珈琲六杯目
私のフォロワーさんに登場人物と似た人がいるかもしれませんが、他人のそら似です。
「こんにちは」
フサフサ亭の隣にあるスナック「二人はプリティガール」のママさんが、商店街の回覧を持って、フサフサ亭に入って来た。
「どうも、ご苦労さまです」
「いえいえ~、僕ちゃんもたまにはうちに来てよねっ、キャピッ!」
くるくるパーマヘアに、浮き出た白い顔、キャミソールを着て、生足にミニスカートを履いた、推定年齢70歳のママさんが、女子高生のようにはじけて、俺にウィンクを投げ寄越したが、心のキャッチャーミットで捕球して、一夢の方にトスしといた。
「ははは、そ、そのうちに」
「待ってるわよ~」
手を振りながら、ママさんは去って行った。
妖怪白塗り婆が出て行くと入れ違いに、ドアがちょっとだけ開くと、男の子が一人、顔を覗かせた。
「あの~」
「はい、何ですか?」
「こ、ここは珈琲一杯、おいくらですか?」
「ブレンドだと600円ですよ」
「良かったあ。変わってない」
男の子は安心したような顔をして、店の中に入って来た。
一応、男の子みたいだけど、小柄で可愛い顔立ちをしている。ぱっつんの前髪に、細い眉、長い睫に縁取られた大きな目は、女性的な顔立ちで、翔姫ちゃんほどではないが、女装をすれば、完璧に女だと誤魔化せるレベルだ。ショタ方面でもいけそうだ。
その子は、紙袋を持って、店の中に入って来ると、カウンター席に座った。
「そ、それでは、ブレンドをください!」
何か、たかだか珈琲一杯を頼むのに、すごく気合いが入っている感じだな。
「友達から、ここの珈琲は美味しいよって聞いて、1回は飲んでみたいなあと思ってたんですけど、お金が無くて、ずっと我慢していたんです」
珈琲一杯のお金にも困っているなんて、相当な貧乏なのか?
「でも、どうしても飲んでみたくて、毎日1円ずつ貯金をして、やっと今日、600円貯まったんです」
2年近くコツコツと貯金をして、うちの珈琲を飲みに来てくれるなんで、何か感激だなあ。
「どうもありがとうございます。一夢、珈琲一つ! 心を込めて淹れてくれよ」
俺は、一夢にオーダーを伝えると、今どき珍しく貯めたお金で珈琲を飲みに来てくれているという、目の前の男の子に興味が湧いた。
「俺は、ここフサフサ亭の雇われマスターやってます冬山僕と言います。君は……?」
「私は、晩霜コウと言います」
「コウちゃんですか。……男性ですよね?」
「はい。良く女性と間違われますけど」
思わず「ちゃん」付けで呼んでしまう可愛い風貌だ。
「学生さんですか?」
「はい、大学生です」
「それじゃあ、俺と一緒ですね。けっこう生活が厳しいんですか?」
「そうですね。親からの仕送りは、ほとんど学費で消えてしまって……」
「アルバイトとかは?」
「昔から体が弱くて、力仕事はできないですし、おっちょこちょいなので、接客業についても失敗ばかりしてしまって……。だから、今はバイトも特にしていません」
「そうか。それじゃあ、仕送りの残りで生活をしているってことなんですね」
「はい。私でもできるバイトってないでしょうか? 例えば、立ってるだけとか」
そんなバイトがあるんなら、俺もやってるぜ。
その時、珈琲を淹れていた一夢が、カニ歩きで俺の側までやって来て、1枚のチラシをオーバーオールの胸当てから出した。
「……良いバイトある」
俺がそのチラシを受け取り、コウちゃんと一緒に見てみると
「ガールズバー『学校恋物語』。カウンターの中でセーラー服を着て微笑んでいるだけでOK! 健全なお店です」とあった。
おい! コウちゃんは男だぞ。……確かにセーラー服は似合いそうだが。……って、何を言っているんだ、俺は。
「一夢! 何でこんなチラシを持っているんだ?」
「……自分も応募するつもりだった」
はっきり言わせてもらうけど、無理だから! 不採用だから!
男か女か分からないような、無口で、野口さんのような奴がカウンターの中にいても、誰も話し掛けないから!
まあ、物珍しい人寄せパンダにはなれるかもしれないが。
とか言っているうちに、一夢が、淹れたての珈琲をコウちゃんの前に置いた。
コウちゃんは、一口、その珈琲を飲むと「美味しい」と呟いた。
「コウちゃん。じっくり味わっていってね」
「はい」
「そう言えば、コウちゃん。今日は買い物の帰りですか?」
俺は、コウちゃんが持っていた紙袋を見て、尋ねた。
「いいえ、この紙袋は、私が子供の時からバック代わりにずっと使っているんです」
「子供の時から?」
「物心が付いたときからずっとです」
「えっ、ランドセルは?」
「その時は、家も貧乏だったので、買ってくれませんでした」
いつもジャズが掛かっているフサフサ亭のBGMが、この瞬間に演歌に変わった気がした。
――不憫すぎる! 何か泣けてきた。
子供の時から使っているって紙袋って……。コウちゃんが持っている紙袋をよく見てみると、大きな字で「ようこそ大阪万博へ」と書かれていて、変な顔が付いている塔の写真がプリントされていた。
「大阪万博って、いつ開かれたんですか?」
「さあ?」
コウちゃんも知らないみたいだ。
すると、一夢がオーバーオールの胸当てからスマホを取り出した。お前の胸当てはドラえもんの四次元ポケットか?
しかし、スマホを持っているなんて、一夢も文化的な生活をしているなあ。俺も欲しいとは思っているが、まだ購入まで踏み切れていない。
「一夢。スマホ持っているんだ?」
「……スマキじゃないよ」
――隙を突かれた!
