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剣と魔法と怪物の物語  作者: 沼津幸茸
略奪者共
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略奪者共

 投射した視覚が洞窟内の全ての生物が死に絶えたことをスナー・リッヒディートに知らせた。痩せたひょろ長い体を日蔭色の衣服で包んでやや小振りの背嚢を背負い、古びてねじくれた黒っぽい長杖をついたスナーは三人の仲間に頷いてみせた。部族紋様の刺青が施された古傷の目立つ小麦色の肌を麻布の民族衣装で包み、勇者の証である砂色の野獣(サイゲル)のマントを羽織った部族戦士姿のラシュタルと、鍛冶神(ベルガントス)の聖句と甲冑師ガムドの銘がドワーフの神聖文字で刻まれた真銀鋼製の兜を陽光に煌めかせ、仕留めた魔獣の毛皮で仕立てたマントの下に同じくガムド作の真銀鋼製の軽装鎧と鎖帷子を纏ったフィオナ・カルミルス或いはリッヒディートは不満そうな顔をしていた。

「面白くない。退屈な仕事だ」

 精悍な美貌を翳らせたまま、ラシュタルは吐き捨てるように言った。彼のような荒野エルフに限らずエルフ種族全般はゴブリンやオークのような亜人を嫌悪している。彼らにとってゴブリンなどを駆逐することは種族としての義務であり、戦士の種族である荒野エルフにとってその手で直接彼らの息の根を止めることは喜びでもある。夜行性の敵を白昼に襲撃し、あまつさえ屋内に籠もる敵を星幽毒で全滅させる、などという効率のみを追求するやり方は到底満足のいくものではないに違いない。

「そうです」精神の強さを窺わせる凛々しく端整な顔を難しそうに顰め、フィオナが同調する。「これでは私達のいる意味がないではないですか」

 戦神の祝福を受けた女剣士にとって戦いに臨むことは単に喜びであるだけでなく本能の発露ですらある。その顔には自由を奪われた野生獣が檻の外を眺めるような表情が浮かんでいる。

「何もしなくても仕事したことになるんならそれでいいじゃない。楽して丸儲けよ」

 アルンヘイルが戦士二人を呆れ顔で眺めた。艶かしい肉体を革の防具で守った半闇エルフの女戦士もゴブリンを憎んでいること自体はラシュタルと同じだ。しかし、闇エルフ自体が合理主義的で冷徹な傾向のあるのに加えて人間の血も混じり、更には利益第一の傭兵として多年に亘って活躍してきたためか、彼女の憎悪はラシュタルほどに激烈ではない。

 スナーもアルンヘイルと同意見だった。ゴブリンに対する病的な憎悪など持ち合わせておらず、戦士の文化に染まってもいない上、まさに作業を執り行なって活躍中であるスナーは、フィオナ達の不満を理解することはできても共感することはできない。陰気な顔で素っ気なく応じる。

「遊びじゃないんだ。我慢しろ、二人とも」それから奇怪な形状の杖を構える。「浄化するから少し待っていろ」

 スナーは意識を研ぎ澄まし、物質界とほぼ接する位置にある低次の星幽界に満ちる不可視の星幽光が自分の意志に応じて動き、目的を遂げる様を強く想起して魔術の準備を始めた。そして意志が十分に高まり、解き放たれて空間上の星幽光に伝達されるのを待つだけになったところで魔術を発動する。魔術師の心身の延長となる杖の頭から意志の波動が空間上に放射されて伝達され、洞窟内に満ちた有害極まる星幽光を無害なものに変化させていく。

 浄化の波が洞窟内を一掃した頃を見計らい、スナーは星幽的感覚で内部の状態を探った。汚染された星幽光は浄化され、洞窟は元の無害な生活空間に戻っていた。

「楽しい略奪の時間だ。何かいいものがあるといいな」スナーは松明代わりの精気光の球を作り出し、先に入るよう仲間達を促した。「一応確認はしたが、見落とした生き残りがいるかもしれない。気をつけてくれ」

「言われるまでもない。お前こそ気をつけることだ」

 腰の鞘から荒野エルフらしい肉厚幅広の無骨な鋼の両手剣を抜き放ち、いつでも放り出せるように大きな背嚢のベルトを片方の肩に纏めてかけた状態でラシュタルが洞窟に大股で乗り込む。油断なく周囲を見回しながらもその足取りは速い。

「待ちなさいよ」

 小剣を抜いてラシュタルと同じ状態になったアルンヘイルが恋人を追い抜き、先頭に立った。彼女は長い戦場暮らしの中で潜入技術も習得している。原始的な生活を営むゴブリンの巣穴に仕掛けられる程度の罠を見抜くなど造作もない。危険の有無を確かめ、さっさと進んでいく。

「私達も行きましょう」

 二人と同様の形に背嚢を背負ったフィオナも、真銀鋼製の片手半剣を抜いた。ドワーフの神聖文字で聖句と剣匠グランフの銘と剣の銘「立ち向かうもの」が刻まれた銀灰色の剣身が陽光を受けて美しく輝いた。

 女としては平均かそれ以上であってもスナーやアルンヘイルの肩にようやく頭が来る程度の、男の戦士に比べれば明らかに小柄である背丈にそれはやや長すぎるようにも見える。しかし、腕がスナーのそれよりも太くなるほどに鍛え抜いた筋力と技倆はその不釣り合いを克服していた。すっかり手に馴染んだ様子で危なげなく長大な剣を握ってフィオナもラシュタルに続いた。エルフ達と違って然程夜目の利かない彼女のために作った光球がその周りを漂う。スナーも大小の戦士達の背中を追った。

 夜行性の生き物で、人間とは隔絶した衛生観念の持ち主であるゴブリンの棲家らしく、あまり光の射し込まない内部はかなり暗く、不潔な臭いのする空気は鬱陶しく湿り、壁や地面は汚らしく苔むしていた。

 粗悪な土木工具による必死の掘削工事の痕跡が見られる洞窟内は死体で埋め尽くされていた。放埓の魔王(ケイオリーダム)に仕える趣味の悪い悪魔が人間を醜く捏ね直した後、呪われた強酸で皮膚を爛れさせたような外見をしたゴブリン達の屍だ。充溢する有害な星幽光で肉体と重なり合うもう一つの体である星幽体を蝕まれて破壊され、どれもこれも眠るように死んでいた。明らかに戦闘要員とわかる木や革の防具と粗末な棍棒や粗悪な刃物で武装した者の他、体つきから察するに雌と思われる者、やはり小さな体格から子供と思われる者の死体もあった。つまりは依頼者達から事前に示された曖昧極まる情報、ゴブリンの前哨基地ではないかとの推測は大外れで、ここはゴブリンの小集落だったのだ。

 ラシュタルはそれらに汚らわしいものを見るような冷たい一瞥をくれる以上の反応を示さない。あらゆるエルフにとってゴブリンは、良く言って害獣、悪く言えば害虫でしかない。ゴブリンの子供の死に涙するエルフなどいない。成虫であろうと幼虫であろうと、害虫は害虫なのだ。

 アルンヘイルも同様の態度――と言うよりは感覚の鈍磨した歴戦の傭兵の態度――を見せている。主の死後も変わらず働き続ける罠の存在を絶えず探りながら、死体を跨ぎ、或いは踏み越え、スナーが魔術的調査によって作成した地図に従い、いくつかの分岐から正しい道を選び、洞窟の奥の方へと向かっていく。

「こればかりは何度見ても慣れませんね。名誉も尊厳も、ここにはありません。邪悪なゴブリンといえど、こうなってはただ哀れです」

 フィオナの呻くような声には葛藤が満ちていた。ラシュタル達とは違い、死者を畏れるように、屍の間を縫うように進んでいる。踏みつけることは勿論、跨ぐことさえしない。

「剣で斬られるのも、星幽毒で死ぬのも、殺される側からすれば大した違いはないだろう。少なくとも俺は剣だろうと魔法だろうと殺されるのは御免だし、どれだけ気遣われようと俺を殺そうとする奴を赦す気はない」

 星幽的感覚を働かせて死者達の所持品に魔法の物品がないかを再度確かめる傍ら、スナーは呟きにそう答えた。しかし平然とした態度に反して、内心では自分が演出した虐殺の現場に若干の居心地の悪さを感じていた。彼は単に魔術の優れた探究者であるばかりでなく、極めて積極的な実践者でもある。だが、殺戮や破壊を楽しんだことは一度もなかった。彼は必要だと感じたことを冷徹に断行してきただけだ。

