ちがうったらちがう
カウンターのいすによじ登って、足をぶらぶらとして待つ。ぶわっと強烈な酒の匂いをまとって偉そうなやつが、からんからんと来客を告げるベルの音とともに襲来した。さっきまで、楽しそうにお酒を飲んでいたおじさんたちが、胡乱気な目で来客を見る。
「ふぅん、貴族である私がわざわざ足を運んだというのに、迎えの一つも寄越さないとは、なんて無礼な店だ」
腰に剣を刷いて金銀宝石をこれ見よがしにつけた変な奴が、クロエさんの店を荒しに来た。こういう庶民たちが集まる店ではこれが普通だ。そういうサービスがほしいなら、あんたらを持ち上げてくれる店に行けばいいのに。
同じことを思ったのか、他の客も不快そうにしている。そして、なぜか珍客は、私の隣に座る。まだ席開いているのに……あまりの匂いに顔をしかめる。
「なんだい、なんだい。その顔は! この私を前にして、媚びるどころか、あからさまに嫌そうな顔をして! 店も店なら、客も客だな」
触らぬ神に祟りなし。とりあえず一度席を下りて、別の所すわろう。隣に座った男の目が、吸い寄せられるように、私の首下へ行く。そして、愉快そうな表情とこちらを見下しきった歪んだ笑みを顔に浮かべる。何人かの人間が、今にもつかみかかりそうな勢いで睨みつけているのに、この男は気づかないのかな。常連さんたちは、クロエさんの料理大好きなのに。
「首輪付きか。それも、ジュエルが付いてる。お前、どこかの貴族の愛人か! なら、俺の名前を一度は聞いたことがあるだろう。武名だかきセグエル辺境伯子息ヘブローグの名をな」
「私、愛人、違う」
こういう人間の相手をしてはいけないとわかっていたけど、むかついてついつい話してしまった。エドの悪口はなんかすごく嫌だ。それに、今の態度を見ると悪名の間違いなんじゃないかと思う。
「赤い宝石を入れた首輪は、愛人って意味さ。まぁ、ジュエルの有り無し関係なしに首輪付は、所有の印を押されてる奴隷さ。使い捨ての玩具。飽きたら捨てればいい。ふむ、それにしても、変わった髪色だな。ぜひ、私のコレクションに加わるがいい。何処の家の所有物だ。ちょっと見せて見ろ」
会話がかみ合っている気が全然しない。だいたい、愛人って何よ、エドは一度もそういう対象で見ていない。女っていうのは男が思っている以上に、そういうのに敏感だ。
間違っても、今のあんたみたいな目で見られたことはない。さげすまれた相手に欲情するって……しかも何、こいつロリコンなの!?
「いやっ」
ぐいと容赦なく髪を引っ張られ何本か髪の毛が抜け落ちる。もう片方の手でつかまれた腕は、とてもきつく締めあげられ、脳に警報をシグナルを送る。
「何、オルフェス家の刻印だと。しかも、この蛇。あの三男の」
首輪の刻印の何がこの男を刺激したのかより強い力を加えられる。首を絞められて、息ができない。苦しいっていうより、首が、折れる。やめて。首の骨折れたら死んじゃう。
助けを求めるため周りをみるけど、客は手を出したそうだけど、貴族相手というので二の足を踏んでる。あぁ、カルはかなり手加減していたんだなって感じる。だって、こいつなんかよりもアイツのほうがよっぽど鍛えてるもん。なんたって、ドア蹴り飛ばしちゃうくらいだしね。
―――助けて。
「てめぇ、人んちのもんに手ぇ出すんじゃねぇよ!」
聴きなれたテノールの声。うざいってあれほど思ってたのに、なぜか今はものすごく安心した。そして、意識を手放した。
次に目が覚めた時、カルの背中にいた。誰かに背負られるのなんて何年振りだろう。大きくてあったかな背中、生きているのだと実感する。異世界であっても、そこに住む人たちは、こうして息をしている。当たり前のことだけど、忘れてしまいそうで怖い。全く別の生き物だと突き放すのは簡単だ。だけど、そうしていたらいつまでも、変わらない。
「“ありがとう”」
「ん、なんか言ったか」
「ない」
「あ、そう」
それからは、お互いくだらないことを言い合った。黙っていると嫌なこと思い出しそうで、怖かった。カルは、怖かったかと聞かなかった。ただ淡々と、おかみさんが謝ってたこと、今度はおかみさんがこっちに足を運ぶこと、買い物は済ませたこと、あの男にはもう二度と私に手を出さないように確約させたことなどを話した。
「別に、暴力で解決したわけじゃないぞ? それに、アイツ程度で、俺をどうこうできるはずないから、報復の心配はするなよなガキは自分の心配だけしてろ」
「“子供じゃないもん”」
ぼそっと聞こえるか聞こえないか微妙な大きさで、つぶやく。聞こえていたとしても日本語だから、わかんないだろうけど。
そういえば、カルも貴族なのかな。エドは伯爵家の三男だって言ってたけど、カルはそういえばどうなんだろう。まぁ、カルは、カルだよね。そういう態度を取ってほしかったら、こいつのことだし、言ってくるだろう。
暖かな光がもれるこの世界の我が家。エドやアリア、料理長……みんなが、「おかえりなさい」と温かく迎えてくれる。それだけで、不思議と胸が温かくなった。私には、帰りを待ってくれる人がいるんだ。今はそれだけで幸せだ。