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南風

作者: 日下部良介

 今日、7月4日は特別な日。お父さんもお母さんも朝からウキウキしている。お隣の隆文君の誕生日のお祝いに招待されているの。

 ウチと隆文君の家は隣同士だということもあるのだけれど、お父さん同士が幼馴染で私が生まれる前から家族の様なお付き合いをしているの。だから、お父さんもお母さんも隆文君の誕生日を祝うというより、みんなでワイワイ騒ぐのが嬉しいだけなのかもしれないけれど。

 私と隆文君は同級生。私の誕生日は3月20日。その日は隆文君の家族をウチに招待するの。

「奈美、そろそろ出掛けるわよ」

 お母さんはよそ行きの格好をしている。お父さんもスーツを着ている。お隣に出掛けるだけなのにどうなの?私は思うけれど、誕生日の時だけは両方の家族で記念写真を撮るの。だから、私も思いっ切りおしゃれをしているわ。

「はーい!」


 玄関のベルを鳴らすと隆文君のお母さんがドアを開けて迎えてくれた。

「いらっしゃい!さ、さ、早く上がって」

 わあ!まるで女優さんみたい。そうなの。隆文くんのお母さんは隆文君にそっくりでとてもきれいな顔をしているのよ。あっ、逆かな?お母さんがきれいだから隆文君もきれいなんだ。

「隆文君、お誕生日おめでとう!」

「奈美、可愛い」

 隆文君はいつもそう言って私の頭を撫でてくれる。私は隆文君の頬にキスをするの。それがお誕生日のプレゼント。小さいころからずっとそうしてきたから。

 私の誕生日の時には隆文君はマリオネットを買ってくれるの。たぶん、ご両親が気を遣ってくれているのだと思うけれど。そんなこともあって、ウチにはもう8体のマリオネットがあるのよ。

 私はその時はずっとこういう事が続くのだと思っていたのだけれど…。


 中学に入ると、私は初めて隆文君と同じクラスになったの。小学校の時は不思議と同じクラスになったことがなかったの。同じクラスになって初めて解かったのだけれど、隆文君はすごくモテるのね。

「奈美!どうせヒマだろう?部活終わるまで待ってろよ」

 隆文君はサッカー部に入った。私は帰宅部。

「うん。いいよ」

 校庭でサッカーをしている隆文君はカッコいい。1年生なのに、春の中体連の選手に選ばれたって。同級生の女の子たちが校庭の隅でキャッキャ、キャッキャ騒いでいるわ。練習が終わると隆文君は真っ直ぐに私のところへやって来る。

「お待たせ。一緒に帰ろう!」

 そう言って、いつもの様に私の頭を撫でてくれる。向こう側に居る女の子たちの視線が気になる。けれど、ちょっとした優越感に浸れるわ。

 次の日、学校へ行くと私の机に落書きがされていたの。

“あんたは中島君にふさわしくない”

“ただの幼馴染なんだから勘違いしないでよ”

“あんたなんか居なくなればいいのに”

 等々。

 私が机の前で立ち竦んでいると、その落書きを見た隆文君が声を上げたの。

「誰がやったのか知らないけれど、こんなことをするヤツを俺は許さないからな!奈美を苛めるヤツは俺が許さない」

「隆文君、もういいよ。落書きならすぐに消えるから」

 それ以来、こんなことは二度と起こらなくなったわ。そして、隆文君の人気は増々上がっていったの。


 中学の三年間、隆文君は誰と付き合うでもなく、誰にでも優しくしていたのだけれど、いつも私がそばにいるから次第に他の女の子たちは隆文君の“彼女”になることを諦めていたのかも知れない。

