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剣と魔法と怪物の物語  作者: 沼津幸茸
仮借なき探究
12/17

第六章(前)

 大陸南西部はエイゼンノルト県で咲き誇る華の都イルアニンは今、不穏な空気に覆われていた。

 イルアニン市には現在、五つの武装集団が逗留している。まず、帝国軍がいる。合同演習を行なうとして、近衛軍の一部が舎営中の上、駐屯地には元々駐屯していた南部歩兵第三十一師団に加え、南部軽騎兵第四十二師団が司令部を置くボルクム市から移動してきたクランゼ・メルマンツィム南部歩兵第七十八連隊とその他部隊が間借りしている。それとは別に、悪名高いグルツ司教とクベイン司祭が率いる聖堂騎士団とリライア尼僧正率いる生と死の女神(バティア=カーラ)教の戦士団も、市内の教会や神殿に詰めて冷たく睨み合っている。ベリン戦士長率いる戦神(テュウォルス)教団の戦士団もおり、彼らは近衛兵達と寝食を共にしている。イルアニンの住民にこれだけ多様な軍勢に囲まれたことのある者はほとんどいなかったため、地方の名花は、ごろつきじみた兵士達の発する毒々しい熱気とわだかまる聖職者達の対立が発する刺々しい寒気とに中てられて、今にも萎れてしまいそうになっていた。

 市民達は「演習のために」集った兵士や聖職者の一挙一動に不安の眼差しを向けざるを得ない落ち着かない日々を過ごし、指揮官達と太守以下の行政官達は市民の不安をいかに解消したものかと頭を悩ませていた。

 しかし、それはあくまでもこの街に住む者と、彼らに対して何らかの責任を負う者だけの悩みである。勝手な都合で立ち寄り、勝手な都合で立ち去る冒険者達には関係がない。

 フィオナ・カルミルスとその一行は、捕縛作戦が一向に始まる気配を見せないことに苛立ちつつ、旅の止まり木亭で思い思いの時を過ごしていた。と言っても、聖堂騎士団のせいで静まり返ったつまらない街に出かける気には誰もならず――特に魔術師であるスナーにとって異端審問官の部隊がうろつく街中は危険ですらあった――部屋で過ごすか、酒場で酒を呷るかの日々が続いていた。

 その状況に変化の兆しが見えたのが一昨日であった。クランゼ・メルマンツィム伯爵大佐率いる歩兵連隊が新たに到着するや否や、各勢力の代表者が太守官邸に集められ、会議が始まった。名目上は、軍と各教団の関係調整とのことであったが、冒険者達にそれを信じる者はいなかった。いよいよ始まるのだ、と冒険者達は体調管理と武器の手入れに念を入れた。

 そして朝、宿に訪れたブーロウ評議員によってその確信の正しさが証明された。彼はこの招集の目的を初めて明かし、明後日の朝に軍と共にエートン方面に向かうと一同に告げた。彼はまた、明日の「帝国週報」紙の号外で「演習」に冒険者が参加するという「新事実」が報道されるであろうことも語った。

 ブーロウは穴を開けて紐を通しただけの五型書類用紙の束をいくつもテーブルの上に置いた。

「そしてこいつが妖術師と戦う時の注意を纏めた冊子と、それから戦場の地図だ。冊子はスナーが書いた奴を参考に軍が将校用に書き直して、戻ってきたそいつを組合がお前らみたいな馬鹿にもわかるようにもっとわかりやすく書き直してやったものだ。最初のに比べると大分わかりやすくなってるから、ちゃんと読んどけよ。一人ずつ取りに来い。組を作ってる連中は、一組一部だからな」

 冒険者達が教師から教材を受け取る学徒のようにブーロウの前に向かい、一部ずつ紙束を席に持ち帰る。

 スナーはフィオナが受け取ってきた冊子と呼ぶのもおこがましい紙束に目を通した。眉を顰める。内容は彼が提出したものとは似ても似つかないものとなっていた。専門用語は僅かを除いて一般的なものに置き換えられ、文章自体も簡単な単語と単純な文法で表わされていた。スナーが素人にもわかるよう易しく書いてやった資料が、幼児向けの絵本に変貌したのだった。

 地図の方は本当に子供の落書きのようなもので、街道と思しき太い線の近くにおそらく森であろう歪な円が描かれ、その中に部隊名が付記された線が何本か引いてあるだけだった。縮尺はきっと滅茶苦茶であり、地形の詳しい情報も一切ない。小隊長や小隊軍曹が部下達に見せる概略図程度の代物だ。軍にしろ組合にしろ、スナー達を下士官兵と同様の存在としてしか見ていないようだ。

「おい、お前ら、見るのは後だ。今は俺の話を聞け」好奇心半分に早速冊子を覗き込み始める冒険者達をブーロウが注意した。一同の注目を戻してから告げる。「さて、ここからは、行軍中と作戦中のことを話し合おう。お前達にも意見を聞くかもしれんから、ちゃんと頭を使って聞けよ」

「前置きはいいから早く始めようぜ」

 フォールモンが茶々を入れると、ブーロウはわざとらしく睨みつけた。

「黙ってろ、小僧。頭の中が空っぽの奴は話の邪魔だ」

 睨まれたフォールモンはおどけた仕草で首を竦めてみせた。小さな笑いが起こった。

 ブーロウもにやりと笑い、仲間同士で固まって座る一同を見回した。

「まず行軍だ。軍と一緒に動いた経験のある連中を集めたつもりだからわかってると思うが、一応言っとくぞ。途中で何度も野営することになるが、今回は集団野営だから普段と違って好き勝手はできんぞ。だから、誰かが仕切らないことにはなかなか上手くいかない。これはわかるな」

