――! ウイ⁉」
要塞は雪の山に帰し、だがそれでも障害としては十分で、向こうが見えない。その向こうから聞こえる、力強い声。
「俺が! ぶっ壊してやったんだよ! そこんとこよろしく!」
「随分早く出てきたな! 脱出マジックか!」
「……本当に、こんなすぐ復帰してくるとはねぇ……」
ユミ達の反対側に落ちたスズ。その足下に穴が開いていた。誰の仕業か、考えるまでもない。眼前でほくそ笑むウイは、雪から這い出たばかりだからか、ひんやりと冷気を纏っていた。
「とりあえず状況教えろ!」
「おそらくドヤ顔全開のところ悪いんだけど! 普通にやばい! お前がそっちに行ったから! こっちが一対二! ユミ付き!」
「ああ⁉ エリサ死んでねえの⁉」
「息災でございますわよ!」
「死んでろよ!」
「木に積もってた雪落として! それで雪玉防がれたんだよ!」
この勝負、人数で不利な男子チームは、一対多の状況になると、そこから連鎖的に敗北してしまう。だからこそ慎重に立ち回っていたのだが、結果、これである。残念無念! また来年か!
「すまんソウマ! 持ちこたえてくれ!」
「どうやって⁉」
「お前ならできる!」
「……エリサ、合わせて」
「よろしくってよ。……あ、うちもう落城してたわ」
「ああもう! 味方がいないですねえ畜生!」
ユミとエリサのコンビネーションは、コンピュータが指す詰将棋。易々と最適解を弾き出し、ソウマを追い詰めていく。
「『五里霧中』! からのっ、『幻影蹴雷・改』!」
「――『災禍に沈め(ラヴィーネ)』」
「おおおおっ⁉ 『柳に雪折れ無し(ノンフローズン・フロー)』! ……死ぬかと思ったわ」
「――『涓滴敵を穿つ(ブリザードスタートウィズスノウフレーク)』」
「え、なんて? ――ぎゃああああ! 助けろこの野郎ッ!」
汚い悲鳴が聞こえて、ウイは焦るが、スズが少ない手数で上手く進路を塞いでくる。まだ無理には倒さず、ソウマを片付けた後に、三人で確実に仕留めるつもりのようだ。この程度の足止め、万全の状態なら強行突破できる。――そう、万全なら――
「……ウイくんさぁ、結構消耗してるでしょぉ。さっきの攻撃だってぇ、狙いも速さも全然だったもんねぇ?」
スズの足下に穴が残っていた。先程木から落ちたとき、躱したウイの雪玉が穿ったものだ。だが、地面を蹴って雪を飛ばすと、それだけで簡単に隠れた。――ウイの攻撃は無かったも同然になる。
「そんなんで倒せると思ってるのかなぁ……このスズをッ!」
「ちっ……ユミを見習って、たくさん食ってりゃよかったか……」
「それはやめなハードル高すぎる。年末の奮発したオードブルの後に年越しそば六杯食べた女だぞ奴ぁ……」
「……冷静に考えると確かに規格外だな……なんなんだよあいつ」
「少し焦ってくれないかなあ⁉ 脳みそだけ雪に埋まったままか⁉」
睨み合う二人とは正反対、ソウマの方は休む暇無しに逃げ回って汗まみれ、さらには何度も転がって雪まみれであった。
「痛――ッ⁉ ここまで追い詰められてたのか⁉」
逃げ続けた先、いや、追い詰められた先は、公園の西端に位置するトイレ小屋。背中にぶつかったレンガの壁は、無慈悲に冷たかった。
息が詰まったソウマに、容赦なくユミが玉を投げる! ――狙いは頭上、外してくれた――わけがない! 不穏を感じて見上げた先には、ぶら下がる氷柱。――『仰ぎ見よ、月下の氷刃を(ファフロティブズ)』が来る!
直後、透き通る氷の槍は雪玉に折られて――鋭い切っ先が降りかかる! 訴えれば勝てそうだ。
「一昨年ルール違反になっただろ!」
「偶然って怖いですね!」
紙一重で避けた――その先に、エリサが雪玉を手にして突っ込んでくる! スズも使っていた『直撃』だ。落ちた氷柱を軸に回って――これも紙一重で避けた!
まだ終わっていない――エリサを躱したとき、ユミは既に雪玉を投げていた! 玉は二つ、これもギリギリ――躱した――が、無理な動きをし過ぎた! バランスが崩れ、つんのめってしまう。
前方でユミが雪玉を振りかぶった! 躱せないなら弾くしかないと、マフラーに手をかける――直前、雪に刺さった氷柱の一本に目を奪われた。エリサが反射して映っている――振りかぶっている!
