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約束

 「行ってらっしゃいませ、エミリオ様……?」


 エミリオは自身の意識が鮮明になっていくのを感じていた。

一瞬にも永遠にも感じられた時の流れが歪んでいく気味の悪い感覚を彼は味わっていたが、眼前に求めた人の姿を確認してそれは彼方へと消え去った。


 「マリアンッ!……あぁ、マリアン……」


 辛抱たまらずエミリオはその姿を一目見て強く抱きしめた。先ほど抱きしめた時とは違う温かさと、確かに動いている心臓の鼓動をその身で感じ、マリアンがここに生きていることを実感する。


 「エミリオ様っ……!? 急にどうされたのですか……?」


 「すまないマリアン……お願いだ、今だけは何も言わずに君のことを抱きしめさせてくれ……」


 それは突飛な言動だったがしかしマリアンは何も言わずエミリオのことを優しく抱きしめ返した。深く言葉を交わさずとも伝わるものが二人の間にはあった。

 

 マリアンの体の温もりを感じながらエミリオは徐々に自身の体現した魔法による事象を理解していく。ここは今日の朝、自分は今から街へと指輪を受け取りに行こうとしているところであると。


 (本当に……過去に……戻った……)


 そして同時にその身に起きた奇跡の不可思議さに驚きを覚える、あの魔女が言っていたことは本当だったのだ。


 


 しばし無言で抱きしめ合っていた二人だったが、マリアンはエミリオの今にも泣きだしてしまいそうな悲しい表情を見ながら囁くように優しくこう言った。


 「大丈夫ですよエミリオ様……マリアンは殿下の味方です……いつまでもお傍にいますから……」


 その言葉は、エミリオが幼いころ何度も彼女からかけられた言葉だった。


 母と乳母の死からその身が呪われていると義兄弟の皇子や皇女からエミリオが揶揄(やゆ)されていた時、幼い彼は人目を憚り涙だけを堪えてこうしてマリアンに慰めてもらったことを思い出した。


そのころ確かに自分は名実ともに殿下であった、しかし今は違う、彼女は使用人などではなく、この身を捧げ一生守り抜くと誓った人。


 (しかしこのままではっ……)


 そしてエミリオはその身に悪寒が走るのを感じた。確かに奇跡の力を魔女との契約の下に手に入れ、過去へ戻ってきた。しかしこのまま時が進んでもマリアンの死は変わらないのではないかと。


 そして彼は先ほど見た光景を思い出す、不可解な部分があったからだ。マリアンの死に顔はとても安らかであり、眠るようだった……つまり誰かにその場で殺められたわけではない、では一体どうしてマリアンは死ななければならなかったのか……?


 思考を巡らせるが今のエミリオにその答えが分かることはなかった。しかし魔女が確かにその力を使い運命を変えろと言った自身への言葉を思い出す。


 (未来は……変えられる……)


 そこにエミリオは一縷の希望を見出した、そして決意を新たにする、必ず彼女の死の未来を変えてみせると。


 「ありがとうマリアン……それで指輪の受け取りはまた後日にしようと思うんだ……今日はその……ずっと隣にいてくれないか……?」


 「もちろんですわエミリオ様……あなたがそう仰るのであればマリアンはずっと隣におります……」


 荒唐無稽(こうとうむけい)なことを言っているのはエミリオ自身も十分理解していた。

あんなにマリアンも自分も楽しみにしていた指輪の受け取りを遅らせてずっと隣に居てほしいなどと、未来を見てきた自分だからこその発言だが、今この時のマリアンは何も知らないのだ。


 しかしマリアンはただ頷いて肯定してくれた、本当に聖母のような人だとエミリオは思う。


 「エミリオ様……一つわがままを言ってもよろしいでしょうか…?」


 「どうしたんだい?……私にできることなら何でも言ってくれ」


 「今日はお隣で……わたくしのお喋りにお付き合いいただいてもよろしいでしょうか……?」


 その言葉にエミリオは感銘(かんめい)を受けた。我儘など言ったことのないマリアンの望みはそんなものなのかと、しかしよくよく考えてみれば食事のときも就寝前も、いや振り返れば皇宮にいる時からいつもエミリオが自分のことを話すだけだった。


