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魔女との契約

 二人の婚約から一週間の時が流れた。


 「じゃあ行ってくるよマリアン」


 「行ってらっしゃいませエミリオ様……今日はせっかくのお休みでもありますから……その……できるだけ早くお帰りになっていただけると……嬉しいですわ」


 そう言って恥ずかしそうに頬を赤らめるマリアンを見てエミリオは堪えきれない愛しさを感じた。


 やはり婚約前にはこんな我儘にも似たような物言いをマリアンがしてくれたことなど一度も無かったのだが、あれから少しずつマリアンは臣下ではなく妻になってくれているのだと。


 「もちろんできるだけ早く帰るよ、二人の休日をゆっくり過ごそう」




 その身の上と経済状況から式を挙げられない二人であったが、婚約の時には無かったものが今日はようやく手に入る日だった。


 それは指輪であった。行商人も滅多なことでは訪れぬほどの辺境の村ゆえにその算段を付けるのに苦労し、エミリオの誕生日にはその目途も立っていないものだったが、予定よりも早くそれを受け取るためにエミリオは隣街へと向かった。


 家計を預かるマリアンは別として、エミリオはその生い立ちゆえに滅多なことでは街へ、人目に着く場所には出ていなかった。


 特にこの国境近くという場所は隣国といっても今は帝国の植民地であり、父である皇帝が戦いの果てに他国より奪い取った領地である。


 場所は違えど人間は変わらない、貴族と平民はもちろんだが、では平民同士の場合に人間としての優劣を決めてしまうのは出身国の違いであった。


もちろん帝国出身の人間が大手を挙げ、そうでないものが下手になる。


 そんな差別にも区別にも似た人間同士の泥臭い部分を、この八年で嫌というほどエミリオは目にしてきた、敗戦国の出身だからと純帝国民に虐げられる人、重税に喘ぐ人、貴族に頭の上がらない平民たちの暮らしぶりも。


 エミリオは幼き日に受けた皇帝の言葉を思い出す、力こそがすべてだと。この国を変えた男の思想は、身分の高さもまた力であるというある種はじめから国民に備わっていた考えを確固たるものへとしてみせた。


 では生まれながらに平民の家庭が永遠に弱者であるのかという話になるが一概にそうとは言えない。


 平民であっても戦果を上げれば一代限りではあるが下位貴族に当たる騎士候の爵位を手に入れることができた。

マリアンの父が正しくそうであったように、実力が示せるのであれば地位や報酬を皇帝は臣下の貴族たちに用意していた、そんな実力主義のような体制は帝国民に身分による差別意識と強い競争意識を抱かせる火種となった。


 もともと一王国でしかなかった国が、父に代替わりをしてから戦果を上げ続けてあっという間にその領土を広げ、世界地図を塗り替えていった、今では隣国のキムラスカ王国と世界を二分する大帝国である。


 父は一体全体何をしたのだろうとエミリオは思う、まるで魔法のようだと。


 急速な軍事力の増強とそれに伴う政策、絶対的支配者だと疎む人間もいる一方で、奇跡を起こした英雄だと称えるものも多い。


 街への道すがら、すれ違う人々を見ながらエミリオはそんなことを考えていたが同時にこうも思う。

自分はもう皇族でもなければ貴族でもない一介の平民に過ぎず、国の行く末などどうでもよくてこの身はただ愛しいマリアンを守ることだけを考えていればいいのだと。


 


 なるべく人目の少ない道をあらかじめマリアンに教えてもらっていたエミリオは、人目を避けつつ無事に行商人と落ち合い、目的の指輪を手に入れるとマリアンの喜ぶ顔を想像し、早く指輪を渡してあげたいとはやる気持ちを抑えながら帰路に着いていた。


 「……?」


 自宅前の扉に立ったエミリオはほんの少しの違和感を感じていた。遅くならないと家を出る時にマリアンに言ったものの、辺りにはもうすっかり夜の帳が下りている。


 いつもエミリオが仕事から帰るのと同じくらいの時間帯、いつものマリアンなら食事の準備をしている筈だが、いつも鼻腔をくすぐるいい香りがしないと。


 珍しく昼寝でもしてまさか起きれなかったのだろうか、それはそれでいつも家事に追われている彼女だから休息の時間になって良いものだなと考えながらエミリオは玄関の扉を開き、そこで信じられない光景を目の当たりにした。