 あっという間の三年間。隆文君は推薦でサッカーの名門校に進学することが決まった。

「奈美も受験しろよ」

「私は無理だよ」

 そう。その高校は県内トップクラスの進学校だったの。私の成績では受かりっこない。

「やって見なくちゃ判らないだろう」

 それからというもの、毎日夜中まで受験勉強をすることになったの。隆文君が勉強を教えてくれると言ったから。

 合格発表は二人で見に行ったの。私は自信が無くてずっと下を向いていたわ。

「あった!」

 そう叫ぶと、隆文君は私を抱きしめて頭を撫でてくれた。


 卒業式の前日。商店街の洋服店で隆文君のお母さんに会った。

「いよいよ卒業ね。奈美ちゃんが同じ高校に通ってくれるから私も嬉しいわ。これからも隆文をよろしくね」

 はい!こちらこそ。そんな話をしたのだけれど、私は隆文君のお母さんが手にしているものが気になったの。

「それって…」

「ああ、これ制服のボタン。ほら、卒業式には女の子に取られちゃうんでしょう?」

 私は思わず納得しちゃった。隆文君ならボタンがいくつあっても足りないかもしれない。

 案の定、式が終わると、隆文君の周りはボタンをせがむ女の子たちで一杯だった。ようやく落ち着くと、隆文君は私のそばにやって来た。

「さあ、一緒に帰ろうか」

 隆文君は私の手を取って教室を出たわ。校舎の外に出ると、南風と一緒に桜の花びらが一斉に舞ったの。とても不思議な瞬間だった。

「きれい!」

「うん」

 目が合うと、隆文君は私の頬にキスしてくれた。

「誕生日おめでとう」

 そうだ!卒業式のことで頭がいっぱいだったけれど、今日は私の誕生日でもある。今日はウチで卒業祝いを兼ねた私の誕生日のお祝いをやるのだ。

 その夜、隆文君は帰り際に私の手を握って何かを持たせてくれた。

「三年間、付けていたオリジナルだから」

 そう言って笑った。私が手を開くと、そこには制服のボタンが収まっていた。


 高校生活もあっという間だった。サッカーだけでなく、成績も優秀な隆文君は普通科の進学クラス。合格するのがやっとだった私は普通科ではついて行けないと思ったから商業科を受けたの。

高校は必ず、クラブ活動をしなければならないという校則があったの。当然、隆文君はサッカー部。私は運動が苦手だったから美術部に入ったの。

サッカー部のグランドは少し離れた場所にあり、部員は全員寮に入ることになっていたの。隆文君も例外ではなかったわ。中学の時のように二人で一緒に帰ることもなくなったし、誕生日に隆文君が家に帰れないこともあったりして、誕生日のお祝いもしなくなった。

そして、隆文君は東京の大学を受けて見事に合格したの。私は地元の商科大学に入ったわ。隆文君が東京へ行く日、ウチの家族も一緒に見送りに行ったの。新幹線のホームに立った隆文君がポケットから何か出して私に寄越したの。

「三年間、付けていたオリジナルだからな!」


 隆文君からは月に一度くらいの割合で手紙が届いた。福岡に帰って来るのは正月くらい。たまに帰ってきた隆文君はしばらく会わないうちにずいぶん大人になったように感じた。東京でもきっとモテているんだろうな…。

 そういう私も大学に入ってから彼氏が出来た。彼氏と言っても、ちょっと仲のいい男の友達という程度のものなのだけれど。そんなことを手紙に書くと、隆文君はとても喜んでくれた。隆文君は彼女とかできたの?そう聞いたけれど、フットサル三昧でそんなヒマはないと言っている。それを聞いてなぜか安心してしまう私はきっと隆文君のことが好きなのだと自覚する。


 就職活動で東京に本社がある百貨店を気休めで受けた。なぜか受かってしまった。大学を卒業したら東京で研修があるのだと知らされた。それから、配属先が決まるのだけれど、地方出身の者は東京の本社へ配属されるのが慣例なのだという。それを聞いて私の胸は高鳴った。

 早速、隆文君に連絡をした。私は会社の寮に入るのだけれど、隆文君も就職が決まって賃貸のマンションに引っ越すのだという。週末には遊びに来ればいいと言ってくれた。


 3月20日。お父さんとお母さんが隆文君のご両親を招いて私の就職祝いを兼ねた誕生日会を開いてくれたの。ここでやる誕生日会はこれが最後になるかもしれないと思うと、なんだか涙が止まらなくなっちゃった。隆文君が居たら、きっと頭を撫でて励ましてくれたのだろうな…。

 3月30日。隆文君が乗った新幹線に私も乗って行く。隆文君のご両親も見送りに来てくれた。

「奈美ちゃん、たまには隆文の様子を知らせてね」

「任せて下さい」

 発車のベルが鳴ると窓の外の風景が少しずつ動き始めた。

これから新しい生活が始まる…。




 東京駅に着くと、人事部の人が迎えに来ていた。まずは本社で他の地方から来た新入社員たちと合流し、研修についての説明が行われた。それから、独身寮へ向かった。荷物は既に届いている。私はとりあえず、身の回りのものを整理することにした。

