【番外編】後藤 謙次の往古
ーーアンタなんて産まなきゃ良かった!
ーーお前は人間のクズだ。
ーー生きている価値もない奴。
ーーさっさと死ねば?
怒号。
罵声。
嘲笑。
暴力。
いつもそればかり。
始めは泣いたり、傷ついたりもしたが、今ではすっかり慣れてしまった。
俺の親は、俺のことが何よりも嫌いだった。
だったら産むなよって話だよな。俺だって、何度そう思ったことか。
「おい、金」
俺の目の前で、父さんが母さんに手を差し出す。
ギャンブル依存症の父さんは、いつも母さんと俺に暴力を振るっていた。
さっさと別れれば良いものの、酒とホストに溺れる母さんは、風俗で働き、自分の私欲をその金で満たしていた。
母さんは殴られるのが怖いのか、いつも父さんに金を渡す。
俺は学校にもマトモに行かせてもらえない。
ただ、家の中で一人、傷だらけの体のままで、蹲っているだけだった。
「出来損ない」
「ろくでなし」
「クズ」
これは母さんの口癖だ。
家に帰ってきて俺の姿を見ると、いつもそんなことを言う。
食事も用意せず、掃除もせず、母さんはただ、カッターで手首を切ったり、俺に暴言を吐いたりしていた。
こんな環境にずっと身を置いた所で、俺はいずれ死ぬ。
俺は隙をついて児童相談所に連絡を入れ、家を出た。
孤児院に入ったのだ。
**
孤児院では、俺みたいな奴は珍しくなかった。
両親から虐待を受けていた奴、家族に家を追い出された奴、事故なんかで身寄りを亡くした奴ーー
お互いが同じような境遇。
まるで傷の舐め合いだ。
孤児院での生活は、俺にとって家にいた時よりかはずっとマシだったが、それでも俺は嫌だった。
孤児院に入って三年半。
俺はついに痺れを切らし、脱走した。
**
俺は孤児院の中でも、特に非行な子供だった。
血筋のせいか、それとも本能という奴か、それとも俺の性格なのか。
まぁ、俗に言う”不良”ってモンだった。
孤児院を出て行く宛もなかったので、とりあえず近くの不良グループに喧嘩を売った。
元々腕っ節には自信があったし、もし負けたとしても、野垂れ死ぬよりかはマシだ。
もし勝てたら、居場所も出来るかもしれない。
「あ゛? 何だテメェ」
「......」
殴りかかってくる不良を蹴散らし続けた俺は、いつしかここら一帯を牛耳るようになっていった。
周辺が何処かのヤクザのシマだって事は聞いていたが、別に荒らしているわけでもない。ただ不良達を集めて、その中のグループのリーダーになっただけ。
それだけが、グループだけだ、俺の居場所だった。
親に”いらない子”と言われた俺が、不良共に”総長”と崇められ、必要とされるーーそれだけで俺は満足だった。
俺のグループの不良達は、皆、親に関心を向けられない連中だった。
要は、俺と一緒だ。
皆居場所がない。
俺は連中の親代わりになったし、連中も俺の家族も同然の存在となった。
俺は思ったよりも人望があるらしく、連中の助けで、廃ビルの中での生活も充実していた。
毎日連中と盛り上がったり、他の不良集団を潰しに行ったり。
楽しい日々だった。
ーーあの男が、現れるまでは。
***
「ほう......此処が例の不良グループの拠点か」
ある日ーーいつかはよく覚えていないが、少々暑い夏の日だったような気がする。
いつも通り連中と廃ビルに集まり、冷たいアイスやらジュースやらを摘みながら小さな宴会をしていた。我ながら、不良らしからぬメニューだったとは思う。知育菓子まであったからな......。
「お前が、このグループのリーダーの後藤って奴か?」
そんな緩い集団の集う場所に、燕尾服を着た老人がやってきた。
人の良さそうな空気を一切感じさせない冷たい瞳。立派に蓄えられた白い髭。そして、周囲の黒服達の人数からして、ただの金持ちというわけではなさそうだ。
いや、ただの金持ちだとしても、こんな場所に来る理由はない。
「そうだが。オッサンは?」
「オッサン言うな。オッサン。......さて、今日は、お前に用があって此処に来た」
「まず先に、オッサンの名前を聞くせてくんねーかな? 俺、一方的に知られるのは嫌なんだよね」
「そうだな。確かに不躾だった。私の名は、黒川 総悟」
「く、黒川 総悟だって?!」
老紳士の言葉を聞くと、俺の周りにいた連中が息を飲んで身構えた。
俺には聞き覚えのない名だったが、どうやら連中はそういうわけでもないようだ。
残念ながら、俺は情勢やら何やらには疎い。
けれど相手がどんな奴であれ、突然危害を加えてくるような事はないだろう。
「おいお前等、止めろ」
「し、しかし総長.......!」
「この人は『黒川組』の現組長ですよ?!」
「黒川組」......?
