第8話
‡第八話‡
「……ピャカニョライ号?!」
悪夢にうなされ、急にワコジーは飛び起きた。
「……? あんだよ、まだ夜中か……あ! 戻ってる! 戻ってる!!」
普段どおりの口調で喋れていることに気付き、祈りと謝罪が通じたんだ! と一人小声で喜ぶ。
その時……
「うぉっ?!」
玄関のほうで何やら物音がする。
(ど、泥棒か……?!)
ユリシーやヴィータを起こさないよう、静かにベッドから降り、玄関に近づく――
「い、イーナ?!」
物音の主は、夜目でも分かるくらい、全身に傷を負っていた。
「ワコジー……な、ん…で…っ!」
「イーナ!」
くずおれる体を抱き留めると、ひどく血の匂いがした。驚くほど軽い体に、無性に悲しくなる。
「どーしたんだよ、その怪我……?!」
「何でもない……離して……」
「何でもないわけねえだろ! 待ってろ、今治してやる……」
しかし、ついつい声を荒げてしまったワコジーを、イーナが弱々しく制止した。
「……ここじゃ……だめだ、ヴィータに見られたら……外に、行く……」
「……わぁったよ……」
自分を見上げる美貌を至近距離で見てしまい、わずかに胸を高鳴らせながらも、尋常ではない様子を見て取ったワコジーはユリシーを摘みあげるとイーナの体を引きずるように外へ出た。
「……こりゃまたひっでぇ怪我だなぁおぃ」
月明かりに照らしだされたイーナの体を見て、ユリシーが痛ましげな声をあげる。
イーナは、全身に幾つもの切り傷やあざを作っていた。
「こんな夜中になにやってたんだよ……まさか『狩り』とか言うヤツか?」
「……いや」
鋏に包帯をはさんだユリシーが、ぐるぐる周りを回って包帯を巻き付けるのをぼんやりと見ながら、イーナはぼそりと否定する。
「おい、ホントの事いえよ! 何でこんな夜中に傷だらけになる必要があるんだよ!!」
「静かにしろ……お前には関係、ない、だろ」
「あるよ! なあ、マーメイドの歌は癒し効果があんだぜ!」
唐突にそう言うと、ワコジーは右手で印を斬って、歌いだした。
「らーらららー♪ らぁーららぁーー♪」
イーナの心臓の位置においたワコジーの右手が、美しい青に輝きだす……しかし。
「ぎゃぁぁっ!!!」
青い光はイーナから外れ、包帯を巻き終えたユリシーを直撃した――ユリシーの髪の毛が青になった。
「やっべ! まじで命中率下がってるし……」
「おぃ! 何だこれ! 何だこれ?!」
小さな声で悪態をつくワコジーに、イーナはどこか戸惑ったような視線を投げた。
「……なぁ、お前に助けられたこと、本当に感謝してる。でも、何で、そんなに俺に構うの。人間に憧れてたんなら、色々なところに行ってみればいいだろ」
そりゃお前に笑ってもらわなきゃ困るからだよ!
