珈琲二杯目
私のフォロワーさんに登場人物と似た人がいるかもしれませんが、他人のそら似です。
今日も、ドアの外のすべてが光の速度で移動しているかのように、フサフサ亭の中は、ゆっくりと時間が流れていた。
店内には二人の客がいたが、二人ともジャズのBGMを子守歌に深い睡眠の旅に出ているようだ。
カウンターの中で、コーヒーカップやお皿を磨き上げている俺の隣には、いつもどおり、脱力したまま直立している一夢がいた。
その時、一人の女性が入って来た。留め袖のような着物を着ているが、帯には何故か竹刀を侍のように差しており、そして、背中にはギターを背負っていた。更に、その髪はユニコーンの角のようにそびえ立っており、ただ者ではない雰囲気をまき散らしていた。
「いらっしゃいませ」
「今日は旦那様は?」
女性は辺りを見渡しながら涼やかな声で言った。
「旦那様?」
「オーナーよ」
「ああ、今日は来ていません」
「そう、なかなか会えないわね」
女性は残念そうに言うと、カウンター席に座った。
俺が、お冷やを女性の前に置くと
「あなた、新しいバイトさん? オーナーの好きそうなガチムチ系ね」
「は、はあ」
「珈琲をくださいな」
「はい」
俺が隣の一夢に注文を伝えようとすると、先に女性の方が大きな声で一夢に言った。
「一夢ちゃん。いつもどおり濃い奴頼むわよ。今日も徹夜になりそうだから」
一夢は無言でうなずいただけだった。
「ねえ、バイトさん」
「はい」
「あなた、名前は?」
「冬山僕と言います」
「僕さんか。創作意欲を掻き立てる良い名前ね。私は『史間くらし』って言うのよ」
「くらしさんですか? 変わった名前ですね」
「そうかしら。私は至って普通だと思っているけどね」
いや、格好同様、変わっているだろう。とりあえず一つ一つ、つぶしていこう。
「ギター弾かれるんですね」
「よく分かったわね」
だから、この状況でギターに気づかない奴がいるとすれば、そいつは地球滅亡の日にも深夜アニメを笑いながら見ていられる奴だろう。
「これはね、通販で買った、ギブソンレスポールなのよ。良い音で鳴いてくれるのよ」
いや、ヘッドに書かれたブランドのアルファベット、どう見てもSがBになっていて、ギブボンとしか読めないのだが……。
「腰の竹刀は?」
「私は、地区の教育委員会から委嘱を受けて、通学中の幼気な小学生をシバいて鍛えてあげるというボランティアをしているのよ」
ただの通り魔じゃねえか。
「す、素敵なヘアスタイルですね」
「知り合いのヘアデザイナーのヘアカットモデルをやっててね。これは、そのデザイナーが、今度のパリコレモデルのカットの練習台にって、やってくれたのよ」
単に髪をどこまで高くセットできるかのギネス記録に挑戦しているだけのようにも思えるが……。
「して、くらしさんは、何のお仕事をされているんですか?」
「えっ、知らないかなあ。『ソラシド』っていう投稿小説を掲載している雑誌の編集をしているんだけど」
「えっ! 本当ですか? 実は、俺も趣味で小説を書いているんですけど」
「それじゃあ、私の本に投稿してみる?」
「良いんですか? でも、審査とかあるんですか?」
「とりあえず私が読んで、面白ければOKよ」
「本当ですか? ぜひ、今度、持ち込みます」
「まず大丈夫よ。一夢ちゃんだって掲載しているんだから」
えっ、一夢も小説を書いていたなんて初耳だ。もっとも、一夢とは、小説フォーマットで一行以上、連続で会話したことがないから、まだ一夢のことは何も知らないと言って良い。
俺は一夢に訊いてみた。
「一夢。何て小説書いているんだ?」
「……『ドーナッツ――迷子のポンデリング――』という恋愛小説」
確かに、恋愛小説ぽく甘そうなタイトルだが、ストーリーがまったく想像できない。それに、そもそも、一夢が恋愛小説を書いていることが信じられない。男か女か分からんが、どっちかとしても、異性に興味があるとは思えない。
くらしさんの批評を訊いてみよう。
「くらしさん。一夢の小説は面白かったですか?」
「面白かったわよ。フレンチクルーラーがエンジェルショコラに告白をするシーンは泣けたわね」
そ、そんなに面白いのか? う~ん、一夢め、普段の風貌はライバルを油断させるための作戦なのか?
