第1話 青年 不破秋翔
長らくおまたせしました。
「ーーーっう。」
呻き声のような第一声を上げて、俺は目を覚ました。
湧き出る滝のような汗は、熱を奪うと共に元気すらも奪っているように錯覚した。
ーー怠い。
風邪をひいた時のような倦怠感と、軽度の頭痛が後になってやってくる。
悪夢を見たときはいつだってそうだ。俺はベットの上で身体を起こして項垂れた。
しかし内容が思い出せないのはなんの悪戯か、こういうものは思い出さない方がメンタル的にもいいのだろうが、こんな苦しい思いをさせた元凶がしれないのは些か腹立たしい。
びっしょりと濡れた寝衣、ボサボサになった髪の毛は触れるだけで分かる。今の俺はトンデモなく見苦しいだろう。
しかし学生の身分ゆえ、こんな状態でも学園に向かわなければいけない。
欝屈な気分だが関係ないと自分自身に鞭を打ち、起床する。
カレンダーを見る、今日は軌歴2020年4月15日。
赤と黒だらけのそれに、唯一違う金が彩色された文字。
ーーああ、そういえば今日は。
台所で手元を動かしながら、ついつい忘れていたことを思い出した。
【神授祭】
今日という日はメルグレン王国に在住する人間にとって忘れてはならない日だ。
簡潔にいえば、この祭りは我が王国の守り神を讃えるためのものだ。
この世界には6つの神聖領が存在し、そこには五柱の神様が奉られている。
メルグレン王国は第一の神聖領と呼ばれており、もちろん奉られている神様がいる。
名をロストホープ。原初の神でありこの世の法則の基盤となる【創世無我】を司りし神様だ。
神様にはさまざまな逸話や伝承が存在しており、もちろんロストホープも例外ではない。
ーーー
かつて、禍月の襲宵と呼ばれる厄災がこのメルグレンで起こったらしい。
肥大化した月は意識を持ち、地脈を生命回路に変換し、血を宿した。
真っ赤に染った月は禍々しく、禁忌にも星の共食いを始めたらしい。
非現実なものだが、逸話や伝承なんてこんなものだ。非現実であればあるほど、規模が大きければ大きいほどに神という存在の神秘性が上がる。
月は地球(或いは地球の原種)に標的を定めた。
【創世無我】は、人に自我らしい自我を宿さず管理するディストピア的な世界だったらしい、しかし人は根源的なところで死を恐怖する。感情ではなく深層意識で理解する。
神は彼らを憂いた。自分を持たない人形のような彼らでも、自分の子供のように愛していた。故に神は現界に顕現し、禍月を撃ち落とすと天上へと飛空した。
ロストホープは【創世無我】の法の下では最強だった。
しかし禍月は宇宙の星々を喰らい神の理から解脱しかけていたのだ。
故に戦いは困難を極めた。
神殺しとはすなわち支配者になる権利を得るということだ。
自我を得た月はそれを行うべく全星力を賭けてロストホープを殺しにかかった。
ロストホープは弓矢に長けていた。
数万の矢を召喚し、融合させ、1つの矢を完成させた。
名を月穿尖閃。万物を穿つ閃光の矢。
決死の想いで放ったその矢は、見事に禍月を撃ち抜き、消滅させたのだ。
これこそもっとも慕わられたロストホープの逸話、【月穿ちの偉業】である。
ーーー
食卓に並べた小洒落た朝ご飯に手を付け、俺は今日の予定を考える。
学校で潰れるはずだった時間が無くなり、自由な時間が増えたのだ、充実した時間を送りたい。
(まあ、神授祭は行かなきゃだからなぁ…。)
この国に住む人間は半強制で神授祭に参加しなければならない。しかし祭だ。あらゆる場所に屋台が並び、手持ちの良いファストフードが手軽に手に入る。
しかも、神様の御前での金銭のやり取りは穢らわしいとされているので、無料で提供される。貧乏学生には非常にありがたい。
実際神授祭には人が集まる。宣伝効果が見込める為、土地の倍率は凄まじいらしい。
(ありがたい…だけどなぁ…。)
ありがたいのは事実、しかし俺はこの祭りーーー否、この文化自体に乗り気ではない。
神様がどうとか、どうにも胡散臭く感じてしまうのだ。
先程の伝承は眠歌代わりの絵本や初等部の教科書には必ず載っていて脳に刷り込まれるように教わる。
あたかも事実かのように語られるので、本当に神様がいるのだと信じているものも多い。
何しろ王族があのような曇り無き眼で話すものだから、王族を慕う者やその近辺の人間は見たことのないものをありがたく崇拝している。
「…何が神様だよ。子供一人も救えないくせに。」
折角の朝食が台無しだ。これも今朝見た夢が原因なのだろうか。
気分を変えるべく、なんとなしに外に出てみようと思った。
ーーー
街の喧騒は時間が経つにつれ激しくなっていく。
人混みは嫌いだ。でも賑やかなのは嫌いではない。
