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いつかの理想に

作者: 東雲白雨

死ぬその瞬間まで、願っているのはたったひとつ。生きていることを許されたい。




いつかの理想に




「才能があるかと言われれば無いわけではないと思うし、かといって天才的かと言われるとそうではないと思う。いくら君が可能性を広げたとしても、結局その可能性の上限はこの世界に属している以上理の影響を受ける。境界の外側ではまた別だろうけどね。つまり、まあ紫音はこの世界では逸脱した存在たりえない、ってところかな」

皎夜は柔らかな微笑みを浮かべながら、雑談するような口調で報告を述べた。龍慶は手元の書類に筆を走らせながら、そうか、とだけ返した。

皎夜はその様子をじっと見つめながら、龍慶の言葉を待つ。普段であればここで会話は終わっているだろう。他の従者であればすぐさまその場を去ってしまう沈黙だが、皎夜はまだこの受け答えが終わっていないと理解していたので、少しだけ相手の返答を待つことにした。

「何か用でもあるのか?」

「いいや。僕は無いけれど、君はあるのかなと思って」

「無い」

「ふふ、やだなあ。君とは長い付き合いだもの。僕から受けたいのは、こんな解りきったことじゃない。そうでしょう?」

首を少しだけ傾けて、皎夜は龍慶に問い返す。龍慶はちらりと皎夜を一瞥し、手を止めて頬杖をついた。

紫音が柊家に引き取られてから数ヶ月が経った。その様子は極めて“平凡”で、龍慶の想像からは外れない程度の成長を続けている。柊の血か、はたまた暁の血か。遠縁とはいえ紫音の中には間違いなく御神家の分枝の系譜、御神家直属の家柄の血が混じっている。だからこそここまで皎夜についてこれているのだが、しかし成果としてはそこまでできた者のひとりという程度でしかなかった。

龍慶は、紫音という存在に可能性を見ている。

明確にそれを示したことはなくとも、皎夜はそれを感じ取っていた。龍慶の触れる可能性の限界、ゼロより生まれた可能性の体現者。その素養があると期待しているのだ。

龍慶は剪定された可能性すらも“自分が存在する”だけで再びそれを可能性として繋げることができる。世界が可能性を閉じ、終わりへ向かったとしても、龍慶の存在はその確定した終わりすらもひとつの可能性へと変質させる。良くも悪くも、全てに平等に働く力。それは龍慶が直接干渉できない範囲へも影響する人ひとりには過ぎたものだった。

しかしそれは、ゼロから生み出せる訳ではない。

この力は起点にはならない。あくまで起点はその可能性に関与するものにしかなく、また選択ができるのも同様にその誰かであり何かでしかない。

知らなければ意味がなく、知っていても途方もなく、しかしそれは数多の世界に、理に、大きな影響を及ぼすもの。

「龍慶。今の僕には君の、あの子に対する期待は理解できない。その特別さも。でも、きっとあの子は君の期待に応えるだろうね」

「理解できないというわりに、あれがどう俺の期待に応えるか解るのか。それは面白い話だな」

「厳密には、君の期待通りにって話じゃなくて、ううん、そうだなあ……」

皎夜は顎に手を当てて、思案するように顔を少しだけ上に向ける。ぼんやりとしているようで、反対の手は常に武器を振れるようにしているのだから隙がないものだ、と龍慶は呆れ混じりに感心していた。それが正しくはあるのだが、あまりにも自然で見落としてしまいそうになる。

殺意も無ければ害意も無い。しかし武器は向けられるし、躊躇いも無く斬れる。

「ああでもある意味君の期待通りなのかな。君の期待を超えていくんだから」

「ほう、それは随分と高い評価だ。こんなに早い段階で、お前からそんな言葉が聞けるとは」

「紫音、死にそうになったときとても強かったんだ」

皎夜の言葉に、今度は龍慶が目をすがめて続きを促した。

「つい最近のことなんだけど、槐の隊が壊滅に追い込まれた時があったよね。まあ、どうせ放っておく予定ではあったけど……紫音はね、助けに行ったんだ。今のあの子は槐より数段弱い。命知らずなのか、もしくはただ死にたがりの自己を偽って誰かのために命をかけたいだけなのか、その辺りは聞かなかったんだけれど。案の定相当不味いところまでやられてね」

