絶望の果てにある真実
マリアンの余りにも残酷な死に顔とエミリオは目が合う。
それは今まで彼が過去で見てきた死に様とは全く異なる顔、呪いによる死は彼女に安らかで眠るような死を与えたがしかし、此度の死に方がそんな生やさしい最期になるわけがなく、それはこの世のものとは思えぬ苦痛に歪みに歪んだ苦しそうな顔であった。
「あぁあああああっ!」
そしてエミリオは彼女を死に至らしめたものを理解してしまう。彼女は自ら命を絶った。愛する人間に酷い別れを突き付けられ、絶望の果てに命を絶ったのだ、であれば彼女を殺したのは一体誰であったのか。
「俺が……彼女を殺したんだ……俺が、俺がっ!」
深い絶望の底にエミリオは叩き落とされた。
これ程までに深い絶望を彼は味わったことなどなかった、愛するものを自らの行いによって殺してしまったことを強く実感し、そして同時に彼女の自分への愛が、その別れの果てに自ら命を断つほど深いものだったのだと気付かされながら。
絶望に足を救われ、その場に崩れ落ちて慟哭を上げ続けるエミリオの元に再び魔女は現れた、そこにいつもの嘲るような笑い声はなかった。
「……」
魔女はただその男の絶望に打ちひしがれる様を見守っていた、そこにはいつもの太々しさなど欠片もなく、しばらくしてエミリオの叫び声が弱まると同時に魔女は口を開いた。
「辛かったであろうエミリオ、妾のことを恨んでおるか? ただ時を超える力だけを与え、お前に何度も愛するものの死に様を見せた妾を」
「お前は……お前たちは、何がしたいんだ……俺にこんな絶望だけを与え続けて、今までとは違うんだよ! あいつの呪いのせいで死んだんじゃない、マリアンは、俺が殺したんだよっ!」
母に似た女顔で大層美形なエミリオであったが、この時ばかりは涙と苦痛でその美しい顔を大きく歪めていた。
「添い遂げようとすれば呪いにそれを阻まれ、別れを選択すれば今度は彼女を殺してしまう……なぁ、何なんだよこれは! 俺たちはただお互いのことを愛し合っているだけなのにっ! マリアンが一体何をした、残酷な運命に弄ばれてその命を散らし続け……こんなものは間違っている!」
魔女はその叫びを聞き続けた。魔女は確かに一度エミリオに奇跡を起こすと約束をした、それを彼女はここへ果たしに来たのだ。
「俺たちは間違ってなんていない、ただ愛しあっただけ!……それを許さない残酷な運命の方がおかしいんだ……そうだ、間違っているのは俺たちじゃない、この世界の方が間違っているんだよっ!」
「ようやく答えに至ったな、間違っているのは世界の方だと……ではやるべきことは決まっておるではないか、お前にはその為の力を既に授けておる」
エミリオは魔女のその言葉を咀嚼していく。今までのやり方では真にマリアンを救うことはできない、では一体何をすればいいのか、愛し合う二人を許さぬ世界の道理が間違っているのであれば成すべきこととは……。
「世界を……変える……」
「そうだエミリオ、お前の力で世界を変えてみせろ。愛し合う二人が真に自由に愛し合える世界にな、妾は奇跡を起こす魔女、しかしその体現者にはならぬ、妾はその力をお前に授けるだけ……」
魔女はここに絶望の名の下に倒れたエミリオの手を取った、彼の手で奇跡を起こす為に。
「お前がその手に奇跡を掴み取るのだ。お前にならそれができる、ゆえに妾は力を授けたのじゃ!」
エミリオは世界を変えることなど本当にできるのかと半ば疑いの気持ちを込めながらも魔女のその手をしっかりと握り返した。
「さぁ今こそ全てをお前に話そう。妾の真の目的を、この世界を変えるための方法を、あの娘の命を救う方法を」
そして魔女が指を鳴らすと瞬き一つの内に二人が居た場所はエミリオたちの自宅からあの丘の上へと舞台を変えた、マリアンの残酷な死に様の前でエミリオに長話をするのを魔女は憚った。
「全ては妾がお前の父、皇帝の死の未来を視たことに始まる……その死は今より一週間後、そして……」
それから魔女は未来で見たこと、これから先起こるであろうことを語り始めた、エミリオはただそれを黙って聞いていた。
皇帝の死、それは世界の半分を占めるこのマルクト帝国の在り方を大きく変えるものとなる。
皇帝の突然の死をきっかけにして帝国内で密かにその機を窺っていた反帝国勢力、すなわち革命軍の帝国に対する内乱が勃発する。
その結果それは未来で血で血を争う大戦争の引き金となり、帝国軍も革命軍も、巻き込まれる民間人も含めて多数の死者を出すものとなる。
結果として革命は失敗に終わるのだが、その犠牲は余りにも大きいものだった。そして長い時間を革命軍との戦争に費やし、疲弊した帝国に対して和平を結んでいた筈の隣国の王国が攻め入り、今度は世界大戦が幕を開ける。そしてその果てには帝国内部だけでの内乱とは比べ物にならないほど多くの人間が死ぬことになる。