 酒杯や食物を片手に聞く冒険者達の顔に異存の色はない。

 ブーロウは大袈裟に頷き、先を続ける。

「先に言っとくと、俺は駄目だ。組合の代表だからな、他にやることがある。近衛大佐の旦那と飯を食ったりとかな」大口を開けて愉快そうに笑い、続ける。「そこでだ、アルンヘイルに野営の指揮を任せたらいいんじゃないかと思うんだが、お前らはどうだ。反対の奴はいるか」

「え、私?」

 指されたアルンヘイルは驚いたようにきょろきょろと首を巡らせた。

 反対の声はなかった。しかし、全員が諸手を上げて賛成したわけでもなかった。その場の半分ほどの者が、疑念の表情を浮かべて、消極的賛成や反対の姿勢を見せていた。

 ブーロウはからかうように笑った。

「おいおい、お前ら、大先輩にその態度はいかんぜ。このアルンヘイル大先生はな、俺達が生まれる前から傭兵やってたんだ。こいつに比べりゃ、その辺の軍曹殿なんかおしゃぶり咥えた赤ん坊みたいなものだぞ。嘘じゃない。確か、革命戦争にも参加したって話だ。そうだよな、アルンヘイル」

「革命戦争……」

 ざわめきが生まれた。百五十年ほども昔に旧王国領グリエ地方で起こって王国全土に広まった共和革命と、共和国建国宣言後それを認めない共同声明を出した帝王同盟との間に勃発した革命戦争は、既に暗黒時代の異端者狩りと同様歴史上の出来事である。あまりにも壮大な規模の話に冒険者達はすっかり毒気を抜かれていた。

 だがやがて誰もが我に返り、近くの者と小さな声で恐ろしげに話し合い始める。

「どこに参加したんだ……」

「王国? 帝国? まさか革命軍……」

「革命軍なら共和主義者……」

「帝国よ」

 囁き交わされる声にうんざりした様子で、アルンヘイルが素っ気無く告げた。

 不穏になりかけた空気がこの言葉であっさりと鎮静化する。

「なんだ、帝国か……」

「ってことは共和主義者じゃないんだな……」

 大陸は革命戦争を悪夢として記憶している。後に大統領と呼ばれることになったパレオン・ペルテノバ元帥の号令の下で熱狂した市民軍の限度を知らない蛮行は、当の共和国ですらペルテノバ大統領の死後にそのいきすぎを公式に認めたほどである。このため帝国人にとって、悪夢の母となった思想は時として無神論以上に不気味に映り、その思想に染まった人間は悪魔にも似た存在となる。

 好意的な空気が場を染め直したことを見て取り、ブーロウが話を再開する。

「古兵殿のご指示なら問題ないだろう。お前達だって、軍と行動した時、経験豊富な下士官殿に世話になったはずだぞ」

 駄目押しの言葉は確実に冒険者達の心を揺さぶっていた。スナーが星幽的に観察したところでは、消極的反対者達に妥協の気配が漂い始めていた。

「そういうわけだ、アルンヘイル。大先輩として一肌脱いでくれるか」

「まあいいわ」頷き、歴戦の女傭兵は冒険者達の顔を順繰りに眺めた。「引き受けるから、あんた達、ちゃんと私の言うことを聞きなさいよ」

「野営の纏め役は決まったな。次は魔法使いだ。野営の時、野営地に虫除けの魔法や灯りの魔法が必要になるだろう。陣地を隠す魔法や……場合によっては解毒の魔法やなんかも要るな。だが、その時にどういう魔法が必要か、なんて素人にはなかなかわかるものじゃない。それともアルンヘイル、お前さんはそういうのもわかるのか」

「正直、自信ないわ。生き物除けの魔法と灯りの魔法だけあればいいってものでもないんでしょ」

 我が意を得たりといった態度でブーロウが頷いた。

「だから、魔法使いにも纏め役が要る。宮廷魔術師団との調整役もな。こいつは俺がやってもいいが、やっぱり本職の方が理解が早いし話も合うだろう。だから俺はスナーがいいと思うんだが、反対の奴はいるか。学院出の博士様だぞ。宮廷魔術師共にだってなめられやしないだろう」

 ざわめきはアルンヘイルの時よりも大きかった。しかも、決して好意的なものではなかった。指図を受ける立場に置かれる魔法使い達の顔には特に反発の色が強かった。狂気に陥りつつあるミゼットのハラードは違う世界を見ていてこれといった反応を示さないが、森エルフの精霊祭司ヘイレルンとアテラ女神の巫女アンナルシ、屍霊魔術師のミゼーリカルダンは露骨な不満を顔に出している。

 聖職者達が神や精霊を否定する魔術師に好意的である理由はない。スナー達はかつて、東部州の端に位置するドワーフの集落グロームヴァルと森エルフの集落クライネヴェルトの争いを調停する働きを遂げ、ドワーフと森エルフから絶大な信頼と好意を得た。しかしながら、団結心が強く集団として非常に義理堅いドワーフと違い、個人主義の発達した森エルフの場合はそれも個人の価値観を曲げさせるほどのものとはならない。ヘイレルンはスナー達の功績を伝え聞いており、それなりの敬意を払ってはくれたが、スナーに対する隔意を抑えようとまではしなかった。

 一方、ミゼーリカルダンにしても、スナーに好意を持つ理由がない。魔術学院においてスナー・リッヒディート博士を始めとするサルバトン一門出身者は複雑な立場にある。女魔術師が、魔術学院が学内自治権を実質的に喪失し、宮廷の傘下に置かれるきっかけを作ったサルバトン一門の次席高弟を快く思うはずがない。