ここまでのユミ達の連撃、それらは全て計算ずくであった。この瞬間、確実に敵を屠るための、逃げ場の無い挟み撃ち――!
「『鏡境は混沌の門』!」
その技名の通り、ソウマは混沌に沈む運命か。
「――こっちは昼飯抜いてんだッ!」
――いや、覆す! この土壇場に、ソウマは右手にマフラーを、左手に――氷柱を掴んだ! 敵の卑怯な戦術が、一筋の光明を与えた。氷刃は硬く、ユミの剛球をも易々と破壊! 見えぬ背後はマフラーで『制空圏』を発動させ、広く防御――こちらも防いだ!
「『十字架の福音』ってなあ! ――さらに!」
ユミ目掛けて氷柱を投げる。当然のように避けられるが、隙を作れるなら構わない。狙うはエリサだ。眼前に迫る地面――
「死に損ないがッ!」
「お前が殺し損なったんだろッ!」
エリサは追撃を放つが――遅い! ハンドスプリングで躱して、マフラーを振るう。――その先端に雪玉を絡め取っていた――!
「堕天ッ! 『明けの明星』ァァァァッ!」
「――くうっ、ううああああッ!」
臥薪嘗胆の果て、敵を討つ反逆の執念。二人を相手取りながらも、ついに一人目撃破に至った。二人の叫びが交錯し、戦場に響く。
「エリサ⁉ ――ッ!」
仲間の悲鳴に、スズはつい振り向いてしまった。瞬時にミスを悟り、横に飛び退くと――やはり雪玉が飛んできた。
それを追うように、ウイが走り過ぎていく! 彼はそのまま『難攻不落の絶対要塞』の残骸を飛び越え、スズの視界から消えた。
そして――着地したウイの視界には、ソウマと相対するユミがいる。二対一なら、例えユミでも――
「勝てるッ! 今年こそは負けフラグじゃないぞ!」
スズが来るまでに仕留める! ウイは全力で走り出した!
――しかし。
「――なっ――」
数歩目、地を踏みしめたはずの足が空を切り――気付けは腰まで雪に埋まっていた。それはあまりにも大きな隙で――
「――え……?」
――ぽすっ、と無防備な背中に軽い音がした。――雪玉。
「ウイ⁉ ――ッ!」
男子チーム、もう動けるのはソウマだけ。だが彼が目を反らした一瞬の内にユミは肉薄、ソウマの肩を左手で鷲掴み、さらに右手で雪玉を――左胸にぶち当て、勢いもそのまま、地面に叩き付けた。
『時無き奈落』。食らった者の心臓は、時の刻みを止める。ソウマの敗北を、ウイはただ見ていることしかできなかった。
「何が起こって……」
「落っこちちゃったねぇ。……『脱衣・罠式』」
「『脱衣』だと? ……! これは!」
埋まった足の下を掘り返すと、スズの青い上着が出てきた。いつの間にか、これで落とし穴を仕掛けていたというのか……!
向こうからユミと、ソウマを背負ったエリサがやってくる。既に彼女らの表情は緩んでいた。――決着か。
「二人ともお疲れぇ。……ソウマは、また心肺停止ぃ?」
「そ。さっさと蘇生しないとね。……罰ゲーム考えた後で」
エリサの一言で、女子達はウイを見下ろしながら相談し始めた。雪に埋めておくだの、滝行させるだの、素潜りで昆布でも取ってこさせるだの、まあ酷いこと。寒いのばっかじゃねえか。
「……てか何で、俺達が罰ゲームを受ける話になってんだよ」
「いや、言ってなかったけど、毎年恒例でしょ。記憶飛んでんの?」
「飛ばせるもんなら飛ばしたいわ。トラウマになってんぞ」
「おぉ? 忘れたいなら頭殴ってあげよっかぁ?」
ウイは今、一つ嘘を言った。屈辱を忘れたいなど思っていなかった。その悔しさこそが、彼らをここまで引っ張ってきたからだ。勝たずして、屈辱を捨てるわけにはいかない。――罰ゲームは誰だって嫌だろうが――。ウイは肩を落とし、ため息をついた。
「――吐いた唾飲むなよ」
その瞳に剣呑な光が宿り――突如、スズの背中が突き飛ばされた。
「いきなり何ぃ……え?」
セーター越しに伝わる冷たい感触。まさかと思って触ってみるが――それは紛れもなく雪! 慌てて振り返ると、そこには――
「……ウイ、くん……⁉」
「はい、ウイくんです。勝ったと思って良い気分だったな?」
今、スズの足下で無様を晒す男、それと全く同じ顔が、力強い笑みを浮かべて立っている。――ウイが二人。この状況には、いつも鉄仮面を被っているウイも愕然として、目を見開いていた。
「……やっととここまで来たぜ……『冬のアナタ(スノウマン)・雪解け(フィナーレ)』」
新しく現れたウイが指を鳴らすと、落とし穴に嵌ったウイが崩れ、白一色の雪になる。――受けた辱めは雪がれた。
彼は雪崩に飲み込まれたときに分身を作り出していた。それを身代わりとして戦わせ、敵の隙ができるまで息を潜めていたのだ。
「南無……」
エリサが手を合わせた。ご苦労、分身。
「……来年は分身も禁止ってルールが増えるのかねぇ・・・・・・」
スズは肩をすくめて横に捌けるが、ウイは目もくれない。――最後にして最強の敵と、睨み合っている――!