「君達は凄いな」

 スナーは自分よりも頭一つ分以上も背の高い荒野エルフの筋肉が浮いた広い背中に向かって呟いた。もう何度これに類する言葉を発したことか彼の記憶力を以てしてもわからないが、訊かずにいられなかった。それほどまでにエルフ達のゴブリンやオークといった亜人連中に対する仕打ちは酸鼻を極める非人道的なものばかりだった。暗黒時代に大陸で暴威を振るった異端者狩りの嵐に勝るとも劣らない。時代が時代であれば明らかに狩られる側であったに違いない身からすると、亜人達に不愉快な親近感を覚えずにいられなかった。

 ラシュタルが振り向きもせずに聞き返す。

「なんのことだ」

「実際に手を下した俺が言うのもどうかと思うが、こいつらのことだ。知性もあって、人に似た姿もしている。文化も持っている。そんな連中の死体の山の中をよくも平然と歩ける。エルフの亜人嫌いは実に凄まじいな」

「こやつらは我々の永遠の敵だ。何人も殺され、何匹も殺してきた。いずれか一方が消え去るまで続く闘争だ。和睦は有り得ぬ。最も慈愛に満ちたエルフであっても、こやつらに対しては惨めな死以外に贈り物を持たぬ」

 一人一人が全体の復讐代行者である種族の静かな言葉は、聞く者をたじろがせずにいられないような、激烈な感情を秘めていた。スナーは表情を硬くしたが、敢えてこれ以上、異種族の価値観を一方的にぶつけようとはしなかった。元々不毛な話である上、以前別の人物と似たような話をした際、良心の呵責なく殺す者と心中で謝罪しながら殺す者のどちらがましか、と問い返されたことを彼ははっきりと記憶していた。彼はなるほどと感心して納得したものだった。

 死の静寂に満たされたゴブリン部族の棲家を無言で探索する内、四人は最深部と思しき場所に到着した。

 最深部は広間の形に掘り抜かれ、絨毯の代わりか、地面には大小の汚らしい毛皮や布が敷いてあった。高度な土木技術を持たず満足な工具も持たないであろうゴブリン達が、一体どれだけの労力をこのために費やしたかは想像もつかなかった。

 広間にはゴブリンの武装兵達が倒れていた。その数は十数匹ほどにも上った。

 奥には岩を加工した玉座があった。そこでは、安っぽい装飾品で身を飾り立てた、大柄なゴブリンが息絶えていた。この五、六十匹ほどが暮らす巣穴の「王」だろう。

 入口からここに至るまでと同様、罠の類は一切なかった。ラシュタルの優れた感覚でも、アルンヘイルの熟達の調査能力でも、スナーの魔法的調査でも発見できなかったのであれば、他の結論は出ない。ここに至ってもラシュタルは何の反応も示さなかったが、ここが軍事拠点などでなく純粋な生活の場であった事実に、スナーは顔を顰めずにいられなかった。フィオナも似たようなことを感じたらしく、表情には沈鬱さが滲み出していた。ここには生活臭が染みつきすぎていた。

 もっとも、単なる生活拠点に過ぎないとしても、彼らは行動範囲を拡げ、いずれは四人の依頼主である開拓村に魔手を伸ばしていたに違いない。住居の造りの複雑さを見ても隠棲の場では有り得ないことがすぐわかる。いずれ前進基地に変わっていただろうことは想像に難くない。だからきっと、彼らを見舞う結果自体は変わらなかった。あるのはそれがいつになるかの違いだけだ。亜人は人類の不倶戴天の敵なのだ。それに、彼らの所持品を見れば、彼らが人類から物を奪っていたことは明らかだ。既に彼らは名実共に人類の敵となっている。

 一行は背嚢を地面に放り出した。

 ラシュタルが大股に玉座に進む。スナーは彼が何をするつもりなのかわかっていたが、念のために警告する。

「親分の剣に魔法がかかっていると言ったのは憶えているか。他のものは構わないが、念のため、剣には触るなよ」

「わかっている」

 ラシュタルはスナーの予想通り、剣を無造作に振るった。通常のゴブリンよりも大きな頭が野蛮な絨毯の上に転がった。血はあまり出なかった。

 転がった頭部を剣先で示した。

「それを持ち帰れば証拠になるだろう」

 王の粗末な衣で剣を拭って鞘に収め、質の悪い貴金属を毟り取るように奪い始める。契約では、さして多くもない報酬の足しとして、戦利品は四人の好きにしてよいことになっていた。スナーも玉座に近づき、こんな場所に似つかわしくないほどに立派な小剣を星幽的に観察し始める。アルンヘイルは手際良く地面に麻布を広げ、他の死体に向かっていく。フィオナは剣を掴んだまま、じっと周囲を警戒する。彼女は物資の回収には直接参加せず、一行の番犬として控えるのが常だ。性格的にも能力的にも適材適所と言える。

「錆止めの魔法が附与されているだけだが、魔法の剣には違いない」仲間達に聞こえるように声を高めて簡易鑑定の結果を報告する。「刃の状態次第だが、今回一番の儲けだろうな。これ以上のことは持ち帰って詳しく調べないとなんとも言えないが……あ、もう触ってもいいぞ」

 ラシュタルが無言のまま、ろくに手入れのされた様子もなく表面がささくれ立った革帯を短刀で乱暴に切り、小剣を奪い取った。


 ラシュタルとアルンヘイルが戦利品を選別して大きな麻布の上に積み上げる横で、スナーは星幽的に投射した視覚で自分達が見られたことを察知した。何者か――おそらく彼に比べれば素人のような魔法使い――がゴブリンの巣穴を偵察しているのだ。投射された視覚と術者の星幽的繋がりを見る限り、視線の主は洞窟の出入り口付近にいるようだった。

 荒野エルフは、森エルフや闇エルフと違い、古エルフが持っていた霊的素養の多くを失っている。だが、能動的に星幽光を操って魔法を行使する力こそ弱まっていても、星幽光に対する敏感さは悠久の時を経て今も受け継がれている。ラシュタルも周りを飛ぶ蚊に苛立つような顔をした。

「誰かに見られてる……のかな」

 アルンヘイルが自信に欠ける声で呟き、落ち着かない様子で辺りを眺めた。人間とエルフの合いの子の星幽的感覚は、平均的な人間には勝るが、どうしても純血のエルフには劣る。彼らは人間的な向上心と可能性と引き換えにエルフの星幽的感覚の多くを失い、エルフの不老長寿と引き換えに人間の繁殖力を失った。

 星幽的感覚の鋭さがアルンヘイルにやや劣るフィオナは気づくのが遅れたが、仲間達の態度もあってすぐに異状を察した。剣を構え直して異変に備える。

 スナーは星幽光に干渉して投射された視覚を眩ませた上で、広間を漂う星幽光を掻き乱して視覚投射を妨げる処置を取った。仲間達に状況を説明する。

「誰かが投射視覚で俺達を見ていた。取り敢えず、視覚に目眩ましをかけてから、この部屋の中を簡単に見通せないようにした。相手は洞窟の外にいると思う」

「こちらを見ていた相手のことを探ってください」

「わかっている。君達はしばらく周りに気をつけていろ」

 スナーは目を閉じ、視覚と右耳の聴覚を空間上の星幽光に投射した。投射された感覚は彼が攪拌した星幽光の荒波を潜り抜け、回廊を漂い、死屍累々の地面を抜けて、洞窟の外に至った。

 案の定、相手は洞窟の外にいた。一人ではなかった。思い思いに武装した傭兵隊とも冒険者集団とも野盗ともつかない連中が洞窟の前に集合していた。人数は十二人、むさ苦しい男ばかりで、揃って人相が悪い。星幽体を見れば善良ならざる人物揃いであることがわかる。大抵の者が革製防具を装備しており、高価な金属鎧を着ている者は頭目格の一人しかいない。だが、頭目格が魔法の剣を腰に下げていること、魔法使いが一人いること、弓使いが二人いることを見る限り、侮ってかかると痛い目を見る相手かもしれない。それに、帝国軍の戦力評価基準では、戦士階級のゴブリンは熟練兵と同等の戦力と見做す。そのゴブリンの巣穴にたった十人そこそこで挑もうとする者達が弱いはずもない。

「傭兵か冒険者か野盗かはわからないが、武装した連中が洞窟前にいる」スナーは目を閉じて視力を投射したまま、仲間達に状況を説明する。「人数は見えるだけで十二人、内、弓持ちが二人、魔法使いが一人いる。それ以外は革鎧に剣の前衛だ。槍持ちも三人いるな。頭らしい奴は魔法の剣を持っている。何の魔法かはまだわからないな。星幽体を見る限り、どちらかと言えば悪人であることは確かだ」