「私は反対する」

 スナーは静かにブーロウに答えた。他の魔法使い四人を向こうに回すのは分が悪い。彼は四人全てを押さえ込む自信がなかった。ハラードとミゼーリカルダンは二人がかりで来られてもどうにかなりそうだが、聖職者二人はかなりの手練だ。一対一であっても油断はできない。だからこそ、余計な摩擦を生まないよう、なるべく接触を避けてきた。そして魔法使い達もそのつもりのようで、向こうも敢えてスナーに近づこうとはしなかった。その互いの賢明な配慮を台無しにされては堪らなかった。

「ちょっと待て」禿げ頭の竜殺し騎士は目を瞬かせ、己の耳を疑うように聞き返した。「今反対って言った奴、スナー、お前なのか」

「私ですよ、評議員」

「そいつは道理が通らんぞ。強い奴が上に立つのが筋だし、お前だって格下に従うのは癪だろう」

「実力で言えば、そちらの精霊祭司殿もなかなかのものですよ。もし戦って魔法の腕を競えと言われたら、どうすれば戦わずに済むかを考えるところです」

 その場しのぎの嘘ではない。ヘイレルンは相当な使い手だ。スナーとも甲乙つけがたい。少なくとも、魔法を使った戦闘で確実に倒せると自信を持って言いきることはできない。

「ヘイレルン、気を悪くしないでくれよ」精霊祭司に前置きしてからブーロウが答える。「魔法の実力は知らんが、知識なら確実にスナーの方が上だ。違うか」

「違わない」ヘイレルンが超然とした態度で肯定した。「私には精霊と接することしかわからない」

「だから、どんな魔法をどう使えばいいか考えるならお前が適任だ」

「知識の問題だというのであれば、そちらのミゼーリカルダン修士に何の不足もありません」

 スナーは苦々しさを押し隠して女魔術師の学位を発音した。彼はミゼーリカルダンが修士号の持ち主であることを未だに信じられずにいた。

 ブーロウにではなく全員に聞かせる目的で心持ち声を高める。

「魔術学院では、まずあらゆる魔法系統の基礎知識を学ばせます。専門課程に進んだ後も、他系統の知識が無用となるわけではありません。何しろ、素人魔法も信仰魔法も学理魔法も、根本的な部分は同じものですから。修士ならば他系統の知識も十分に修めているはずです」

「だが、お前さんは博士だろう。だったらもっと知ってるはずだ」ブーロウは諭すように言った。「それに、相手は宮廷魔術師だ。博士がいるのに修士を出すような真似をして、馬鹿にしてると思われやしないか」

「それは心配ありません。聞けば、宮廷魔術師団の分遣隊の長はクライムス・クラートン博士だとか。彼とは知らぬ仲ではありませんが、決して互いにとって快い関係ではありません。私が魔術師団と我々の間を調整する前に、私と彼の間を調整する者が必要ですよ」

 トゥーラル・クライムス・クラートンを相手取るにはミゼーリカルダンでは役者が不足していることも、そもそもからして宮廷魔術師団の権威を纏ったトゥーラルに対抗できる者が自分を含めてこの中には誰もいないことも、彼は承知している。

 つまるところ、負け戦が確定しているのであれば、他人を前衛に立たせて自分は本隊で戦況を見守るに限る。それに、調整役などになると、下手をすると行軍時に同じ馬車に乗り込む破目にもなりかねない。不快な揺れの中で不快な顔を見続けるのは御免被りたかった。接触することで何らかの嫌がらせを受ける虞も増す。鳴かずとも射られる危険は常にあるが、わざわざ鳴いて狩人の注意を引くのは愚かと言う外ない。

 本人は諧謔の欠片をちりばめたつもりでいるスナーの返答に、ブーロウは笑いの一欠片さえもこぼさなかった。

「まあ、そうだとしても、だ。お前、自分を差し置いて修士が大きな顔して平気なのか。それで機嫌を悪くされちゃ困るんだがな。大体、下が上に指図するのもなかなか気の重い話なんだぞ」

「では、私を指揮系統――と言うほど大袈裟なものではありませんが――から切り離していただきたい」

「どういう意味だ」

「私はどうしても必要というのでない限り、自分と仲間のことだけを考えます。他の冒険者、特に魔法使いが所属する集団には、不干渉の立場にいた方がいい。お察しの通り、我々は決して友好的な間柄とは言えません。特に私と聖職者達は」

「俺の見た限りじゃ、協力し合えばわかり合う目もありそうだぞ」

 或いはブーロウは余計な気を利かせて、スナーに親睦を深める機会を与えようとしているのかもしれなかった。しかし、望まれぬ仲直りは成立し得ない。

「否定はしません。ですが、互いにそこまでして握手をしたいと思ってはいないはずです」

 禿頭の竜殺しは顰め面で広い額を撫でた。

「しかし、ガリエンダナだって屍霊魔術師だ。俺は別に偏見なんぞないが、お前さんが駄目なら、ガリエンダナのことも嫌がるってものじゃないか」

 スナーは穏やかに微笑した。魔法の心得のある者は、人を肩書ではなく中身で見る。魔術師二人のいずれかに指図されることになる者達が、ミゼーリカルダンよりもスナーをより恐ろしい者、忌むべき者と見ていることは明らかだ。それだけサルバトン一門の――そしてスナー・リッヒディートという一人の魔術師の――業は深い。もし悪人が死後、聖職者達が語るように地獄に堕ちるのだとしたら、サルバトン一門で学士以上の学位を得た者は残らずそうなる運命だろう。