 「マリ……アン…?」


 扉を開けてすぐそこに、うつ伏せになって彼の愛しい人は倒れていた。


 「マリアンッ!」


 その名を叫び、床に倒れている体を抱く、その顔はまるで眠っているかのように安らかな表情だったがしかし


 「そんな……息を……していない……」


抱きしめているこの世界で一番愛しい人の体、そこに温かさではなく尋常ではない冷たさを感じ、息をしていないことをエミリオは理解する。そして原因は分からないが彼女が間違いなく命を落としたことも。


 エミリオは目の前が真っ暗になっていく様を感じていた。


 「そんな……嘘だ、嘘だと言ってくれっ……なあマリアン、これは悪い夢なんだろう、そんな……これからだったじゃないか……何もかも……未来は、これから……」


 エミリオの強く握りしめた左手には、帰ったらすぐ彼女の薬指に嵌めてあげようと思っていた指輪があった。これからの二人の幸せな未来に必要で、そしてその象徴たりえるものが。

彼はそれを強く握りしめ歯噛みする、その瞳からは涙が流れた。


 「一体誰が……何が……こんなことを……」


 マリアンに外傷はなかった、その表情は苦痛に歪んだものでもなく、争ったようには見えなかった、であれば一体どうしてマリアンは命を落としたのか。


 ただ茫然自失とするエミリオのところに、音も立てず来訪者はやってきた。まるでマリアンの死を知っていたかのように、あるいは待っていたかのように。


 「眠るように死んでいるであろう……しかし貴様のキスでその娘が目覚めることはないぞ」


 開けっ放しの扉、そこに声の主は立っていた、その言の中に(あざけ)りにも似た笑い声を含んで。


 「誰だっ!……お前がマリアンをっ……?」


 エミリオは突然の来訪者を見上げ、その姿を一目見て息を呑む。


 酷く美しい女だった、背の丈はマリアンよりも遥かに高く、コバルトブルーのドレスに身を包み、瞳も同じく淡い蒼色だがその整いすぎた目鼻立ちからは恐ろしさすら感じた。


 そして何よりもこの国では珍しい漆黒の長い髪に、その女の持つ浮世離れした雰囲気にただエミリオは圧倒された。


 「(わらわ)が誰かじゃと、フン、妾には名前なぞない……強いて言うのであれば人の子はみな妾をこう呼ぶな〝魔女〟と」


 魔女。エミリオはその言葉を反芻する、聞いたことはあってもその目で見たことはなかった。


 しかしその存在には強く疑問を覚えた。この世ならざる力を持ち、奇跡を可能にするがゆえの異端であり、奇跡は二つも不要と論じてきた代々の皇帝たちが強く取り組んできた魔女狩りによってその存在は滅びたのではなかったのかと。


 「そう怖い顔をするな……呪われた〝皇子〟よ、いや真に呪われておるのはそちらの娘の方であったな」


 (こいつは知っている!……父のことも、俺が帝国の皇子だということも……)


 「妾は何でも知っておるぞ人の子よ、お前がその身を追放された皇子ということも、その娘が何故命を落としたのかもな」


「っ!? お前は一体……マリアンは、どうしてっ」


 魔女は心底楽しそうにその口端を歪め、いまだ地に膝を付けているエミリオの顎を右手の指先で持ち上げ、自らの顔を近づけていく。


 「ほう……瞳の色は母と同じじゃな、しかしその内に秘めるものは父にそっくりときた。フハハ、血というものは時に残酷じゃな」


 互いの息遣いも感じることの出来る距離であったがエミリオは動揺することも、顔を赤らめることもなかった、どれだけ美しい女を前にしても、真に愛するものの御前であったからだ。


