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六話 ルードの笑顔

 濃密な匂いが立ち込めている。

 血の匂いだ。

 それはルードに敵として認識された者達がこの世界に残した最後の痕跡。

 その余りにも凄惨な光景にシャロンは腰を抜かし座り込んでしまっていた。


『ルード、気は済んだか?』


 私は血の海に立つルードに問いかける。


「歯応えなさすぎだ。

 これじゃ欲求不満も良いとこだな。

 返り血も浴びちまったしシャワーでも浴びたい気分だ」


 そうぼやくルードの表情には確かに不満の色が見てとれる。

 今のルードは血塗れの狂獣ブラッディビーストの異名に相応しい姿だと言える。

 黒尽くめであるが故に返り血も多少誤魔化せているのが救いと言ったところか。


 ガタン


 不意に鳴らされた物音に視線を向けてみればそこにはディミトリアス派の男に無理やりに口説かれていた女性の姿があった。

 良く見ればその女性はルードに切り捨てられた受付嬢と同じ制服を身に付けている。

 察するに彼女もハンターギルドに所属する職員なのだろう。

 ルードはどうやら彼女の事は敵とは判断しなかったらしい。

 しかし彼女の顔は恐怖に染まっている。

 その目や鼻、そして口からは透明な液体が垂れ流されている。

 彼女は必死に這いずるように少しでもルードから遠ざかろうしていた。

 そんな彼女にルードは声を掛け歩み寄る。


「おい」

「ひっ!」


 職員の女性は声を掛けられただけで硬直し動かなくなる。

 見る間に彼女の股間は濡れ、それと共にアンモニア臭が立ち昇る。


「聞いているのか?」


 ルードはそんな彼女の様子を一切気に掛ける素振りも見せずに話し掛ける。


「は、はひ! 聞いています! 何でもします! だから殺さないで!」


 職員の女性は必死にルードに命乞いをする。

 恐らく今ルードが体を要求したのなら大人しく差し出すのではないだろうか。

 そんな彼女の必死さに思わずキョトンとするルード。

 ルードには彼女が必死に命乞いしてる理由が分かってなさそうだ。

 ルードが勝手に彼女を敵と判断しなかったというだけで彼女からしたらお前は大量虐殺者以外の何者でもないというのに。

 だからルードよ。

 彼女を不思議な生き物をみるような目で見てやるんじゃない。

 彼女のリアクションは普通だからな?

 お前のが異常なんだからな?

 彼女からしたら十数名の屈強なハンター達を一方的に虐殺した張本人だからな?

 命乞いして当たり前だろう。


「まぁ、良いか。お前もギルドの職員だろう? 魔人討伐の報酬を受け取りたいんだが」

「へ!?」


 ルードの今の今まで繰り広げられた虐殺劇の事などなかったかの様な態度に職員の女性は間の抜けた声を上げてしまう。


「だから報酬の支払いを頼む。ひょっとしてお前も出来ないとか言い出すのか?」

「ひっ! ででででで出来ます! 出来ます! だから殺さないで!」


 若干苛立ったルードの声色に女性職員は慌てて叫ぶ。

 そりゃ、この後に及んで出来ないとは言えないだろう。

 何せほんの数分程前に報酬の支払いを拒否した同僚は見事に真っ二つに両断され、相変わらず厭らしい笑顔を浮かべたまま床に転がっているのだ。

 ここで出来ないと言った日には死んだ同僚と同じ末路を辿る事が確定してしまうと思っただろう。


「良し、用も済んだし行くぞ」


 無事に報酬を手に入れたルードはホクホク顔で私とシャロンに向けて言い放つ。

 私は軽く頷きルードの肩へと止まる。

 しかしシャロンは青ざめた表情でその場に固まったままだった。

 どうやら先程の光景がショッキング過ぎて腰が抜けて立ち上がる事が出来ないらしい。

 その事に気付いた私が思念を飛ばす。


『ルードの所為でシャロンは腰が抜けているらしいな』


 私の言葉を聞いたルードはしばらく佇んでいたがやがて溜息を吐くとシャロンの元に歩み寄る。


「ほれ、掴まれ」


 そう言って手を差し出す。

 その手は血に塗れている。

 濡れているのは手だけではない。

 全身だ。

 しかも魔人の血などではなく正真正銘人間の血だ。

 シャロンはその手を取らない。

 いや、取れない。

 シャロンの顔には明確に表れていた。

 ルードに対する恐怖が。

 シャロンとてそれなりに経験を積んでいるハンターだ。

 今まで何度も人の生き死にに立ち合って来た筈だ。

 シャロン自身も自身を毒牙に掛けようと狙ってきたディミトリアス派のハンター五名を殺してしまおうと画策していた。

 結局はゴブリン達のお陰で自らの手を汚す事はなかったようだが。

 そんなシャロンでもルードの手を取る事は出来ないようだ。

 それは自らの手を汚すつもりだった者と実際に汚した者との差なのかもしれない。

 しばらくじっと手を差し出していたルード。


「怖いか?」


 唐突な問いかけ。

 ビクリと肩を振るわせるシャロン。

 その反応だけで充分だった。

 シャロンは何かを言おうと口を開こうとするがそれが声となり意味を成す事はなかった。

 結局ルードはシャロンに背を向けて歩き出す。


「行くぞ。イグニス」


 それだけを私に言いそのまま歩き続ける。

 恐らくこのままシャロンと別れるつもりなのだろう。


 シャロン、済まないな。

 どうやら君とはここまでのようだ。


「あ……」


 未だに身動きすら取れないシャロン。

 私もルードの後を追う。

 シャロンが何か言おうとしている気配は背中で感じたが、私はそのままルードを追いかけたのだった。 

 