 ある程度片付いた頃に誰かが部屋のドアをノックした。一緒にこの寮に入った子だった。確か相沢早苗と言っていた。

「ねえ、ご飯食べに行こうよ。一人じゃ心細いから」

「うん、いいよ」

 東京に来て最初の食事なのだ。少し贅沢をしてもいいかな…。相沢さんもそう考えていたらしい。私たちは駅の近くにあるファミリーレストランに入った。贅沢な食事がファミリーレストランというのも私らしい。

「竹岡さんってどこの出身?」

「福岡。相沢さんは?」

「私は秋田」

「へー!まるっきり反対だね」

 同じ日本でも九州と東北とではまるっきり文化が違う。東京はそういう人たちが集まって切磋琢磨し合っているのだと、隆文君が言っていたのを思い出し、笑みがこぼれた。

 食事はこの店で一番高いステーキを頼んだ。それに二人でサラダをシェアしてワインをボトルで注文した。

「二人が知り合えた記念に!」

「初めての東京に乾杯!」

 明日から研修センターでの研修が始まる。


 研修では商品の流通ルートから売り場での接客、トラブルの対応についてなどのマニュアルを徹底的に叩き込まれた。入社式も研修期間中に行われ、式典が終了するとすぐに研修を再開した。

 研修センターでの研修は一週間続いた。研修の最終日に本店での勤務を言い渡された。

「一緒でホッとした」

 早苗が笑顔で話し掛けてきた。売り場は違うけれど、二人とも本店での勤務になった。私はバッグ売り場、早苗は紳士服売り場。


 東京に来て一か月。仕事が忙しくて隆文君とは連絡も取っていない。おまけに、百貨店勤務だと、土・日が仕事なので増々機会が作れない。今日も日曜日だというのに売り場からカップルや家族連れの姿を眺めている。

「このバッグ見せて貰えますか?」

 声を掛けられてふと我に返る。

「あれ…」

 私の顔を見てその人が呟いた。

「奈美?」

 隆文君だ!

「百貨店に勤めるとは聞いていたけど、ここだったんだ」

「私もびっくりしたわよ。まさか、こんなところで会えるとは思わなかったし…」

 久しぶりに隆文君の顔を見たら、思わず昔みたいに話し掛けてしまった。心の底にしまい込んでいた恋心が一気に溢れ出てくる感じがした。けれど、隆文君の後ろに若い女の人が居るのに気が付いた。それに、隆文君が差し出したバッグは明らかに女性もののバッグだった。

「ああ、郷里の幼馴染なんだ」

「そうなの?」

 幼馴染…。隆文君はその人に私をそう紹介した。確かにその通りなのだけれど。

「彼女は大学の後輩。これは誕生日のプレゼントにと思って」

 そう言って手に取ったバッグを改めて示した。

「そうですか。若い方にはとても人気の物ですよ」

「どう?」

「うん。気に入ったわ」

「じゃあ、これ貰います」

 隆文君はクレジットカードで支払いを済ませると、贈り物用に包んでいる私のそばにやって来て名刺を取り出し、裏に住所を書いてくれた。

「仕事、何時に終わる?」

「8時には出られるけど」

「じゃあ、その頃迎えに来るよ。久しぶりに飯でも食おう」

「彼女は?」

「この後、合コンなんだと。じゃあ、また後で」

 隆文君はバッグを受け取ると、彼女と二人で売り場を離れた。


 仕事を終えて、早苗と二人で百貨店を出た。従業員通用口の前で隆文君が待っていた。

「やあ!」

 隆文君は軽く手を上げて合図してくれた。

「だれ?彼氏?」

 早苗が目を輝かせる。

「ううん、郷里の幼馴染」

「そう!じゃあ、私は先に帰るね」

 早苗は肘で私を軽く小突いてから、手を振って歩いて行った。

「お待たせ…」

 言い終わるより早く、隆文君は私を抱き寄せて頭を撫でてくれた。

「本当に久しぶり!奈美はちっとも変わらないな…。いや、子供の頃よりずっとキレイになった」

 警備員が咳払いをして見ている。私たちは早々にその場を離れた。


近くの居酒屋に入った。隆文君は適当に数品を注文した。生ビールとお通しがすぐに運ばれてきた。

「久しぶりの再会に」

 隆文君がそう言ってグラスを掲げた。私は頷いてグラスを合わせた。

「ごめんなさいね。こっちに出て来てから研修とか色々忙しくて連絡もできなかった」

「お互い様だよ。俺だって就職したのはいいけれど、ハンパ無い忙しさで夜も昼も無いくらいだったから」

 隆文君は大手の広告代理店に入ったと聞いている。有名なテレビのコマーシャルはみんなそこの会社で作ったものだと言っていた。新人は扱き使われるのだろう。

「あの…」

 私はさっき一緒に居た女性のことを聞きたかった。大学の後輩だと言っていたけれど、誕生日のプレゼントに高価なバッグを買ってあげるくらいの仲なのかと思うと、なぜか心に穴が開いたような寂しさを覚えた。