「お前と同じではないか」ラシュタルが笑い、興味深そうに訊く。「腕前はどうだ」

 覚悟の上とはいえ、左右の耳それそれが全く異なる場所で発された音を聴き取る状態は苦しかった。スナーは頭の中を虫が這い回るような気持ちの悪さを堪えて答える。

「武芸のことはよくわからないが、君達ほどじゃないと思う。ただ、ゴブリンの巣穴と承知で乗り込もうとするくらいだ、弱くはないはずだ。魔法使いは精々田舎で評判の呪い師様というところだな。きっと素人魔法使いだ。何をしでかすかわかったものじゃないのが怖いと言えば怖いが……まあ、油断しなければ相手にもならない」

 戦神(テュウォルス)の祝福を受けた戦士。百年以上の人生を武芸に捧げた荒野エルフの勇者。百年以上の長きに亘って戦場を渡り歩いた傭兵。そして全ての魔術体系に通じ、博士号を有する真正魔術師。相手方の戦力は、これだけの面々と正面からぶつかるのに十分なものとは思えなかった。もしスナーが自分達と事を構えるとしたら、少なくとも十倍の戦力を用意して不意を打つ。

「前にやったみたいにそいつらを映せない? 話で聞くより自分で見る方がよくわかるよ」

 既に何度もスナーが披露した、低次星幽界に充満する星幽光への視界投影をアルンヘイルが要求した。

「やってもいいが、文句を言うなよ」

「何よそれ」

「見ればわかる」

 訝るアルンヘイルに、論より証拠とスナーは映像を星幽光に投影した。星幽光を濃密化させて作られた投影幕に像が映る。

 案の定、アルンヘイルは不満の声を上げた。

「何よこれ。まともに見えないじゃない」

 映し出された像は、ぼやけ、歪み、かすれ、そこに人型のものがいくつあるかくらいしか読み取れない、粗すぎるものだった。

「相手からの観察を防ぐためにこの辺りの星幽光を混乱させたから、これが精一杯だ。全力を出せばもうちょっとましなものを映せるはずだが、つまらないことで消耗したくないから勘弁してくれ。この映像はもう要らないから切るぞ」

 スナーは投影をやめた。

「学院を出た魔術師だって自慢してるくせにだらしないわね」

「何しろ、博士様がかけた妨害だからな」スナーは尊大に返す。「並みの魔法使いじゃ映すことさえできないぞ」

「自分の魔法でやられてちゃ世話ないわ」

 アルンヘイルが小馬鹿にするように笑った。

「やかましい」スナーはこめかみをひくつかせた。「気が散るからくだらないことで話しかけるんじゃない」

 一団は洞窟に進むかどうかを話し合っていた。魔法使いはスナーとの力量差を根拠に消極的な態度で撤退を主張しているが、周りは臆病風に吹かれたかと笑うだけでろくに相手にしていない。普段から慎重派――或いは臆病者――と見られているようだ。

「その集団の動きはどうですか」

 フィオナが冷静に問うた。

「どうするか話し合っているようだが――」

 スナーは言いかけて言葉を切り、待つようにと手振りでフィオナに伝えた。スナーが魔法の目を光らせ、耳をそばだてる前で、男達は結論に達しようとしていた。

「どうやらこちらに来るつもりらしいな」

 話し合いを終えた男達は、洞窟に押し入り、先客に挑戦することで纏まったようだった。

「それは楽しみだ」

 ラシュタルの喜びに浮き立つような声が左耳に流れ込んできた。

「まさか正面から突っ込む気じゃないでしょうね。やめなさいよ」アルンヘイルが呆れたように言い、スナーに話を振る。「ねえ、スナー。あんたの魔法でどうにかならない? 今なら纏めて仕留められるでしょ」

「何を言っているのですか、二人とも」フィオナが非難の声を上げた。「まだ敵かどうかもわからないのですよ。別口の冒険者かもしれませんし……スナーも彼らに言ってやってください」

 言い合いの間もスナーが投射した視界の中では男達が動き続けていた。魔法使いがスナーの存在を警戒して一行に魔法耐性を附与した後、魔法の剣を持った頭目が先頭に立った。三名が松明を持ち、魔法使いは中央に位置し、弓使いがしんがりにつき、二名が見張りに残ると、男達は洞窟に向けてゆっくりと進み出す。

「動き出したぞ」と告げてから、言い合いに参加する。「悪いが、フィオナ、不本意だが今回はそこの馬鹿共と同じ意見だ。ただ、一応言っておくが、脊髄反射のそいつらとは違って、熟慮の上の結論だ」

「スナー! あなたまでそのようなことを言うのですか」

「私とお前が同意見とは、珍しいこともあるものだ。何か悪いものでも食ったのか」

 驚愕に満ちたフィオナの声に、面白がるようなラシュタルの声が続いた。

「奴らの会話を聞けば誰でもそうなる。奴らは、捕まえた女をどうやって味わおうか話し合っていたよ。どうやら連中はエルフにご執心のようだ。エルフを味わうのは初めてだからたっぷり楽しみたいそうだ」

 盗み聞いた――そして現に盗み聞いている――下劣な会話をスナーは極めて柔らかい表現で伝えた。流石の彼にも敵か味方かわからない相手をいきなり攻撃する趣味はないが、おそらく敵であろう相手ならば話は別だ。攻撃対象とするには十分すぎる。

「なるほど、男としては自分の女を守らねばな」ラシュタルが得心したように顎を撫でた。「自分の女を守れぬようでは男に生まれた甲斐がない」

「そうね、男はやっぱり女を守らなきゃ」アルンヘイルが笑い混じりに相槌を打つ。「野郎共はちゃんと私達のことを守るように。ね、フィオナ」

「ですが、彼らが本心からそう言っていると決まったわけでは……」冗談には付き合わず、フィオナが食い下がる。「感心できることではありませんが、戦いを生業にする男性はよくそういう冗談を口にするものですし……」

「でもって、機会があれば実際にやるのよ、そういう連中はね」そういう連中を沢山見てきたのであろう半闇エルフの古兵は冷ややかに言った。「欲望に正直だし、女日照りで溜まってるからね。穴があれば男も女も関係ないなんてのはかわいい方で、温かければ死体でもいい、なんて奴だっているよ」

 フィオナが歪めた表情には嫌悪感と不信感が満ちていた。アルンヘイルが駄目押しに続けた。

「本当よ。私見たもの」

 スナーが投射した視界には散らばる屍を薄気味悪そうに避けて侵入してくるならず者風の連中の姿が映っている。強力な魔術師が何か仕掛けてはいないかと警戒しているのか、彼らは脇道に差しかかるたびに停止して調べている。この調子ならば広間に辿り着くまでまだ十数分程度の余裕が見込める。

 彼は冷徹にその事実を告げた。

「いずれにせよ、奴らは十分ほどでここに辿り着くだろう。それまでに対応を決めておこう」

「スナー、あんたの魔法でやっちゃえばいいじゃない。十人もいるんじゃ、正面からやるのは馬鹿のやることよ」

「戦士には戦士が、剣には剣で応えるのが古からの習いだ」荒野エルフの勇者が荒野エルフ流の戦闘哲学を語る。「そのようなやり方は戦士を遇するにふさわしからぬ」

「まずは対話すべきです。同じ人間同士です。争わずに済むならその方がよいではありませんか」

「数の利はあちらにある」ラシュタルが冷然と突っぱねる。「対話するのであれば、あちらも都合の良いように展開するだろう。数で勝る相手に自由な行動を許すなど論外だ」

「それに、スナーの話じゃ、どう考えてもケダモノみたいな連中よ。そんな連中がたった四人、しかもその内一人は色気たっぷりの極上の女でもう一人は色気はないけど綺麗な顔した女の子、なんて相手にまともに交渉するわけないでしょ。良くて正面から、悪けりゃ笑顔でさよならした後、背中を刺しにくるに決まってる」

「それはそうかもしれませんが……」

 フィオナが返答に窮した。

「君達、お頭殿の希望は尊重すべきだぞ、それがどんなに馬鹿げているとしても」

「スナー、信じていましたよ!」スナーの助け船にフィオナが表情を明るくした。「でも、馬鹿げている、はないのではありませんか」

「これだから男って生き物は……」アルンヘイルが呆れたように鼻を鳴らした。「自分の女には甘いんだから」

「お前の熟慮とやらは随分と軽いものなのだな」

 不満を隠さない異種族二人にスナーは言う。

「まあ、聞け。俺は何も、全面的にフィオナに従えと言うつもりはないんだ」

「スナー?」

 フィオナ声が不安げに揺れた。

「対話はしよう。だが戦いの準備もしておこう」

「その戦いに剣の出番はあるのだろうな」

 ラシュタルが食いついてきた。

「そうなるはずだ」

「よし、お前の考えを聞こうではないか」

「奴らには回廊で停まって貰う。お互いの代表同士で話をして、決裂するようなら回廊で密集している連中を魔術で片付けて、それ以外を君達が剣で片付ける。攻撃開始の合図は俺の攻性魔術だ。決裂したと俺が判断した瞬間、不意打ちで魔術を喰らわせて流れを一気に奪う」