と言いたいところだったが、またマヤヌに何かされたらたまったものじゃないので、とりあえず言い訳を拵えた。
「だって知ってる人間はお前だけだし! ユリシーのうろ覚えの知識じゃ陸を探険するにも不安だし!」
そう言っているうちに、なんだか腹が立ってきた。
「だいたいなー、人が折角心配してやってんだから、ありがとー、とかなんとか言えねえのかよ?! こんな怪我人、ほっとけねえの、あたりめぇだろぉが!!」
「……」
ワコジーの剣幕に、イーナは今度こそ困った顔をした。
「……ごめん……でも、誰か他人に心配されたのなんか、初めてだ。どうしたらいいのか分からない……」
「はぁ?」
「俺は……物心つきはじめたときに親をなくして……ニアン様と言う方に拾ってもらったんだ」
それからイーナは、ぽつりぽつりと語りはじめた。
自分が暗殺者として育てられてきたこと、シャマイの派閥争い、そしてヴィータにはすべてを秘密にしていること――
「なぁ、あの子を見て何か気付かなかったか?」
「え……別に……なんかあんのか?」
「あの子の肌の色、シャマイにしては白すぎるんだ。きっと、あの子は……シャマイじゃ……本当の弟じゃ、ない」
「なっ……」
確かに言われてみれば、イーナの薄褐色の肌と違い、ヴィータの肌は多少日焼けしているとは言え、白い。
だが、二人とも、似たような物凄く綺麗な顔立ちをしているから、そんなこと思いもしなかった。
「情けない話だけど、俺たち、両親の記憶とか、ほとんどなくしちゃったんだ。だから、ヴィータが拾われた子だとしても俺は覚えてない」
それに、と、イーナは少しだけ穏やかな顔をした。
「たとえそうだとしても、ヴィータが俺のたった一人の、大事な弟だってことには変わりないから」
「そっか……」
「でも、他の人はそうは思わないかもしれない。ヴィータに、ひどいことするかもしれない。利用、しようとするかもしれない。だから、俺はヴィータを守らなきゃ。ヴィータには、普通の子として幸せに暮らしてほしい。汚い生き方をするのは俺だけでいい。だから……頼む、このこと、ヴィータには絶対に言うな」
どこか悲愴な光を宿した瞳に、ワコジーはただただ頷くしかなかった。
「はぁっ……」
ひとまずイーナをベッドに寝かせると、ワコジーは代わりに床に寝そべった。
結局、どうしてこんな状態になったのかは聞けずじまいだったが、余程のことがあったのだろう、イーナはすぐに深い眠りについた。
「どうもおかしなヤツだと思ったら、そんな経緯があったなんてな。こりゃあ笑わせるのは至難の業だよ」
「ああ、確かにな」
「……わこじーさん?」
ひそひそと話していた二人に、いきなりヴィータが話し掛けてきた。
「び、ヴィータ! まだ夜だぜ! 早く寝て」
「兄ちゃん、またけが?」
「え?!」
あわてて取り繕うとしたワコジー。しかし、ヴィータは悲しそうな顔でワコジーの隣に座った。
「ぼく、知ってるよ。兄ちゃんが何してるか、ぜんぶ」
「え……でも」
「兄ちゃんは、ぼくのためにあんさつしゃになったんだ。きっと、ぼくを食べさせるために、お金がひつようだから」
「……いつ知ったんだい?」
「前に、兄ちゃんをおっかけてったことがあるの。そのときに、わかった」
「ヴィータ……」
「兄ちゃん、くろはに入ってから全然笑わなくなっちゃった。いつもむりして、ぼくの前ではへいきな顔するんだ。でもね」
ワコジーとユリシーを見て、ヴィータはほほえんだ。
「わこじーさんたちと話してるとき、兄ちゃん、すっごく嬉しそうだったよ! あんな兄ちゃん、久しぶり!」
(へぇ……俺には全然分かんなかったけどな)
「ぼく、おっきくなったら、兄ちゃんを守れるくらい強くなるんだ。でも、それまで……わこじーさんと、ゆりしーさんがいてくれたら、いいなぁ」
「……あんた……いい子だね」
ヴィータの健気な想いを聞き、情に脆いユリシーが涙ぐむ。
おそらくまだ幼いうえにほとんど他人との交流がないヴィータは、自分がシャマイではない可能性など思いもよらないだろう。
いつかそれに気付く日が来て、ヴィータが傷いたとしても、彼を守ってやれるようにと、あえて修羅の道を進み続ける兄と。
そんな兄を守りたいと願う弟と。
「おいっ、ワコジー! こうなったら、意地でもあの鉄仮面、笑かしてやろうぜ!! アタイも手伝うからさ!!」
「ああ、そうだな!!」
自分のためにも、この兄弟のためにも――
決意を新たに、ワコジーたちは再び眠りについたのだった……
[続く]