「なに?」

「ううん、なんでもない」

「もしかして、さっきの子のことが気になる?」

 私は特に返事をしなかったのだけれど、隆文君はそんな私を見透かしたように話し始めた。

「さっき紹介した通り大学の後輩でフットサルのマネージャーをやってくれていたんだ。彼女はまだ在学しているから今でも続けているんだけどね。それで、この間、サッカーの日本代表の試合があっただろう?何対何でどっちが勝つか賭けたんだ…」

 そう言えば、先日、日本代表と韓国代表の試合があった。確か、1-2で日本代表が負けたはずだ。

「…おれは1-0で日本、彼女は1-2で韓国だと予想したんだ。結果は今日の出来事で解かるだろう?彼女は俺からバッグをせしめて合コンに出掛けたよ。俺はその後、一人で映画を見ながら時間をつぶしたってわけだ」

「なーんだ、そうだったの」

「安心した?やっぱりそのことが気になっていたんだろう?」

「そんなことないよ。隆文君は昔から女の子にはモテモテだったから」

「そうかなあ…。俺は全然、意識したことなかったからなあ。だって、ずっと奈美がそばに居たから」

「そのおかげで私がどんな目に遭ったか覚えてる?」

「落書き事件だろう!あれにはがっかりしたな。周りのヤツらがあんなに幼稚だとは思わなかった」

「まあね。でも、その後は私にちょっかい出すと隆文君に嫌われると思ったのか誰も何もしなくなったけどね」

 それから、頼んだ料理が次々と運ばれてきた。私はお昼を取り損ねていたのでそれを見た途端にお腹の虫が急に鳴き出した。

「取り敢えず食べていい?お腹すいちゃった」


 食事を終えて店を出た。ほろ酔い気分で気持ちいい。こんな時に誘われたら、どこまででもついて行っちゃいそう。

隆文君は時計を見ている。

「もうちょっと付き合える?」

「いいよ。明日は10時出勤だし」

「よし、じゃあ、ウチへ行こう!近くなんだ」

「本当!隆文君がどんなところに住んでるのか見てみたい」

 隆文君は嬉しそうな顔をして私の頭を撫でてくれた。そして、タクシーを停めた。


 タクシーで15分ほどで隆文君が住んでいるマンションに到着した。そこが私の入っている百貨店の独身寮に近いことに驚いた。

キレイでお洒落なマンションだった。こういうのをデザイナーズマンションというのだろう。もちろん玄関はオートロック。部屋は2LDK。広いリビングにはまだ段ボールに入ったままの荷物が結構な数置かれている。二部屋あるうちの一部屋は寝室で使っているようだ。もう一部屋はほぼ物置になっている。

「まだ引っ越したばかりで。全然、片付ける暇がなくて」

 そう言って頭をかきながら私の方を見る隆文君。なるほど!そういう事ね。隆文君が頭をかきながらこういう風に私を見る時は必ず何か頼みごとがある時。

「はいはい。解かりました」

「じゃあ、よろしく」

 そう言って隆文君は部屋のスペアキーを私に預けてくれた。

「この鍵、いつから用意してたの?」

「不動産屋に鍵を預かってすぐに作った」

「私、お休みが水曜日だから、毎週水曜日に少しずつ片付けてあげる」

「サンキュー!助かるよ」


 次の水曜日、私は早速、隆文君の部屋の整理を始めることにした。収納のための家具は揃っているので、段ボールの中身を確認して収納する家具の前に振り分けた。それからまず、衣類をクローゼットやタンスにしまう事から始めた。そして、男の人がこんなに服を持っていることに驚いた。それから本やCDの類。アルバムを見つけたらしばらく作業が止まってしまった。福岡の頃の懐かしい写真に目が留まった。私は子供の頃のアルバムは実家において来たので隆文君がこのアルバムを持って来ていることに感心した。そして一段と興味を引いたのは隆文君がこっちに来てからの写真だった。私の知らない隆文君がたくさん写っていた。そして、日曜日に一緒にバッグを買いに来た女の子も多くの写真に隆文君と一緒に収まっていた。