「心配は無用です。私ほど嫌われてはいませんよ」

 ブーロウはぐっと唇を引き結んでスナーを見据えた。いかにも不機嫌そうな顔で、駆け出しの冒険者ならばこの顔で詰め寄られただけでどのような要求にも首を縦に振ってしまいかねない威圧感を伴っている。一人だけ怠けることは許さない。眼差しはそう告げるかのように鋭い。

 小さく嘆息し、スナーは一定の譲歩を示すことにした。

「では、こうしましょう。私はミゼーリカルダン修士の補佐を務めます。最終的な魔法の使用状況を確かめ、不備があれば指摘し、場合によっては自ら修正を施します。これでいかがですか」

「……まあ、いいだろう。それが落とし所だな」不平の滲む頷きの後、ガリエンダナ・ミゼーリカルダンに視線を移す。「ガリエンダナ、スナー以外の魔法使いを纏めてくれるか」

 ガリエンダナ・ミゼーリカルダンは複雑な面持ちで頷いた。

「わかりました。精一杯務めます」

 反対の声は上がらなかった。

「どこかの偏屈野郎と違って素直に受けてくれてありがとうよ」ブーロウは一瞬スナーに厭味な一瞥をくれた。「細かいことはアルンヘイルと相談してやってくれ。それじゃ、最後に現地での流れを説明するぞ」

 ブーロウがそう言った途端、店内の空気が張り詰めた。彼らは命のやりとりをし、宝をその手で掴み取るために集ったのだ。

「現金な連中だ」引退して久しい冒険者は、現役冒険者が発する精神的熱気に心地良さそうな顔をした。「現地に着いたら森の北西まで走ってそこの獣道から真ん中に向かって突撃だ。まともな道も東側と南側にあるが、そこは近衛と聖堂騎士団が使う。まあ、あっちは狭い所が苦手だってことで勘弁してやってくれ。南西からはミドルトン伯の部隊が入る。軍は俺達が突撃するのと同時並行で森を包囲して、宮廷魔術師や魔法兵が中の妖術師を封じ込めるための結界を張る。この結界ってのは、内から外に魔法で逃げるのと、内側で旬化にどうするのを邪魔するらしい。完成したら、花火を何発か鳴らして知らせるそうだ」

 スナーは顎を撫でた。相手の周囲に星幽障壁を張り巡らせて星幽的な出入りや移動――星幽跳躍や召喚及び退去など――を規制する。星幽光不活性化の結界と並ぶ、宮廷魔術師団が魔法使いを制圧する際の常套戦術である。彼らが今回の捕縛作戦でも同じ手を用いるであろうことは彼の予測の範疇内だった。

 しかしながら、その予測はあまりにも大雑把に過ぎた。スナーは宮廷魔術師達が森を星幽結界で封鎖するであろうことを知っている。だが、いかなる結界を用いるかは知らないし、予想もできない。蓋然性にあまり差のない無数の選択肢がそこには広がっていた。

 サルバトン事件当時まで主に用いられていた方式については、実際にその中に取り込まれた経験と宮廷魔術師団から学院に提出されていた報告から、スナーもよく知っている。内部での星幽跳躍妨害の他、内外の遮断能力と障壁の強度に重点を置いたものだ。

 しかし、サルバトン事件の折、馬鹿の一つ覚えのように用いられてきた方式は遂に打ち破られた。破壊された部分の修復の遅れを衝かれ、サルバトンを取り逃がすこととなったのである。

 現実的に考え得る最高強度に近い結界を破られたことにより、単純な強度増加による対処の限界に直面した宮廷魔術師団はその後、安直な強度信仰を捨てて力押しを改め、様々な方式を臨機応変に使用するよう方針転換を果たした。

 だが、宮廷魔術師団との繋がりもなく、サルバトン事件以後そうした戦術が採られた戦いを共にした経験もないスナーに、その新たな方針や新開発或いは改良された技法の知識はない。

 従って、宮廷魔術師の指揮を執るトゥーラル・クライムス・クラートン、あの有能と言うには足りないが決して無能ではない弟弟子がいかなる処置を取るかなど、推理のしようがなかった。彼にわかることは、今回相手となるのはあの時に匹敵する相手であり、翻って人員は質量共にあの時に劣ることから、用いられる技法があの時とは違ったものとなるであろうことだけだった。つまるところ、何もわかっていないに等しい。

 スナーにとってこれは看過し得ない懸念材料だった。彼は魔法使いを封じるその結界の中に飛び込んで戦うことになっているのだ。結界が具体的にいかなる代物であるのかをきちんと理解しないことには安心して魔術を行使できない。

 それだから当然作戦前に説明があるものと彼は思っていたが、どうも雲行きが怪しくなってきた。心中に不安と焦燥が募る。

 さりげなく聴衆の様子を窺い、見えた光景に彼は眉を顰めた。彼以外に――魔法使い達でさえも――説明のこの部分に引っかかりを覚えた者はいないようだった。気違いのハラードや全ての答えを神々に委ねる聖職者達は仕方がないとしても、仮にも学問として魔法を学んだミゼーリカルダンさえもが何ら頓着する気配がないことは由々しい事態と言えた。それは星幽光の原理を修めた者の取るべき態度ではなかった。

 だが、まだ説明が終わっていないことも事実だ。この後に詳しい話がないと言いきることはできない。スナーは気を取り直して続きを待つことにした。

 スナーの憂いを余所にブーロウの説明が続く。

「ああ、そうだ、生と死の女神の教団も軍に協力することになったんだ。あいつらも、森を囲んで屍霊魔術の力を弱める結界を張ってくれるそうだ。つまり、森の中じゃ屍霊魔術は効き目が薄くなるってことだ」