 私達はしばらく無言で歩き続ける。

 その雰囲気は不快という程のものではないが多少重苦しい。

 それなりにシャロンの事を気に入っていただけに、差し伸べた手をシャロンに拒絶されたのはショックだったらしい。

 普通は血に塗れた手を取って貰える方が異常なのだが。

 大体あんな事を仕出かせばこうなる可能性がある事ぐらいは分かっていただろう。

 いや、ひょっとしたらそこまで考えていなかったのかも知れない。

 どちらにせよ馬鹿な男だ。

 仕方ない。ここは一つ私が慰めてやるとしようではないか。


『やれやれ、誰かさんの所為で確保していた筈のねぐらがパーになってしまったな』

「今から宿をとれば良いだけだろうが」


 苛立たしげにぶっきらぼうに答えるルード。

 折角気を使って話題を提供してやればこの態度だ。

 確かにそれなりに収入もあった事だし宿を取る事が出来れば問題ないといえばないだろう。

 だがしかし。 

 

『そんな返り血塗れで泊めてくれる宿があるとも思えないがな』

「うるせーよ」


 やれやれ、どうやら今夜はこのまま野宿になりそうだな。

 久しぶりにシャワーでも浴びてさっぱりしたかったのだが諦める事になりそうだ。


 夜の闇が押し寄せる。

 結局宿屋を確保する事は出来なかった。

 この程度の事はルードと共に行動するようになってから日常茶飯事だ。

 街の中での野宿というのも既に何度も経験済みだ。

 もはや慣れてしまった感すらある。

 スラムの住人と言われても違和感のないルードと違って見目麗しい私がその辺で野宿など出来れば避けたいところなのだがな。

 そんな事を考えながら夜露を凌ぐのに丁度良い場所を探している時だった。

 何者かが私達の後を着けている事に気が付く。

 私以上に気配に敏感なルードも当然気が付いているだろう。

 早速私の色香に惑った者が湧いてしまったか。

 先程始末したディミトリアス派の追手という線も考えられるか。

 しかし着かず離れずというこの状況は私達にとって少々不愉快な状況だ。


『ルード』

「ああ。何時まで着け回す気だ。いい加減に出てこい…… シャロン」


 シャロン?

 後を着けていたのはシャロンだったのか?

 ルードの指摘に素直に物陰から現れたのはルードの言葉通りの人物だった。

 何者かが着けていたのは知っていたがシャロンだとは思わなかった。

 ルードの鋭さは完全に人外の領域だ。

 どうやって正体を看破したのだろうか。

 今のルードは濃密な血臭を身に纏っているから、匂いではない筈だ。

 それに匂いであるなら私にも気が付けただろう。

 そんな私の疑問など知った事かと言わんばかりにルードが口を開く。


「何の用だ?」


 ルードの放つ言葉が容赦なくシャロンに突き刺さった。

 突き刺さったのは言葉だけではない。

 闇を塗り固めたかの様な黒き瞳もシャロンを真っ直ぐに射抜いていた。

 シャロンはまるで見えない刃を喉元に突き付けられたかの様に硬直した。

 ルードも動かない。

 場に沈黙が訪れる。

 いい加減に私が口を挟もうかと思案し始めた頃。


「ルインザードさん! さっきはごめんなさい!」


 シャロンはルードに謝罪の言葉を伝えた。

 しっかりと頭を下げて謝罪するシャロン。

 その言葉は紛れもなくシャロンの本音だという事が伝わってくる。

 そんなシャロンの言葉に僅かに表情を動かすルード。

  

「気にするな」


 と、素っ気なく返事を返し歩き出した。

 寝床探しを再開するつもりなのだろう。

 しかしシャロンの謝罪はルードの心にも届いた筈だ。

 素っ気ない態度はルードの照れ臭さを隠す為のカモフラージュなのだ。

 

「ルインザードさん!」


 再びシャロンが呼び掛けてくる。


「なんだ。まだ用があるのか?」

「私の家に来ませんか? 体や服を洗う位は出来ますよ」


 その提案がシャロンの口から飛び出すとは流石のルードも思わなかったようだ。

 再び訪れる沈黙。

 シャロンの提案を無視しようしている訳ではない。

 沈黙の理由、それは躊躇い。

 ルードにしては珍しく躊躇っているのだ。

 しかしその沈黙も僅かの間だけだった。


「…… いいのか?」

「はい!」

「怖くないのか?」

「それは……」


 ルードの淡々とした問いかけにシャロンの言葉は一旦詰まる。

 しかしシャロンは再び口を開いた。


「怖いです。でも…… ルインザードさんは命の恩人です。

 それにきっとあなたは怖いだけの人じゃないって!