「……凄いね。分身も作れるようになったんだ」
「礼は言っとくよ。お前らが弱かったら、やらなくて済んだんだ」
「うん、本当に強くなった。でも……」
ユミは一呼吸入れ――解き放つ!
「……私が姉なんだよ。弟くん」
「――ッ!」
突風が雪を巻き上げて襲いかかる! 言うなれば一陣の猛吹雪。視界は悪く、姿勢も崩された――ならば来る!
胴を打ち抜かんばかりの剛速球! ウイには見えなかった――が、横に最小限のステップ! ――後方で木を抉る音が鳴った。
『新春初夢の豊穣』。体に蓄積した脂肪組織からエネルギーを産生、放出する技。――向こうも本気を出してきている!
さらに、今、攻撃を回避したはいいが、足が滑る感じがした。
――雪が解けている? 体が火照ってるからわかってなかったけど、気温も上がっている気がする……まさかだろ⁉
導き出される答えに、ウイは戦慄した。そしてそれは、傍から見ていたスズとエリサも同様であった。
「……この熱いのも『新春初夢の豊穣』の影響みだいだねぇ……」
「これほどまでのカロリー……あいつ、どれだけの正月太りを……」
そして、次々に風を切る、機関銃の如き超連射! 地面に無数の穴を開けていく! ユミの身体能力はもはや人間を超越していた! 実はこれこそが『新春初夢の豊穣』の本領。脂肪を消費して馬鹿力を発揮する技だった。そのエネルギーを熱や風に変えて放つという戦法は、完全に規格外。もはや雪合戦の範疇ではなかった。
「おぉいウイくんよぉ。白旗揚げてくれてもいいんだぞぉ」
「生憎持ち合わせが無いんでな!」
「だったらソウマのインナー貸そうかー?」
「はあ⁉ なに脱がしてんだよ⁉」
「心肺蘇生してんですけど⁉」
まだ勝機はある! 猛攻を掻い潜り、ウイが向かう先は、低木の密集地。低木の積雪は立ったまま手が届く位置にある。つまり、地面の雪を屈んで拾うよりも、ほんの一瞬だが早く投げられる!
不意に攻撃が止んだ! 低木は目の前! 奴の隙は長くない! この一瞬で雪玉を――作る直前、熱風が襲いかかる!
「うっ、おおおおッ⁉」
何が起きたのか、理解する前に体は吹き飛ばされ――背中を打ち付けた場所はスタート地点の前だった。起き上がると、体から水が滴り落ちる。そこに冷や汗も混じっているだろうか――
ユミのやったことはすぐに理解できた。自分が低木に近寄った意図を読んで、雪玉を作られる前に熱を放ち、周囲の雪を解かしたのだ。だが、それが意味するのは、最悪の事態。
――これ、もう雪玉作れないだろ⁉ 一応雪合戦なんだぞ⁉
もう一度作ろうとしても同じ目に遭うだけだろう。素手で剣道の試合に勝てと言われたようなものだった。そんなの虐めだ! もし殴り合いの喧嘩だったら、素手でもまだ戦えるのに――
――素手対武器の喧嘩なら、まずは武装解除する……――ッ⁉
ふと、脳裏に浮かんだ可能性――それは勝利を手繰り寄せる、唯一本の細い糸。これ以上考える時間は無い! すぐさまユミの反対側――西側の急斜面を駆け上がる!