 それまで行儀良く話を聞いていたミゼーリカルダンが顔を顰めた。物事の奥や裏に考えを巡らす能力に乏しそうな女屍霊魔術師も、流石にあからさまな形で自分の身に降りかかってくることには敏感に反応するようだった。

「さて、お前らのことに話を戻すぞ」

 結界に関する話はもう終わりらしかった。肝心な部分を等閑にした説明にスナーは思わず声を上げそうになったが、こういった場では質問も抗議も話が一段落してから纏めてするのが合理的でありかつ礼儀にも適うことに思いを致し、自制した。

「突撃したらとにかく森の真ん中に向かって進め。軍が後ろから追いかけてくるから背中のことは気にするな。討ち洩らしも心配しなくていいぞ。とにかく目の前の敵を倒しながら前に出ろ。停まったり曲がったりしていいのは、他の方向から来た味方にぶつかった時か、妖術師の根城を見つけた時だけだ。近衛大佐の作戦じゃ、まず森をいくつかに割った後、それぞれの部分を囲んで一個一個潰していくことになってる。丁度、その地図に引いてある線みたいにな」

 スナーは既に暗記した卓上の紙切れに再び視線を落とした。概略図上の歪んだ円形は、不平等に切り分けられたケーキのように、大小の欠片に分かれている。冒険者隊と近衛兵の間の欠片が最も大きく、冒険者隊とミドルトン軍のボーゲン隊の間の欠片が最も小さい。或いはフェル・シュインハル兵団長は、冒険者をボーゲン隊への押さえに使う気かもしれなかった。

「妖術師のねぐらを見つけた時は好きにしろ。他の連中の邪魔さえしなけりゃ殺そうが奪おうが勝手だ。ただし――こいつは大事だぞ――何もかも早い者勝ちだ。どんなものだろうと、最初に掴んだ奴のものだ。誰も掴んでないものは、妖術師を捕まえた奴のものだ。いいか、欲しいものを取られたからってごねたり盗んだりするんじゃないぞ」やや間を置いて不満そうな顔で言う。「……それと、こいつは組合からの頼みだが、帝国がどうしても欲しがるものがあったら交渉に応じてやってくれ。できるなら、妖術師も生かしたまま捕まえて帝国に渡してくれ。話は終わりだ。何か気になることはあるか、お前ら」

「質問があります」

 スナーは真っ先に挙手した。ブーロウが発言を促した。

「宮廷魔術師団と生と死の女神教団の結界の詳しい情報はないのですか」

「ないな。軍からも教団からも、さっき説明した以上のことは知らされなかった」

「何とか聞き出せませんか」

「そんなに大事なことなのか」

 ブーロウは戸惑い気味にスナーを見返した。

「はい」スナーははっきりと頷いた。「我々魔法使いにとっては非常に」

 すぐには答えず、ブーロウは他の魔法使い達を眺めた。他の者達はスナーほどの深刻さを示していない。スナーは更に説得を重ねる必要があるのではないかと危ぶんだが、ブーロウは魔法の専門家としてのスナーの経験を信じることにしたらしかった。

「……そうか。それなら、後で近衛大佐にもう一度質問してくる」難しい顔ですまなそうに付け加える。「だが、あんまり期待はしないでくれよ。教団はともかく、どうも軍の連中はその辺のことを触れ回りたくないらしくてな」

 スナーは気にする必要はないとの意味を籠めて頷いてみせた。

「一応、重要事項ではあるはずです。簡単には教えてくれないでしょう」

「なら、交渉には専門家についてきてもらった方がよさそうだな」スナーに向ける視線が意味深な色合いを帯びた。「俺じゃ交渉どころか質問の仕方もわからん」

「ミゼーリカルダン修士に同行を頼んではどうです」

「だが、相手はフェル・シュインハルにクライムス・クラートン、それにリライア尼僧正だろう」

 その言葉に元々曇り気味だったミゼーリカルダンの表情が更に翳った。ブーロウは本人の前での直接的表現を避けたつもりのようだが、その配慮は無意味どころか却って逆の効果を示していた。本人からすれば、いっそのこと、ミゼーリカルダンでは彼らの相手にならないと言明された方がましだっただろう。

「事前に私とミゼーリカルダン修士の二人で相談して方針を決めておけば問題はないはずです」

 ブーロウは考え込むような顔で魔術師二人を交互に眺め、少しして頷いた。

「わかった。お前達に任せるから、相談が纏まったら言ってくれ。質問はもういいか」

「はい。ありがとうございました」

 スナーが納得と共に礼を言うと、今度はフォールモンが口を開いた。

「あっちがまともに交渉して来なかったらどうするんだ、おっさん。交渉どころか、力づくで取りに来たら?」

「今度はお前か……一旦引き下がって、その後俺に言え」ブーロウは竜殺しの覇気を感じさせる笑みと共に答えた。「組合の名前で抗議してやる。相手の名前を聞いとくのも忘れるな。そいつに地獄を見せてやろう」

「それで戻ってこなかったら?」

 フォールモンはしつこかった。

 答えが返るまで少し間があった。

「……できるだけの補償はしてやる」

「なら、もしあんたらがろくに動いてくれなかったら?」嫌がらせのように質問を重ねていく。「どうせ、相手次第じゃ拳骨を引っ込めるんだろ。そうなったら、俺達が勝手に動いていいんだろうね、ブーロウさんよ」