「……妥当な作戦ではある。だが、妥当であるという以外の美点はない」

 戦士の文化の継承者の評価は辛辣だった。

 荒野エルフは戦士の種族である。彼らは策を弄して騙し討ちにするような戦い方を嫌う。彼らにとって戦いとは、単に敵を打倒するだけの行為ではない。肉体と肉体、精神と精神を正面からぶつけ合わせ、どちらが戦士としてより優れているかを決するための儀式でもある。若くして部族から勇者と認められたというラシュタルは、戦闘を一際神聖視しており、中でも正面からのぶつかり合いを好む。

 長い付き合いだから、このことはスナーもよく知っている。だが、彼は魔術師であって――冒険者ではあっても――戦士ではない。仲間として戦士の価値観を尊重しつつも、必要と思えば決して妥協しない。

「戦いにそれ以上の何が必要なんだ。いつも言っているが――こんな稼業だ――どう足掻いても命を賭けざるを得ない時は必ず来る。その時は喜んで一緒に命を賭けてやろう。だが、そうでない時に俺達を巻き込むのはやめてくれ。俺は死にたくないんだ」

「決裂しなければ……」暗黙の前提で交渉役を務めることが内定しているフィオナが縋るような声音で言った。「話がきちんと通じれば戦わなくてよいのですよね」

「そうなったらにこやかにお別れだ。もっとも、紳士的に女を見送る奴らには見えないがね。俺は奴らに背中を見せる気にはならない」それからやや語調を強める。「言っておくが――フィオナだけじゃない、君達もだ――これが妥協の限界だ。これで納得できないなら、今すぐ連中を皆殺しにする。議論の時間はもうないぞ。さあ、どうする」

 三人は心の底から納得したわけでないことを隠そうとする気配もない声で了承した。

 辛うじて意思の統一を図れたことに安堵するスナーの視界では、凶暴そうな男達が道程の半ばを既に踏破していた。

「近づいてきたようだな」

「そうね。だらしない足音が聞こえるわ」

 耳の良いラシュタルとアルンヘイルが男達の接近を察知した。

 やや間を置いてフィオナが感嘆の眼差しを二人に向けた。

「よく聞こえますね。私には何も聞こえませんよ」

「人間って鈍いのよね。まあ、私も半分は人間だけど。じっとして耳を澄ましてれば、あんたでもその内聞こえるよ」

「耳を……それは当然のことでしょう!」

 言われた通りにしかけてからかわれていることに気づき、フィオナが頬を膨らませた。

「時間があまりない。手短に打ち合わせを済ませよう」

 スナーはたとえ勝算大の勝負であろうと細かい部分を疎かにするつもりはなかった。蟻の一穴が堤を崩すのだ。


 少し時が経ち、男達は回廊の終わりに至る曲がり角に辿り着こうとしていた。分散することもなく集団で行動しているので、これ以上監視を続ける必要はないと判断し、スナーは感覚投射を切った。投射した感覚特有の違和感と分割した聴覚の不快感とから解放され、彼は清々しいものを感じた。軽く頭を振って仲間達に知らせる。

「そろそろ来るぞ」

「言われるまでもない」

 スナーの警告にラシュタルが小うるさそうに応じた。

「ええ、ここまで来れば私でも音が聞こえます」

「君も人間にしては耳がいい方だな」

 スナーはフィオナに称賛の言葉を贈った。耳を澄ましてはみたものの、彼はほとんどそれらしい音を聞き取れなかった。

「そうでしょうか」

 フィオナが首を傾げた。

「そうさ。少なくとも俺は並み程度の耳の持ち主のはずだ」

「スナー、矢除けと魔除けはどうなっている」

 仲間達の様子をざっと眺めてから、スナーはラシュタルの問いに答えた。

「大丈夫だ。ちゃんとかかっている。普通の矢や魔法は当たらない」

「ならばよい。あとは敵が来るのを待つだけだ」

 剣を抜き、ラシュタルが前に進み出る。

「ラシュタル」とフィオナが軽く睨みつける。「まだ敵と決まったわけではありませんよ」

「でもほとんど決まったようなもんよ」

 アルンヘイルが呆れの眼差しを注いだ。フィオナは憤慨した様子で腰に手を当てた。

「それはこれからの話し合いで決まるのです」

 スナーにはフィオナとは異なる見解があったが、敢えて何も言わなかった。彼の眺める前で、半闇エルフと女剣士がじゃれ合いのような論争を続ける。

「自分も剣を抜いてるくせによく言うわ」

「これは当然の用心です」

「相手を信じてないんじゃない」

「からかうのはやめてください」

 男達を迎えるに当たり、陣形は自然と決まっていた。交渉役にして頭目のフィオナが先頭に立ち、その横に近接戦を担当するラシュタルが立つ。ラシュタルの後ろには掩護のアルンヘイルが位置し、戦局を左右し得るスナーが一番後方を占める。

 スナーは軽く手を打ち鳴らして注目を集めた。

「では手筈通りに。俺は魔術を準備しておく」

 彼は精神を研ぎ澄まし、熟達の魔法使いでなければ気づかないほど密かに、星幽光を動かすための意志の力を溜め始めた。

 少しして無遠慮な足音が聞こえ、血と垢と泥の臭いのする粗野な姿が広間の出入り口に見えた。

 男達が背嚢を放り出した直後、警戒心に満ちた声が上がった。

「お前らはなんだ」

 頭目らしい髭面の男の声だった。

「そこで停まってください」フィオナは髭面の男に朗々たる声で答えた。「話し合いましょう。こちらと同じ四人まで、代表者を出してください」

「なんだと」

 頭目は苛立たしげに髭面を歪めた。彼の後ろにいる仲間達も何事かを話し合ってざわめき始めた。

 しかし頭目は、値踏みするようにフィオナ達を見ると、地面に唾を吐き、憎々しげに答える。

「……わかった。ラーク、サノージョ、エイコジ、ついてこい」

 武器を手にして臨戦態勢を保ったまま、頭目と仲間三人が広間に進み出た。内、一人は短槍を持っている。その後ろには他の手下が集まり、いつでも広間に雪崩れ込めるように身構えた。弓使いは既に矢をつがえ、その鏃は二つともがスナーを狙っていた。まず魔法使いを倒す。集団戦の定石だ。矢除けの魔術に守られているとはいえ、スナーは落ち着かない気分になった。

 スナーに匹敵する背丈と彼を上回る体格を持つ頭目は、フィオナを見下ろすようにして、再び問いかけた。

「お前らはなんなんだ」

 顎を心持ち上げ、真っ向から見返し、フィオナは堂々と答える。

「我々は南にある開拓村の依頼でゴブリン退治にきた冒険者です。あなた達は?」

「俺達も冒険者さ」頭目はにたにたと下卑た笑みを浮かべて答えた。「別に誰かの依頼ってわけじゃねえが、ちょっと金欠でな。きたねえ亜人共から掻っ剥いで、ついでに近くの村から退治料でもせしめようって算段さ」

 頭目の立ち居振る舞いからスナーは、彼らが、本業か副業かはともあれ、野盗の真似事をして稼ぐごろつき連中であろうことを察した。星幽体の様子を見れば彼らがスナー達に悪意を抱いていることも一目瞭然だ。フィオナも全く世間を知らない子供ではないから、当然、彼らの捻じ曲がった本質にある程度気づいているはずだった。

 それにも関わらず平和的交渉を試みようとするフィオナの態度に、スナーは表情を険しくした。人類が相手だと――たとえそれがゴブリンやオークにも劣るような人格の持ち主であろうとも――途端にフィオナは甘くなる。仕事である場合や相手が攻撃してきた場合、相手が赦しがたい悪漢である場合、それが不可避である場合などを除いて、自分から仕掛けることをぎりぎりまで避けようとするのだ。決裂するまではフィオナに任せると言った手前、彼の価値観からすれば既に攻撃を加えるべきこの状況であっても、手出しができない。スナーは歯痒い気持ちで推移を見守り、少しでも早く頭目が決定的な断絶を示してくれることを願った。どうせ和解は有り得ないのだから、決裂は早い方がよいに決まっているのだ。

