10.おつきさま
オンライン講義が始まってからとても忙しくて投稿できてませんでした。申し訳ないです。少し長めです。
うつらうつらと精神を現実に戻した俺がいたのは、学校の屋上だった。まだ太陽は燦々と輝いていて後頭部を照らす光が鬱陶しかった。
(授業中、なんだよな.....何やってたんだ俺)
まだ日が暮れていないのに部活動の喧騒や帰り道の雑談に花を咲かす生徒が見られなかった事から、そう判断した。
(また、思い出したのか......)
なぜかここ最新の記憶がすっぽりと抜け落ちているのだ。目を閉じて開けたら、全く違う場所にいたような、そんな感覚に襲われる。頬を撫でていく冷たい風が自らのやるせなさや不甲斐なさを煽っているかのような、そんな感じがしてやけに腹が立った。
まだ「俺」が「僕」だった頃の記憶。封じ込めた、と言うより無理矢理消してしまった思い出がふとした瞬間に蓋を開ける。吹き出した悪夢に度々飲み込まれそうになってはまた、閉じ込めるのだ。
(あれから、どうなったんだろう)
ほとんどさっきの事のような話なのに、全く思い出す余地も無さそうだ。実行委員は俺になったのか、そうじゃないのか、そもそも決まったのかすら思い出せない。乱暴に掻きむしった頭から、髪が1本落ちた。
(......俺は昔からそうだった。何にも向き合わずに逃げて逃げて逃げてきた先がこのザマだ)
消したはずの記憶がまた、戸を叩く。自責の念と一緒に笑顔でこっちを見つめている悪夢。心が弱っている時に負けそうになる。母親にも、クラスメイトにも、自分にさえ向き合わなかった代償だ。自嘲気味な笑みがこぼれる。
(結局俺は、変わったようで何一つ変わってないって事か)
闇に、包まれる。
「......暁君、ここにいたんだ」
不意に意識が戻される。数週間前までは全く聞くこともなかった声。だが今となっては聞き慣れてしまった声。優しさを感じる、透き通った声。後ろを振り向かなくても分かる。この声は......
「月見、授業中だろ?なんでこんな所に......」
「......それはこっちのセリフ」
少し不機嫌そうな顔を隠そうともしていない月見。学校では2人の時も名前で呼ぶ事は封印している。そんな月見が少し目を伏せて口にした。
「心配した......急に虚ろな目になって教室出ていって......」
「あ、あぁ。ごめん?」
こんな授業の途中に飛び出してきて、どうして俺なんかのためにそんなにしてくれるんだ......
「心配してくれるのはありがたいけど、俺なんかの事は放っておいてくれよ......」
「......」
まともに月見の顔が見られない。屋上のフェンスに腕を押し付け、顔を隠す。
「月見にも俺なんかのために......俺はそこまでされる程の価値がある人間じゃない。むしろ消えるべきなのかもしれないくらいだ」
「そんな事ない......暁君は優しくて強い人だって私が知ってる」
優しい声が、背後から優しく俺を包む。そうやってまた、赤ん坊をあやすように守られている事が酷く情けなくて、つい声を荒らげてしまう。
「強くなんてねぇ!俺は弱いんだ!何もかも全部捨てて逃げたんだよ!俺なんてただ生きてるだけの人間なんだよ!」
やめてくれ。
「親にも友達にも誰からも捨てられて忘れられて!ただ生きてるだけの俺に何の価値があるんだよ!」
やめてくれよ。
「俺は!いつまで経ってもどこへ行っても!1人なのは変わらないんだよ......」
これ以上俺を、惨めにさせないでくれ。
一滴、枯れたはずの涙が瞳から零れ落ちる。涙で霞む視界に入ってきた、濡れた床が強く印象に残る。なぜか、話したくない事まで口を突いてポロポロと零れていく。こんな恨み言を言ったって満足するのは自分だけなのに。どこまでも弱い自分を消してしまいたかった。
「......ごめんな。こんな聞きたくもない恨み言聞かせて。でもこれで分かったろ。クズなんだ俺は。だからもう、俺には関わらないで......」
「暁君」
冷たい声。月見に話を遮られるのは初めてかもしれない。
「......私今、怒ってる」
そりゃそうだ。折角人のために授業抜け出してまで様子を見に来たのに、声を荒げて怒鳴られたら誰だって腹が立つに怒るに決まってる。
「そうだろ。こんな俺の事なんて早く見限って......」
「違う」
違う?何が違うってんだ。
「話は変わるけど、私の昔の話もさせてもらう」
「は......?」
何を考えてるんだ。今何の関係があってそんな話をしようとしているんだ。どうしてここから、立ち去らないんだ。
そんな思考が頭の中をぐるぐると回り始めたが、そんな事は意に介さず彼女は話を始めた。
私の名前は月見 好春。今中一の夏を過ごしています。人と話すのがあまり得意じゃなくて、地味だねってよく言われます。ファッションにもあまり興味が無くて、クラスメイトともあまり話が合いません。
今日は土曜日なので学校も休みです。なので今は外に散歩をしに来ています。本当はあまり外には出たくないんだけど、お母さんが少しは外に出て太陽の光を浴びてきなって言うものだから、仕方なくお散歩をしているんです。
(やっぱり太陽って苦手だな......)
私は暗くて、影のような存在。だから太陽は苦手です。眩しくて輝いてて、私なんか消えてしまうんじゃないかって思います。
少し疲れてきてしまったので橋の下の河川敷で少し休みたいと思います。お母さんが持たせてくれた水筒が、今か今かと出番を待っています。
河川敷を歩くと、小さい花が沢山咲いています。頑張って大きくなろうとする姿は尊敬できます。だから散歩をする時は必ずここに来ます。この時間だけは、散歩をしている内唯一好きな時間なんです。
砂利の上に座り込んで冷たい麦茶を1口。お尻が汚れるのなんて気にしません。ふぅ。生き返ったような心地がします。
それからゆっくり10分ほど休憩してから、そろそろ帰ろうと立ち上がった時、何かが倒れたような音がしました。あれは......
