珈琲一杯目
私のフォロワーさんに登場人物と似た人がいるかもしれませんが、他人のそら似です。
穏やかな平日の昼下がり。
淹れたての珈琲の香りが、俺の鼻をセーヌ川の畔にあるパリのカフェに案内してくれる。目を閉じるとエッフェル塔が瞼の裏に浮かんでくる。何となく通天閣に似ているのは、実際にエッフェル塔を見たことがないからだろう。
俺は喫茶店のカウンターの中に立ち、コーヒーカップを磨いている。隣では、一夢が一人分の珈琲を丁寧にドリップしていた。ジャズのBGMが流れる店内には、三人の客がいるだけだ。
ここは、喫茶フサフサ亭。
二浪の末、袖の下も出さずに、東京の三流大学に受かって、田舎から出て来た俺の下宿近くにある喫茶店だ。少なくとも、スタバやドトールなんて見たことがない、田舎生まれで田舎育ちの俺には、懐かしささえ感じさせる、昔ながらの喫茶店という趣があり、ずっと前から何となく気になっていた店だった。
ある時、フサフサ亭の前を通り掛かった俺は、入り口に貼り紙が貼られていることに気がつき、近づいてじっくりと読んでみた。そこには「学生バイト募集中! ガチムチなら即採用。ここにTEL願いたし」と書かれていた。まあ、自分で言うのも何だが、俺はけっこう体格が良くて、体はガチムチだ。もっとも顔は痩せ細って髑髏のようだとよく言われるが……。
俺は、早速その番号に電話をしてみた。すると、オーナーだと言う男性が出て、雇われマスターをやって欲しいと言われた。いきなりマスターというのも気が引けたが、高校生の時には、農協の直販所でバイトやってて、来訪者の爺さん婆さんにサービスでお茶を出していた経験もあるから大丈夫だろうと楽観的に考えて、すぐに承諾した。
俺がフサフサ亭でバイトをするようになって、今日でちょうど1週間になる。
店員は、雇われマスターの俺の他にもう一人、俺の隣で珈琲を淹れている粟炊一夢という変な奴の二人だけだ。一夢は俺よりもずっと前からここで働いているようだが、2時間に1回、内蔵時計が仕込まれているとしか思われないほど正確な時間にトイレに行く他には、ぬぼーとカウンターに立っているだけで、オーナーが一夢にマスターを任せなかったことは納得できた。
というのも、この一夢という奴、とにかく変な奴なのだ。「粟炊一夢が変だと思う奴RT」とツイートすると、間違いなく100RTはされるはずだ。
その理由の筆頭は、一夢は年齢性別を明らかにしないし分からないということだ。
まず、容姿から説明すると、髪は肩くらいまで伸びたボサボサの長髪で、どうも自分で切っているらしくて、あちこちに不自然な段差が付いていたりする。本人はウルフカットだと言い張っているが、セルフカットだろうと突っ込みたくなる。
身長は160くらいと思われるが、全体的に華奢な感じで、もっと小さく見える。
顔は中性的な顔立ちだ。そう言うと、みんな、宝塚とかニューハーフの整形美人の顔立ちを思い浮かべる人が多いと思うが、そうではない。性別を特定するだけの特徴がなさすぎなのだ。
それでは、みんなで、一夢の似顔絵を描いてみよう。「それって本当に犬?」とか言われている画力レベルのあなたも大丈夫。至極簡単だ。まず、中間に若干の空白を挟んで横に直線を2本引いてくれ。これが目だ。そして、中間の空白から下向けに縦線を1本を引いてくれ。これが鼻だ。その鼻の下に、小さく横に直線を引いてくれ。これが口だ。幼稚園児の描いた友達の顔の絵そのものが一夢の顔なんだ。
それから、男か女かなんて、体の線から普通分かるだろうと思うかもしれないが、一夢は、俺が初めて会った時から、ずっと同じ服だ。ダブダブの白いワイシャツを着て、ダブダブのオーバーオールジーンズを履いている。しかし、ワイシャツはいつも白いままだから、同じシャツを数枚持っていて着替えているのかもしれない。いずれにしても、ちゃんとサイズを測って買ったとは思えない服で、体の線がまったく分からない。ただし、仮に女性だとしても、絶対にAを越えることはないと思う。これは断言できる。
では、声はというと、前提として、ほとんど口を利かない無口キャラだが、ごくたまにしゃべる声はハスキーボイスで、ちょっと声の低い女性といえば通用する。同じ無口キャラでも、ハルヒの長門みたいに可愛ければ萌えるが、どちらかというとマル子ちゃんの野口さんのような顔では、今イチどころか不燃ゴミ以上に萌えない。
しかし、そんな変な奴だが、一夢が淹れる珈琲はかなり美味い。俺も一度、飲ませてもらったことがあるが本当に美味しい。無口である分、ドリップした珈琲の滴がサーバーに落ちるのを、一滴たりとも見逃さないというくらいに凝視しており、丁寧に淹れているのは確かだ。
そして、今日はオーナーが店にやって来る日だ。オーナーとは、採用の時に電話で話しただけで、まだ会ったことはなかったが、今日、店に顔を出すと昨日連絡があったのだ。
「ただいもなのだよ」
そう言いながら、男性一人、店に入って来た。長身でガタイが良い。しかし、一つだけ変わっているところがある。頭が白猫だ。豹だったら格好良いヒーローになれたかもしれないが、ただの白猫では、ホラー映画にも出演できないだろう。
