第4話
‡第四話‡
「あら、お帰りなさいワコジー」
マーメイド帝国の皇后、ニシフラ・ワヘーレン……人魚の中でも1、2を争う美貌の持ち主で、その淑やかで優美な人柄により絶大な人気を得ている――少なくとも、民衆からは。
「あ゛……た、ただいま、お母様……」
妙に顔を引きつらせた末息子を、穏やかな瞳でみつめる。
「昨日の夜は、一体どこに行っていたのかしら? あたくし、もぅそれはそれは心配したのよ」
「はぁっ、や、あのー、ちょっとダチの家に遊びに……」
「ユリシー」
ワコジーの“命懸け”の嘘をさらりと無視すると、皇后は末息子の教育係にあくまで優しく声をかけた。
「はい! 恐れながら、ワコジー殿下は海の上に出かけていたであります!!」
「てめっ、ユリシー! 何言って……!!」
いつものスケバン口調はどこへやら、しゃちほこばって報告する教育係の美貌を、ワコジーは思いっきり睨み付けた。
(あんなぁ、アタイだって命は惜しいんだよ!)
口パクで伝えるユリシー。
「そう……海の上に……そうですか……」
「あ、あの、コレにはわけが……お母様?!」
「げっ、やべぇよ!!」
相変わらず穏やかな表情を浮かべる母……しかし今、彼女のまわりでは海水がぐるんぐるん渦を巻いている――
「あっれほど……海の上には行くなって言ったのにぬぁにを考えとるんじゃこの馬鹿息子ぉぉぉぉっ!!!」
「「ぎゃぁぁぁぁあっっ!!!」」
上品な笑顔の裏に隠れた、皇后のもう一つの顔――元ヤンの本性を今や完璧に曝け出したワヘーレン。彼女の巻き起こす海底ハリケーンに吹き飛ばされる前に、ワコジーはあの洞窟へと全速力でひれを動かした。
「……あ゛ーまじありえねぇっ!!」
都のはずれの洞窟。
岩棚に無造作に並べた‘にんげん’の道具が、遥か上から降り注ぐ太陽の光に照らされて淡く輝くこの場所は、ワコジーの秘密基地だ。
その真ん中に座り、一人いじけるワコジー……これほど絵にならない光景も珍しいだろう。
「ったく、ユリシーさえ黙ってりゃだませたかもしんねえのに……」
愚痴りながら、洞窟のコレクションを眺め回す。
「それに、お母様もお母様だぜ! こんなにきれぇなもん作るやつらが、悪いやつらなわけねぇだろ……」
透明な貝殻に細い管の様なものがついた何か――人間界ではワイングラスという――を手に取ると、ワコジーはため息をついた。
今朝助けたあのイーナとか言うにんげん……彼になら、色々な事を聞き出せるかもしれない。上手な歩き方とか、火が燃えるってどんな感じとか……聞きたい事は山ほどある。
「あと一回だけ……行っちゃおっかな」
次こそはバレないように……しかし。
「んなこと許さねえぞワコジー!!」
「っ、お父様?! どうしてここに?!」
突然響いた重々しい声に顔をあげると、なんと洞窟の入り口に、皇帝ワヒロシーが仁王浮きしている。
「親愛なるユリシーがぜぇーんぶ吐いてくれたんだよ! ま、吐かせたのはワヘーレンだが……」
「な……あんの役立たず……!」
どこまでも自分の邪魔をする教育係に悪態をつくワコジーを、父が怒鳴りつける。
「人のせいにすんじゃねぇっ! まったく、なんだこのガラクタの山は!! あんなぁワコジー、人間なんてなぁろくなもんじゃねえんだよ!! 俺ら人魚を売り飛ばし、平気で魚を食う! こんな野蛮な種族がほかにいるか?!」
「そ、そんな奴らばっかじゃねえだろがよ! それに、ガラクタってなんだよ! これはなぁ、俺のお宝なんだよ! いくらお父様だろぉが、そんな事いったらどぉなるか分かってんだろぉな、ぁん?!」
「ワコジー……」
息子のあまりの本気っぷりに、一瞬絶句するワヒロシー。だが、次の瞬間にはその瞳に激しい怒気が燃え上がっている。
「そこまで言うってんならしかたがねぇ……どぉなるか分かってねえのはお前だワコジー!!!」
爆音が、洞窟を揺らした。
「ぎゃああああ!!! やめろぉぉおっ!!!!」
なんとワヒロシーは、あの例のフォーク的なものからあの例のビーム的なものを噴射して、ワコジーのコレクションを次々と破壊しはじめたのだ!
「言ってわからんなら実力行使じゃぁあああっ!!!」
「ちょっ、何やってんだクソじじぃぃぃ!! たんま! まじやめろーーーっ!!」
「あ……あ……俺のお宝が……」
一瞬のうちに木っ端微塵になったコレクションの残骸の中、ワコジーはただ呆然と座り込んだ。
「ワコジー……よく考えろ、お前は」
「出てけよ……」
「わ、ワコジー……」
驚異の命中率を誇るワコジーの投げた岩の破片が、きれいさっぱり、皇帝の口髭を奪い去った。
「出てけや! お父様のわからず屋!!」
すっかりうなだれて、両手に顔をうずめるワコジーは、父親からすれば憐れに見えたのだろう……ワヒロシーはうすら寒くなった口元を撫でながら、少しバツの悪そうな顔をして洞窟を去っていった。
「ううっ……」
ワコジーはついに両腕に顔をうずめ、嗚咽をもらしだした。
「ワコジー……その……ごめんよ……」
さっきまでワイングラスの影に隠れていたユリシーが、恐る恐る声をかける。
「で、でも、アタイはあんたの事を思って……」
「もういいよ……頼むから一人にしてくれ……」
ワコジーが涙声でつぶやいたその時――
「ふむ、何かお困りのようですね。私でよければ力になりますよ?」
「へ?」
頭上から、何やら親しげな女の声が聞こえた。
[続く]