「ここのゴブリンはもう我々が片付けてしまったのですが……」

「そうだな、こいつは困った。なあ、お前ら」

 頭目が下品な笑い声を上げ、仲間達が追従するように笑った。

 フィオナは当惑の面持ちで要求を告げる。

「申し訳ないのですが、このままお帰りいただけないでしょうか」

「おいおい、いまどきゃ、旅するだけでも金がかかるんだぜ。そいつは無理ってもんよ」

「……私達は無益な争いをしたくないのです。引いていただけませんか」

 フィオナは若干苛立った様子で頭目達を眺めた。自称冒険者達は粘つくような視線をフィオナとアルンヘイルに向けている。フィオナの交渉技術の拙劣さを目の当たりにし、スナーは小さく首を振った。全く論外と言うべき、交渉の名に値しない交渉だった。対価を用意する意思さえ見せず、一方的に要求を突きつけるそのやり方に野盗との違いがあるとしたら、言葉遣いが丁寧で、暴力的でないことだけだ。

「それはさて措きよ、傷一つない死体を一杯見たぜ」頭目はそれには答えず、逆に問いかけてきた。「毒でも使ったのかい。それともそっちの腕っこきの魔法使いかい」

「答える必要はないでしょう」

「おうおう、つんと澄ましちゃって、かわいいじゃねえか」頭目が厭らしく笑った。「まあいいや。言いたくねえならしょうがねえ」

「お願いです。おとなしく引いてください」

 フィオナは辛抱強く繰り返した。

「そうさな……」わざとらしく考え込む素振りを見せ、頭目が答える。「まずゴブリンから奪ったものを全部よこしな。それから、お前ら、いい剣持ってるじゃねえか。そっちのエルフとお前さんの奴だ。ついでに鎧も置いてって貰おう。そいつは真銀で出来てるんだろ。あと、そっちの闇エルフの姉ちゃんと、お嬢ちゃん……だよな? もしかしてお坊ちゃんか? まあ、それならそれでいいんだがよ」

 頭目はフィオナの性別に今一つ確証を持てずにいるようだった。スナーはその気持ちがよく理解できた。顔立ちこそ整っているが、戦士としての訓練が、彼女の表情から柔らかさを奪い、凛々しさを加えていた。その上、日に焼けた肌、短い髪、起伏に乏しく筋肉質な肢体、更には体の線――特に胸元――を隠す鎧が、フィオナの性別を余計にわかりづらくしている。スナーも初対面時には誤認しかけたほどだ。だが、よく観察すれば、顔立ちや仕草に女性らしい柔らかさが宿っていることに気づくのはそう難しいことではない。

「それは侮辱ですか」フィオナは恥辱と憤怒に顔を引き攣らせ、強張った声で告げた。「私は女です」

 頭目は咳払いして続けた。

「とにかくだ、お前ら二人にちょいと相手して貰いてえな。こっちゃ見ての通り野郎所帯なもんでな、女に餓えてるんだよ。それこそ、顔さえ綺麗なら男でもいってくらいにな」

「ふざけないでください!」

「ふざけてるのはどっちだ」頭目がどすの利いた声を出した。「あんまり調子に乗るんじゃねえぞ、小娘が。お前らも腕に覚えがあるんだろうが、そいつはこっちだって一緒だ」魔法の剣をこれ見よがしに持ち上げてみせた。「なんなら、こっちは腕づくでいったっていいんだぜ。ぶん殴られて股開くのと、自分から股開いて気持ち良くして貰うのと、どっちがいい。なあ、どうせ減るものじゃねえだろ、ケチケチするなって。いや、それどころか、むしろ増えるかもしれねえぞ」

 頭目と手下達が、示し合わせたように、一斉に笑い声を立てた。

 フィオナがこの連中を説得できる見込みは微塵もない。当人もそれを痛感しただろう。スナーは頭目の発言を以て交渉決裂の判断を下し、魔術の発動を始めた。

 こういう時に使うべき魔術は大体決まっている。手軽に、かつ手早く複数の敵を殲滅することに関して、元素魔術ほど頼りになるものはない。

「気をつけろ、魔法が来るぞ!」

 頭目の後ろから相手方の魔法使いが警告の声を上げたが、既に手遅れだった。爆発的な勢いで投射された意志の力に低次星幽界の星幽光が動かされ、圧縮され、濃密化しながら凝固していく。星幽光はやがて物質と精神の中間質料である精気光に変成し、攻性魔術と化して回廊内に襲いかかった。強力な意志の投射によって精神が疲労し、その結果が精神の鈍磨という形でスナーを見舞う。精気光と化した星幽光が極寒の冷気と強風という擬似的物理現象に変換されて消費されることで星幽的低圧状態が発生したが、周辺の星幽光が平衡化作用によって不足に引き寄せられ、非物質的な風となって吹きつけて、瞬く間に生じた空白は瞬く間に埋まった。

 同時に矢が一本、風を切って向かってきた。彼の視界に、奇妙なほど緩慢に迫る矢が映った。スナーは堪らず悲鳴を上げたが、矢は不自然な軌道を描いて逸れ、彼の後ろに抜けていった。そこでようやく自分が矢除けの魔術の保護を受けていたことを思い出し、胸を撫で下ろした。

「スナー!」

 フィオナの抗議の声が広間に響くが、それも最早空しかった。

 冷気の風がさして広くもない回廊を荒れ狂う。空気中の水分が無数の小氷に変わり、壁面や地面に霜が下り、極北の地でさえ温暖に感じられるであろう低温の風が男達の肌を撫で回す。

 精神的衝撃に歯を食い縛り、表情に躊躇いを滲ませたのも束の間、フィオナが籠手に包まれた両手でしっかりと剣を握り、雄叫びを上げて頭目に突進する。どれほどの理想家であるにせよ、その前に彼女は冒険者であり、戦士であった。戦闘が始まったなら全力を尽くして眼前の敵を排除する。こうした判断の切り替えは、筋金入りの日和見主義者もかくやというほどに速い。

「私を……我々を侮辱した罪は重いですよ!」

 鋭い声と共に斬りかかった。

 頭目が慌てて魔法の付与された剣をかざして応戦する。星幽的に極めて強固な刃が魔法を宿した剣身とぶつかり、可視と不可視の火花を散らす。フィオナの技倆と筋力で振るわれる真銀鋼の剣を正面から受け止めるとは、頭目の力量もさることながら、剣の方もかなり質の良いもののようだ。腕前と剣だけならば騎士称号を得るのに値するかもしれない。

 ラシュタルとアルンヘイルも動き出していた。ラシュタルは防具らしい防具を身につけていない身軽さを活かして手近な相手に飛びかかるようにして斬りかかり、アルンヘイルは致死性の麻痺毒を塗った投擲用の短剣を投げていた。

 ラシュタルに狙われた男は悲惨だった。防具の制約のない自由な動きから繰り出される、全体重が乗った大上段からの一撃を剣で無事受け止めたかと思われた瞬間、異音を発して刀身が折れ砕けた。全身の筋肉を余すところなく躍動させて放たれた一撃は一切勢いを減じることなく、驚愕に歪んだ顔面を断ち割り、そのまま吸い込まれるように胴を縦に裂いていった。頭頂から股間を垂直に断たれ、男の体は泣き別れとなって左右に転がった。

 アルンヘイルの投擲の技もラシュタルの剛力に劣らぬ冴えを見せた。音もなく飛んだ二振りの短剣は、全く同時に二人の男の喉に突き立った。麻痺毒は静かに浸透し、男達の筋肉から永遠に力を奪い去った。倒れ伏した二人は目を見開いたまま眠るように、しかしおそらくは、体が少しずつ死んでいくのを自覚させられる地獄の感覚を味わいながら息絶えた。

 その間にも回廊では精気光の冷風が荒れ狂い、自称冒険者の一団は一人また一人と永遠の眠りに就いていった。魔法使いが附与した魔法耐性も、仲間意識を共有する精神が寄り集まることで生じる集合的魔法抵抗も、さして役に立つ気配がなかった。高位魔術師の魔術の前には紙で出来た鎧のようなものだった。それでも元々星幽的耐性を持ち合わせていた魔法使いは最後まで生き残ってみせたが、それもほんの少しだけ長生きしただけに過ぎず、彼もまた魔法の腕を披露する暇さえ与えられずに事切れた。

 あっと言う間に手下を失った頭目は激変する状況に混乱気味で、明らかに取り乱している様子だったが、それでもフィオナとの打ち合いを続けていた。その奮戦が、命へのどうしようもない執着によるものか、復讐心や意地によるものか、単なる惰性によるものかはわからない。しかし、大口を叩くだけの実力があることは確かなようだった。ひょっとすると、装備に恵まれないだけで、他の連中も実力者揃いだったのかもしれない。自分達が危ない橋を渡っていたらしいことに気づき、スナーは無意識に胃の辺りを撫でると共に、自分の采配が最善とは言えないまでも次善のものであったことを自讃した。

 フィオナと頭目の一騎討ちは、武芸に暗いスナーの目にも、体格差を圧してフィオナが優勢であるように見えた。勇ましい表情で挑みかかるフィオナに対し、頭目の顔には恐慌と狼狽の色が表れており、すっかり防戦一方に追い込まれている。

