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我が大いなる大蛇のイドへ:Egophilia  作者: Exception
第一章 オア
3/4

「オア」

『アメリカ同時多発テロ事件』

史上最大のテロと呼ばれるこの事件は、早朝9時前のアメリカ市民を大混乱と恐怖に陥れた。

ワールドトレードセンターにハイジャックされた旅客機が突っ込んで倒壊させたその事件は、最初は情報が錯綜し、当初は"事故"として誤報された。

イスラム系の絡んだテロである事から、アメリカは報復としてアフガニスタン紛争やイラク戦争を起こした。

今日広がる"対テロ戦争"はこの事件によって始まったといっても過言ではない。

 2001年9月10日、世界各地の歴史上においての"違和感"という物を調査すればするほど、不可解な点が浮かぶ。

モンテスパン夫人の事件においても、ヴェルダンの戦いにおいても、どうやら"オア"という謎の少女が絡んでいる事に私は気づいた。

それは町の人々の日記や兵士の手記などに記されている謎の少女についてだ。

例えば、ギブール神父の教会の近くにある大衆食堂の主人の日記では『やせ細った男を連れてオアという少女が入店してきた』とある。恐らく、ものめずらしさからなんとなく日記に記したのだろう。

他にも他でもないギブール神父の日記に同じような少女が夢に出てきたと日記に記されている他、ある男は興味深い言葉を裁判で残している。

それは、「私は神ではない物」という台詞だ。

どこで聞いたかは忘れたらしいのだが、実はこの言葉に似た言葉はヴェルダンの兵士の手記にも残されている。

「神ではないと言う者が私の危機を救ってくれたのだ」と。

少なくとも共通している事がある。"神ではない"という自称をオアは好んで使うらしい。

他にもオアはケネディ暗殺事件や切り裂きジャック事件においてもその存在の痕跡を確認できる。

様々な歴史の要所要所において、オアという少女はその存在を匂わせているのだ。


 また、オアという名前のスペルについては確かな情報はどこにもない。

普通に考えると、英語の"or"だろうか? もしくは、そのまま人名の"Orr"かもしれないし、紋章学における"Or"かもしれない。

もしくは、我々が知る言語ではないのかもしれない。少なくとも、私にわかるのは彼女の名前の発音のみだ。

容姿については食堂の日記や兵士の手記が参考になるだろう。

雪国の娘を思わせる色白の肌に、銀の瞳と髪。それから服装は基本、こげ茶色の外套を身にまとっている。

背は低い、声については記述はないが、記述がないという事は恐らく普通の少女とあまり変わらない声なのだろう。

なんらかの民族性を感じさせるのは、どうやらここでは髪の色と白い肌という要素だけだろうか。


 そもそも、これだけ歴史の要所に出没しているのに今まで"忘れ去られていた"のは一体どういった訳なのか。

普通に考えると、戦場に現れ兵士を救ったり、王国を巻き込んだ一大事件に一枚噛んでいたりと話題になっていても全くおかしくはない。

しかし、オアは決して歴史の表舞台にありながら、その名前をほぼ全く知られていない。

それどころか、私も長い教授生活の中で始めてこの少女の存在に気づいた、という程、彼女は重大な役割を匂わせておきながら、"忘れ去られている"。

決して見逃せない何かが"オア"には隠されている。私にはそのようにしか思えない。


 それから私が気づいていないだけで他にもオアが出現した事があるというのは十分に考えられる。

この少女は、何時どこに現れるかわかった物ではない。

もしかしたらこの日本や、中世以前の古代ローマやギリシャにもその姿を現しているかもしれない。

少なくとも古代からこのオアという少女が確認できるのであれば、それはきっと人類史における重要な発見になるかもしれない。

いくらオカルトや都市伝説と言われる事になろうと、私は構わない。 このオアという少女の謎と一生をかけて付き合う覚悟はもうできているのだから。




********




 手記を書き上げた男は、椅子に深く腰掛け、資料が雑に広げられているデスクからタバコの箱を拾い上げると、1本口に咥え、背広の内ポケットからライターを取り出してそれに火をつけた。

煙を肺いっぱいに吸い込むと、それをしばらく噛み締めるように息を止めて味わってから、十分に満足してから一服目をゆっくりと吐き出す。

少々の酸欠を補う為に一度大きく息を吸い込むと、不意にあとどれだけこうしていられるかが気にかかり、デスクの隅においてある灰皿にタバコを置いて腕時計に目を移すと男の予想の正午半よりも時計は7時間進んでいる事に気づいた。

男は椅子からギイと音を立てて立ち上がり、後ろの窓から外の様子を伺ってみる。雪を被って屋根を白く染められている校舎への正面入り口と、脇の庭に植えられている枯れた木々が見えた。

正面入り口につけられた時計に目を向けると、どうやら今が男の予想通りの正午半である事に気づくと、男は数週間前にフランスに旅立った事を思い出して、腕時計の小さなネジをキリキリと回して時差を正した。

男は安心すると、ゆっくりと椅子に腰かけ、再びタバコを口に咥えてから無造作に広げられた大量の資料をじっと見つめる。机の上にはフランスの黒ミサ事件についての男が現地で取った調査書、ヴェルダンの兵士が書いたと思われる手記などが無造作に広がっている。


「……オア、か」


男はこの学校、北海道大学の歴史学の教授であるが、余り最近は研究成果を出せてはいないとよく批判されていた。しかし、男にとってはむしろ今が最高の成果の出し時に違いなかった。

