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決意の婚約破棄の果て

 「行ってらっしゃいませ……エミリオ様……?」


 「マリ……アンッ……」


 エミリオは再び過去へと戻ってきた、それはやはり朝、今からエミリオが街へ指輪を受け取りにいこうとしているところだった。


 「エミリオ様……あの……どうして……」


 マリアンがエミリオへと心配そうに駆け寄る。エミリオは時をさかのぼる時に起きる気味の悪い感覚から徐々に意識を現実のものへと持っていく最中であった。


 「どうして……泣いておられるのですか……?」


 それはエミリオ自身も無意識下のことであった。彼は自分でも気づかぬうちに涙を流していることをマリアンの指摘によって知った。


 「……なんでもないよ、大丈夫だ。それより……」


 (告げなければいけない、マリアンに別れを、しかしそんなこと……)


 エミリオは流れる涙を拭い、無理やりその顔に笑顔を浮かべてみせた。


 「マリアン……今日は一緒に街に行こう、前にいつか二人で行けたらいいなと言っていたじゃないか」


 「エミリオ様っ……しかしそれはわたくしの失言でありまして、そんなことが許されるわけが……」


 人目を忍んで生きてきた二人は、街へ一緒に出かけたことなど一度もなかった。マリアンはともかくとして、もしも国境近くに本拠地があると噂されている反帝国勢力にエミリオの身の上が分かってしまえばどうなるか分からなかったからだ。


 「いいんだマリアン……いいんだよ……君がしたいと望んだことをしよう、さぁ」


 「ですがエミリオ様っ……?」


 エミリオはマリアンの制止も聞かず、半ば無理やりその手を取った。


 最初こそ困惑していたマリアンだったが、それから実際街に出ると彼女は心から幸せそうに笑い、憧れだったエミリオとの二人だけの逢瀬を楽しんだ。


 



 

 そして夕刻、夜の帳が間もなく降りるというころ、マリアンは眠るようにエミリオの腕の中で命を落とした。


 エミリオは彼女に対して今生の別れを告げることができなかった。三度その死を目の当たりにしても、彼女との別れを決意させるには今まで積み上げてきたものがあまりに大きすぎた。


 エミリオはただ黙って愛しい人の亡骸を抱きしめながら、過去へと意識を飛ばした。




 そんなことを、エミリオは別れを切り出せぬゆえに何回も繰り返し続けた。ただ常世守り抜くと、一生をかけて幸せにし続けると誓った相手との別れを受け入れることができなかったのだ。


 エミリオは過去にマリアンが二人でしたいと言ってみたことを順番に行い、海へ出かけたり、許す限り遠くへ逃避の旅を行ってみたりもした。未来を知らぬマリアンには悟られぬよう、その顔に乾いた笑顔の仮面を被ったままに。


 幾十、幾百、幾重にも重なる時間跳躍を行っても、必ずあの日の夕刻、まもなく夜になるというころにマリアンは皇帝の呪いの魔法によって命を落とし続けた。


 


 そしてその繰り返しの日々がエミリオ自身にも何度を数えるのか分からなくなったころ、あるとき二人はあの丘の上に立っていた。


 眼下に広がる村の景色、二人が八年間を過ごしてきたその場所を遠目に眺めながらエミリオはぽつりと漏らした。


 「マリアン……もし私が共にあの世で幸せになろうと言ったのなら……君は着いてきてくれるかい……?」


 それは普段のエミリオであれば絶対にありえない物言いであったが、彼はこの時半ば諦めの気持ちに支配されていた。

一生の離別を突き付けなければマリアンは命を落としてしまうという過酷な現実を受け入れることができず、度重なる愛するものの死を見てきた男はこの時その心が確かに壊れかかっていた。


 しばしの沈黙の後、マリアンは真剣な表情で答えた。


 「それが真にあなた様の望みであるというのなら……わたくしは例え地獄の果てでもお傍に居続けます……ですがエミリオ様……」


 マリアンもこの時エミリオの虚ろな目を見ながら、彼のさきの発言が決して冗談ではなく真剣な問いであることを見抜いていたであろう、その目に大粒の涙を浮かべて続けた。


 「許されるのなら……それでもやはりわたくしはエミリオ様との未来が欲しい……生きて二人で幸せな未来を……例え世界がそれを許さないとしても、いつか……」


 「マリ……アン……」


 エミリオは言葉を失った、そしてマリアンの綺麗な瞳に浮かぶ涙を眺めながら己の失言を悔いた。


 (俺は何てことを……あぁマリアン、いつか……)