ユミはその場から動かず、高所の優位を生かして、一方的に雪玉の雨を降らせた! 避けるだけでは進めない――ならば、ソウマ直伝の『制空圏』で弾いて強行突破する! 彼には及ばない練度、防ぎ損ねる玉も多いが、それくらいは躱していく! 未だ真っ新だった雪に、足跡と雪玉の痕が、上へ、上へと登って――登りきった!
「ハァ……ハァ……来たぜ……来いよ……」
そこは『難攻不落の絶対要塞』の跡地。山のように積もった雪が壁となり、ウイの姿を隠す。彼が何を企んでいるのか、ユミには見えないが、察しは付いた。――あの大量の雪を利用する気だ!
好きにさせるのはまずい! ユミは『新春初夢の豊穣』を全開で発動した。あの雪の山を吹き飛ばせば、ウイは飛び散る雪に巻き込まれ、再び生き埋めになる! それを嫌って飛び出てきたなら、熱に晒されて、軽く全身火傷になってもらう!
「ッッ――はぁッ――!」
勝つも負けるもここで決まる! ユミは渾身の力で、灼熱の竜巻を放った! 地に積もる雪を巻き込み、進撃する!
――その瞬間、ウイは雪の壁から飛び出した!
「っ――⁉」
「来たな追い風! 『霊刃・風天春告』!」
気合一閃、ウイは神速の手刀を振り下ろした! その風圧は空の刃と化し――迫る灼熱を縦に両断! 竜巻は切り開かれ、込められたエネルギーが解放される! その熱量と風圧は圧巻、一瞬にして周囲の雪を解かし、吹き飛ばした! 二人の周囲――戦場の東側にだけ春が来たかのように、一握りの雪さえ残らなかった。
――これでは雪玉が作れない……なら!
ユミのいる場所は戦場のほぼ北東端。雪を得るにはウイの向こう側へ行くしかない。咄嗟の判断、彼女は超速で駆け出す! 周囲の雪が無いのはウイも同じ。彼は解け残った雪の壁に戻って採取するだろう。それより先に雪玉を当てれば――
しかしその予測に反して、ウイはユミの方――雪の無い方向に突進してきた! ――正面衝突! 互いに防御する腕がぶつかる!
弾かれて仰け反った刹那、ユミは何者かに羽交い締めにされた! 振り向くと、ウイと同じ顔、そしてひんやりと纏う冷気――
「『冬のアナタ(スノウマン)』……!」
「当たり!」
ウイの声は後ろから聞こえた。だが、ユミを拘束する彼は口を閉じたまま――前を見ると、既にウイはいない!
「至るッ! 『鼓動の果て(グランドフィナーレ)』ッッ!」
「ぐっ――」
そしてついに、ユミは背中の左側に衝撃を受けた。同時に拘束が解け、地面に雪が落ちる。――『冬のアナタ(スノウマン)』の骸であった。
決着の一撃、ウイは己の分身を背中から貫きつつ雪玉を形成し、そのままユミにぶつけたのだ。彼の動作は奇しくも、ソウマを屠った『時無き奈落』に似ていて――ユミの口角が僅かに上がる。
静寂の中、己の鼓動だけが激しい。何秒ともわからぬ、止まったような時間、戦士の熱が冷めていく。
「……どんな気分?」
「……もしかしたら、お前と同じかも」
ユミは満足げに、草原に倒れ、大の字になった。口から白い息、火照った全身から湯気、混ざって寒空に溶けていく。
そして、糸が切れたように、ウイも地面に倒れた。鈍色の空が見える。体から湯気が出ているのは、自分も同じだった。この熱に、この鼓動に突き動かされて戦っていたのだと自覚する。
――満願成就。ウイは一つ息を吐いて、静かに目を閉じた。
肌寒さを感じて、ソウマは自分が寝ていたと気付いた。
「……あ、おはよう」
「……エリサを倒したら……自分が寝ていた……」
「ウミガメのスープか?」
そこは薄暗く、青白い空間。……昼間作ったかまくらだ。そこに敷かれた敷物の上に横になっていたみたいだ。
「……なんで俺、上半身裸なの?」
「エリサが心肺蘇生をやって、そのままほったらかしたから」
「お前も着せてくれなかったのな」
「上着はかけてやったぞ」
「俺さ、寒くて目ぇ覚ましたんですけども」
それでもしばらくの間寝ていられたのは、中央に置かれた七輪のおかげだろうか。服を着ていれば十分暖かいほどの、炎の温もり。そして、金網の上、餅がぷくっと膨らむ光景。パチパチと鳴る炭火の音。困憊しきった心身が癒やされる。もう一度眠ってしまいそうだ。