「なんか怪しいなあ…。いけない!こんなことをしていたらいつになっても終わらないわ」

 夕方にはあらかたの荷物が片付いた。隆文君の帰りは7時頃になると言っていた。食事をご馳走するから、待っているように言われていたのだけれど、時間もあるしもったいないから何か作ることにした。とは言え、独身男性の一人暮らし。冷蔵庫を覗いたら缶ビールとチーズくらいしか入っていなかった。

「しょうがない。ちょっと買い物に行ってくるか」


 7時過ぎに隆文君が帰って来た。

「うわあ!いい臭いだ。カレー?」

「うん。片付けて時間があったから作ってみたの」

「こりゃあ、いいや。正直、ご馳走するとは言ったけど、給料日前で結構ギリギリなんだ」

 隆文君は着替えて来ると、すぐにテーブルに付いた。まず、私が作ったカレーを一口食べて頷いた。そしてあっという間に一杯目を食べ終えた。

「おかわり!」

 久しぶりに家庭的な雰囲気の食事を味わった。食事が終わって私が洗い物をしていると、隆文君が後ろから近付いてきて頭を撫でてくれた。

「奈美を嫁に貰う男は世界一の幸せもんだな」

「そんなことないよ」

 私は真っ赤になった顔を見られるのが恥ずかしくて、振り向くこともせずに洗い物を続けた。


 こうして私はたまに隆文君の部屋で食事の支度をするようになった。もちろん仕事が休みの日限定なのだけれど。そして、外で食事をするという時には隆文君が百貨店の従業員通用口の前で待っていてくれる。

「奈美はいいわね。幼馴染の彼氏が居て」

 単身秋田から出て来た早苗は寮と百貨店との往復意外、どこかに出かける勇気も余裕も無いようで、休日も部屋で読書をしたりDVDを見て過ごすことが多いらしい。

「そのうちいいこともあるって」

 気休めにしか聞こえないかもしれないけれど、それでも私が東京に来て最初の友達でもある早苗には感謝している。

 そんなこんなで、あっという間に3年が過ぎて行った。




 早苗に彼氏が出来た。売り場のお得意さんなのだという。私は2年目以降、地下食料品売り場の担当になった。いわゆるデパ地下というやつだ。早苗は相変わらず紳士服売り場を担当している。毎年、春と秋にスーツを作ってくれているお客さんと親しくなり、付き合い始めたのだという。年齢が6歳年上でIT関係の会社を経営しているのだそうだ。

 私は相変わらずだ。たまに隆文君の部屋に行って食事の支度をしたり、飲みに行ったりして楽しく過ごしている。そろそろプロポーズされるのではないか…。なんて期待したりもする。そんなある日、隆文君から電話があった。大事な話があるのだという。来た!私はすっかり舞い上がってしまった。

 待ち合わせの場所はいつも行くような居酒屋ではなく、ホテルのレストランだった。これは間違いない。いよいよ来るべき時が来たのだ。私は信じて疑わなかった。

 私は時間より少し早く着いたのだけれど、隆文君は既に来ていた。

「お待たせ。ずいぶん早いのね?」

「ああ、大事な話をするのに待たせちゃ悪いから。実は…」

 私は心臓が飛び出そうなくらいドキドキしながら隆文君の次の言葉を待った。

「…実は俺、結婚しようと思うんだ。奈美には一番最初に報告しようと思って…」

 えっ?隆文君は何を言っているの?私はまだプロポーズもされていないわ。報告?私に?えっ?頭の仲がぐちゃぐちゃになって来た。

「…奈美も知ってるよね。藤崎友香さん。大学の後輩の…」

 ああ!あの女ね。いつの間にそうなっちゃったの?私はどんな顔をして隆文君を見たらいいの?なんだか恥ずかしいやら情けないやら…。ダメよ!出てきちゃダメ!でも、無理。私は涙が目からこぼれる前に席を立った。そして、隆文君に背中を向けて歩き出した。すぐに誰かとぶつかったけれど、そのまま通り過ぎた。

「ねえ、彼女どうしたの?」

「いや、俺にも解からない」

 後ろからそんな会話が耳に入って来たけど、知らない。早くその場から離れたかった。


 寮に帰ると早苗の部屋に飛び込んだ。そして、早苗にしがみついて泣いた。大声で泣いた。どれくらい泣いていたかは判らないけれど、早苗は何も言わずに抱き留めてくれていた。

