2話メフィスト
お茶の支度が済んだ客間に、淡い空色のワンピース姿の少女がやって来ました。この山の女神、春江です。
「家守、準備は良いかしら?」
春江は、山の景色のように四季に合わせて姿を変えます。
冬は19才の娘、夏に向かって年を取り、秋には華やかな豊穣の赤いドレスを森の精霊たちに貰い眠りにつくのです。
大人になった春江は、基本、子供の姿にはなりませんが、土用と言う特別な期間だけは、無垢な少女の姿になるのです。
「はい……お嬢様。」
家守は、真ん丸のホッペを赤く染めて心配そうに聞く春江の姿に目を細めました。
「準備は、つつがなく整いました。後は、お客様を待つばかりです。」
家守は、そう言って春江に頭を下げました。
春江は、燕尾服をキッチリと着こなした背の高い家守を不服そうに流し見ました。
「もう、お嬢様はやめとくれよ。私は『春江』で構わないって…そう、何度も言ったはずだよ?」
「すいません。お嬢様。」
と、家守は謝りましたが、やはり、お嬢様と呼ぶのは変えられそうもありません。
春江が呆れたそんな時、家守がドアを見ました。
「お客様がいらしたようです。」
家守は、春江にそう言って、客間の扉を開けると、細身の西洋人の紳士が姿を現しました。メフィストです。
「お久しぶりです、家守さん。春江さんはいらっしゃいますか?」
そう言って、メフィストは粋な金ボタンのダブルのスーツの腕を開いて、一瞬で見事な深紅のバラの花束を出現させました。
「ごきげんよう。メフィストさん。」
少女の春江に声をかけられて、メフィストは少し驚いたように春江を見ました。それから、優しく微笑むと膝をおり、春江の目線にかがみこみ、花束から一輪、バラを取り出すと「ふっ」と息をふきかけて深紅のバラをピンクのバラのつぼみに変えて春江に差し出しました。
「愛らしいお嬢さん。貴女には、ベビーピンクのバラを差し上げましょう。」
メフィストは、この少女が春江だと気がついていないようです。
「こちらが春江さまでございます。」
家守は、タイミングを見計らって声をかけました。
「え、ああ。」
メフィストは、驚いたように目を見開いて春江を見つめ、その可愛らしい目元に、春江の面影を見つけて微笑みました。
それから、立ち上がり、持っていた深紅の花束に息をふきかけて、小ぶりのひまわりの花束にすると春江に渡しました。
「失礼しました。マイ・レディ。」
メフィストはそう言って軽く笑い、それから、春江に目線を合わせると、楽しそうにこう言いました。
「実は、プレゼントはもう1つあるのです。」
「もう1つのプレゼント?」
春江は、ひまわりの花と一緒に輝いた笑顔でメフィストを見つめました。
「生き物…ではありますまいね?」
二人の楽しそうな表情に、家守が心配そうにメフィストに聞きました。
家守の質問に、メフィストは少し楽しそうな困り顔をしました。
「そうですね。生物…と言えば言えなくもありませんが…違うともいえますね。」
勿体ぶったメフィストの口調に、春江は少女時代に戻ってワクワクしました。
「ええっ。それ、それなんなの?」
春江が嬉しそうにメフィストに答えをねだります。
それを家守は不安そうに見つめていました。
少し前に、立山から遊びに来た猿田彦さまが、春江の為にさるぼぼを一匹お土産に連れてきて大変だった事を思い出したのです。
さるぼぼとは、猿のような姿の赤い妖怪で、人々を病気から守ってくれると言われています。