「エスノール、その辺にしておけよ」

 ミゼットの素人魔法使いハラードの仲間の一人が、フォールモンの冒険者らしからぬ小綺麗な服の裾を引いた。

「オルフ、つまらんことで目くじらを立てるなよ。言いたいだけ言わせてやれ。これでなかなか、俺の面の皮は分厚いんだぜ」ブーロウは鷹揚な仕草で剣士の忠告を制し、フォールモンに視線を戻す。「俺達が動かなかったら、だったか。もしそうなったなら、構わんさ。ただし、やるからには自己責任だぞ。そういうのは組合が面倒看てやれる範囲を超えてるからな」言って、にやりと笑った。「だが、俺達は泣き寝入りしたことはないし、組合員を見捨てたこともない。それは憶えておけよ」

 スナーは黎明期の組合が組合員よりも権力者を大事にする傾向にあった事実を知っている。しかし、敢えてそれを指摘することはしなかった。

 次に口を開いたのは、それまでじっと何かを考え込むように難しい顔で黙りこくっていたアルンヘイルだった。

「私からも一ついいかしら」

 ブーロウは意外そうな顔をした。

「お前さんがか。どうした」

「森に突入する時のことで一つ提案があるのよ」

 ブーロウは厳つい顔を渋く歪め、値踏みするような眼差しをアルンヘイルに注ぐ。納得がいったのか、小さく頷いた。

「まあ、言ってみろ」

「ありがと」とアルンヘイルは艶っぽく笑って返し、一同に向かって説明を始めた。「まず前提として、私達の戦力、特に防衛線突破能力は、他の奴らに比べるとかなり低いわ。単に突破するだけなら、聖堂騎士団や近衛とは勝負にもならないわね。それに配置も悪いわ。この戦い、あいつらが主力よ。どっちみちこっちは出遅れるんだから、馬鹿正直に攻めるような真似してたら、逆立ちしたって勝てっこない。こっちが突破にてこずってる隙にあいつらのどっちかがお宝総取りよ。勿論、悪けりゃ、それだけじゃ済まない。敵が迎え撃つ準備を整えたところに突っ込む破目にだってなりかねない」

 スナーは密かに安堵した。彼もこの問題に気づいていたが、決して好意的に見られていない自分が口に出せば余計な反発を買いかねないと危惧し、誰かが指摘してくれるのを待っていたのだ。

 そしてこの場合、アルンヘイルは打ってつけだ。この半闇エルフの実利的思考はスナーのそれに似ている。きっと彼を満足させる意見を述べてくれるはずだ。問題は星幽体から他者の思考や感情をある程度推測できる魔法使い達の動きだが、窺ってみた限りでは、今のところ彼らにアルンヘイルの企図を邪魔する意思はなさそうだった。

 ブーロウが首を傾げる。

「まあ、言いたいことはわかったが……だったら、ごちゃごちゃ考え込んで足踏みしてないで、尚更脇目も振らずに前に行くべきなんじゃないのか。世の中ってのは、案外余計なことを考えずに真っ直ぐ行った方が上手くいくもんだぜ」

「悪くない考え方だけど、悪くないってだけね」アルンヘイルは辛辣に微笑した。「大成功か大失敗しかないやり方よ、それ。自分の命を賭けるにはちょっと頼りないわ。もうちょっと堅実に生きたいところね」

「だったらどうしようって言うんだ。抜け駆けでもするのか」

「馬鹿言わないでよ。そんなことしたら後で何言われるかわかったものじゃない。逆よ逆。突入を遅らせるの」

 スナーは口の端を緩め、満足を籠めて頷いた。良案とは言えないが、方向性自体は間違っていない。悪くない提案と言えた。後はこの方針に沿って修正していけばよい。

 しかし、ブーロウは今一つ理解できていないようだった。他の面々も、理解できたらしい者はごく少数だった。これを理解するためには、集団戦闘の知識とある種の性格の悪さが必要であり、それを兼備する者はあまりいない。

 性格に苛烈さはあっても悪辣さはないフィオナとラシュタルもまた、明らかに理解していない側だった。無理からぬことだ。フィオナは、武芸や兵学を学んでいるものの、根本的な部分においてお人好しのお嬢様でしかない。ラシュタルは眼前の敵と堂々と戦うことを美徳とする荒野エルフ文化の申し子であり、回りくどい謀略や計略には疎い。

「小難しいこと抜きで言えば、騎士団と近衛を囮にして、まずは様子見するのよ。全体はともかく、私達に限れば後手に回っちゃってるんだから、先手取ったみたいな動きしたって駄目に決まってる。だから、味方の動きと敵の反応をまず見るの。味方がどこかで深く食い込んだら、敵もそっちに戦力を集中するかもしれない。そうしたら、そこに横から突っ込んで、おいしいところを持ってくのよ。味方は戦列歩兵で、私達は敵の戦列を横から崩す軽騎兵ってところね」

 無知無学ではあるかもしれないが決して無能ではない冒険者達は、この説明でおおよそを理解したようだった。賛成や反対の表情や囁きはあっても、困惑や疑問の反応はなかった。

 ブーロウは疑わしそうに首を傾げる。

「しかしだ、気の回しすぎじゃないか。こっちには大陸最強の近衛と泣く子も黙る聖堂騎士団がついてるんだ。こっちがちんたらやってる隙に、あいつらがあっさり突破しちまうかもしれんぞ」

「そんなことあり得ないってわかってるくせに」アルンヘイルは笑い飛ばした。「相手はとても強力な妖術師なんでしょ。だったら、向こうの備えは万全のはずよ」スナーに視線を向ける。「ねえ、そうでしょ、スナー。あんた、前に言ってたよね。時間とやる気さえあれば、魔術師は一人で軍隊を相手にするだけの戦力を用意できるって」

