第7話
‡第七話‡
それからは、ワコジーにとっては未知の連続だった。
まず、牛、と言う生きものに乗った。
ヴィータが前に座り、手綱をとってくれる。イーナは、牛と同じくらいの速度で横を走った。ユリシーはワコジーの肩の上だ。
そして早速、ワコジーはこの兄弟を質問攻めにした。
話を聞けば、二人はマーメイド帝国でもその名を知られるシャマイ族の出身で、早くに親を亡くしたため兄弟二人で暮らしているのだそうだ。
そして貝殻にメモった質問をすべて聞きおわると、次はワコジー自身の事を、冗談も交えながらおもしろおかしく話した。もちろん、イーナに笑ってもらうためだ。
「んでね、その時なんかユリシーの奴、もう死にそうな顔してたのよ! 笑っちゃうわよね !こーんな顔よ!!」
「きゃはははっ!!」
「よ、よせやい!!」
乙女口調も、この際笑わせるための道具だと思ってあきらめ、顔真似まで披露してみせる。
しかしさっきから、笑ってくれるのはヴィータだけで、隣を疾走するイーナはと言えば、とりあえず話は聞いているようだが一向にリアクションをとらない。
(……変な奴。今の俺はこんなに怪しいんだから、吹き出してもおかしくねぇのにな……)
イーナをちらりと見ると、その美しい横顔は、触れれば切れそうなくらい張り詰め、冷たい。
「……? 何?」
ワコジーの視線に気付いたイーナが、星降る夜空のような瞳をこちらに向ける。
「いえ……何でもないの」
一瞬焦ったが、怒ってはいないようだ。
(……前途多難だな……)
シャマイ族の村・シャマイ村――イーナたちの家は、その外れのほうにひっそりたたずんでいた。周囲を木々に囲まれ村の中心から遠いため、聞こえるのは野生の動物たちの息遣いだけだ。
「これが俺たちの家だよ。入って」
結局目的を果たせないまま、辺りはすっかり暗くなってしまった。
「え、ええ(ち……もう一日目が終わっちまう……)」
「元気だせよワコジー……まだ二日もあるんだぜ?」
ユリシーが小声で励ましてくれるが、あまりテンションはあがらなかった。
「どうしたの、わこじーさん? はやくはやく♪」
「はいはい!」
上がり込んだ家の中は、ワコジーの想像よりもかなり広かった。
ヴィータに誘われるまま、石で作られたテーブルにつく。
「今、兄ちゃんがごはん作ってくれるよ!」
「へぇー、あの鉄仮面、料理なんてできんだ……まぁ、親がいないんじゃ当たり前だろうけどな」
肩の上でユリシーが呟く。
ワコジーは生活環境に恵まれていたからわからないが、子供だけで生きていくというのはどんなにか大変だろう……
「できた。食え」
そんな事を考えているうちに、イーナが湯気をあげる料理を運んできた。
「わぁっ、おいしそう! これは何?」
「これは、いんぱらって言う動物のおにくが入ったスープだよ!」
「まあ、これが?! じゃあ、このおたまじゃくしみたいのを使って食べるの?」
ワコジーが手にしたのは、スープ皿に添えられたスプーンだ。
「うふふ、それはスプーンって言ってね、こういうふうに食べるんだよ♪」
ヴィータの使い方を見よう見真似で実践してみるワコジー。最初はうまく扱えなかったが、少しの奮闘の末に、なんとか使いこなせるようになった。
生まれて初めて食べるスープを、一心不乱に口元に運んでいると、不意に、イーナが話し掛けてきた。
「……おいしいか?」
「ええ、とても!」
期待をこめて、満面の笑みで答える……しかしイーナは相変わらずの仏頂面で
「よかった」と答えただけだ。
そんな二人を、ヴィータはにこにこしながら眺めていた。
夜。
食事のあとも、三人と一匹は話に花を咲かせた。
イーナはリアクションをとらないくせに静かにワコジーやユリシーの話に耳を傾け、本当にときどき質問をはさんだ。
「ワコジー、お前がベッドを使え。俺は床で寝る」
寝る支度をしているワコジーに、イーナが二つしかないベッドを指し示して言った。片方のベッドではすでに、兄に似て子供ながらに秀麗な美貌を持つヴィータが、天使のような寝顔を浮かべて熟睡している。
「え、いいの?」
「構わない。慣れてるから」
「そう? じゃあ、お言葉に甘えて!」
抑揚なく言い放ったイーナにお休みの挨拶をすると、ワコジーはさっそくベッドに横になる。枕元にユリシーのためのスペースをあけると、思いっきり枕に顔を埋めた。
「はぁーっ、これが枕なのね……」
「ふぁ〜、アタイはもう寝るから、あんま騒ぐなよ! あと、ちゃんと反省しとけよな! 明日もそんな口調で話されたらたまったもんじゃねえや」
切れ長の目をごしごしとこすりながらユリシーがささやく。
「分かってるわよ! 俺だってずっとこのままは嫌ですもの! じゃ、お休み」
「おやすみー」
今日の様々な出来事を思い出しながら、ワコジーはゆっくりと眠りに就いた……。
「寝たか……」
ワコジーたちが寝静まってから少しして、イーナは音を立てぬように起き上がった。
ぐっすり眠りこける客人を見て、不思議な気分にとらわれる。
そもそも、何故この少年を家まで連れてきてしまったのだろう。
今までならば、命の恩人だろうが何だろうが、ためらいなく切り捨ててきた。それは、いつ誰に殺されるかもわからない暗殺者としては当然の行為だった。
他人と馴れ合うことなど、ないと思っていたのに……
だがどういう訳か、この少年と一緒にいることは不快ではなかった。彼の話は興味深かったし、やたらと自分に絡んでくるのも嫌ではなかった。
いったい自分はどうしたというのだろう――
この感情がなんなのか、どんな顔をして接すれば良いのか、イーナにはわからなかった。
「……俺は……」
頭をぶるり、と振って思考を追いやると、イーナはそっと家を出た。任務のことで、ニアンに呼ばれていたから。
[続く]