一夢は、オーバーオールの胸当ての中をごそごそとまさぐっていたが、すぐに一冊の本を取り出した。くらしさんが出している「ソラシド」だ。
パラパラとページをめくって、あるページを開くと、そのまま、俺に「ソラシド」を差し出した。
どうやら、さっき、くらしさんが言ったシーンが書かれているページらしい。どれどれ……。
『私もエンジェルショコラになりたかった』
『大丈夫だよ、クルーラーさん。僕のショコラを君に捧げよう』
『ありがとう、エンジェルくん。わーい、これで私はエンジェルフレンチだあ』
…………何というか、水深二メートルのプールに満々とたたえられた儚さの中に沈んでいく感情、……人はこれを感動と呼ぶのだろうか?
「一夢。後でゆっくりと読ませてもらうよ」
俺は一夢に「ソラシド」を返して、くらしさんに訊いた。
「くらしさんも何か書かれているんですか?」
「私も『京間のファブリーズ』って小説を連載しているわよ」
「あっ、それ知ってます! 確か『なろう』にも掲載していますよね」
「ええ」
「俺、読みました。とても面白いですよね。あの作者のくらしさんだったんですね。嬉しいな。ご本人に会えるなんて」
「ああ、ありがとう。あなたはどんな小説を書いているの?」
「『水虫侍』という時代劇を書いてます」
「私も時代劇は大好きよ。ぜひ読ませて」
「はい!」
そこに一夢が珈琲をくらしさんに差し出した。
「う~ん、良い香り。一夢ちゃんの淹れてくれる珈琲は本当に美味しいのよね」
そのちょうどのタイミングで、オーナーが店に入って来た。
「ただいもなのだよ」
「あら、旦那様。お久しぶり」
「うっ、嫁一号! なぜ、こんな所に?」
カウンター席に座ったまま、振り返ったくらしさんを見たオーナーは、明らかに動揺していた。
二人は夫婦だったのか?
「ご挨拶ね。旦那様の小説を掲載した最新号を持って来てあげたのに」
「そ、それはどうも」
オーナーも小説を書いていたんだ。
「オーナーの小説は何て言うタイトルなんですか?」
まだ動揺が収まらないオーナーに代わって、くらしさんが答えた。
「『ものもらい日和』というシリアスストーリーよ。旦那様の小説を読んで泣かない人がいたら、即逮捕ね」
言論統制かよ。
それにしても、オーナーは何でこんなに動揺しているんだ?
「よ、嫁一号よ。僕はこれから行かなければならない所があったことを、今、思い出した。そ、それでは失礼するよ」
オーナーは回れ右をして、ドアから出て行こうとした。その背中に向かって、くらしさんが言った。
「旦那様。戦国時代には衆道という風習があったそうですよ。一企業グループの殿である旦那様も、小姓の一人や二人、いらっしゃるのでしょう?」
「な、何の話かなぁ~」
汗が噴き出ているオーナーの猫の額に向かって、くらしさんが何かを投げつけた。次の瞬間には、オーナーの額には綺麗にかんざしが刺さっていた。
『新語辞典:猫にかんざし。意味:とどめを刺されること』
「さあて、仕事に戻るかぁ。僕さん、ありがとうね。珈琲代はいつもどおり旦那様の付けにしといて」
そう言って、くらしさんは、かんざしが刺さったまま身動きせずに立っているオーナーの隣を通り抜け、ドアから出て行こうとして、ふと振り返った。
「あっ、一夢ちゃん。2時間くらい後にかんざし抜いといてね。よろしく~」
颯爽とドアから外に出たくらしさんのバックには、必殺シリーズのエンディングテーマが高らかに響いていた。
「い、一夢。オーナー、このままで良いのか?」
俺は少し心配になって、白目をむいたまま微動だにしないオーナーの側に歩み寄った。
「……大丈夫。もう何回も死んでいる」
オーナー自身が物の怪だったのか。一夢もカウンターから出てきて、俺に言った。
「……僕さん。手伝って」
「何をするんだ?」
「……オーナーを入り口の外に立てておく」
まあ、確かに店の真ん中で立たれていると、ちょっと困るよな。……でも、外って?
「……フライドチキンと間違って客が来る」
ああ、なるほど~、……って、おいっ!
でも、店の中で立たれていても迷惑なので、一夢の言うとおり、ドアの外に立っておいてもらった。
ここは喫茶フサフサ亭。不思議で愉快な仲間が集まってくるらしい。
この物語は実在の人物とまったく関係がありません。フィクションです。