 そして優しくマリアンを抱きしめた。時刻は夕刻、丘の上に立つ愛し合う二人を夕焼けが照らす最中も、死神は音もなくしかし確かにすぐそこまで迫ってきていた。


 そしてエミリオはさきのマリアンの言葉から一つの答えを得る。今は世界に添い遂げることを許されぬ二人であるが、命さえあればいつか世界が許すその時が訪れるのではないかと。


 皇宮の中にいるときの二人は共に胸の内に密かに抱く恋心を伝えることが許されなかった。しかし八年の歳月を経て環境が変われば一度は確かに想いが通じ合うところまで漕ぎ着けた。邪魔立てする憎き皇帝さえいなければ、たとえ裕福でないとしても幸せな未来は確かにすぐそこにあったのだ。


 (いつになるかは分からない、しかし互いに生きてさえいれば……いつか……必ず)


 そしてエミリオは決意した、マリアンとの離別を、いつの日か必ず世界が二人を許す時がくると信じて。


 そしてもう何度目かもわからぬマリアンの最期を見届け、それを見るのはこれが最後だと心に誓って再び過去へと意識を跳ばした。













 「行ってらっしゃいませ……エミリオ様……?」


 それはもうエミリオが何度もその耳に聞いてきた文言であった、彼女のその言葉を聞くと過去へ意識が跳んできたことを条件反射的にそのつど実感させられていた。


 「……」


 エミリオは正面からマリアンの姿を見つめる。これが最後であるのだから、一生分を目に焼き付けておこうと。


 彼女の栗色の柔らかく綺麗な髪を、大きく透き通った瞳を、美しい目鼻立ちを、決して上流貴族のように飾り立てることはなくても、美しさと上品さを兼ね備えている愛らしい姿を、そしてこの世で一番清らかであるその心を、強く目に焼き付けた。生涯忘れぬように。


 しかしやはりその時がくると、生きているマリアンを目の前にしてエミリオは別れを告げるのを躊躇いそうになった。


 しかし何度も繰り返してきた過去を思い返し心を決め、そして冷たい語気で一息の下に言い放った。


 「マリアン……君との婚約を……破棄させてもらう」


 「エ、エミリオ様……何を……?」


 マリアンの困惑していく様を見ながらエミリオは後悔を感じていた、例えそれがマリアンの命を守るためだとしても、彼は彼女の真の幸せの形を知っていた。


 (すまないマリアン……必ず……その時が来るから……今は……)


 そして確かにエミリオは自身の心を殺しきった。


 「聞こえなかったのか……? 君との婚約を破棄させてもらうと言った……皇帝陛下に掛け合い、私は再び王宮に帰らせてもらうとしよう。このまやかしの時間は終わりなんだよマリアン、今までの私がどうかしていたのだ」


 「エミリオ……様っ……」


 マリアンの表情は困惑から悲壮なものへと変貌を遂げ、エミリオはそれ以上の言葉を続けずこの場を立ち去ろうとしたが、マリアンはそれを引き留めた。


 「エミリオ様……それは嘘でございますね」


 「嘘だと……? 私が嘘を言っているとでも思うのか、これは嘘など」


 「嘘ですっ! わたくしには……私にはわかるのです、あなたのことならなんでもっ! その目はあなたが嘘をついている時の目、幼い時から変わらない……そしてあなたが嘘をつくときはいつも決まって私の為だった! そうなのでしょうエミリオ様っ、あなたは私のために、嘘を……」