「魔女姫ゆえに妾の命は永遠のものである……その代償として妾は人間たちから少しずつ微量の生気を吸収して生きながらえておるが……このままでは世界の滅びに等しい人間が死ぬ。争いは終わらずに魔女である妾はおろか大多数の人間が死ぬのだ」
妾の真の目的とはその破滅の未来を防ぐことなのじゃ。と魔女は続けたが、しかしここまでの話を聞いてエミリオは思う。一体自分に何ができるのかと、過去に戻って何をすればよいのかと。
「エミリオ……お前には過去に戻れる力があるな、そして強い想いに魔法は応える、真の絶望を知った今のお前ならば……八年前のあの時に戻れるのじゃ」
(八年前……まさか)
「皇帝が娘に呪いをかけたのも同じ八年前じゃ、お前と娘を追放処分としたときに、この先添い遂げようとしたお前と娘を許せぬ皇帝がかけたものだ。お前は八年前に戻り、その皇帝の呪いも、追放処分も、全てを〝なかったこと〟にするのじゃ」
そこでエミリオは堪らず横槍を挟んだ、魔女の言うことがあまりにも現実離れしていたからだ。
「しかしそんなこと、あの皇帝が俺のいうことを黙って聞くはずが……たった八歳の子供に何ができるというんだ……」
エミリオの時間跳躍とは過去へその意識を跳ばすものであり肉体が過去へ行くわけではない。ゆえに八年前へ跳躍してもそこにいるのは無力な八歳の少年である、と論じるエミリオに、そこで魔女はようやくいつもの不敵な笑みを浮かべた。
「できるではないかエミリオよ……、あの男の信条とはなんだ、そう力こそがすべて。そして今のお前であれば八年前のあの日に戻り、皇帝の目の前でやつよりもはるかに強いその力を示せる、時を超える力を皇帝の前で身を持って証明し、力を持って皇位を奪い取るのじゃ!」
「つまりお前は……俺にこの国の王になれと……?」
「そうじゃエミリオ、この国の王になって全てを変えろ。そうすれば皇帝が娘に呪いをかけることもなく、お前は娘と添い遂げることができる。そしてその果てに世界を変えるのじゃ、愛するもの同士が自由に互いを愛することのできる世界に」
自由な世界、魔女の言葉をエミリオは反芻する、そしてこの辺境の村で見てきたたくさんの人間と自分たちの過去のことを思い出す。
貴族に弾圧される平民の民たち、皇帝の命には何人たりとも背けぬ国の在り方、そして自由に愛し合うことを世界に許されずに、権力によってその居場所までもを奪われた幼き日の自分とマリアン。
自由な世界を、皇族と使用人という身分の差がない自由に愛し合える世界を幼き日の自分たちは目指した。そして自身が王になって自由な世界を創造できれば、それはこの先に起こる大きな戦争を食い止め、そして本当の意味で世界に阻まれてきたマリアンとの恋路を創造することに繋がる。
しかし王になり妃としてマリアンを迎えて終わりではない、真に彼女を破滅の未来から守るにはこの世界の道理そのものを作り替える必要がある、身分の違いによる悲恋の存在しない、自由な世界に。
幼いころに二人が目指した理想郷、そこはたどり着くものではなく、自らの手で作りあげるべきものなのだとエミリオは一つの答えを得た。
「そしてお前に皇帝が未来で死の淵に願った最後の願いを教えよう、過去に赴きやつに伝えるがよい、そうすればあやつもお前の力を真に信じるであろう」
魔女は囁くようにしてエミリオに皇帝が未来で願ったことを、彼唯一の弱点と言ってもいい一つの過去を話した。魔女と皇帝の間にある確執、そして魔女が皇帝に魔法を授けた理由を。
そしてエミリオはその内容にある種の共感を覚えていた。あの男もまた、ある意味では自分と同じことを願っていたのだと。
「それでも俺はあの男のしたことを許すつもりはない、しかし……未来は、世界は、必ず変えてみせる、それがマリアンを救う道なのであれば例え茨の道であったとしても俺は絶対にあきらめない」
エミリオは固く拳を握りしめた。今まで何度も世界に絶望を味わされてきた、しかしこれから先は何度繰り返すことになっても絶対に諦めることはないと。
「……今までの非礼を詫びようエミリオ、お前の力を覚醒させるためにはどうしてもお前に真の絶望を知ってもらう必要があった……だから……その……」
魔女は今までエミリオに一度も見せたことのない恥ずかし気な表情を作った。その透き通るように白い頬が赤くなっていくさまを見て、この魔女にも人間のような感情があるのだなとこのときエミリオは思った。
「魔女、少し勘違いをしていたよ。お前たちも……」
「そ、それ以上言うでない! いいからさっさと行かんか!」
魔女のその言葉を受けてエミリオは笑みを浮かべるのを止め、気を引き締めた。そして彼は八年分の時間跳躍のために意識を集中させていく。
(もう絶対に諦めない、例え何度繰り返すことになったとしても……必ず!)
真の絶望を知った男は再びここに立ち上がった、全てを変えるため、世界を変えるため、そして愛するもののために。