 そう感じたんです!」

 

 そう言いきるとシャロンは微笑んだ。

 それはぎこちない笑みだった。

 恐怖心を押し殺した弱々しい笑みだ。

 今のシャロンが作り出せる精一杯の笑み。

 だが何とも魅力的な笑みだった。


「クッ! ククッ! ハハハハハ!」


 楽しそうな笑い声が響いた。

 ルードだった。

 何がルードの琴線を振るわせたのかは分からない。

 だが確かにルードが笑っていたのだ。

 普段の殺伐とした雰囲気からは想像も出来ない笑みだ。

 とても無邪気な、子供の様な笑み。

 ルードの笑顔に私は思わず見惚れてしまっていた。

 見惚れてしまっていたのは私だけではない。

 シャロンも私と同様ルードの笑顔に見惚れていた。

 楽しそうに笑っていたルード。

 だがその笑顔は直ぐに消えた。

 そして普段の無愛想な表情に戻るルード。


「ルードで良い」

「え!?」 


 ルードから紡ぎだされた突然の言葉にシャロンは戸惑う。


「親しい奴はそう呼ぶ」


 言葉の足りない奴だ。

 これは精一杯の勇気を振り絞って自らに歩み寄ってくれたシャロンへのルードなりの歩み寄りらしい。

 私がそう呼び始める事となった時も同じ事を言っていた。

 だが私に以外にこの男の事をルードと呼ぶ者にあった事がないのだが……

 本当にこの男に親しい者など居るのだろうか。


「フフ。分かりました、ルイン…… ルード」

 

 シャロンの返事に満足そうな表情でルードは頷く。


「シャロン。世話になる。案内を頼めるか?」

「え…… あっ! はい! ついて来て下さい!」


 私達はシャロンの家へと歩きだしたのだった。




 シャロンの家へと向かう途中。


「それにしてもルードの笑顔って何だか可愛いですね!」


 不意にシャロンがそんな事を言い出した。

 ルードに対する恐怖心もあるだろうに何と気丈な事だ。


「…… 忘れてくれ」


 苦々しい表情で吐き捨てるルード。

 折角シャロンの方から歩み寄ってくれているのだからもう少し愛想を良くしてやれべきだろう。

 仕方ない。これは私もシャロンの援護をしてやるべきだろう。 


『私も同感だな。普段からあの笑顔ならば一度位はシャロンが抱かせてくれるかも知れんぞ?』

「!?」


 私の言葉にルードが喰らい付く。

 ディミトリアス派の連中を一方的に殺した時よりも余程真剣な表情だった。

 お前はどれほど性に対してアグレッシブなのだ。

 ちょっと笑顔を見せただけで股を開くような女でも良いと言うのか。

 いや、ルードとはそういう男だったな。

 この性獣め。

 私がそんな事を考えている間にもルードは口角を上げ何とか笑顔を作りだそうとしている。

 必死だ。

 必死だな。

 必死過ぎるぞ。

 だがな。

 今のルードの顔、それはダメだ。

 例えるなら獲物を前にした肉食獣のようだ。

 

「ちょっとルード!? って、怖い! ルード! その顔怖いですよ!」

「怖いのか?」

「怖いです!」

「そうか」


 シャロンにツッコミに笑顔を作るのを諦めたらしいルード。

 ああ。ルードの奴、珍しく落ち込んでいるようだ。

 分かり易く表現するならばショボーンといったところだ。

 どれだけシャロンと性交したかったんだお前は。

 いや、ひょっとして人相が悪い事を気にしていたのか?

 そういえば初対面の子供にはよく泣かれていたな。

 お前の場合は多少愛想が良くなったところで素行が悪過ぎるから意味がないと思うぞ。

 だが、私だけは傍に居てやるから元気を出すのだ。

  

 程なくして私達はシャロンの自宅へと辿り着いた。

 そこは閑静な住宅街といった雰囲気の場所で一人暮らしには充分過ぎる間取りと言えよう。

 聞けば亡くなった両親と妹と一緒に暮らしていたらしい。

 元々は家族四人で暮らしていたという事もあって私やルードを泊めたとしても問題なさそうだ。

 さっそく私達は浴室を借り旅の垢を落とす事にする。

 浴室はシャワーは無くどちらかと言えば洗濯場といった具合だがこれで充分だ。

 基本的にそれなりの規模の街の高級ホテルでもなければ浴室自体がない。

 精々が濡らしたタオルで体を拭く程度だ。 

 更に洗濯などは別料金になってしまう。

 そういった事を考慮するならばシャロンの自宅は高級ホテルよりも快適と言えた。

 そんな所にただで泊まる事が出来るというのだから人助けもしてみるものだな。

 私はそんな事を考えながら久方ぶりの風呂を楽しんだのであった。

 

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