あの後蛇の目に散々怒られたんだよ。そう話す皎夜に適当に相槌を打ち、龍慶はその紫音の姿を想像する。

皎夜の評価を借りるならば、紫音は後者だ。死んでしまえるなら死んでしまいたいと考えている。行方不明の両親の生存を信じているから、今はまだその時ではないと思っているだけだ。

「本当に死にかけだった。守るも何も、そもそも事態を打開できる奇跡も、気力で埋められる程度の実力差でもない。死の間際にあるのは、自分が生きるか死ぬかだけだよ。その時他人がどうこうなんて言うのは傲慢で強欲だ」

「それで、どちらだった?」

「勿論、紫音は普通の女の子だからね。ちゃんと自分のことを考えていたよ。このまま死んでしまってもって悩んだのかな、何度も迷っていた」

想像に難くない。龍慶は皎夜の話を聞きながら、自分の周囲から消えていった普通の人間の感覚を思い出した。知識としては無論理解しているものの、改めてそういう人間が身内にいると思うと、不思議と感慨深い。

「でもあの子は死ななかった。戦ったんだ。生きたいという本能を押し退けて、生きるのを許されたいという願いのためにね」

「……愚かなことだ」

「ふふ、君ならそう言うと思った」

生きることを誰かに許されなければならない人生など、誰かに許されなければ生きることのできない命など、憐れみすらも覚えない。

生命の本質とはどこまでも利己的だ。

「だけどね、あの子はそれを願ったんだ。死の間際まで、生きるのを許されるために。そこからは凄かったよ。とても強かった。あれも生存本能に従って暴れてはいたようだけど、そんなものを軽く越えてしまうほど、彼女の罪悪感は強かったんだ」

責任感って言うのかな。皎夜の言葉を龍慶は否定した。そんなものは責任感ではない。願望が、自己を呑み込んだとき、そこに待つのは破滅だけだ。

許されたいというその思いは果たして、紫音自身のものだけだろうか。

「食い荒らす獣、根底の闘争本能。普段の自制心が強いからかな、それが外れたときのあの子は、止めるのに苦労したんだよ」

「それで、あの怪我か」

「他の柊に任せたんだけど、ちょっと押し負けそうだったから、少しだけ」

悪戯っぽく笑う相手に、龍慶は小さく嘆息した。蛇の目に怒られたのはつまりそういうことか。

「君の期待とは違うけれど、僕もあの子の成長が楽しみだと思っているよ」

「今のところ、此方はそれに値するものをまだ見せてもらっていないがな」

「そう?そっかあ。じゃあ僕も兄として頑張らないとね」

皎夜は一度深く礼をしてその場を去った。龍慶は手元の文書に視線を落とし、紫音、そして皎夜のことを考える。

影響しあっているのだろうか。紫音よりも皎夜の方が変化が早い。今は表面的な演技に変わりはないけれど、いつか、月日を重ねればその変化は本質に届くだろう。

ありえないものが無いからこそ、可能性に期待などしない。掴みとるものだけが、現実をつくるものだけが、何かを成し得る希望たりえるのだ。

「少しは、現実味がでてきたか」

知らず、口許に笑みが浮かぶ。

いつか追い抜いてしまえばいい。現実も、誰かの空想も追い抜いて、ありえない可能性へと導いてくれる。

そんな未来を一瞬だけ想像して、馬鹿げたそれに期待した自分に、龍慶は呆れ混じりに小さく笑った。






(不定の未来に、可能性の果てに、新たなものが見つかると確信している)

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