「やあ、君が僕くんかい?」
そう、言い忘れていたけど、俺の名前は、冬山僕という。三人称で小説を書いても「僕は思った」などと一人称となってしまう、創作クラスタ泣かせの名前だ。
「はい、そうですが?」
「僕は、この店のオーナーだよ。電話では話をさせてもらったけど、会うのは初めてだね」
「ああ、そうなんですか。初めまして」
「うんうん。よろしくね。でも、君は本当にガチムチなんだね。何かスポーツをしているのかい?」
「高校生の時にレスリングをしてました」
「レスリング! それは良いねえ。それじゃあ、早速ここで僕をフォールしてくれないかな? むふむふ」
よだれを垂らしながら、嬉しそうなオーナーだったが、喫茶店でいきなりレスリングの技を掛ける事なんてできない。
「ここではちょっと」
「ああ、そうだったね。ちょっと残念。むふむふ」
そう言うと、オーナーはカウンター席に座って一夢に言った。
「一夢ちゃん、いつもの奴を頼むよ」
一夢は無言で頷くと、冷蔵庫に向かった。
「オーナーは、この店には、あまり顔を出されないんですか?」
「そうだね。本当はちょくちょく来たいんだけど、僕は他にも仕事があってね。小さな会社だけど、いくつか経営しているんだよ」
「そうなんですか。青年実業家なんですね?」
「むふむふ。そうなんだよ。むふ」
「それじゃ、この喫茶店も、その企業グループの中の一つなんですか?」
「いやいや、この店は僕の親がやってた店で親が引退した後も、店を畳むのが忍びなかったから、僕が引き継いで営業をしているんだけどね」
「なるほど」、
「僕くんは良くやってくれているみたいだから、これからもマスターとして頑張ってもらいたいんだけど良いかな?」
「はい」
俺が良くやっているって何故言えるんだ? まさか一夢? こいつは密かに俺の仕事ぶりを観察して、マスターに報告していたのか? 一夢はマスターの間者だったのか? 長門有希みたいに、対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース(猫専用)なのかもしれない。
一応、確認をしておこう。
「マスター。一夢は、ほとんど話をしてくれないので分からないのですが、一夢は、もうここで働き始めて長いんですか?」
「もう3年前くらいかなぁ。一夢ちゃんは僕の親戚なんだけどね。むふ」
「親戚の娘さんなんですか?」
俺は鎌を掛けてみた。
「う~ん。娘なのかなあ?」
「えっ、……それじゃあ青年ですか?」
「う~ん。青年って若い男って意味だろう。どうなのかな?」
「あ、あの、親戚じゃないんですか?」
「僕も良く分からないけど、親戚だって言って、いきなりやって来たから、そのまま働いてもらっているんだけどね」
マスター、人が良すぎでしょ。それとも、ガチムチとは程遠い一夢にはほとんど興味がないということか? 結局、どこの馬の骨とも、そもそも雄か雌かさえも分からないってことだ。
その時、一夢が無言でオーナーの前に皿を置いた。中にはミルクが入っていた。
「ああ、ありがとう」
そう言うと、オーナーは器用に舌を使って、ミルクを飲み出した。
「ああ、美味い。やっぱりミルクが一番美味いね。珈琲などと言う熱い飲み物のどこが美味いのか僕には理解できないね」
喫茶店のオーナーとして、その発言はどうかと思うが、やっぱり猫舌なんだろうか?
「僕くん。今日、店が終わった後、僕の家に来ない? 歓迎会をしてあげるよ。ああ、僕の家のお風呂はね、ジャグジーが付いているんだよ。むふむふ。お風呂に入りながら色々と楽しもうよ。むふ」
舌なめずりをしながら言うオーナーの顔は嬉しそうだったが、それが俺に貞操の危機を感じさせた。
「えっ、いや。……今日はちょっと都合が悪くて」
「どんな都合?」
「明日のゼミの準備をしないといけないんです」
「そうなのかい? それじゃあ、明日は?」
「あ、明日は、明後日のゼミの準備をしなければいけないんです」
「それじゃあ、明後日は?」
「明後日は、明明後日のゼミの準備を……」
「いつなら体が空いているのかな?」
「なかなか体が空かないんですよ。あはあは。……あっ、マスター、この店名の由来って、どういうことなんですか?」
俺はこの話題に終止符を打つべく、話題を変えた。
「僕の両親も毛がフサフサしていたからだよ」
そのまんまですか! 両親も猫なんですか?
「僕も滅多に来られないけど、たまには顔を出すからね。……あっ、大変だ。もう時間だ」
腕時計を見たオーナーは急いで席を立った。
「お忙しいんですね」
「そうなんだよ。これからツイキャスで『私を通り過ぎていったお尻たち』というお題で話をしなければいけないんだよ。それじゃあ頑張ってね」
オーナーが店から出て行くと、また、一夢との静かな時間が流れ出した。
ここは喫茶フサフサ亭。不思議で愉快な仲間が集まってくるらしい。
この物語は実在の人物とまったく関係がありません。フィクションです。