 それは願いにも似た悲痛な叫びであった、マリアンがこんなにも激しい物言いをするのをエミリオが見たのはこの時が初めてだった。


 大声でまくしたて、肩を上下させて息をするマリアンを見てエミリオは思う、やはり彼女に嘘や方便は通用しないのだと。

そしてもう一度確かに自身の心を殺して偽りの仮面を被った。守りたいと願ったものを嘘の刃で一刀の下に斬らねば、その命を守ることは叶わないと知っていた。


 「フ、フフフ、ハハハ、それは君の思い違いだよマリアン、私は嘘などついてはいない、たかが八年の歳月で君は私の全てを知ったつもりでいるようだが……思い上がりも甚だしい!」


 (嘘だ、君は確かに俺の全てを知っている、そして君は俺の……)


 「勘違いをするな、行く宛ても身を寄せる場所もなかった幼き日の私がただ成人まで君を頼ったに過ぎない、そこに愛があると情を勘違いしただけのこと……ゆえに君との生活はこれで終わりだ」


 (君は俺の全てだ……マリアン)


 「ここに確かに私は婚約破棄を宣言した、さらばだマリアン、これからは私に仕えることなく自由に生きろ」


 決して彼女にその嘘を悟られることのないよう、エミリオは非情な物言いで一息の下に告げた。


 そして彼は、言葉を失いただ立ち尽くすマリアンに背を向けて走り去るようにその場を後にした。引き裂かれるような心の痛みを感じながら、嘘の仮面を取ればその目からは涙が溢れた。


 マリアンはその後を追うことなく、ただその場に座り込み慟哭(どうこく)をあげた、彼女の悲痛な叫び声は、決して振り返らない愛しい相手の背中にも確かに届いていた。


 エミリオはその声を後ろに聞きながら、この残酷な世界を、そして元凶たる皇帝をただただ呪うことしか出来なかった。


 




 それからしばらくの後、エミリオが行く当てもなく走り続けた果て、気付けば彼は二人が将来を誓い合った思い出の丘に立っていた、辺りは深い夜の闇に支配されていた。


 エミリオはただ眼下に広がる景色を眺め、マリアンへの酷い物言いを後悔し、しかしこれで確かに運命を変えることができたはずだと自身に言い聞かせている最中であった。


 「ようやく別れを告げたかエミリオよ……」


 そんなエミリオの背後に、やはりどこからともなく魔女は現れた。その再会は幾重にも時を渡ったエミリオの主観からすれば久方ぶりのものであった。


 「……」


 エミリオはその背後を振り返ることもなく、ただ生気を失った瞳で魔女の声を聞いていた。成すべきことを成し遂げ、大切な人との別れを終えた背中は哀愁に満ちていた。


 しかし絶望に打ちひしがれるエミリオに、魔女は残酷な笑い声とともに一つの事実を語った。


 「皇帝の呪いは愛するものが添い遂げようとしたときにあの娘を殺すものであったな……お前はよくやったぞエミリオ、あの娘は確かに此度(こたび)その命を皇帝の呪いによって落とすことはなかったであろう……」


 「何が……言いたい……?」


 「あの娘が受けた呪いによる死の運命を此度のお前は変えた……そう、()()()()()()()()な」


 (そんな……まさかっ)


 エミリオは魔女の言葉を受けてすぐさま走り出した、目指すは二人の家、マリアンの安否をその目で確かめるために。


 エミリオはただ走り続けた、息は上がり、肺が強く痛みを訴えたが無視をした。一目でいい、魔女の言葉は詭弁(きべん)であり、自分が彼女の死の運命を確かに変えた結果をその目で確認したかった。


 やがてエミリオはたどり着く、二人が何度となくその愛をささやき合った場所へ。家の窓からは深夜にも関わらず明かりが漏れていた。


 家内が明るいことにエミリオは若干の安堵を覚えながら自宅の扉を開けた、そこに愛する人の姿があると信じて。


 呪いを防ぐために別れは必要なものだった、ここでもう一度彼女の姿を確認に戻ればそれは恐らく失敗に終わってしまうだろうが、その時はもう一度過去に戻ればよいとこの時エミリオはそう考えていた。


 そして扉を開けて飛び込んできたのは、エミリオに対する真の絶望であった。


「あ……あっ……あぁ……っ!」




 そこで彼を迎えたのは、首を吊って亡き者となったマリアンの変わり果てた姿であった。

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