√B 巫女さんたちのボスに衣食住と安全を保障されました。
「おやおや、おまえさんが朝帰りなんて初めてじゃないかい? おやぁ、それが今代の勇者かい? また随分と随分と小柄だねぇ。こんな娘っ子に、武器持たせるなんてあのヅラじじぃ、何考えてるのかね。あとで、お灸をすえる必要がこりゃあありそうだね~まぁ、こっちに上がってきて、適当に座りな、お二人さん」
頭上から降り注ぐ、どこかゆるりとした声音で悪態をつくその様なぜだか親しみを持てそうな気がした。それにしても、いいこと聞いた。あの人、ヅラだったんだ。何かに使えるかもしれないから覚えておこう。それと同時に、部屋に伝言を伝えに来た巫女さんは、確かにこの人が話した言葉をそのまま伝えたのだろうということを確信した瞬間だった。ごめんなさい、巫女さん。私、さっきまでちょっとあなたがふざけていたのだと割かし本気で思っていました。
「さてと、まずはこっちが名乗ろうかね。カリーア神からの託宣を受ける巫女のボスみたいなものをやってるシビュラだよ。ふむ、おばあちゃんとよんでくれて構わないよ」
「ちょっ、シビュラ殿。もう少し、真面目に、こう威厳をもっていただかないと困ります」
「そんなもん、これから友好を結ぼうという相手にいらんだろう。むしろ、邪魔だね。さて、おまえさんの名前を聞いてもいいかね?」
なんとなく、この二人の関係というか、性格みたいなものが見えてきた気がする。それにしてもなんだろう、この人、すごくおっかない感じがする。すごくほやほやとしているように見えるけど、隙がないっていうか、まるでこっちを見透かされるような感じさえする。緊張しているのだろうか。知らず知らずのうちに背筋が伸びる。
「ユエ。古城 月と名乗っています。生まれは、日本。魔法ない世界」
大学受験の時にあった面接よりも、厳しい目で見られている。言葉の一つ一つ、動作の一つ一つ、この人に見られている。もしかしたら、自意識過剰なのかもしれない。だけど、用心しておくに越したことがない。じりっと、手の中が汗ばむ。
「ふぅん、魔法がない世界ねぇ。こっちじゃ、考えられないことだねぇ」
「シビュラさ」
「おばあちゃん」
笑顔って、怖いね。有無を言わせぬ圧迫感を付け加えると脅迫されているようにしか見えないよ。0円スマイルが懐かしい。
「うっ、シビュラおばあちゃん。教えて。なぜ、勇者が必要?」
にこにことした笑顔が、すぅと引き締まる。
「今回のことに関していえば、悪いけど勇者なんて必要なかったんだ。むしろ、こっちの世界の問題を異世界から呼び出した若者に、有無を言わせずに解決を背負わせ、生贄にするなんていうのは悪しき習慣以外の何物でもないんだよ。こういう考えは、ほかの神を信仰しているとこにもあって、いまじゃあ滅多なことでなければ召喚なんてどこの国もしないんだよ」
―――必要ない。
勇者としての血みどろな役割を求められていないことに安堵するべきだというのに、その言葉がひどく胸に刺さった。がりっと、爪で肌を引っ掻くとぷくぅと血の玉が生じる。
「しかも、うちの神殿には帰還の陣が紛失しちまっている。そんな状態で、招こうなんて失礼なことこの上ない。そこのフレイヤも言ったと思うけど、わたしら巫女はおまえさんをきっちりもといた世界に戻してやるから安心しな。ほかの神さんとこにもあたってみる。無駄に多くの神さんがいるんだ。一つや二つあたりがあるだろう。時間がかかるかもしれないのは、勘弁してくれ。その間の衣食住、安全は保障しよう。シビュラの名に懸けて誓うよ」
「はい。お願いします」
この人もまたフレイヤさんと同じく有言実行してくれる。
「まかせな。まぁ、どうしてこう男のしりぬぐいを女がしなくちゃならないのかねぇ。さて、きっかけだったよな。お前さんが聴きたいのは」
