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後編 かくごのゆくえ

 後編です。

 六月十一日(後)



 きっとあたしは大間違いをしようとしている。

 きっとあたしはどうしようもない人間だ。

 きっとあたしは………。

「どうしたの? みっちゃん?」

「ん、なんでもない。ちょっと物思いにふけっただけ」

「ふーん。どんな物思い? まさか、彼氏でもできた?」

 なっちゃんは楽しそうに笑っている。

「……それに似たようなもん、かもね」

「え?」

「図書委員の、眼鏡で長身の男いるじゃん? 東海林真。あいつって、あたしのクラスメイトでもあるんだけどさ、なんか……あたしのことが好きとかなんとか」

「……そう、なんだ」

 なっちゃんの顔に、ほんの少しだけ影が差す。

「付き合うの?」

「考え中。いっそのことコインの裏表で決めてもいいかもね」

「……やめといたほうがいいよ。東海林君厳しいし。それに、みっちゃんにはもっといい人がいると思う」

「……そうかな?」

「そうだよ、うん、絶対そう。みっちゃんにはもっと、みっちゃんを大事にしてくれる人が合ってると思う。みっちゃんって甘えたがりだし」

 さすが親友。あたしの性格なんて百も承知ってわけだ。

「まぁ、確かに東海林と付き合う気はほとんどないんだけどね。あいつって根暗っぽいし、足臭そうだし、なんかストーカー気質くさいし」

「そこまで言っちゃ駄目だと思うけど……」

「男なんて大体そんなもんよ」

 内心で東海林に謝りながら、あたしは確信する。

 やっぱり……なっちゃんの隣が一番心地いい。

「ねぇ、なっちゃん」

「なぁに?」

「今までずっと助けられなくて、ごめんね」

 不意に、時間が止まったように、みっちゃんは足を止めた。

 なっちゃんは、あたしを見返している。

 あたしも、なっちゃんを見返していた。

「あたし、ずっと怖かった。対岸の火事が自分に飛び火するのが滅茶苦茶怖かった。だから見て見ぬふりして、ずっと……なっちゃんが酷い目にあってるのに、それを無視し続けてきた。でも、やっぱ、そんなことできないや」

「………え?」

「あたし、なっちゃんが好きだからさ、親友を見捨てるようなことはしたくないよ。今までずっと見捨ててきておいて都合のいい言葉だとは思うけどさ……それでも、今さらだけど、あたし、なっちゃんを助けたいの」

 今度こそ、あたしは前を向くことを決意した。

 なっちゃんを責める罪、罰、咎。あらゆるものからなっちゃんを護ってやる。

 これは、あたしが背負うべきことだ。

「みっちゃん……」

 なっちゃんは、泣いていた。

「ありがとう」

 あたしも、泣いていた。



 きっと最悪なことになると、あたしは確信していた。

 なっちゃんを助けることは正しい。でも、同時に間違ってもいる。

 なっちゃんを暴行しているのは、なっちゃんの父親だ。説得するにしても、警察を呼ぶにしても、最後の手段を取るにしても、なっちゃんを経済的に援助してくれる人はいなくなる。お金だけじゃ人間は生きていけないけど、お金がなければ生きていけない。その程度には、あたしはものを知っているつもりだ。

 でも、あたしはなっちゃんを助ける。どんなことになろうとも、なっちゃんを助けなきゃならない。経済的に苦しかろうが、刑務所に入ろうが、そんなことはどうでもいい。なっちゃんを助けなきゃ、あたしはどこにも行けないんだから。