普段は冷たく静まった一人部屋にいるものだから、どこかで心の安寧を求めているのかもしれない。
まだ朝だというのに、眠気の一切が感じられない参加者を横目に街の風景を見渡す。
非日常的な空間にはあらゆる屋台が並び、逸話を基にした唄を歌う吟遊詩人や芝居屋もいた。
カップルで歩いている者、家族連れで歩いている者、俺のように一人でぶらついている人間もいた。
やはり祭りだ。皆が皆心の底から楽しんでいるように見える。
もしかしたら、今日が神様を奉る日だという事を忘れている人すらもいるかも知れないーーー。
「…おっ、いいな。」
美味い匂いが鼻腔を抜ける。
ホットスナックの匂いや綿菓子の甘い香り、お腹が空く匂いだ。
折角無料で提供されているのだから、もらわない手は無い。
ーーーと思っていたのは俺だけではなかった。
ーーー
「並びすぎだろ。」
悪態を吐きながら裏路地を歩く。
まさかあれ程まで人は強欲だとは思わなかった。
どこもかしこも長蛇の列、目視1時間待ちの大渋滞だ。
たかがファストフードにそんな時間はかけたくないので、裏路地にある小売店で軽く何かを買うことにした。
「あんま来たくなかったんだけどなぁ…治安悪いし。」
通称が神の見ぬ道ということもあって、大通りから少し離れただけのここの犯罪遭遇率は位1つ上がるくらいだ。強盗、拉致、なんでもありの半スラム街。
ここなら人は少ないと踏んだが故に選んだが、少しばかり後悔している。
「やっぱ怖いなぁ。」
たまに異様な雰囲気の人間と目が合うと、背筋にやりきれない悪寒を感じる。
1秒でも早く抜け出したいと思った、足も意識に沿って早くなり、歩幅も大きくなる。
少しして、足を止めた。
「…最悪だ。」
行く道に、なかなか大きな障害が立ちふさがった。
「おいおい、なぁ君、いいだろちょっとさ?向こうで話すだけだから?」
「…」
「黙り込むなよ…元はと言えばあんたがなぁ…」
白い外套を身にまとった子供が巨漢に道を阻まれていた。
距離も遠く、所々聞き取れなかった、なんらかのトラブルに巻き込まれているのは確かだ。
(可哀想に、俺が行っても助けられないよなぁ。)
路地裏で幅を利かせている人間だ。喧嘩なれもしているだろうし体格的にも埋められない差がある。
ここで正義感を発動しても、結局ボロ雑巾にされて終わりだろう。
もしかすると、殺される可能性だってある。
(そもそも誰かを救うなんて、俺にはできないって知ってるだろ。)
ーーークソったれな記憶がフラッシュバックした。
何もかもがうまくいくと思っていた、幼少期の白昼夢。
親友を守るために行動した結果が仇となって、結局彼は遠くの方へ去って行ってしまった。
ーーー
「秋翔は本当に良いやつだよ。君は悪く無いし、誰かのために行動できる秋翔は強い。でもね、僕が弱かったんだ。たったそれだけなんだ。」
ーーー
悲しげに笑う親友、レオのことは今でも忘れられない。
周りを説得できなかった、理不尽な暴力に抗えなかった。俺は強くなんかなくて、ただの厄介だったんだ。
本当に、嫌気が差す。
「なぁ…何か言ったらどうなんだ?君しかいないんだよ、ここにあったもん、出して?」
苛立った男の声が聞こえた。
元々短気ではないのだろう、そんな人間が苛立ったときの声だった。
子供は微動だにせず、置物のようにそこにいるだけだった。
(万引きか?…じゃあ自業自得だな…。)
降って湧いたような都合の良い言い訳に、俺は身を委ねようとした。
「ーーー。」
子供が、何か口にした。
それはきっと、巨漢の理性を爆発させるには十分すぎる言葉だったのだろう。
顔色が、茶から赤に変わる。
「ーーーさっきから我慢してやったらその言い草かァああ!!!
怒号とともに拳が飛ぶ。
軌道はもちろん子供で、臆したのか避ける事すらできていなかった。
当たれば大怪我は間逃れないだろう。華奢な身体が崩れ落ちる様はあまり見たくない。
「ーーーーーーーーっ!!」
気づけば走り出していた、間に合う可能性はないがそれでも走る。
興奮してアドレナリンが分泌されていたのだろうか。過去最高のスピードで目的地へと駆けれた。
庇うように少女を守るーーーー。
鈍い音とともに、肩辺りに砕かれたような激痛が走る。
「ッッあア!!!」
うめき声のような叫びをあげた。
背中が灼けたと錯覚したが、歯を食いしばりながら、少子供を抱えて猛ダッシュした。
子供はまるで絹織物のように軽く、抱えて走るには容易だった。
後ろからは巨漢の「待てっ!」という声が聞こえたが、無心で走った。
気付けば、大通りから遠く離れた場所に来てしまった。
冷静になって、ようやく自分が何をしたか察し、血の気が引いた。
(もしこの子が万引きをして捕まっていたなら…これは犯罪幇助で、捕まる…?)
