目が覚めたら異世界
はじめまして。よろしくおねがいします。
ぼやけた視界が、次第に輪郭をあらわにしていく。ようやくはっきりとしてきた視界に写るのは天井の木目と、明らかに自宅や祖母の家のものではない照明器具。ホテルかどこかに泊まった記憶も病院に入院した記憶もない。それなら、ここはいったいどこなのだろうか。左右にそのまま視線を走らせると、暖色でセンス良くまとめられたテーブルクロスやカーテン、木製のテーブルや椅子が水晶に映し出された。じわりと手が汗ばんでくる。
「っ……どこ、ここ」
ばっと、ベッドから跳ね起きると珍しくクラッと来たので、そのまま顔を布団に押し付けると、家で使っているのとは違う洗剤とほのかに花の香りがした。
「なんでこんなとこいんの、私。おかしいよね、どう考えても。昨日なにしたっけ」
記憶の糸を手繰り寄せて、一番最後の記憶を思い出す。最後の記憶は、祖母の家へ行くために電車に乗ってトンネルに潜った記憶。ばっと飲み込まれるような暗い闇に吸いこまれた記憶の欠片は、あるけれどそれより先のことはどうしても思い出せない。電車の中で寝落ちしたとしたら、駅員が確認するだろうし、そもそもこんな暖かな部屋に寝かされているわけがない。
「もしかして、私。死んじゃったとか、ないよね……」
かすれた声が、喉から出る。乾いた喉がごくりと音を鳴る。どどどどっと激しくうるさいくらいにリズムを刻む心音。勢いよくはいだ布団の下には、見慣れた自分に二本の足が確かにあった。乗っていた電車が、事故ってお陀仏という最悪の可能性を否定してくれる。
「はぁ~、それじゃあ、私、誘拐でもされたのかも」
それにしては、ずいぶんと歓迎度が高い気がする。部屋の調度品はどれも見る者や使うものの心を和ましてくれるものばかり。枕もとに添えられた花瓶の花は生命力が色濃く残っており、だれかが心を込めて生けたばかりだということが伝わってくる。
さっきのいまで、立ちくらみを起こしたくはないので、今度はゆっくりとベッドから立ち上が……立ち上がろうとした。
「と、とどかない」
これは一種の逃亡防止策なのか。
それとも、これの本来の使用主の趣味なのか。考えても分からないので、なんか子供みたいでものすごく恥ずかしいけど、ずりずりとゆっくりと地面に足をつけて降りる。床に足が付くと、ようやく人心地が付けた。寝相が悪くなくてよかったと心底思う。ちょっと、あの高さから転がり落ちたら痛いで済まない気がしなくもない。
なんかもう、ベッドから降りるだけで一仕事終えたような気持ちになるのはなんでだろう。よく見てみると、イスやテーブルも普通より気持ち高い気がする。この部屋の持ち主は、背が高いのかもしれない。そんなとりとめのないことを考えながら、窓に近づく。ぐっと力を入れて、窓を開けたその先に、思わず息をのむ。
「もしかして、ここ日本じゃない」
扉の向こうには、旅行会社のパンフレット顔負けなどこか作り物めいたドイツの木組みの家に似た建物が立ち並び、目の前には大きな川が広がっていた。行きかう人々は、まるで映画やプロモーションビデオの撮影中だと言われた方が納得できそうな中世ヨーロッパを髣髴させるものを見にまとっていた。
「まさか、どっかの外国に拉致られたとか?」
外国という言葉をまるで神様が否定するかのように、非現実の代表格のような存在が頭上に現れる。ばさばさっと翼の音を轟かせ、空の上にありえないくらいでかい鳥―――否、竜が通過していった。
「り、り、竜! これは、夢。そう、悪い夢なのよ、古城 悠月」
言い聞かせるようにして、つぶやいた言葉をつねった頬の痛みが否定する。……う、うそだぁ~。嘘嘘。絶対ありえないなどと身悶えても現実は変わらない。だって、まだ羽音がするし。竜とか竜とか、ドラゴンなんて虚構の産物で地球に居るはずない。つぅと、冷たい汗が背中に流れる。
「おばあちゃん、どうやら悠月は、異世界におじゃましちゃったみたいです」
ぽつりとつぶやいた言葉は、どこかむなしく消えていく。力なく座り込んだ床は、太陽の暖かさがした。
「ほんと、どうしよぉ~」
頭を抱えて床に座り込む直前に、こちらを驚愕と喜色に満ちた不可解な表情で見上げてくる男性と目があったような気がした。
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