 手持ち無沙汰のラシュタルが、未だに火花を散らす二人を羨ましそうに見ている。武器と技倆の隔絶によって一瞬で片付いてしまったせいで、欲求不満なのだろう。

 この場はほぼ決着したと見たスナーは、再び視覚を投射した。曲がりくねった回廊を抜け、視覚は再び洞窟の出入り口に移動した。聴覚は依然として剣戟の音を捉えたままだ。

 魔法の視界の中で、似たり寄ったりの粗末な装備の男が二人、退屈そうに佇んでいた。自分達の出番はないとたかを括っているのだろう。余程、自分達の実力に自信があるようだ。

 スナーは視界内の二人に意識を集中し、眼差しに殺意をみなぎらせた。かつての師ウェイラー・サルバトンのような、完全武装の帝国近衛兵と宮廷魔術師の一隊を正面から全滅させるほどの非常識な力こそないが、魔法の心得もなさそうなごろつき二人を倒すには十分すぎるほどの力をスナーは持っている。視界を起点とし、星幽光を媒介に破壊の意志を二人の星幽体に伝達し、彼らを星幽的に破壊した。

 星幽体を破壊された二人の男の肉体は抜け殻となり、生き永らえる意味と意志を喪失して一切の生命活動が停止する。洞窟の前に、傷一つない屍が眠るようにくずおれた。

 視覚投射をやめて広間を眺め直すと、戦いが未だに続いていた。これを見てはスナーも流石に頭目――と今はもういないその手下達――への評価を上方修正せざるを得なかった。彼らは自信にふさわしいだけの実力を持っていた。並みの兵隊が相手であれば、三倍の人数が相手でも勝利を譲らなかっただろう。

 だが、それでもフィオナに対するスナーの信頼は揺らがない。戦神の祝福を受けて生まれ、女の身で男のように武芸に生活を捧げて修練してきた娘の実力が、こんなところで折られるほど軟なものではないことを彼は知っている。

 頭目が苦し紛れの蹴りを繰り出す。安全が確保された形式の試合しか知らない剣士ならば、これで一気に逆転されたかもしれない。

 しかし、フィオナは超人的な反応を示し、左腕に装着された小盾の縁で、振り上げられた脚を革の脛当ての上から一撃した。頭目の絶叫が広間中に響き渡る。損傷が骨に及んでいるであろうことは明白だった。

 苦鳴を漏らして堪らず身を縮めた頭目に向かって、フィオナが気合一声、満身の力を籠めて剣を突き下ろす。細い刀身が頭目の喉を真っ直ぐに貫き通した。頭目の体がびくりと震え、糸の切れた人形のように力を失った。両腕がだらりと垂れ、膝が曲がる。今や頭目の体重はフィオナの片腕に支えられていた。

 フィオナは横に薙ぐようにして銀灰色の刀身を引き抜き、首筋を斬り裂いた。支えを失った頭目の体は、水袋から空気が漏れ出すような音を立てて血を撒き散らしながら倒れ、地面を覆う得体の知れない生き物の擦り切れた毛皮を血で染めた。

「これで戦いは終わりだな」スナーが宣言した。「表にいた見張りは俺が片付けたし、突入組も皆殺しにした」

「それじゃさっさと身包み剥いじゃいましょうか」投擲用短剣を回収していたアルンヘイルが、活き活きとした表情でスナーを見た。「ねえ、こいつらの持ち物は触っても大丈夫なんでしょ」

「魔法がかかっているのは頭目の剣だけだが、物理的な罠までは責任を持てない。それは君が調べてくれ。それから、回廊に転がっている連中の持ち物には気をつけることだ。特に金物にはな。相当冷えているから、肌に直接つけると貼りついて取れなくなるぞ」

「珠のお肌に瑕がついちゃ大変ね。ラーシュに嫌われちゃう。気をつけるわ」

「私はお前の肌がたとえ汚穢の魔王に呪われて爛れ落ちようとも気にせぬが」

「男ってのは女心がわからないからやあね。女はいつだって一番綺麗な自分を見て欲しいのよ」

 軽口を残してアルンヘイルが未だ冷気が残って寒々とした回廊に向かった。ラシュタルはスナーに肩を竦めてみせると、自分が真っ二つにした相手に剣を掲げ、戦士の儀礼を始めた。

 少しして、回廊の方から「ちょっと何よこれ! 寒すぎるでしょ、馬鹿魔法使い。よりによってこんな魔法使いやがって、憶えときなさいよ」という悪態が聞こえた。

 スナーは剣に付着した血を拭うフィオナの横を通り、頭目の死体の前に膝をついた。その手が未練がましく握ったままの剣に星幽的感覚を向け、付与された魔法の性質を調べる。

「その剣の魔法はなんなのですか」

 フィオナが興味深そうに横から覗き込んだ。

「こいつの剣にかかっているのは硬質化の魔法だな。だから、君の非常識な剣を真正面から受け止められたんだろう」

 説明しながら頭目の手から剣を引き剥がし、剣帯を取り外しにかかる。慣れない剣帯にスナーが四苦八苦していると、フィオナが横から手を出し、あっさりと帯を外してしまった。渋い顔をするスナーに剣を差し出しながら、フィオナが小首を傾げる。


 壊滅した冒険者一行からめぼしい品を奪い終えたスナー達は、麻布の上に積まれた戦利品を眺めた。その横にはゴブリンの長の首級を包んだ布がある。

 布で戦利品を包みながらアルンヘイルが明るい声で言う。

「あんたらのせいで使い物にならなくなったのが一杯あるけど、まあまあの収穫ね」

 敵の装備をいくつも台無しにした男二人を横目で睨んではいるが、一行の会計担当者はほくほく顔だった。無理もないことだった。彼女の生臭い錬金術にかかれば、この布包みだけでも銀貨十枚近くに化ける。その上、魔法の剣まである。

「そうだな」スナーも頷いた。「魔法の剣が二振りというのは大きい」

 ラシュタルが麻縄で束ねて背嚢に突っ込んだ魔法の剣二振りも、スナー・リッヒディート真正魔術博士が帰宅後に書き上げる署名入り鑑定書とアルンヘイルの腕が合わされば、銀貨三十枚程度は堅い。

「これでよし、と」アルンヘイルが布を袋状に結び終えた。「軽くしてよ」

 スナーはいつものように軽量化の魔術をかけた。根源的な質料である星幽光が変化し、荷物の重量を軽減する。

 力自慢の大男でも両腕を使わないと苦しそうな大荷物をアルンヘイルが片手で軽々と持ち上げた。

「うん、軽い軽い。じゃ、よろしくね」

 例によって荷物持ちはラシュタルだった。剛力の荒野エルフはこれと言って感情を動かす風のない態度で包みを受け取った。

「あとは死体の処理ですね」自分の背嚢を拾ったフィオナがスナーを見る。「お願いできますか」

 死体を放置しておくとろくなことにならない。死臭は様々なものを呼び寄せてしまうし、悪霊に入り込まれて屍霊生物化したり、倫理観の欠如した屍霊魔術の使い手に持ち去られたりすることもある。

 だから、そういったことのないように死体を何らかの形で処理しておくに越したことはない。スナーもそれはわかっているが、彼の処理方法はかなり疲れるものなので、できればやらずに済ませたいのが本音だ。しかし、今回は依頼内容に含まれてもいる。拒むわけにはいかない。

「わかった」物憂い溜息の後、頷いた。「見ていて気分の良いものじゃないから、護衛に一人残して先に出てくれていい」

 いつもの勧めはいつものように無言で拒絶された。皆で立ち会うというのだ。スナーには、仲間達が本当の意味で仲間であろうとしてくれることが嬉しい反面、そのことによって毎度浮き彫りになる価値観の隔絶が悲しくも感じられた。

「始めるぞ」

 仲間達が了解するのを確かめてから、スナーは目を閉じ、視覚投射を始めた。閉ざされた瞼の内側に広間の俯瞰図が映る。いくつも散らばった死体と、目を閉じて直立するスナーと、その傍らに佇む仲間達の姿が見える。自分の姿を傍から眺めるのは何度繰り返しても奇妙な感じがするが、彼は違和感を無視して魔術を行使できる程度には経験を積んでいた。

 意志の力で視界内に転がる屍に星幽光を押しつけ、屍霊生物の作成を始める。本格的なものを製作するのであれば屍一体一体に儀式を施す必要があるが、単純な命令に従うだけの肉人形を作るだけならば、星幽光を充填して活性化してやった屍に、星幽光を成形した程度の低い人造霊魂をごく大雑把に吹き込んでやるだけで構わない。広間が片付いたら今度は回廊や各脇道や部屋に視覚を投射し、同じことを繰り返す。