 ようやく落ち着いた頃、早苗も初めて口を開いた。

「なんだかよく解からないけど、飲みに行くか!しょうがないから、今日は私がおごるワ」

「ちょっと待って。化粧を直すから」

 私が鼻水を垂らしながらそう言うと、早苗は大笑いして私の背中を軽くたたいた。

 早苗のおかげで気持ちの整理がついた。本当は薄々感づいていた。私は隆文君のお嫁さんにはなれないのだと。あのときは隆文君に悪いことをした。一度、ちゃんとお詫びをしよう。そう!部屋の鍵も返さなきゃ。


 結局、その後、隆文君とは会う機会がないままだった。電話もメールもできないまま一月たった。その日も疲れて寮に帰った。メールボックスに一通の手紙が入っていた。隆文君からだった。隆文君からというより、隆文君と友香さんからだった。それは結婚式の招待状だった。今秋に式を挙げることになったらしい。招待状と一緒に手書きの手紙が添えてあった。それは正真正銘、隆文君からのものだった。

 私は隆文君にとって世界で一番可愛い“妹”だと綴られていた。妹でもなんでもいい。隆文君に世界一だと言われたのだから結婚式には行ってやろう。そして、ちゃんとおめでとうって言おう。




 青空の下、花びらが舞う。花びらのシャワーを浴びながら、新郎と新婦が教会から出て来た。花嫁の真っ白なドレスがいろんな色の花びらに染まって行く。風が花の香りを運んでくる。二人を祝福する鐘が鳴り響き、参列した人たちの笑顔が花開く。

「奈美ちゃんごめんなさいね。私はてっきり、奈美ちゃんがお嫁さんになってくれると思っていたのに」

「気にしないで。子供の頃から隆文君にとって私は妹だし、隆文君は私にとってはお兄ちゃんだもの」

 隆文君のお母さんは申し訳なさそうに言ったけれど、私は本当にもう気にしていない。

花嫁さんはとてもきれい。少しくらいは悔しいけれど、隆文君にはお似合いの人だと思う。


 花嫁さんはみんなに手を振りながらにっこり笑った。そしてゆっくりと振り向いた。ブーケトス。

「奈美ちゃん、取ってらっしゃい!今度は奈美ちゃんの花嫁姿が見たいわ」

 隆文君のお母さんがそう言って私の背中を押した。

「あっ…」

 私は不意を突かれてつんのめってしまった。その瞬間、花嫁がブーケを空に向かって放り投げた。出遅れた。そう思った。けれど、どういう訳か花嫁が放ったブーケは私に向かって大きな弧を描いて飛んで来る。そして、参列していた女性たちも一斉に私の方へやって来る。私は思いっ切り手を伸ばした。けれど、人の波に押されてブーケを掴むことはできなかった。そして、誰かに思いっ切りぶつかってしまった。

「いやっ…」

 私はバランスを崩して転んでしまった…。はずだったのだけれど、誰かが私を支えてくれたみたい。薄いピンク色の景色が私の目の前に現れ、そして遠ざかって行った。私は何とか体制を整えて踏ん張り直した。


 あっという間だった。人ごみが通り過ぎると、私の足もとに誰かが倒れていた。右手にカメラを持っている。そして、薄いピンク色のシャツ。この人に違いない。きっと、この人が転びそうになった私を支えてくれたんだわ。彼は死んだふりでもしているかのように固まっていた。

「あの…。大丈夫でしたか?」

 私が声を掛けると彼は爽やかな笑顔を浮かべた。そして、立ち上がり、服の汚れを手ではたきながら私の方を見て応えてくれた。

「お互い、災難でしたね」

 彼の服には誰かに踏まれたのだと思われる足跡が付いていた。彼が居なければ私が足跡にまみれていたのかもしれない。私はポケットからハンカチを取り出し、彼の手元に差し出した。

「ありがとうございます」

 彼が微笑んだ。彼の笑顔は暖かい風のようだった。優しく私を包んでくれる…。そう!福岡に居た頃のような暖かい南風のように。


 秋のいい日に私の心に春が来た。







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― 新着の感想 ―
[一言] 拝読いたしました。 奈美さんがとても可愛らしく描かれていて、良かったです。 幼馴染くん、そんなスーパーマンだったとは……(汗) 切ない展開ですが、女の子はこうやって大人になっていくんですね…
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