 「御託はいい……魔女、お前は何のためにここへ来た、その理由を教えろ」


 鋭い眼光でエミリオが魔女を睨みつけると、魔女の方も剣呑な顔つきになった。


 「ふっ……なんじゃその態度は、父の方がまだ可愛げが」


 「御託はいいと言ったはずだっ!これ以上能書きを垂れるのなら……」


 エミリオはその眼光を一等厳しくし、語気に強さを含んで魔女へと凄んだ。


 「ふん、いいだろう、妾は残酷な運命にある貴様とその娘を助けにきてやったのじゃ……ところで人の子よ、魔女がなにゆえ魔女なのか貴様は知っておるか?」


 「禅問答など……」


 「フハハ……そう厳しい顔をするなと何度も言っておるであろう?なにゆえ魔女であるか……簡単ではないか、奇跡を起こすからよ」


 「奇跡……まさかマリアンを生き返らせることが出来るのか!?」


 エミリオの問いに魔女はその口端を更に大きく歪めた。


 「ハハ、フッ、フハハハハハッ、そんなものは奇跡とは呼ばぬ、死者の魂をこの世に呼び戻すことなど死者に対する愚弄(ぐろう)! 最大の禁忌よ!」


「何が……言いたい」


 エミリオは先ほどから続く魔女との会話の中で、彼女の言葉の意味するものが何かを計りかねていた、一向に終着点が見えないと。


 「妾は確かに奇跡を起こす。しかしその体現者とはならぬのじゃ、妾は奇跡を起こす力を()()()……人の子は皆それを魔法と呼ぶがな」


 「奇跡の力を……授ける……?」


 「そうだ皇子エミリオ、貴様に力を、魔法を授けよう。それを使い……その娘の死の運命を変えるのじゃ」


 「なっ……そんなことが……」


 本当に可能なのか、とエミリオは思う。奇跡、魔法、そんな人智を超えた力が本当にあるというのか、そして魔女の言い分によればその魔法を使うのは魔女ではなく自分だと……。


 「できるぞ、妾にならな、現に妾は貴様の父にその力を授け、奴は奇跡を起こした英雄になったではないか」


 エミリオはその言葉に驚愕した、眼前の魔女は皇帝の行ってきた覇道の(いしずえ)になったのだ。一体全体何を理由にそんなことをしたのかは分からないが、この魔女こそが父に力を授け、この世界を変えたのだと。


 「皇子よ……その娘を真に愛するというのなら……例え偽りであったとしても妾を受け入れるしかないなぁ……?」


 いささか嬉しそうにやはり笑みを浮かべながら問う魔女に対して、エミリオはもちろん藁にもすがる想いであったが同時に歯痒くも感じていた。目の前の太々しい女の言うことを聞くのは余りにも癪であったが、それでマリアンの命が助かるのであればと考えを改める。


 エミリオは沈黙を持って首を縦に振った。果たして魔女の言う「死の運命を変える」というのが何を指すのか見当も付かなかったが、彼には悩んでいる時間などなかった。


 「よいぞ……真の愛とは美しいものじゃな人の子よ、妾の前に跪き、左手にキスすることを許そう」


 エミリオの矜持は一瞬その行動を躊躇(ためら)わせた。


 しかし魔女の左手の甲に赤く光る魔法陣のような六芒星の文様が浮かび上がると同時に、エミリオは眼前の女がやはり真に魔女であることを理解し、心の中で亡きマリアンに詫びながら魔女の言う通りに跪き左手の甲に口づけをした。


 「……っ!?」


 瞬間、エミリオは理解した。自身の中を駆け巡っていく感じたことのない力の源が魔女との契約の下に受け取った魔力であることを、そしてこの力がどんな奇跡を起こすのかを。


 「理解できたようじゃな……只人には使えぬその力、皇家の人間にのみ使うことを許された魔法を使って運命を変えるのじゃ」


 「あぁ……礼を言わせてもらうぞ魔女」


 これも魔法か、とエミリオはその身をもって理解する、魔女が何も語っていないにも関わらず、多くのことが理解できた。これは皇族の血を持つ人間にしか使えない魔法、そしてその力を使うには……。




(マリアンッ……必ず君を助ける!)


 愛する人間のことを強く想う、その気持ちに魔法は答えた。エミリオは祈るように目を閉じ、そして次の瞬間。





その意識を過去へと跳ばした。

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