第七話 ティアナはエリオットにお礼がしたい
ある日、ティアナはニコラを部屋に招いてお茶を楽しんでいた。
街で買った美味しい紅茶とティアナが焼いた焼き菓子を並べ、二人はテーブルで話に花を咲かす。
その中で、先日のエリオットとのやりとりをニコラに話した。
「…………」
「どうしたのニコラ。そんなふうにだらしなく口を開いていると、間抜けに見えるわけよ」
「っ……失礼ね!」
カップに口をつけながら、ニコラはティアナを眺めた。
(今の話はどう解釈すればいいのよ。惚気? 惚気話なの?)
「私、初めて生きていて良いのだと思ったわ」
ティアナの真意を図りかねていたニコラはほぅとため息を吐く。
「……まだその段階なのね」
「え?」
「なんでもないわ。それより! 私を差し置いて奇跡の魔女になったっていうのに、遊び呆けてて良いわけ? 守ってもらっただの認めてもらえただのって、そこら辺の小娘みたいに浮かれててどうするのよ」
「ふふっ。ありがとう、ニコラ」
「いや、なんでそんなにこやかにお礼言うのよ」
「だって、ニコラは心配してくれてるんでしょ。奇跡の魔女に相応しくない行動をして私の立場が悪くならないように、って」
ニコラ語を解釈されて押し黙る。図星だった。
「それでね。エリオット様に何かお礼をしようと思っているのだけれど、なかなかいい案が浮かばないの」
「……あんたの今日のお茶会の目的はそれだったのね」
ニコラもティアナの思考を見抜いてみせた。
「ニコラならセンスが良いもの。だから、ニコラの意見を聞きたいの」
今日お茶会を開いたのは、ニコラからお礼についてのアドバイスをもらうためだ。
「そうね……」
ニコラの視線がテーブルの上を滑る。
「あら、これで良いじゃない」
ニコラは皿から焼き菓子をつまみあげた。
「焼き菓子……?」
「そうよ。まぁ……ティアナが作るお菓子は、高級品を食べ慣れた私には及第点ぎりぎりってところだけど、食べられなくはないもの」
ニコラ語としては最上級の褒め言葉だ。
「けど相手は王子様よ。おかしなものは口にできないのではなくて?」
「じゃあ王城の調理場を借りて、材料もそこにあるものを使わせてもらえばいいわ」
「そんなご迷惑をお掛けすることなんて……」
「迷惑かどうかは相手に直接聞いて確かめてみればいいんじゃない?」
ニコラはつまんでいた菓子を口に放り込んだ。
ティアナはうーん、と考える。
「……エリオット様に聞いてみるわ」
奇跡の魔女はその立場上、王城に顔を出すことがある。その時にエリオットと接触することができた。
「……お礼、ですか……?」
かろうじてエリオットは聞き返すことができた。あまりに声が掠れていたせいで、ティアナはまぁお風邪かしら、などと思う。
「お、お礼なんてそんな……大したことはしていませんから……っ」
ティアナから話しかけてくれたことや今目の前にティアナがいること。喜びと緊張がエリオットの脳内でせわしなく渦巻く。
ティアナ以外の人間が見ればエリオットは明らかに挙動不審だったが、ティアナはその様子を気に留めなかった。
「……」
エリオットは大したことないと言ったが、ティアナにとっては自分個人を認めてもらえたことは大したことある話だ。けれど、と考え直す。
(エリオット様にとっては本当に些細な出来事だったのかもしれない。私が一人で勝手にありがたがっただけ。自己満足のためにエリオット様を巻き込むのはいけないわ)
ティアナは後ろ向きな思考を存分に発揮していた。
「……!」
ティアナの様子から何を考えているのか察して、エリオットは慌てる。
(もしかして遠慮したのは間違いだったのか!? しかしお礼がしたいと言われて「はい、ありがとうございます」とは言えまい!「図々しい人ね」などとティアナ嬢が思うわけはないが万が一思われたら辛すぎる! もう一度! もう一度誘ってくれ! その時は全力ではいと言おう!)
もう一度誘ってくれ、とエリオットが念じている横で、ティアナはエリオットにとって迷惑でないかを確認しようと考えた。
「あの……ご迷惑でしょうか?」
「はい!」
「……そうですか」
「違います! 間違えました!」
全力で頷いてしまったエリオットは慌ててそうじゃないんだ、とティアナに弁解する。
そんな二人の様子をメイナードとキースは柱の影からこっそりと見ていた。
「何やってんのかねー、あれ」
「なぜ約束一つ簡単に取り付けられないのだ?」
人好きでコミュニケーション能力に長けるキースならば、あるいは素直に自分の気持ちを開示できるメイナードならば、最初の一言で頷いて具体的な話に発展していただろう。
失言によって取り繕う暇なく本音を言わなくてはならなくなったエリオットは、若干支離滅裂になりながらもティアナのお礼喜んで受けると伝えている。何も考えなければその様子は微笑ましい。
「……」
メイナードは複雑な面持ちで経緯を見守る。
嬉しそうなエリオットを見ているとこれから先に起こることが思い起こされて胸が痛んだ。
「メイナード兄さん……どうにかならないのですか?」
今まで頑なに女性を拒んでいたエリオットの恋に浮かれる姿は微笑ましい。キースにとって可愛い弟であるエリオットには、是非ともその恋を叶えてもらいたいのだが。
「エリオットが王子であることを辞めるか、ティアナ嬢が奇跡の魔女であることを辞めれば叶うだろう」
「それ叶わないって言ってるのと同じじゃない」
エリオットが王子でなくなる事情としては、謀反を起こして処分を受けるなどがあり得るが、その場合命も喪うことになる。王子の地位とエリオットの命は切り離せない。
奇跡の魔女は次の世代の奇跡の魔女に役目を引き渡し引退することもある。だがそれは何十年も先の話だ。それまでエリオットが独身を貫くのは現実的ではない。
「幸いティアナ嬢はエリオットの気持ちに気付いていないようだ」
「それはエリオットに諦めさせるということですか?」
メイナードは「ああ」と短く答えて踵を返す。
残されたキースは稀な笑顔でティアナと話すエリオットを見て、とてもやるせなかった。