 話を振られたスナーは渋々ながら回答する。

「可能不可能で言えば可能だ。たとえば俺でも、手段さえ選ばなければ、半年程度で師団と互角にぶつかることのできる戦力を揃えられる。悪魔と屍霊生物と人造生物、それに亜人……戦力はどうとでも調達できる。向こうは明らかに俺より格上だから、理論上は一個軍を相手にするだけの戦力を用意していてもおかしくはない……というのは、提出した報告書にも書いたはずだ」

 スナーがそこまで淡々と答えた頃には、冒険者達の表情が石でも飲んだように重苦しいものに変わっていた。脅しが効きすぎたと察し、「もっとも」とすかさず火消しに走る。

「あくまでも理屈の上でのことだ。ずっと戦力整備だけに励んでいればそうなっても不思議はないが。魔術師という人種は研究が第一だ。必要最低限に多少余裕を持たせた程度の戦力を用意したところで、ひとまず打ち止めにするだろう。現実的には、旅団か師団相当の戦力があれば上出来といったところだよ。つまりは、防者有利の原則を踏まえるとこっちが多少不利で、その一方でそこに更に兵力の質の問題を加味すると情勢は五分五分に近いということだな」

 希望的観測をさりげなく交えて説明すると、聴衆は、完全に安堵したわけではないにせよ、表情を少し和らげる程度には緊張を解いた。

「ありがと、スナー。もういいわ」

 アルンヘイルが片目を瞑った。スナーは無言で鼻を鳴らした。

 ブーロウは更に食い下がった。

「だがよ、俺達のところが一番攻撃が弱いとわかったら、敵さんも一か八か突破を仕掛けてくるんじゃないか」

「もっともな話ね」アルンヘイルは余裕たっぷりに頷いた。「私が敵の指揮官なら、いよいよとなったらそうするわ」

「だったら――」

「でも」とブーロウの反駁を遮る。「そんなこと気にしたって無駄よ。だって、敵がそこまで統制取れてるかわからないし、取れてるにしたって、突破する気があるんなら、どのみち私達かミドルトン伯の方向……いえ、西側に向かうはずだもの。まあ、ペルテノバみたいな指揮官なら、敵の意表を突くとか言って東に突撃しかねないけど。四方八方に散って撹乱するって手もあるわね」

「……まあ、そうだろうがな」

 ブーロウは渋々といった顔で認めた。

 スナーは他の冒険者達の様子も観察した。アルンヘイルの言葉の意味を理解した様子の者は半分のいなかった。やはり、軍と行動することに慣れた者を集めたと言っても、下士官や将校の感覚を養うに至った者は多くなく、残りは単なる兵隊にしかなれなかったようだ。

 仲間達に視線を転じれば、フィオナの顔には一定の理解の色が浮かんでいるものの、ラシュタルは何とか話を咀嚼しようと努めるような顔をしていた。事あらば指揮官として立つべき階級の子女として――令嬢が縫い針や詩集でなく剣と兵法書を与えられるのは十分異例のことではあったが――基礎的な兵学教育を受けさせられたフィオナ。個人の武勇と武徳が何よりも尊ばれる社会の英才教育を受けて育ったラシュタル。その生い立ちの差が如実に表れたのだ。フィオナはスナーの視線に気づくと、得意気な顔をした。

「そうなのよ」とアルンヘイルは周囲に説明するように声を高めた。「最初に突っ込むのは近衛と聖堂騎士団で、私達は西側まで回り込まないといけないから、その分時間がかかる。すると敵は、強力な攻撃を東から喰らう形になるわけよ。もし逃げる気があって正攻法を選ぶなら、東に足留めの部隊を残して、残りの戦力で西に向かうでしょうね」

 ブーロウが面白くもなさそうに小刻みに頷く。スナーはその星幽体から不安の色を読み取った。おそらく、この配置を受け容れたことをアルンヘイルに非難されはしないかと心配しているのだ。彼女の話術を以てすれば、戦術や政治の上での妥当な若しくは止むを得ない選択を、冒険者組合が全体の利益のためにこの場の冒険者達を売り渡したという裏切りとして聴衆に解釈させてしまうことも難しくはない。スナーが協力すれば、疑惑の種を播き、反発の火種を起こすのは容易い。

「どうせ敵が押し寄せてくるんなら、囲まれるかもしれないのにわざわざ森の奥に入ることはないでしょ。州軍の本隊と連携の取れる場所でゆったり待ってる方が、生き残る目も出てくるってものよ」挑むような眼差しを向ける。「違うかしら」

「それは、まあ、そうだが……」

 不満そうなブーロウにアルンヘイルは微笑を浮かべて続ける。

「相手にもし逃げる気がない――籠城する気――なら、それこそ近衛と騎士団に頑張ってもらいましょ。私達はおいしいところだけ貰ってくのよ」肩を竦める。「まあ、相手がどういうつもりか、早い段階でどうにかして見抜かないと、痛い目見るだけでおいしい目なんて見られないんだけどね。そこは私達の経験と判断力で何とかするしかない。そのための様子見よ」

「理屈はわかった。理屈はな……」ブーロウが薄くなった額を撫でる。「なあ、アルンヘイル、露骨に帝国に喧嘩売るような真似はしたくないんだが」

「あら、大丈夫よ。私達は統制なんて取れてない雑軍だもの。突入直前で準備不足に気づいて一時停止……で台本は十分よ」

「理屈としちゃごもっともだな」ブーロウは苦笑した。「だがな、それをやったら、俺の……いや、組合の責任問題になる。帝国に借りが出来る格好になっちまう。認めるわけにゃいかない」