 ほんの十数分程度でゴブリンの巣穴の冷たい地面に横たわる屍は二体を除いて全てゾンビと化し、神経が麻痺したようにぎこちなく、ゆっくりとした動作で起き上がった。彼の魔術が及ばなかったのは、ラシュタルに首を刎ねられた王の首無し死体と、やはりラシュタルに真っ二つにされた男の死体だ。首と胴が離れていたり、損傷度合が大きすぎたりする屍は、こうした簡略化された魔術ではどうにもならない。最下等のゾンビを造るのであっても、一々きちんとした儀式を執り行なう必要がある。

 投射した視覚を戻すと、のろのろと動き出した屍をフィオナが嫌悪感たっぷりに眺めているのが見えた。果たして意識してのことか、その手は小さく磔架印を切っていた。ラシュタルは険しい顔で腕組みし、アルンヘイルは複雑な面持ちをしている。

 ごく平凡な、当たり前の、常識に満ちた反応だ。屍霊魔術とその産物はそういう性質のものだ。この系統に親しむには魔術への強い情熱か人格的な歪みのいずれかが不可欠で、つまりは、そのような魔術体系もそのような魔術を用いる者も、嫌悪するに如くはない。

 スナーの視線に気づき、フィオナが申し訳なさそうに顔を伏せた。

「申し訳ありません、スナー。私がお願いしておきながら……」

「気にしなくていい」強力な魔術を何度も行使する中で蓄積された倦怠感に苛まれるスナーは、物憂い態度で手を振った。「同じ魔術師でも白い目で見る奴がいるんだ。君達がそういう反応をするのは当たり前だ。さっさと終わらせて帰ろう」

 スナーは即席のゾンビ達に命令を下した。不浄な魔術の魔の手から逃れた二体の屍を一部のゾンビが担ぎ上げ、隊伍を組んで洞窟の出口を目指す。人とゴブリン混成のおぞましい軍勢の指揮官は、仲間達と共に行軍の最後尾についた。


 秋の陽射しが降り注ぐ中、使い物にならなくなった防具の名残や小汚い衣服を体に纏わりつかせた屍の一団が、訓練の行き届いた兵士のように整列している。

 スナーは自我のない部下達を待たせたまま、貧弱な雑草が疎らに生えた禿げ頭のような地面に向かって新たな魔術を行使しようとしていた。長杖の石突を大地に突き立て、土を掻き回し、意志によって土中の星幽光を支配する。頭の中で望む姿を思い描き、土がその想念に従って変形するよう働きかける。魔術師の望みに応じて星幽光が精気光に変換され、土と土の間に引力を作っていく。

 干乾びたような地面がゆっくりと隆起し、寄り集まり、小山のような一つの形を成していく。土塊は崩壊と結合を絶えず繰り返す歪な人形となってスナーの前に現れた。土の巨人が生まれた場所には同じ体積分の大きな穴が開いていた。

 土巨人を少し離れた場所に移動させると、スナーは無造作に手を振った。奴隷を追い払うようにして無言の内に下された命令に従い、忠実な歩く死者達は奇妙に強張った動きで穴へと進み、機械的な動作で次々と穴の底に転がり落ちていく。

 六十体を超えるゾンビが絡まり合って蠢く穴は、さながら宗教が語る地獄の縮図だった。御子教会の説教師達は、罪を犯した者は死後、燃え立つ谷に投げ込まれるのだと民衆を脅しつけている。

「足りないのは火だな」

 教養として知っている御子教会の聖典の挿話を思い出し、スナーは小さく呟いた。

「あら、何の話?」

 アルンヘイルが耳聡く呟きを聞きつけた。

「どうかしたのですか、アルンヘイル」

「それがね、スナーが、何かぶつぶつ言ってたのよ。火が足りない、とかなんとか」

「あとは火を点けるだけ、ということでは?」

 御子教徒である女二人は小首を傾げ合っている。

「……まあ、そういうことだ。あまり気にしないでくれ」

 この種の冒涜的な冗談が、あくまでも宗教を一歩引いた地点から眺める魔術師同士でのみ通用するものであり、神々を無条件で人の上位に置く人々の前で口にするにはふさわしくないものであることくらいは、スナーも承知している。多かれ少なかれ神を畏敬する仲間達に不快な思いをさせる気はなかった。

「火を点けるからゴーレムの後ろに移動してくれ」

 仲間達が地上の地獄から十分に距離を取って土巨人の陰に隠れたのを見届け、自身もそちらに移動する。それからスナーはまず、周辺に結界を張ってこの一帯を星幽的に隔離した。魔術の使用は星幽界に波紋を起こす。弱い魔術であれば星幽界の自然な波濤に紛れるが、大きな魔術を使う時はそうはいかない。大きな波が起こり、その大波は星幽界に住まう者達――悪魔や天使や精霊に代表される星幽生物達――の注意を引いてしまう。そう簡単に致命的な存在を招くことには繋がるまいが、この危険を甘く見て凶暴な暴虐の魔王(ウオーヴラア)に仕える上位悪魔の一群を招き寄せてしまった者の末路は魔術学院の基礎課程でたびたび語られ、その後も折に触れて引き合いに出される。魔術――魔法――とは希望的観測に基づいて扱うには重大すぎる力なのだ。

 星幽的隔離の後、彼は本命の魔術に取りかかった。穴に向かって杖を振りかざす。壮烈な火、純粋な炎、太陽の如き熱を想起し、意志を星幽光へと伝達する。強靭な意志に盲従する星幽光は、物質と精神の橋渡し、即ち意志を物理現象に反映させる精気光へと変質し、少しの間を置いてスナーの思い描く通りの姿と性質を取って顕現した。黄と白の中間のような色合いに輝く精気光の炎が地獄を包み込む。炎は周りの星幽光を燃料に燃え盛り、死体が焼ける独特の悪臭が立つ暇もなく、その膨大な熱量が全てを灰と化す。周りの土がガラスのような光沢を帯び始める。やや遅れて、思い出したかのように周辺の気温が急上昇し、熱風が四方八方に吹きつける。熱と光に耐えかねたか、鳥や虫が一斉に飛び立つ。スナー達は土巨人のおかげで光と熱の直撃を免れたが、渦巻く熱風に肌と呼吸器を痛めつけられる。アルンヘイルが悲鳴を上げた。

 地上に太陽が下りてきたかのような眩い光と激しい熱に晒されたままゆっくりと心の中で十数えた後、スナーは魔術を解除した。燃え盛って輝く炎がその爪痕だけを残して幻のように消え去ると、彼は深い吐息を洩らして土巨人の脚に寄りかかった。大熱量の火炎を作り出す比較的高度な元素魔術の行使による消耗は大きく、まともに立っているのも億劫だった。熱せられたまま漂う空気に体が火照り、スナーは堪らず上着のボタンをいくつか外した。

「いつも思うんだけど、あんなに派手にやらなくたっていいじゃない」

 額に汗を滲ませ、アルンヘイルがスナーを睨んだ。ラシュタルは苦虫を噛み潰したような顔をしている。フィオナも顔を火照らせ、籠手を嵌めた手で顔を煽ぐ真似をしている。

「中途半端な火力だと臭いが出るし、焼き尽くすのに時間がかかる。俺は死体が焼ける臭いと焼け残った死体が嫌いなんだ」

 スナーは呼吸を整える傍ら、アルンヘイルの文句に答えた。

「そんなの好きな奴いないでしょうに」呆れたような顔をした。「……でも、次はもうちょっと弱めてよ。あんなの、火葬には強すぎるでしょ」

「適切な火力がどの程度か、というのはなかなか難しい問題なんだが……まあ、善処はする」

 スナーはおざなりに答え、尊大な仕草で土巨人に最後の命令を下した。忠実な土巨人は冷酷な創造主の命令に従って真っ白な灰が底に溜まった穴の中に下り、自壊してその短い生涯を閉じた。人型から音もなく崩れた土が穴を埋め、耕された直後の畑のように柔らかく盛り上がった。