普段、冗談を言わない奴がポロッと冗談を言うと、実は、つまらない冗談が異様に面白いことがあるが、不覚にも今、そんな状態に陥ってしまった。
こ、こんな下らん冗談で笑ってたまるか!
くそ! 何だ、一夢! その勝ち誇ったような顔は!
いつもどおり、表情の変化は乏しかったが、口の端が3ミリほど上向きに曲がって、顔が3度ほど上向いていたことで十分、一夢が勝利感に浸っていることが分かった。
俺が屈辱感を味わっている間にスマホを操作していた一夢が言った。
「……大阪万博。……1970年」
今は2012年だから、…………42年前!
コウちゃんが持っている紙袋は、42年間もの長い年月を無事過ごしてきたのか。何て物持ちが良いんだ! って言うか、この紙袋、未だに新品に見えるけど、鑑定団に出したら、相当な値段が付くお宝なんじゃないか。
――ぐう~っ
コウちゃんの腹の虫が大きな声で鳴いた。
「ごめんなさい。は、恥ずかしい」
「はははは。お腹も空いているのかな?」
「実は、5日前からキャベツしか食べてなくて」
「キャベツ?」
「はい。近所のスーパーで大安売りしていたので、買いだめしているんです。たぶん、後3日くらいは、ずっと毎日3食キャベツです」
「どうやって食べてるの?」
「ガスも止められているので、生で食べます。キャベツにお味噌付けてかじるとか」
蟻のような節約家なのにキリギリス状態!
「電気は大丈夫なの?」
「はい。アパートの隣の部屋からコンセントを引っ張ってきて、とりあえず冷蔵庫だけは動いてます」
それ、窃盗だろ? 冷蔵庫だけだから、隣の家も気づかないのかもしれないけど。
「家の灯りは?」
「仕事で蝋燭と鞭を使っている友達がいるので、その友達から使用済みの蝋燭をもらっています」
「でも、これからずっとキャベツ?」
「冬は白菜ですね。やっぱり節約生活の中でも季節を感じていたいですから」
何て素晴らしい心がけだあ。
「あっ、でも、昨日は超豪華なご馳走を食べたんですよ」
「何ですか?」
「巳水屋のコロッケです」
巳水屋とは、フサフサ亭と同じ商店街にある肉屋で、店頭で揚げて販売している牛肉コロッケが安くて美味いと評判の店だ。俺もたまにフサフサ亭からの帰りに買って帰っている。もっとも余りに安いので、本当に牛肉なのか疑問視している奴もいる。……店名は関係ないと信じたい。
「確か1個40円ですよね」
「はい。でも巳水屋のおばさんと仲良くなって、形の悪いものを10円で売ってもらったんです。夢のようでした~」
10円のコロッケを「夢のようなご馳走」と言っているコウちゃんの台詞を、不正に生活保護を受けている奴らに聞かせてやりたいものだ。
そんなかんな話をしていると時はすぐに経ってしまい、珈琲を飲み終えたコウちゃんが、紙袋から豚の貯金箱を取り出した。
「すみません。お代がちょっと細かいんですけど」
「全然、良いですよ」
コウちゃんが貯金箱の底の蓋を開けると、本当に1円玉ばかりが出て来た。
確かに細かい。でも、これは、コウちゃんの血と汗と節約の賜なのだ。
俺は、一夢にも手伝ってもらって1円玉を数えた。
「俺の方は296円あった。一夢は?」
「……303円」
「足すと……、599円」
「えっ、そんな……。確かに、今日が600日目だったから、600円あるはずなんですけど」
今度は、1円玉の山を一夢と交換して数えてみたが、結果は同じだった。
「そ、そんな……」
「コウちゃん。1円くらいなら負けてあげるよ。一応、俺がマスターだから、俺が補填しておくから」
「すみません」
涙ぐんでいるコウちゃん。……本当に可愛いなあ。何でも許しちゃう気になってしまう。
……はっ、いかん! コウちゃんは男なんだぞ。先日の翔姫といい、俺は次第に男に惹かれるようになってきているのだろうか? これはまずい。オーナーの影響だろうか?
「僕さん、ありがとうございました。本当に珈琲美味しかったです」
「また、おいでよ」
「はい。また2年後に。ごちそうさまでした」
そう言うと、コウちゃんはフサフサ亭を出て行った。
いやあ、久しぶりに爽やかな気分になったなあ。今時、こんなに苦労している若者もいるんだね。でも、そんな貧乏に負けないで頑張っているコウちゃんに、何か感動したよ。
俺がそんな感動に浸っていると、またドアが開いて、コウちゃんが入って来た。
「すみません。忘れ物しちゃって」
「忘れ物?」
よく見ると、カウンターの上に、キーホルダーの付いた鍵があった。
「これですか?」
「はい。車のキーなんです」
「車? コウちゃん、車に乗っているの?」
「はい。ドライブは私の唯一の趣味なんです」
「へえ~、どんな車に乗ってるの?」
「店の前に停めてますよ」
コウちゃんと一緒に外に出てみると、そこには、スーパーカー「ランボルギーニ・カウンタック」が停車していた。
――確か、これ中古で買って、1000万円以上するんじゃなかったっけ?
「これの維持費とガソリン代が馬鹿にならなくて~。それじゃあ失礼します」
コウちゃんは、颯爽とスーパーカーに乗り込むと、爆音を響かせながら走り去って行った。
………………俺の感動を返せ! 俺が流した涙を返せ! 1円の請求書を後で送るからな!
ここは喫茶フサフサ亭。不思議で愉快な仲間が集まってくるらしい。
この物語は実在の人物とまったく関係がありません。フィクションです。