自分が犯した罪を認識した途端、後悔の念が襲いかかる。
吐きそうになるほどに過去に戻りたいと思った。
結局俺は誰かを助ける才能なんてないのだから、冷酷に見捨てていれば良かったのだ。
ましてや見知らぬ子供だ、今後の人生で関わりなんてあるものか、ひとときの偽善で、俺は一生を捨ててしまったのかもしれない。
残された痛みと焦燥に、身体が蝕まれそうだ。
子供を見た。無表情の中に驚いたような感情が垣間見える。
困惑しているのか、してやったりという顔には見えないから、もしかしたらーーー。
「安心して、私は何も奪っちゃいない。あの男の勘違い。」
可憐な少女の声だった。同時に、温度の感じられない冷たい声だとも思った。
その言葉は嘘でも良かった。その言葉が今の俺を救った。
鼓動はいまだにバクバクとなっているが、引いた血が体を循環しだすと思えば心地が良い。
落ち着いたところで、疑問を投げかける。
「何であんなところにいたんだ。危ないだろう。」
自分も言えた口ではないのだが、少なくとも少女がいて良いところではない。
白外套に汚れはなく、肌も透き通るように綺麗で、シルクの布のようだった。
見るからに育ちの良い少女だ。だからこそ疑問なのだ。
「あなたと同じで、暇潰し。」
出任せの言い訳というのは理解できたのだが、何か悩みを抱えているようには見えなかった。
言いたくないなら、それで良い。
「そうか、大通りまでは案内するからそこからは自由にしてくれ。」
少し冷たかっただろうか。しかし心に余裕がなかった。
少女は気にしていないように見えた。
「いいえ、ここで大丈夫。助けてくれてありがとう。それとーーー。」
布を軽く摘み、お辞儀をする少女。
俺の横を通り過ぎた少女は、去り際に口を開いた。
何か、大きな何かが変わる気がした。
「これはお礼の気持ち、祭典には行かないで。」
「え…何を…?」
振り向き反応したものの、少女は跡形もなく消えていた。
ただ一人、俺はこの場に取り残された。
ーーー
結局一人で大通りまでの道を歩く。
目的は何も成せぬまま、再び人の喧騒に混ざろうとしているのだ。
得たものといえば、肩の激痛と少女の意味深な発言だけだった。
(祭典には行くな…?といっても行くのはほぼ義務だからなぁ…)
祭典とは、ロストホープを賛歌し、一年の安寧と平和を祈願するものだ。
具体的にいえば、第一国王が神を憑依させ、祝言する。そして未来を見据えて有り難い言葉を吐いてそれを国民や信者が有り難がるというものだ。
別名【臨神祭】、国王に神が宿るという意味で、このときの行為は【宿神の儀】と言われる。
神授祭とは、それらを通したものであり、いわば今は余興だ。
「ーーーなんか嫌な予感がするなぁ。」
当たり前だ、あんな不穏なことを言われてしまえば不安になるのは仕方がない。
思い返せば厄介な少女だった。可愛いが可愛げがない、無感情で無機質で、陶器のような少女。
名前を聞き忘れていたが、多分聞いたって意味がないし。教えてくれすらしなかっただろう。
あの時の、歯車が狂い出した感覚が、ムズムズと残る。
時計塔の鐘が鳴り響く。あと一時間で祭典が始まる。
「見るなら前で見たほうがいいよな。王族を拝める機会はなかなかないし。」
城が開門するのは今からだ。少し急げば真ん中くらいでは見物できるだろう。
王族はやはり美男美女揃いで、見ていて気持ちが良いものだ。
特に第3王女は美しく、桃源の花園に咲く一輪の白百合のようだ。
確か今回の神授祭の後に、第五神聖領の王子と結婚するんだっけ?
非常にどこかもの苦しい気がするが、仕方ない、どうせ手に届かない高嶺の花だ。
しかし随分と遠いところまで来てしまった様だ。
一人寂しく歩くのは慣れているし、今までそうしてきたのだが、ここを一人というのはいささか不安要素が勝る。
頼むから、何も起こらないでくれーーー。
「危ないッ!!!!」
運命とは順当に歯車を回転させ、その道へと収束させる。
「っ…イタタ…っあ!ごめんなさい、お怪我はありませんか??」
「すまない!今はどうにか言葉の詫びで済ませてくれ!緊急なん…だ…。」
悲痛の過去と、有り得たかもしれない未来が点となり、その世界の形となって結び付いた。
「ーーーーー、レ…オ?」
「ーーーーー、秋翔…?」
この日、神話の種がこの世界に植え付けられた。
あるいは救世の、あるいは破壊の物語。
感想お待ちしてます。