呪い
「マリアン……」
エミリオのその声は虚空へ消え去り、そして彼の背後からはどこからともなく甲高い笑い声が聞こえてきた。
「フ、フハハハハ、はぁ……実に愉快、愉悦の極みよっ、なあエミリオ……一体どんな気持ちになるというのだ、愛する人間が二度も目の前でその命を落とすとはなぁ?」
「貴様っ……!」
エミリオはすぐさま背後を振り返る。そこにはまるで悪魔のように笑う魔女の姿があった。
「エミリオよ、ショーにおいて前座や余興というものがあるようにじゃな、何事もすぐに物事は進んでいかぬのじゃ……今はーー」
「黙れ!」
エミリオは激情に駆られ、右の拳を強く部屋の壁に打ち付けた。鈍い音が鳴る。彼は強く拳を痛めたが、そうでもしないと正気を保っていられなかった。
「お前はこうなることを知っていたな……魔女、そしてそれを俺に教えることはなかった。自身の愉悦の為だけにこんなふざけた真似をしたのか? 仮初めの希望と偽ったこの力だけを俺に渡してっ!」
エミリオの厳しさを孕んだ言動に、魔女は不敵な笑みを浮かべるのをやめ至極真剣な表情で答えた。
「……勘違いをするな人の子よ、妾は嘘など言っておらぬ。その娘の死の運命を変えられるのは確かに真実じゃ、魔女姫の名にかけて誓おう」
エミリオは強く握られた自身の拳を少しずつ開いていきながら、熱くなった感情を少しずつ冷静なものへと変容させる。
最初の魔女の言葉と、二回目のマリアンの死からその仮定がおそらく正しいだろうことに彼はこのとき気付いていた。マリアンの死の因果、そしてそれを仕組んだ全ての黒幕たる人物に。
「呪い……だな。マリアンの死は何者かの強い呪いによって引き起こされた、呪いだなんてそんな現実離れした未知の力がこの世界にあるとは思えない……だがそれが可能でもおかしくない人物には心当たりがある」
エミリオは二度のマリアンの死に顔を思い出す、安らかに眠るような死……それはまるで魔法にかけられたようであり、魔女の言葉を借りるのであれば魔女は魔法を〝授ける〟。
魔法、としか呼ぶことのできないこの世ならざる力を使ったのがエミリオでも魔女でもないのならそれを行使したのは一人しかいない、この魔女が最初にその力を授けたと言った相手……それは。
「そうだエミリオ、その娘の死を仕組んだのはお前の父だったというわけだ……フ、フフフ……なんたる非道、実の息子の愛する女を呪い殺してしまうとはなっ! 外道の行いよ……フ、フハハハハハッ!」
エミリオはその身がどす黒く強い憎悪に支配されていくのを感じていた、開いた拳は再び強く握られ、顔つきは鬼のような形相を呈した。
「あの男が……皇帝がすべてのっ……許さん、断じて許さんぞっ! 刺し違えてでもあの男をっ……!」
「いいぞエミリオ……もっと、もっとじゃ、お前の強い想いに魔法は応え、その力は増していく……、しかしエミリオ、お前にはあの男を殺すよりも先にやることがあるじゃろう。その力はあやつを殺すために授けたわけではない」
「しかしっ……あの男は! 俺から何もかもを、全てを奪った、一番大切なマリアンの命さえも……」
「目的をはき違えるなと言っておる、お前の成さねばならぬことは何だエミリオ……これからもそれだけは忘れるでない」
(俺の……成さねばならぬこと……)
エミリオは強い憎しみの感情を徐々に飼いならしていった後に自身へと問いかける、本当の目的はなんだったのかと。
「マリアンの死の運命を……変えるっ……」
少しずつエミリオの表情は悲壮なものから元へと戻っていった。
「落ち着いたようじゃな……ではお前に二つのことを教えよう。一つはお前が今殺したいほどに憎んでいる父、皇帝のことだが……あやつは一週間後に死ぬ」
「っ!?」
「フッ……驚くのも無理はない、しかし妾にはそれが……未来が視える。お前がどう思うかは勝手だが、これはもう決まっていることなのじゃ」
エミリオは魔女の言うことがにわかには信じられなかった。この国で全てを手にしている男が一週間後に死んでしまうことも、その未来が視えるという魔女のことも。
「そして二つ目……皇帝がその娘にかけた呪いを教えよう、それは愛する二人が添い遂げようとしたときにその娘を必ず殺す呪いだ。これはかけた皇帝本人が例え死んだとしても解けることはない、それほどあの男の力は強大だということじゃ」
エミリオはまたも驚きに目を見開いた、一つ目も十分に驚いていたが二つ目はその遥かに上を行っていた。
「そんなっ……それじゃあ……俺は……マリアンの命を守るために……」
エミリオにはその果てにあるものが分かっていた。愛する者の命と引き換えに、彼女と生涯を共にすることが叶わぬことが。
「そんな……そんなっ……俺は、俺はっ……!」
魔女はただ彼の悲痛な叫びを聞いていた。この時エミリオには決して分からなかったが、魔女のその視線は確かに優しさを含んだものだった。
「約束したんだ、俺が、俺が一生守るって……幸せにするって……マリアンも、それを望んで……二人の……未来を、子供が欲しいって……言ってくれて……!」
エミリオは確かに二人が昼間ささやき合った愛の言葉を反芻していく、あの時のマリアンの顔はあんなにも幸せそうだったのにと。そしてやはり全ての元凶たりえる皇帝のことを激しく憎んだ後に、先ほどの魔女の言葉を思い出した。
『これはもう決まっていることなのじゃ』
(この女は未来を視ている……皇帝の死もマリアンの死も、この女は分かった上で俺に時を越える魔法を与えた。皇帝の死は変えられなくてもマリアンの死は……変えることができるはず……)
「答えろ魔女……本当にマリアンの死の運命は変えることができるのか」
その問いに対して魔女は何度となくエミリオに見せた薄ら笑いで返した。
「再び魔女姫の名にかけて誓うぞ人の子よ、それは必ず成し遂げることができる。さぁ今のお前に妾が教えてやれることはもうない、せいぜい頑張るのだな」
そして魔女はいつものように不敵な笑い声を上げた。エミリオは魔女に背を向け、その笑い声を後ろ手に聞きながらも強くマリアンのことだけを考えた。
(待っていてくれマリアン……絶対にその命だけは……助けてみせる)
そしてエミリオはまたしてもその意識を過去へと跳ばした。そしてそれを見送る魔女は奇声にも似た笑い声をあげ続けた。
「フハハハハハ……ハハハ、ハ、ハ……はて、ちとわざとらしく笑いすぎたかのう……」