嗚呼、確か、日本で一番の財力と権力を持つヤクザグループ。
だが、その組長が一体俺等に何の用だ?」
「そんなに恐がらないでくれたまえよ。別に私は、お前達を壊滅せんとやってきたわけじゃないからな。......まぁそれは、お前の判断によって変わってくるがな?」
お前ーー俺の事か?
「一体何が言いたい」
「ヘッドハンティングだ、後藤君。私は、優秀な若者がいると聞いてな。君を、『黒川組』にスカウトしにきた」
「スカウト.......?!」
芸能界じゃあるまいし......ヤクザの世界でも、そんな事はあるものなのか?
優秀な若者ーー俺が?
いや、まさか。
俺はただ居場所が欲しくて。
本能の赴くままに。
暴れて。
暴れて。
暴れて。
気がついたら連中がいて。
俺は別に......ヤクザなんかになりたかったわけじゃない。
「断っても良いが、そしたらこの場所は、一夜にして幽霊が出ると噂される事になるだろうな」
「......クソが」
「好きなだけ暴言を吐いてくれて構わんよ。私はこれでも、器は広い方でね」
「じゃあ何だ、組長さんよ。アンタは俺が組に行きゃあ、こいつ等には手ェ出さねーんだろうな?」
「当たり前だ」
ーー私は、約束は守るタチでね。
ハァ......そんな事を言われたら、答えは一つしかないだろ。
「悪いな、お前等。俺、『黒川組』に行くわ」
俺の言葉に、組長さんは口角を釣り上げる。
思い通りにいった、というよりかは、当たり前だ、とでも言いたげな表情だ。
「なっ、そんな?!」
「俺等は総長がいたから此処にいるのに!」
だが、連中はそんな声をかけて俺を引きとめようとする。
バカ言うな。
俺はそんな大層な事はしてねーよ。
すると、組長さんはそれを見て、さらに笑みを深くした。不気味だ。
「慕われているのか。これは、組でも上手くやっていけそうだ」
「それはどうも」
「まぁ......上手くやれると良いが」
*
そういて俺は、組長さんに巨大な屋敷に連れてこられた。
孤児同然だった俺が、廃墟に住み着いていた俺が、今までじゃ絶対に足を踏み入れられなかった場所だ。
王族が住んでいそうなほど豪華で、俺よりもガタイの良い連中や黒服もいる。まぁ、ヤクザの家だな。
俺は組長さんに、屋敷の奥に連れてこられた。
「此処だ」
そこには、一人の青年がいた。
細身だが体幹の良さそうな青年。目付きは悪いが、容姿は非常に良い。今まで俺が見てきた奴の中で、一番整った顔をしていた。
「今日から真人の直属の部下兼側近の、後藤 謙次だ。まぁ、仲良くしてやれ」
訝しげな表情を浮かべる青年。
どうやら、組長さんのお孫さんらしい。
名は真人。ヤクザの組長の孫にしちゃあ、随分と優しげな名前だよな。
組長さんの息子さんは、どうやら組を継ぎたくなかったらしく、時期組長は孫である真人らしい。
つまりーー
「組長か」
俺はバカなんで、真人の方も”組長”と呼ぶ事にした。
*
「後藤、お前......意外と頭は良いんだな」
十九歳になった頃。
その頃の俺と組長は(まだ正確には組長にはなっていないけれど)、非常に仲が良かった。とは言っても、そこらにいる友達みたいな、気の置けない仲間、というわけでもない。
俺は一応、敬語は欠かさないし、いくら仲が良くても上司とその部下だ。不節制は許されない。
特に、総悟の旦那がそういうのにうるさくってな。
組長も気にしてないのに。
「頭は良いですよ。んま、組長には及びみませんがね」
「そうだな。まさか、お前が医大に一浪もせずに合格するとは思わなかった」
「俺もです」
高校を卒業し、進路を決めるーー
俺は高校を卒業したら、もう現場に出ようと思っていたが、総悟の旦那が
『大学を出て資格を一個でも取っておけ』
と言ってくださったので、俺は組長と一緖に大学に通える事になった。
とは言っても、同じ大学ではない。
組長は日本で一番頭の良い「東進大学」に入学。俺はそこらの医大だ。一応、医師免許を取っておこうと思ってな。
「組長が怪我したら、俺が手術するんで」
「案ずるな。基本、俺は怪我はしない」
「じゃあ、組長が怪我させた相手を手術します」
「敵だろ、それ」
そんな軽口を叩けるくらいの仲にはなっていた。
相変わらず、上司と部下の関係はあるが。
*
「ーーは? 総悟の旦那が死んだ?」
二十歳くらいのある日、俺はヤクザの一人からそんな事を聞いた。
総悟の旦那は元々癌で、そう長くはないと言われていた。だが彼はいつも悪巧みをしているような笑顔を浮かべ、平気そうな面で俺に「大学での生活はどうだ」なんて話しかけてくれた。
そんな旦那がーー死んだ?