 これでようやくここですべきことが片付いた。大きく脱力して息を吐き、スナーは杖に寄りかかった。今日は少し魔術を大盤振る舞いしすぎたかもしれなかった。

「スナー、大丈夫ですか」フィオナが気遣わしげにスナーの顔を覗き込む。「肩を貸しましょうか」

「ちょっと疲れただけだ。歩いている内に勝手に回復する」

「それならばよいのですが……」

「村に着いた後はどうする」中身の血が滲み出し始めた麻布を片手に、ラシュタルが話に入ってきた。「大事を取って休んでいくのか」

「酒と性交しか娯楽のないあんな場所で休むなど冗談ではない。リバニア市まで行こう。開拓村からなら三時間もあれば着く。駅馬車を使ってもいい」

「そんな疲れることしなくたって、素直にお酒と女を楽しめばいいじゃない」

 アルンヘイルが意味深な目つきでスナーをフィオナを交互に見た。

「生憎と俺は文明人でな、あんな風呂もないような場所で女を抱く気にはならないんだ」

「有りの儘の匂いを受け容れ、互いの匂いを纏ったまま過ごすのも快いものだぞ」

 ラシュタルの微笑は文明人の神経質さを嘲笑うかのようだった。

「文明人は周りにも気を遣うものだ。閨の生臭さを振り撒いて歩くなどぞっとしないね」

 スナーも動じず微笑を返した。

「汚れが気になるのであれば汚れ落としの魔法でも使えばよかろう」

「汚物分解か。あれは面倒だからなるべく使いたくないんだ」

 汚物を選択して星幽的に融解させる。これは技術的に困難なことではないが、汚物とそうでないものを選り分ける繊細な作業となるので、酷く神経を使う。見習い魔術師でも使える初歩的な魔術だが、日常的に使うには煩雑に過ぎる。

「それに俺は汚れだけを気にしているわけじゃない。仮に風呂があったところで、あの村で楽しむ気にはならんよ」

「なぜだ」

「フィオナは声が大きい」スナーはわざとらしく声を潜めた。「あの掘っ立て小屋じゃ、声が漏れるなどというかわいいものじゃ済まないだろう」

「スナー!」顔を真っ赤にしたフィオナが抗議の声を上げる。「それではまるで、私が淫らな女のようではありませんか! 全部あなたがいけないのでしょう。私のせいにしないでください。あんな風にいじめられたなら、きっと誰であっても――」

「そっか、いじめられちゃうんだ。それならしょうがないね」くすくすと笑ってアルンヘイルが話に混ざってきた。「ところでいじめられるって、どんな風に? お尻叩かれて悦んじゃったりするの?」

「ななな、なぜ、なぜ知っているのですか!」フィオナが突然、戦慄したように顔を強張らせた。声は動揺に震えていた。「もしかして、聞いていたのですか!」

 アルンヘイルが度肝を抜かれたような顔でフィオナを見つめた。

「あの、ちょっと、ねえ、もしかして、私、当たり引いちゃった?」

 スナーは無言で天を仰ぎ、顔を手で覆った。ラシュタルも呆気に取られた様子で目を丸くし、スナーとフィオナの間で視線を往復させている。

「ア、アルンヘイル、あなたは何を言っているのですか」

「あのね、軽い冗談だったのよ。まさか本当にそうだったなんて……」アルンヘイルは心底から気まずそうな顔をした。「……その、ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったの……」

 不自然な沈黙が生まれた。

 フィオナの日焼けした顔が更に紅潮した。涙目になって訴えかける。

「ち、違うのです! 違うのですよ! よろしいですか、アルンヘイル、それにラシュタル。私は初めからそういうおかしな嗜好を持っていたわけではなくてですね、それにですね、叩くと言っても音が鳴る程度で……つまり、その……スナーが面白がってですね……」

「へえ、一杯仕込まれちゃったんだ」

 狼狽振りに嗜虐欲をそそられてしまったようで、しおらしげな態度はどこへやら、アルンヘイルが面白がってフィオナの必死の弁解を茶化した。

「で、ですから、仕込まれるとか、そういったことではなく――」

「君はこれ以上喋るな」

 スナーは背後から抱き竦めるようにフィオナの口を塞いだ。フィオナは人の掌に包まれたヒヨコのようにおとなしくなった。

「いいか、落ち着け。手を離してやるから、まずは深呼吸だ。わかったか。わかったら頷け」

 フィオナは小刻みに何度も頷いた。スナーが解放してやると、生真面目な女剣士は律儀に深呼吸を繰り返す。

 スナーは嘆息してアルンヘイルを見た。

「あまり頭の弱い子をからかわないでやってくれ」

「ごめんごめん。つい、面白くって……」

 アルンヘイルが機嫌を取るような視線をフィオナに向けるが、フィオナはつんとそっぽを向いた。

「あらら、怒らせちゃった」反省が欠片も窺えない態度で肩を竦め、アルンヘイルはスナーに視線を戻した。「それにしても、上流階級ってやっぱり凄いわ。お尻叩いて悦ぶのはともかく、お尻叩かれて気持ち良いとか……流石、元お貴族様よね。私だったら、そんなことされたら相手引っぱたいてベッドから蹴り落とすわよ」

「それは君達が動物的な生き方をしているからだ。文化的生活を営んでいると、ちょっと事情が変わる。人というものは、余裕が出来るとついつい不要な深みを覗き込んでみたくなる生き物なのだよ」

「文化的生活ね……」

 アルンヘイルはふと何かを思い出したような顔をした。

「急に黙り込んでどうした」

「じゃあさ、昔、私が雇われてた議員の奥さんなんかも、やっぱり?」

「議員? 共和国の支配階級か」

「そう。共和国の市の議員」

「市議会議員という奴か」

「それそれ。帝国人のくせに詳しいじゃない」

「これでも知識人だ。机の上の知識でよければ売るほど頭に入っている。で、議員夫人だったか」スナーは人を悪事に誘う悪魔のような微笑を浮かべた。「それはもう、当然、凄いことをしているはずだ。尻の穴に張形を突き刺して、躾用の鞭で尻を打ちまくるくらいのことはしていると思う。共和国にも教育に鞭を使う習慣はあっただろう」

 語りながらスナーがふと横目で見ると、フィオナが神に祈りながら嵐が過ぎ去るのを待つ農民のように息を潜め、身を縮めていた。スナーは内心で溜息をついた。フィオナの選択はそれも一つの手ではあるが、それを全うするには、彼女の忍耐力はあまりにも不足しているように思えた。

「あの奥様、清楚な顔して、裏じゃそんな凄いことやってたのかな……」

「今言ったほどじゃないかもしれないが、十中八九、君達よりも凄まじいことをしていたはずだ」

「……あんた達よりも?」

 その眼差しはスナーではなくフィオナに向けられていた。

「私達は普通です!」フィオナが耐えかねたように口を挟んだ。「ちょっと過激かもしれませんが、普通なのです!」

「お貴族様の普通……」アルンヘイルは芝居がかった態度で考え込んでみせた。「それって、私達の異常じゃないの?」

「俺からすれば君達の方が異常だがね。実に退屈な情交をしていそうだ」

「お生憎様、愛があればくっついてるだけで気持ち良いのよ」

「アール」ラシュタルがたしなめるように言った。「そのくらいにしておけ。他者の閨の事情をからかいの種にするものではない」

 己に火の粉が降りかかる前に鎮火するのは賢明な態度と言えた。

「そうですよ、アルンヘイル。婦人として品がありませんよ」予想外の援軍に顔を輝かせ、フィオナが強引に収拾を図る。「さあ、このような下品な話は終わりにして、何はともあれ村に戻って報告をしましょう。村長に首級を渡して、リバニアに行くのでしょう。もたもたしていると夜になってしまいますよ」返事を待たずに歩き出す。「ほら、何をしているのです。行きますよ。さあ、行きますよ」

「あっ、待ちなさいよ」

 肩で風を切って大股に進む女剣士に、半闇エルフの女傭兵が追い縋る。スナーとラシュタルも少し遅れて二人を追いかける。

 女達のじゃれ合いを微笑ましそうに眺めていた荒野エルフの勇者は、不意に、苦笑いを浮かべたままの痩せた魔術師の顔に視線を落とした。

 スナーは視線に気づいて顔を上げた。

「なんだ」

「それで、実のところ、フィオナをどうやって悦ばせているのだ。後学のために、文明人のやり方を聞かせてもらおう」

 スナーは天を仰いだ。

「マルカス、お前もか」

「なんだ、それは。芝居の台詞か」

「似たようなものだ。古代の英雄が死ぬ間際に叫んだ言葉と言われている。マルカスとは彼を裏切った腹心の名前だ」

「ほう、英雄悲劇か。しかし、聞いたことがない。人間の英雄の話か。閨の技よりもそちらの方が余程面白そうだ。道すがら、物語を聞かせろ」

「俺はともかく、フィオナの機嫌のためにはその方がいいな。帝国屈指の知識人の語りだ、ありがたく拝聴するように」真面目腐って言い、語り始める。「その英雄はガーウスと言って……」

 スナー・リッヒディートは、当代の勇者に古代の英雄の事績を語り始めた。

 幾世紀も後にこうして自分がガーウスのことを語っているように、自分達も誰かの口から伝説や歴史として語られる日が来るのだろうか、と悠久の歴史に想いを馳せながら。



(了)

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