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仕事を始めるにしても用意がいる。何事にもだ。ゴブリンを集めるために血汁と臓腑を運んだように。
そこで向かったのは村長宅だ。この村の村長の家はそこそこ大きい造りをしている。それは以前訪れた村よりも生産力が高いお陰だろう。家畜を育てる余裕もあるようだし、税も多くなるだろうがそれでも村に残る利益は比較的大きいだろう。
扉にあるノッカーを叩き、来訪を知らせる。丸盾を模したノッカーだが、手入れを怠ったのかただ単に古いのか真鍮の仕上げは黒ずんでいた。
「はいはい、どちら様で」
「話がある。中にいれていただきたい」
恐らく村長本人であろう老人が出てくるとすかさず扉に手を掛けて身を詰める。フードと覆面をしたままの人間に唐突にそのようにされれば恐怖を感じるのは仕方のないことだが、今回はその恐怖感を利用させていただくことにした。
ちなみに強盗に間違われることはあまりない。この世界の強盗は前世界の強盗よりもアクティブなので、扉を開けた瞬間に殺して押し入っている。
「彼らに仕事を依頼された」
「それは……ええと、彼らとは、それにどういった依頼です?」
「仕事の話を玄関先でさせるとは、流石は片田舎の長殿だな。その不作法には恐れ入る」
包み隠すことのない皮肉は相手を苛立たせるものだが、立場がはっきりしている場合には別の意味を持たせることも出来る。この場合は上下関係をはっきりさせるための威圧だ。
一瞬とはいえ恐怖は関係性を持つ相手に対して大なり小なりアドバンテージをもたらす。今回は軽い脅しで生まれた小さなアドバンテージを明け透けな上からの皮肉で確たるものにしようという魂胆だ。
実際のところ零細傭兵と小さいとはいえ村の長ではどちらが上か等はわかりきったものだが、武力というJOKERはちらつかせてこそ力を持つ。
「ぐ……では、中へ」
中へと通されれば席を進められる前に座り、目で相手へと座るように促す。これではどちらが家の主かわからないが、実際にこんな態度を取る奴がいたから真似をしている。
かなり手広くやっていたやくざものだったが、今では塀の中だ。諸行無常もなんとやらと言ってやれればよかったが、なにやら塀の中からでも色々とやっているらしい。
「さて? 仕事の話だが、もちろん村からのものではなく、別口だ」
「それでは、私には……ええと、どういった用で」
薄らとかいた汗、定まらない視線。どうやら思惑はうまくいっているらしい。
町での交渉ごとには表情と仕草の観察は必須事項。仄暗い人間と商人らはそれらで容易く手札を暴いてくるから考えものだ。しかし、それらを相手取っていれば田舎者など餌も同然。
「この村には異邦の者らが来ていたな。彼らからだ」
「……っ」
微かに動いた肩、僅かに見開かれた目。
それらは彼らに対して後ろ暗い何かがある証拠、というよりは負い目があるという反応か。あるいはそんな人間が、明らかに裏の匂いをさせている俺に何事かの仕事を依頼したということに対する怯えか?
「様子を見たんだが、ひどく寒そうにしていたな、彼らは。火を起こす余裕もなく、加えて煮炊きした痕跡もない。遠く流れ着いた村がこうではひどく心細かったろうに」
「それはっ」
一つ一つ彼らの現状を挙げていけば、言葉が途切れたところで村長は声を上げた。が、それを手で制す。
「分かっている。理解はあるつもりだよ」
村などの閉鎖された環境にいる者らに善悪それぞれがいても、際立って悪である人間などそうはいないことを。
「彼らの見た目から共和国の人間でないという確証が得られなかったんだろう? だから万一敵だった時に与したとして罰せられる事を恐れた」
だから、罪悪感を使おう。追い詰められたところで、同情心からの罪悪感を解消させるうまい話が浮上してくれば大体の人間は食いつくものだ。
「安心してくれ、彼らは共和国の者ではない。それに俺が彼等を祖国へ送り届けよう。ただ、その話なんだが、少し取り引きがしたくてね――」
「食料は交渉により手に入れました。芋を一袋、干し肉を一塊、玉ねぎと木の実もそれなりに。後は少ないですがチーズを少々。後は大帝国の方なら強いだろうと酒も皮袋二つ分貰えました。これだけあればすぐにでも出発出来ます」
「それは、また……たくさんの食材を」
大量の麻や布の袋を担いで小屋の中に入り戦果報告をすればアルトと名乗った男は目を白黒させた。俺を警戒している様子の娘さんもこの量の食料には驚いたようで、フードの下から覗き混んでいた。
「彼らとてなにも悪意があって冷遇していた訳ではなかったということです。何かあれば後ろ楯の心許ない村などではこういった話もままあることだと聞きます」
「それは、やはり、時期が悪かったと」
そこで自身の見た目と、この神聖ハリアが陥っている現状を認めたのかハッとした顔をした。
彼は若い頃に行商を行っていたというが、大帝国の主要な輸出品目と言えば魔道具があげられる。そうなれば大帝国出身者を表すその金髪と碧の目も箔付けの利点になっても大きなマイナスになるようなことはなかっただろう。それに神聖ハリアと共和国の関係悪化もここ数年の話で、まさかここまで危惧されるほどに火種が大きくなっているとは思うまい。
「さて、食料は揃いました。馬車も用意があります。問題がなければすぐにでも出発しようと思います」
そう言われ、アルトは娘さんに目を向けてから了承のために肯首した。
「問題ありません。すぐにでも出発出来ます」
「そうですか、では、この村から近い衛星都市に一度向かい、そこで準備してから首都を目指しましょう」
首都へは馬を駆ければ一日か、かかっても二日でたどり着く事が出来るが、馬を手に入れるのも考えなしに走らせて潰した場合でも金がかかるものだ。では、馬車でとなるとこちらはとたんに一週間にもわたる長旅になってしまう。そうなってしまえば豊富な食料とて少なくなる。
そこは経験で心得ているのかアルトはすぐに了承した。しかし、僅かに顔色が晴れないのは補給に入る町では色々と入り用なのがわかっているからだろう。
「これでもそこそこに稼いでいる傭兵です。町に入れば櫛や油を買ってさしあげましょう。もちろんサービスですよ」
冗談めかして慇懃に言えば、娘さんは少し反応してから大笑いしているアルトに不思議そうに目を向けていた。
どうやら娘さんにはわからなかったらしい。
身の丈に合わない女を引っかけると櫛と油とで破産する。裕福でないと髪を伸ばすのもままならないこの世界では、髪の手入れに使うような櫛も油も嗜好品であり、この言葉は広く男どもに知られる慣用句であった。