変わる世界
エミリオが新しい皇帝として即位し、まず一番初めに行ったことは前皇帝グラスの下したマリアンへの追放処分の撤回だった。
「エミリオ殿下……失礼しました皇帝陛下、このたびは寛大なる処置をいただき誠にありがとうございます……」
皇宮内、皇接室の一室の中で二人は邂逅を果たしていた。皇宮に今しがた戻ったばかりのマリアンには、急に今まで身の回りの世話をしてきた小さな皇子が即位したことがまだにわかには信じられていなかった。
「顔を上げてくれマリアン……それよりも君に話しておかないといけないことがある。馬鹿なことを言っていると思うかもしれない、しかしまぎれもなく全て本当のことなんだ……」
そしてエミリオはまだ十六歳のマリアンに自身の体験してきた未来を語った。未来の世界で二人は婚姻を結び愛し合っていたこと、残酷な運命の下にマリアンが命を散らし続けたこと、そしてその運命を変えるために自分が過去へと戻ってきたことを。
マリアンは荒唐無稽なエミリオの話をただ真剣な表情で聞き続けた。
「私は魔女との契約を果たすため、そして君と自由に愛し合う世界を作るためにこれから政治に赴き世界を変えていかねばならない……それで、マリアン……」
そこで一度エミリオは言葉を紡ぐのを躊躇った。確かに未来の自分たちは将来を誓い愛し合っていたが、今この時間軸のマリアンの気持ちを無視するわけにはいかなかったからだ。
「これは皇帝としての命令じゃない……ただのエミリオとしての願いだ……マリアン、もしも君さえ良ければこれから隣で私のことを支えてほしい」
エミリオの願いにマリアンは涙を流した。
八年の空白の時間は合った、しかしエミリオの語る自分は確かに残酷な運命にあったが本来許されることのなかった恋を叶えたのだと知って。
「はいっ……未来の私も今の私も、あなた様に抱く想いは同じです、どこまでもお慕いしております……エミリオ様」
「全てが終わったら……私と結婚してくれるかい?」
エミリオのその問いに対してマリアンは頬を赤くして幸せそうに答えた。
「はいっ……」
「ありがとうマリアン……あぁ本当に……ありがとう……愛している……」
そしてエミリオは強くマリアンを抱きしめ、マリアンも強くエミリオを抱きしめ返した。
時を越えて、運命に阻まれ続けた二人の愛は、ここに確かに再び通じ合ったのだった。
それからエミリオは長い時間をかけて政策を行っていった。
世論も臣下も連なる皇族たちも、初めは八歳の少年が皇帝となるのを良しとしないものであふれかえっていたが、やはり前皇帝グラスの影響力は大きく、公の場で悠然と前皇帝を従えるエミリオを見て否が応でもみな納得せざるを得なかった。
しかしエミリオとマリアン二人の真の願いは皇家の繁栄や国の安泰などではなく、従来の帝政を廃止することそのものであり、皇族が一方的に国民を支配するのではなく国民の自由を、かつて自分たちが味わった身分という絶対不変の人間の上下関係を廃止したいと強く願ったものだった。
それはもちろん二人だけの願いではなく、革命軍も含め国民の大多数のものであることをエミリオは未来で知っていた。
しかしその政策を推し進めようとすればもちろん政治に携わる貴族たちから反感を買う、そこにエミリオは頭を悩ませた。
再三に渡る試行錯誤をエミリオは繰り返し続けた。未来で得た情報を使い政治や内乱による犠牲を抑えるために過去への時間跳躍を何度も行い、どうすればより犠牲が少なくなるかを考え、最善の一手を探し続けた。そんなエミリオをマリアンはただ傍で一心に支え続けた。
その果てにエミリオがたどり着いた答えは革命を起こすことであった。
そしてエミリオは革命軍のリーダーと何度も極秘に協議を重ねた。
そこで分かったことは本来の時間軸であれば現在の革命軍のリーダーを務める男マルコが二年後に過激派の襲撃に合い暗殺されてしまうことであった。
マルコは元は帝国の騎士団に所属していた優秀な男であり、彼の信条は「真の自由のためには誰かが戦わなければいけない」というものであった。
マルコもまた平民の生まれであったが戦果を上げて騎士候の爵位を手に入れ貴族になった男。
しかし恋した女性は名家の伯爵令嬢であり、人目を忍んで愛し合った二人もまた身分の差を理由にしてその恋が成就することはなく、悲恋の果てに二人は現世で愛し合うことが叶わないと知り二人で海へとその身を投げて心中を計ったがマルコだけが奇跡的に生き残ってしまった。
そんな壮絶な過去を持つマルコはまたエミリオと同じように世界の道理に間違いを覚え、愛した女性への贖罪のために世界を変えようと反帝国勢力、すなわち革命軍へと加わりその正義感の強い人格と元より持っていた強い力でリーダーまで昇り詰めていた。