数ヶ月前にアメリカの学会へ出かけた際に、現地の学者たちの話からアメリカ近代史を現地調査してみると、そこには"オア"という少女についての様々な痕跡を発見する事ができた上に、オアについての調査を進めると、歴史の要所要所で彼女が現れている事に気づいたからだ。

しかしこれ以上はこれらの資料から得られる物はないと踏んだ男は、タバコをふかしながら資料を整理すると、大量のレポートや手記に隠されていた一冊の本に目がとまる。分厚い厚紙のカバーに、"Historiai"というタイトルが書いてあった。

Historiai――"歴史"という名前のこの本は、古代ギリシャにヘロドトスという男が人々から見聞きした事をまとめた世界最初の歴史書であり、その事からヘロドトスは"歴史の父"と呼ばれている。

その事をその本で思い出した男は、"歴史"という言葉と今の自分の歴史研究者としてオアを追いかける日々を重ねて感傷を感じながらも、何よりも"ギリシャ"というキーワードに魅了された。


「古代ギリシャか」


男は思わずそう呟いた、古代ギリシャでもオアは確認されているだろうという確信に近い期待からだった。

オアは世界各地の様々な所で確認されている、ただ彼女は"忘れられている"だけなのだ。

不思議な事に、記憶力に自信があるこの男ですらオアについての記憶は度々忘れかけてしまう程に、何かしらの"忘れさせる力"が働いているかのように、オアという少女は記憶に留めるのが難しい。

だからこそこの男はオアについてはフィールドワークを重視している。フランスで偶然にも手に入れた食堂の店主の日記と兵士の手記がなければ、まずこの男もオアという少女には気がつかなかった。

最近は理由も告げずに時間の合間に世界各国を飛び回る男に対して、同僚どころか後輩、果てには学生にまでも"あの教授は道楽者だ"という烙印を押されている。

男はその事を知りながらも、職人にも似たような研究者気質の故か、はたまた純粋に神経が図太いだけなのか全くそれを気にはしていない。

しかし、ただこの男にはそういった声に対して復讐心がない訳ではなく、オアの研究をまとめて学会に発表した事をよく妄想する。それほどまでに、男はオアに心を奪われている。その熱がオアを忘れない事への一役を買っている事は明らかであった。

しかし、未だにオアが何者であるかも何の為に何をしているのかもよく分かっていない。だが、紀元前においてはまだオアを発見していない。もしかしたら、という期待が男の胸を高鳴らせる。

男はふとタバコの火元がフィルターのすぐそばまで来ている事に気がついた。灰皿にぐりぐりとタバコを押し付けて火を消すと、腕時計を見て自分の講義の時間が迫っている事に気がついた。

けだるそうな顔をしながら男は立ち上がって背広の着こなしを整えると、いそいそと扉を開けて教室へと向った。




********




多くの高層ビルが立ち並ぶニューヨークのホテルの最上階の一室に、オアはいた。

赤いラグが敷いてある広々とした一室で、大きな窓ガラスからは摩天楼という言葉がチープに思える程に、最上階から見下ろせば低い高層ビルが多く並び立っている。

その窓際にはブラウンウッドのテーブルに、真っ黒のテーブルクロスがかけられており、そこでオアはほぼ空になった食器にまだ僅かに残っているステーキのソースを名残惜しくフォークでかき混ぜている。

コルクの抜かれた赤ワインの瓶にはもう中身は半分も残っていない。小さなグラスの淵の複数の箇所がわずかに赤く濡れており、オアがここで結構の量を飲んだ事を証明している。

テーブルにはその他に小さなラジオが置かれており、かつてあるアーティストがルシファーをモチーフに悪魔を憐れんで歌った歌が流れている。オアが最も好む曲の一つでありながら、悲しくなる曲のひとつだった。

特に、この歌詞通りの行動をこの国で取ったばかりのオアには、それがとても親身に、虚しく感じられた。

ふと、外から爆音が響いた。オアは驚いて外を見るとビルの一つ、ワールドトレードセンターに飛行機が墜落して爆発しているその瞬間であった。

ラジオはまだ曲を流している。何故ニュース速報が流れないのか、オアは首を傾げて考えるが、すぐに合点がいった。


「そうか、今はまだ事故扱いだったもんね」


オアは納得したように何度か”うん、うん”と頷くと、立ち上がって軽くストレッチを始める。

そうして、曲が急に止まり、ラジオがやっと事故を伝える緊急放送を流すと同時に、そうして、思い切り窓から飛び出して、ビルを蹴って三角飛びのように移動しながら真っ直ぐワールドトレードセンターに突き進む。

オアの目には、ビルが吹き上げる黒煙の中にハッキリとスライムのようにうごめく”何か”が見えている。今日のオアの仕事は、この”何か”の討伐に他ならなかった。

1分もせずに事故現場に飛行機が貫いた穴から飛び入り、”何か”にストンプをするように思い切り着地をした。

”何か”は飛び散って蒸発したが、オアはそれには目もくれずにしっかりと前を見つめる。

赤黒い血に染まった人や、骨をむき出しにして燃える体を地面にこすり付ける人を”憐れんだ”のではなく、オアはただ何十匹もいるうごめく”何か”を”憐れんで”いた。

オアは哀憐を振り切って横に顔を振ると、ゆっくりと”何か”に向って歩みを進めていった。

10月4日最終更新

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