何故?
何故、旦那が死ぬ必要がある?
俺に初めて自分から居場所を与えてくれた。
俺に初めて、家族のような温もりをくれた。
俺に初めて、関心を持ってくれた。
旦那は俺の人生を、変えてくれた。
「何で......何で旦那が......」
えもいわれぬ喪失感。
そして、絶望。
両親に虐待を受けていた時以上に、心にポッカリと穴が空いたような気がした。
世間一般では悪党でもーー俺にとっては、本当の親も同然だったのに。
「嗚呼......やっぱ、俺は弱い」
両親にいらない子と呼ばれても、蔑まれても、俺は涙は流さなかった。
それが当たり前だったし、仕方のない事だと思っていたから。
家を出てから、涙なんて一度足りとも流した事はなかった。流せなかった。流れなかった。
なのに、何でーー
こんなに涙が止まらねーんだよ。
何で、心に穴が空いたみたいな気分になるんだ。
何で、悲しくなるんだ。
何で、こんなにも辛いんだ。
総悟の旦那は、冷酷な人だった。
けれど、それと同じくらいーーあの人は温かい人だった。
「あぁっ......旦那......」
俺が一人、部屋で泣いていると、背後に気配を感じた。
俺の部屋に無断で入ってくるのは、一人しかいない。
ーー組長だ。
からかわれるか、暴言を吐かれるか、鼻で笑われるかするかと思ったが、その気配は俺に何の接触もせず。すぐに部屋を出て行った。
......こんな時だけ、優しくしないで欲しいな。
*
組長は晴れて組長に就任し、俺は彼の右腕となった。
とは云っても、同じ仕事場で組長の補佐をしたりするわけじゃあない。
現場で部下達の管理をしたり、取引の約束を取り付けたり。
一応No.2ではあるが、それほど忙しくもなかった。
そして、総悟の旦那が亡くなってから数年ーー
「宜しくな、サリンちゃん」
「はい、宜しく.......お願いします」
サリンちゃんがやってきた。
やってきた、というのは少々違うな。正しく言えば、”身売りしてきた”、だ。
借金のカタに自分をヤクザの組長に売る。
簡単なようで、至極恐ろしい行為だ。加えて、ウチの組長ときたら......総悟の旦那に匹敵、いや、それ以上の人でなしだぞ。
「ああー、サリン可愛い。可愛い」
人でなし......なのか?
サリンちゃんが来てから、組長が随分と丸くなった。
組長のデレデレな表情を一日に一回は必ず見るし、常に写真を携帯している。
というか、俺、組長が年頃の女の子を抱き枕にするような変態だとは思わなかったわ。正直。
いやーね、確かに可愛いよサリンちゃん。
組長が悶えるのも解るんだ。
けどさ、限度ってものがあると思うんだよ。
でも......ありゃ、家族愛なんてチャチなもんじゃねーな。
完全に”異性愛”だわ。
確実に、女として惚れちまってるよ。どうやって自分を抑えてるんだか分かったもんじゃないな。
この間、組長に、何でサリンちゃんを引き取ったのか聞いてみた。
流石に一目惚れはないだろう、と思ったからだ。
「で、何でですか?」
「まぁ、一目惚れと言っても良いかもしれんがな。......俺が、人の本性を見抜く能力がある事は知ってるな?」
「そうですね。その厨二臭い感じの能力なら、知ってますよ」
「黙れ」
だって厨二臭いんだもん。
何だよ、”人の本性を見抜く能力”って。心眼かよ。テレパシーかよ。エスパーかよ。
銃を俺に突きつけながらも、組長は言葉を続けた。
「あの子は異常だ。異常なほどに、自己犠牲愛が強い」
「確かにそうだ。自分を犠牲にしてまで他者を助けようとする子ですよね」
「あぁ。俺は、それに惹かれた。自分にはないものだったし、それに......いや、これはどうせも良いな」
それに、って何ですか。俺聞きたいんですけど。
と言ったが、組長は答えてはくれなかった。
「まぁ、良いんじゃないですか。歪んだ者同士、仲良くやっていけますよ。現に今だってそうじゃないですか」
「そうだな。あの子には、俺以外は必要ない。俺だけで十分だ」
「ほらーー組長も歪んでる」
だが、サリンちゃんと組長を見て、何故だかこのままずっと見ていたいと思う俺もーーきっと歪んでる。