「はい。理由、知りたい。何を求められるか」
どうすれば、この悪の巣窟化していそうな王宮で自分の身を守れるのか知りたい。ちらりと視線を横に移すと、唇の端を血が滲みそうなほど強く噛んだ、フレイヤさんの姿があった。その表情は、芳しくない。
「今回の騒動の始まりは、予言だ。うちの巫女がね、託宣を受けたのさ。近いうちに大きな争いが起きるっていうね。まだ、詳しく解明していないから王宮への報告は後回しにしていたんだ。内容が内容だったから不確かな情報のまま、あの血気盛んな野郎どもの元に渡せないからね」
「っ、私がもっときちんと予言を読み解ければ」
「いやいや、お前さんが悪いわけではない。お前さんとて、実際に降りるのは初めてだったんだろう。仕方がない。問題なのは、どっかの愚か者の巫女が男のためにせっせとこっちの情報を漏えいしたのが悪いんだよ。愚か者には、きちんと落とし前をつけさせるからね」
なるほど、フレイヤさんが受けた信託が原因で私はこの場所に召喚されたのか。予言の内容をもう少し詳しく知りたいけど、争いって内乱のことなのかな。だって、めちゃくちゃきな臭いし。商会で、この国異様に武器を買い込んでいるらしいっていう噂聞いたしね。それとも、どこかの国と争うのかな。わざわざ、勇者なんていう代物を呼び出す必要性か。内乱でも戦争でも、力の象徴として勇者が呼ばれたのかな。
「そうそう、フレイヤ。おまえさん、あの儀式場をその目で見てきたよねぇ~。ちょっと、覚えている限りでいいから、あそこにあった召喚陣描いてくれない? あいつらが、召喚陣に変な細工していないといいんだけどねぇ。アホだから、いじくりそうだしねぇ~」
一体今まで、あの人たちどんなことをしでかしてきたんだろう。シビュラさんの中での、あの人たちの評価ってものすごく悪い。きっと今回のことでさらにあの人たちの評価が暴落していそうな気がする。
「えぇ、かまいませんが……。ちょうど、私もそのことでシビュラ殿に確認を取りたいことがあるのす。水晶をお借りしても?」
「かまわないが、おまえさん、あの陣を構成できるのかい?」
「はい。発動には、圧倒的に魔力量が足りませんけれど、陣を描くことなら可能です」
水晶玉を受け取り、目を閉じたフレイヤさんから、すぅっと黄金色の光がゆらゆらと漂う。その光の粒、一つ一つに確かな力が宿っていて、幻想的だった。フレイヤさんの美麗な容姿と相まってその小麦色の光は、ティンカーベルの魔法の粉の様で、触れてみたくなった。思わず手を伸ばす。
物語の中の人たちは、私がしたくてもできないことを簡単に成し遂げてずるくて、羨ましかった。私も、連れて行ってほしかった。ここではない、どこかへ。
指先が、そっと光の粒に触れる。
それは、初めて見た火のようで、危ないと本能的にわかっていても、美しいそれに、触れてみたくなってしまう。
じりじりとした熱が、指先から身体全体に駆け巡る。それは、不思議なほど心地よく、思わず身をゆだねたくなってしまうほど甘い、砂糖菓子のような誘惑。
フレイヤさんから、水晶へ流れ込んでいた光の本流が、巨大な流木に邪魔をされた川の流れのように決壊してゆく様をどこか他人事のように感じて……。
あぁ、なんで急にこんなことを思い出したのだろう。もう随分と長い間、忘れていたというのに、封印していたというのに……胸が痛くなるほど強く切望するこの感情。
「会いたいなぁ」
流れの変わった光の洪水が押し寄せてくる様から目が離せない。自業自得だと、頭の片隅で嘲笑う悪魔の声がする。黄金色の炎に目を焼かれ、高波に飲み込まれたように呼吸ができない中、何も聞かずに信じてくれたルーフェでの保護者達を思い、手を伸ばした。
そこで、ぷつっりとテレビの電源を落としたかのように私の意識は途切れた。
ただ、ひどくあの大きな背中が恋しくなったのはなぜだろう。