「野郎どもー、できたぞー」
「うっさ……」
「あ、ソウマ起きてる。おはようこんばんは」
エリサが大声を出したので、そうはならなかった。女子三人が食器や調味料など、いろいろと持って、かまくらに入ってくる。
「……スズは……何その鍋?」
「これねぇ、お汁粉。ウイくんに作れって言われてさぁ……」
「罰ゲームなんだから文句言うなよ」
「え、何? 俺ら勝ってたの⁉」
鍋の蓋を取ると、湯気と一緒に甘い香りが漂って、食欲を誘われる。誰かの腹が鳴ったが、誰のものでも同じことだった。
スズはお椀に汁を装い、焼きたての餅を入れていく。そちらは任せて、他の四人は食器等の準備を進めた。昔作った秘密基地でも、似たことをしたものだ。――年を取ったなぁと、しみじみと。
「……いろいろ物置いたけどぉ、それでもだいぶ広いねぇ」
「最初から中で餅焼くって決めてたからな。結構広めに作った」
「そうそう。で、おやつの時間に食べようって話だったんだけど……もう晩飯時……っぽいですね?」
「たぶんもうそろ七時……あ、うちのスマホ、ユミの横だわ」
「……ん、はい。……七時、なった」
食事の準備が整ったときには、夕飯にもちょうどいい時間になっていた。空腹も最高潮。そんな場面で、自身もお腹を押さえながら、スズが口を挟んだ。
「それじゃあ……勝ったお二人から何か一言ずつぅ……」
彼女は醤油のボトルをマイクのように持って、男子達に向けた。ソウマは雪合戦で鍛えた反射神経を発揮、すぐさま首を横に振る。
「勝ったのもさっき知ったのでウイに全部任せます」
「おまっ……! ……えー、今回勝てたのはですね――」
「……ごめん、もう体力が持たない……」
ウイがやたら丁寧に喋り始めたそのとき、とうとうユミに限界が来た。五人の中で最も体力を消費したユミは、もはや意識を保つのも精一杯、隣のウイにもたれかかった。
「重っ……ええ、まあ、正直俺もさっさと食べたいんですけど――」
「はい一言頂きましたぁ! 全員食べて良ぉし!」
『いただきます!』
勝利演説もなあなあに、五人は夕飯を食い始める。風情も雰囲気も何のその。食欲に勝るものは無し。
「……汁粉以外には、何かある?」
「とりあえずきな粉と砂糖醤油は持ってこいって言ったけど」
「あーりーまーすぅ。……全くぅ、勝ったからって注文が多いぃ」
「優しい方だろ。今までの蛮行を忘れたとは言うまいな?」
「忘れちゃったー。 うぇへへぇ」
「思い出させてやる。おらユミ、わさび」
「おりゃ」
ユミが発射した練りわさびは、見事にウイの口へとゴールイン。
「ぎゃああああああ! っうあああああっ、お前ぇぇぇぇ!」
「あー、これ懐かしいわー。ソウマがギャン泣きした奴じゃん」
「思い出させんな。未だにわさび苦手っすよこっちは・・・・・・」
とうに日は暮れて、外は暗く寒い。しかし、かまくらの中は明るく温もりに満ちている。賑やかな輪の中心には、火花を鳴らす七輪。
「……うちら考え無しに食べまくってるけど、大丈夫なの?」
「家に去年のが滅茶苦茶余ってっから、むしろじゃんじゃん食え」
「……それは……大丈夫なの?」
「期限切れとかは無いけど……それより心配すべきはですね……」
「は? 体重管理くらいしてるし。言うならユミでしょ」
「私は『新春初夢の豊穣』で消費したから、むしろ食べないと」
「おぉおぉ、いいダイエットだなぁ! 今度やり方教えてよぉ」
「正月あれだけ蓄えといて、それでも足りなかったのかよ……」
「それならユミ、マシュマロもあるから。あとでデザートね」
「エリサお前……大丈夫なの?」
「……マシュマロはカロリー低いので……」
「分厚い本も一ページは薄いってもんでしょうよ……」
本気で戦って、遊んで、騒いで。一緒に馬鹿をやれる友達がいることの、なんと素晴らしく、楽しいことか。
みんなで飲む汁粉が、甘くてあたたかい。満足な一日にできたと、ウイとソウマは目を合わせて、にっと笑った。