 マリアンはいつでも自分の話を心底楽しそうに聞いてくれて、そんな聞き上手なマリアンを相手にする自分もまたいつでも楽しい気持ちになれたのだ。


 「そんなことお安い御用だよ……それからマリアン、我儘なんていつでも言っていいんだ、私たちは……夫婦なんだから」


 「はいっ……」


 マリアンの死の因果をエミリオが知ることは無かったが、自分が隣に居れば有事の際はそれを防げるのではないかとこのときの彼はそう楽観視していた。

本来の時間軸であればエミリオの行動は今ごろ街に出ているところ、それが変わったのであるから未来も変わるのではないかと。




 それからエミリオは部屋で時に優しく相槌を打ちながらマリアンの話に耳を傾けていた。


 故郷にいたころのマリアンの話、今でも許されるのであれば父に会いたいと思っていること。そして皇宮で使用人をしていた時から、恐れ多いとは知りながらもエミリオに密かな恋心を抱いていたこと。

八歳も歳が上にも関わらず、こんなにもエミリオに心惹かれてしまっている自分はおかしくなってしまったのではないかと。


 そんなことをマリアンは嬉しそうに、どこか懐かしむように話した。


 「それからエミリオ様……その……っ」


 普段は見せないマリアンの言いにくそうに、いじらしくどこか恥ずかし気な姿を見てエミリオは優しく彼女の頭を撫でた。


 「言い辛いことなのかい……?私にはなんでも話してくれていいんだよ」


 マリアンのきめ細やかな美しい白い肌の頬がみるみる朱に染まっていく。綺麗な琥珀(こはく)色の瞳は大きく見開かれ、長いまつ毛が微かに揺れる、そして大きく息を吸った後に彼女は口を開いた。


 「赤ちゃんが……欲しいのです……エミリオ様との愛の証が……」


 「……」


 彼女のその願いに対してエミリオはすぐには言葉を紡げなかった。


 様々な感情がエミリオの中を交錯した。彼自身何度もそのことを考えた。しかし自身の収入の低さではそれが簡単な話ではないことを、マリアンが頑張って家計を回していることを、少しでも足しになるようにと最近自宅で刺繍(ししゅう)を始めたことも彼は知っていた。


 もちろんいつかその日が来ることを彼も夢見ていた。いつか絶対にもっといい職に就き、今よりも広い家を建て、彼女と暖かい家庭を築いていきたいと。


 しかし、もしもそう思っているのが自分だけなのではないかと思うと、マリアンにそれを尋ねるのは憚られた。

自分が欲しいからという簡単な理由だけで新しい命を授かったとしても、理想論だけでは誰も幸せになれないのではないかとエミリオは考えていた。


 様々な感情が渦巻いていたがしかし一番大きくその心を支配したのは喜びであった。

愛する人が自分と同じようにその結晶が欲しいと思っていてくれていることが分かって、エミリオは天にも昇るような気持ちだった。


 「……もちろんだよマリアン、あぁ、私も同じことを考えていたとも……私の子を産んでくれるかい?」


 「はい……この身に余る幸せです……エミリオ様……」


 二人は抱きしめ合い、確かに互いの愛がそこにあることを感じ合っていた。

それは二人が皇宮を出てから今までの時間の中で、一番深い愛を感じ取ることのできた瞬間であった。


 優しい沈黙が二人の間を流れた。言葉を発さない時間は、マリアンの最初の我儘とは矛盾するものであったが、二人はそれを心行くまで堪能していた。


 そしてしばしの時が経ち、優しい沈黙を破ったのはマリアンの一言だった。


 「すみません……エミリオ様、わたくし……急に……ひどく……眠気が……」


 「大丈夫かい?しばらく横になって休むといいよ」


 「すみません、ですがまだ家事の方が全く……」


 「一日休んだくらいで誰も君を責めることなんてできないよ、さぁゆっくりお休み、これは私のお願いじゃない……わかるね?」


 「はい……」


 エミリオは急に目が虚ろになったマリアンを両の腕でしっかりと抱き抱え、その体をベッドへと運んだ。


 マリアンは恥ずかしそうに、しかし嬉しそうに口元に笑みを浮かべ、そのままエミリオがその手を握ると、まるで魔法にかけられたかのように一瞬で眠りに落ちた。


 エミリオはマリアンの綺麗な手に愛しさを感じながら握っていたが、しかしそのままその手は段々と冷たくなっていき、やがて死という残酷な現実をはっきりとした形で彼に突き付けた。


 そしてエミリオは悟った、マリアンの死の運命を変えることができなかったことを。

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