「あら、変ね」アルンヘイルは空惚けた。「私が聞いた話じゃ、組合が私達のためにあるんであって、私達が組合のためにいるんじゃなかったと思うんだけど」

 ブーロウが鬱陶しそうに答える。

「組合が五体満足でいるのが、結果的にお前達のためになるんだ。わかってくれよ、頼むから。お前達だって、組合のおかげでいい目を見てるだろ」

「血を流すのは私達よ。あんた達じゃない」司令部からは使い捨てと見做される立場で多くの戦争に参加してきた女は、黒曜石の瞳に鋭い火花を散らして、使い捨てる側の竜殺し騎士を睨んだ。「私達はお国の兵隊じゃない。国のために死ぬ義務なんかない。気に入らない作戦には文句を言う権利があるはずよ」

 ブーロウの目元が険しさを帯びる。

「報酬で請け負った仕事だろうが」

「無駄な危険を冒すのは仕事の内に入らないわ」

「無駄じゃない。今流した血が、後になって財産になるんだ」

「組合のでしょ」

 アルンヘイルはどこまでも冷ややかだった。

「つまり、お前達のだ」ブーロウも引き下がらない。「なあ、落ち着いてくれよ。お前さんらしくないぜ。どっちが得かよく考えてみろ」

「わからず屋の禿げ野郎!」アルンヘイルが鋭い罵倒をブーロウに投げつけ、テーブルを叩いてスナーに目配せした。「あんたも何とか言ってやってよ」

 スナーは確認の意味を兼ねて黒曜石の眼を見返した。はっきりと頷きが返ってきた。彼の誤解でないとすれば、後は任せたという意味だ。

 スナーは自身に注目が集まるのを感じながら立ち上がってゆっくりと聴衆を見回し、口を開いた。

「まず、アルンヘイルの案は現実味がないと思う。戦術的にはともかく、政治的には非常に厳しい」

「ちょっと、スナー、あんた、どっちの味方なのよ!」

 いかにも当てが外れて憤慨した風な態度でアルンヘイルがスナーに詰め寄る。スナーはそれを鬱陶しそうに押しのけ、意見陳述を続けた。

「だが、ブーロウ評議員の望みも、組合にとって都合が良すぎる。確かに全体の利益には合致するかもしれないが、それは俺達個々人の利益を横取りしているだけだ」

「おい、スナーよ、両方駄目だって言うからには、代わりの案がちゃんとあるんだろうな」

 ブーロウが凄んだ。猛獣のような威圧感があった。

 スナーは一拍置いて頷いた。

「ええ。勿論です。まず、突入は迅速に行なうべきでしょう。帝国への兼ね合いもありますから、その危険は甘んじて受けざるを得ません」

 ブーロウが満足そうに頷く。

「ただ、突入した後、遮二無二前進するのは危険です。ばらばらに行動することもです。状況が判明するまでは、全員で掩護し合いながら、伏兵や罠を警戒しつつ、少しずつ、確実に進んでいくべきです」言って、意味深な微笑を浮かべる。「この過程で、前進せざるを得ない近衛や聖堂騎士団を敵が一層の脅威と受け止めて、そちらを戦闘の焦点と見做したとしても、それは全くの不可抗力であって、こちらに非難が向くことはないでしょう。逆に、敵の反攻が集中した場合、支えきれずに徐々に後退して、軍に対処を任せても問題は生じないはずです。その後、名誉挽回のために妖術師を探し求めて、軍に先んじて身柄を確保したとしてもね。なぜなら、我々は我が身大事の冒険者です。兵士ではありません。多少顰蹙を買いはするでしょうが、戦場で卑劣に振る舞ったとしても、まともな軍人は責めなどしませんよ。彼らは根本的な部分で冒険者と兵士を区別したがっていますから、口でこそ非難するかもしれませんが、それは臆病で卑劣な冒険者に対する勇敢で堂々たる自分達という優越感の裏返しです。我々を罵ることで、仲間内での結束や選民意識を快く強めるのですよ。人の精神の在り様とは複雑なものですな」議場で演説する共和国議員のようにゆっくりと冒険者達を見回してから、じっとブーロウの顔を見る。「どうですか、私としてはこの辺りが最も均衡の取れた決着だと思うのですが」

 ブーロウは不機嫌そうに唸った。スナーは彼が自分達の初歩的な詐術を見破ったことに気づいた。

 だが、ブーロウは得た答えを口に出さなかった。冒険者達の考えが、利己的に過ぎるアルンヘイルと苛酷に過ぎるブーロウから離れ、スナーに近づいたことを察して形勢不利を悟ったのだろう。渋い顔で頷く。

「わかったよ。それでいい。ただし、軍に申し訳が立つ程度にはちゃんと戦えよ。臆病や慎重にも限度ってものがあるんだからな」魔術師と女傭兵を見て苦笑する。「大した詐欺師共だな。いや、煽動家か」

 フィオナがスナーの袖を引いて小声で訊ねる。

「つまり、どういうことなのですか」

 スナーとアルンヘイルの行動は示し合わせた上でのものではなかった。しかし、アルンヘイルには、きっと計画があったのだ。自分が無理難題を言ってブーロウと真っ向から対決し、本命の提案を持ったスナーが間に入ってそれを通す。アルンヘイルは、初歩的だが打ち合わせなしに行なうことの難しいこの交渉技術に、スナーが乗ってくるものと期待――或いは予期――して会話の口火を切ったのだ。

「俺とアルンヘイルで評議員を嵌めたということさ」

 スナーはただそれだけ答えた。

 馬鹿にされたと思ったのか、フィオナは不満顔になり、拗ねたように顔を背けた。

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