「だ、大丈夫ですか......?」
「ぜぇ......ぜぇ......」
大変です!私と同い年くらいの女の子が橋の下で倒れてしまいました!影になっているので他の人は気づいてくれません!
「ど、どうしよう......」
こんな事初めてで、おろおろする事しかできていません。早くなんとかしなきゃいけないのに!そうこうしている間にどんどん顔色が悪くなっていきます。あぁ、本当に私はダメです。私がこんなんなばっかりに1人の女の子が危険になっています。今すぐに消えてしまいたいくらいです。
「お、おい!どうしたんだ!」
男の子の慌てた声。すぐに駆け寄ってきて状況を確認しています。
「あ、あの、この子、急に倒れちゃって......」
「多分、軽い熱中症だね。急いで処置しないと本当にまずいことになる。さぁ、手伝って!」
彼はすぐに女の子を橋の柱まで運び、座らせました。そして私に水分を持っているか聞き、水筒を受け取ると女の子に声を掛けて飲ませてあげています。
「救急車を呼ぶから、変わってもらっていい?」
彼は私に水筒を渡して、それからテキパキとした手際ですぐに救急車を呼び、濡らしたタオルで女の子の体温を下げようとしています。私なんて慌てて何も出来なかったのに、本当にすごい人。
少しした後、救急車のサイレンが聞こえました。彼はほっとした顔をして、降りてきた救急隊員に状況を説明しています。もし素早い処置と通報が無かったら危なかったかもしれないと聞いて、彼がいなかったらと思うとぞっとしました。20分ほどして帰ってきた彼は満足そうな顔をしていました。
「手伝ってくれて本当にありがとう!彼女が助かって良かったね!」
「わ、私なんて本当に何もしてなくて.......」
「何言ってるの?君がいなかったら僕が気づくことだって無かったんだよ?君のおかげだ!」
彼は心底不思議そうな顔でそう言いました。太陽のような人なんだなと、本気でそう思いました。本当は気づいてるんです。太陽が苦手なんて言ったけど、私が嫉妬してるだけなんだって。あんな風になりたいだなんて思ってるだけな事なんて。
「私は......ダメな子なんです。地味で何も出来なくて......」
「地味?そんなわけないじゃん。だって......」
彼は手を伸ばし、私のボサボサな髪をぱさりとめくりあげ、こう言いました。
「こんなに、かわいいのに」
急速に私の顔が熱を帯びていくのを感じます。暑すぎて、私まで熱中症にかかってしまうかも......
「変われない変われないって悩んでいる人をよく見かけるけど、変わろうとする気持ちが大事なんだと僕は思うよ。今日だって彼女のために何かしようとしてた。だから.......」
「だ、だから......?」
「自分をダメだなんて言わないで?」
生まれて初めて、こんな私を肯定してくれる人に出会いました。それに私の事かわいいって褒めてくれて......顔は熱いし涙は零れそうだしもう大変です。
「ぐす......ぐすん......」
「な、泣かないでよ!参ったなぁ......」
彼は私が泣き止むまで、隣で一緒に座ってくれていました。泣き顔を見られるのが嫌なのを察していたのか、目を合わせてはきませんでした。そんな所にも彼の優しさを感じて、胸が熱くなります。
「それじゃあそろそろ帰るね。またどこかで会えたらいいな」
「あ、あの!な、名前だけでも教えてもらえませんか?」
「名前?別にいいけど......僕の名前は、」
暁 陽斗だよ。そのお名前、心に刻みつけました。会えたらいいな、じゃなくて必ずまた会いに行きます。今度は変わった私を見せるために。だから今は、笑顔で別れを告げました。
「それから高校に入って、暁君の名前を見た時は本当に嬉しかった」
昔の「僕」は、そんな事までしてたんだな......今の俺とは全く違う別人の話を聞いているみたいだ。何より俺達初対面じゃなかったのか......
「......だから私が信じた、私を救ってくれた人が自分の事を悪く言うなんて、許せない」
「.......本当の俺はそんな聖人みたいな奴じゃなくて......有り体に言うとクズなんだよ」
そう自嘲気味に言い放つと、月見はいつの間にか俺の背後まで近づいてきていた。
「そんな事ない」
「ここ最近私が見てきた暁君は、優しくて強い雰囲気で包まれてた」
「友達にだって、幼馴染さんにだって、.......何より私にだって、愛されてる」
少しドキリとした。甘い甘いとろけそうなチョコレートのような表情を見せられ、不意に顔が赤く染まってしまう。
「あの時は私が赤くなってたけど、今回は立場が逆......だね.......?」
にこりと微笑んでくれる。俺に愛を注いでくれる。捨てないでいてくれる。そんな事が、乾いた心をいっぱいに満たしてくれる。
「私は、「月」......」
「「太陽」が輝けない時は、代わりに私が照らすから。辛い時は、いつでも一緒にいるから。だから......」
「......私のために、輝いて?」
頬を伝う涙はもはや一雫では収まらなくなっていた。思わず溢れ出すあの時の記憶。あの時とは立場が真逆になっている。
「まだ、私の顔を見てくれないの......?」
「見られたくないんだよ......」
そう言うと月見は俺の頭を両腕で包み、胸元へ持っていった。
「泣いていいから......泣く時は私のそばで、ね?」
唯一、あの時と違うセリフで締めくくられた会話。終業の鐘が鳴り響くまで、涙は止まらなかった。
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