マルコは真の自由のためには犠牲は厭えないと論じてはいたが、決して民衆に報道されているような過激な思想を持つテロリストではなく、現に革命軍からすれば宿敵であるはずの皇帝エミリオと初めて極秘に会談を行った際も事を荒げることなく話し合いに応じた。
そんなマルコの過激派による暗殺の未来をエミリオは未然に防いだ。未来の世界で起こった帝国と革命軍の戦争の引き金となったのはマルコという正義感溢れるリーダーを失った革命軍が過激派に支配されたためであったからだ。
そしてエミリオとマルコはお互いの目指すものが同じ「自由な世界」であることを再三確認し合い、同じ理想郷を目指す者として裏で協力関係を結んだ。
エミリオも一度は皇帝として君臨し続け、成人とともにマリアンを妃として迎え入れる手も考えた。しかしそれでは力が支配する世界を改革することにはならないと彼は考えた。
現皇族や貴族たちからの反感はないものにはできない、しかし理想の為には何かが、そして誰かが犠牲にならなければいけなかった、真に自由な世界を創造するためにはやはり、旧体制の崩壊は必要なことであった。
苦悩の果て、エミリオはマリアンと真に大手を挙げて愛し合えることは叶わないことを悟った、革命が成功した後、国民からすれば皇族は旧政の遺物、厭われるべき存在であったからだ。
そしてエミリオは革命軍と秘密裏に結託し、内戦の手引きを行い続けた、なるべく戦いでの死者が少なくなるように最善を尽くし続けた。
革命軍の進行はやがて緩やかに進んでいき、七年の歳月をかけ、エミリオの手引きによって革命は成功を収めた。
革命の成功の裏側で、エミリオはここまで協力関係を結んできたマルコと革命軍の幹部たちと協議し、彼らからの援助を受けて旧制の終わりの為の処刑という形ではなく、隣の大国側への亡命を果たした。
革命は民衆に対して皇帝の絶対的支配が終わったことを知らしめるためのものでしかない。しかしこれからの新しい世界の政治を行っていく中で、やはりエミリオの力は必要なものであり、それをマルコも革命軍の幹部たちもよく理解していた。
本来の時間軸とは違って革命軍と帝国との大戦争という形の戦いは起こらなかった。マルコの生存とエミリオの一存により帝国側の早期降伏としたことが要因である。そして余力を残したままの降伏であったために隣の大国側が攻め入る隙も生じず、ゆえに世界大戦が起きる因果もエミリオは排除した。
エミリオの長きにわたる暗躍により本来の時間軸よりも圧倒的に戦死者の少ない形で帝国の歴史は幕を閉じ、帝国は合衆国へとその名を変えた。
そしてこれから民主主義という名の新しい思想体系を盤石なものにしていかなければならない。そのためにエミリオは亡命先の大国側から有事の際にはその力をマルコとともに世界の為に使うことでその地位を確立させた。
大国側でもなるべく人目の少ない小さな村へとその居住を移し、未来で合衆国初代大統領となるマルコに表向きの政治的地位を任せ、エミリオはマリアンとともに隠居生活をはじめた。
これが時間にして八年。この間たび重なる時間跳躍を行ったエミリオの主観でそれは十倍近くの時間を要したが、マリアンの献身的な補助によってエミリオは精神を健常な状態に保っていることができた。
エミリオが成人を迎える十六歳の誕生日を過ぎ、マリアンがその命を何度となく散らしたあの日を、ここにようやく二人は越えたのであった。
「マリアン……私は結局、本当の意味で君と自由に愛し合える世界を作ることはできなかったね……」
八年後、十六歳となったエミリオは新しく構えた自宅の寝室でマリアンへと呟いた、結果的に亡命という形になり、また隠れるようにして二人は生きていかなければならなかった。
大手を挙げて、大衆に二人の愛を認めてもらう形をとることはできなかった、しかし確かな愛がそこにはあった。
「大丈夫ですよエミリオ様……わたくしは貴方がいればそれだけで……それにこの子は必ず新しい世界で、愛しい誰かと自由に愛し合うことができるはずですわ……」
そう言ってマリアンは大きくなった自身のお腹を愛おしそうに撫でる、そこにあるかつて約束した新しい命にエミリオも優しく手を重ねた。
そしてエミリオは未来へと想いを馳せる。二人の子供が産まれてきてからの世界では、誰もが笑っていて、身分による差などそこには存在せず、ただただ誰もが自由に愛し合える世界があることを……。
自由な世界、それは二人が目指した理想郷。これから先の未来でそれを実現させるためには決して平坦な道があるだけではないことをエミリオは知っている。
しかしこれから先何度繰り返すことになったとしても、愛する妻と子供を守り抜く。マリアンの手を取りながらエミリオはそう固く心に誓っていた。