 そして、あたしたちは家に到着した。

 なっちゃんの家。昔はよく遊びに来ていた所。

「……父さんは、帰って来てると思う」

「……そっか。んじゃ、行こう」

 あたしたちは、意を決して、家に踏み込んだ。


「……え?」


 なっちゃんは、唖然としていた。

 そこには、ごく普通の寂れた居間があった。畳で六畳。テレビは一つ、座布団は二つ。テーブルには一人ぶんの食事が置かれている。

 ごくごく普通の、見たところ変わったところなんて一つもない、居間だった。

「なん、で……?」

「なっちゃん?」

「うそ。そんな、うそよっ! なんで? どういうこと? い、一体全体どうしてこんなことになるの!? わ、私、うそ。だって、わたしっ!」

「ちょ、なっちゃん? どうしたの!?」

「ないの。あれがないのよっ! あれがないと、私はっ!」


「私は、どうなるのかな?」


 あたしたちは振り向く。

 いつの間にか、そこには漆磨京介が立っていた。

 いつも通りに不敵な笑みを浮かべて。

「あんた……なっちゃんになにをしたのよ?」

「僕としては『なんでここにいるか』もしくは『どうやってここに現れたのか』っていうのを最初に聞いて欲しかったな。まぁ、トイレを借りてただけなんだけど」

 いつものふざけた調子で、そいつは返答した。

「ねぇ、みっちゃん。君は、本当に美しい心の持ち主だね」

「は?」

「だってそうだろう? 君は欠片も親友のことを疑わなかった。僕の忠告を無視してひたすら親友のために尽くそうと思っていた。それは、まぎれもなく美しい人間の在り方だ。目を逸らさず、都合のいいことを考えず、最悪のことになろうとも、ひたすら親友を助けようとした。だから……君は『合格』だ」

 いや、『合格』って言われても。

 意味が分からない。

 漆磨京介は、そんなあたしの考えを見透かしたのか、くすくすと本当に楽しそうに笑いながら説明を続ける。

「君は世界と戦えるだけの実力があるってことさ。本当に大事なものを見極めて、そのために戦うことができる、強くて綺麗な心を持っている。それに比べて……」

 汚いものを見るように、そいつはなっちゃんを見つめた。

「夏木奈津美。本当に君は性根から腐ってる。一回死んだ方がいい」

「っ! あんた、いい加減にしなさいよっ! これ以上なっちゃんのことを侮辱したら、あたしが許さないんだからねっ!」

「侮辱? 違うね。これはただの事実だ。夏木奈津美の性根は腐っていてどうしようもなく、同情の余地すらなく、最悪最低で凶悪極まりない。僕が裁判官なら執行猶予なしで無期懲役以上死刑以下の判決を下しているところさ」

 目の前が真っ赤になる。

 気がつくと、あたしは漆磨京介に向かって拳を振り上げていた。

 刹那。

「すみませんが、狼藉はお控えください」

 声と共に、あたしは声すら出せなくなった。

 手をねじり上げられてこれ以上なく上手に間接を極められたと気づいたのは、地面に押し倒された後だった。

 顔を上げて気づく。そこには、メイドがいた。

 あたしがあまりの非常識さ加減に唖然としていると、漆磨京介は楽しそうに、にっこりと笑った。

「相変わらず見事な手並みだね、二重さん。惚れ直しちゃいそう」

「お戯れは貴方の仕事を済ませてからにしたほうがよろしいかと」

「ごもっとも。でも、後でお礼くらいはさせてね」

「………はい」

 なぜか頬を赤らめるメイドさん。

 突っ込みを入れたかったけど、がっちり間接を極められていたのでできなかった。

 って、そんな場合じゃないっ!

 なっちゃんの方に顔を向け、「逃げて」と叫ぼうとして、絶句した。

 なっちゃんは、ゆっくりと立ち上がった。

 その手には、鋭いナイフが握られている。

「先輩……あれを、どこにやったんですか?」

「誰にもばれないように、きっちりと処分したよ。これで君が悩むようなことはなにもなくなったってわけだ。よかったねぇ?」

「いいわけないでしょっ!」

 それは、今まで聞いたこともないような、悲痛な絶叫だった。

「みっちゃんは私を助けるって言ってくれたんですっ! それなのに、なんで邪魔するんですか!? ようやくみっちゃんが私を助けてくれる気になってくれたっていうのに、なんであなたは邪魔をするんですか!?」

 ……え?

 ちょっと待って。

 なっちゃん、それって、どういう。

「だから、言っただろう。こいつに助ける価値はないって」 

 漆磨京介は、苦味が幾分上回っている笑いを浮かべる。

「単純なことなんだよ。夏木奈津美はね、心底君のことが好きだったんだ。君だけが彼女にとっての唯一だったんだよ。恐ろしいことにね」

 意味が、分からない。

 だって、あたしとなっちゃんは親友で。

 仲のいい友達で……。

「みっちゃんは私を助けてくれるんです。一緒に生きていくって決めてくれたんです。辛い時も悲しい時も、ずっと一緒なんです。……ね? みっちゃん?」

 待ってよ。

 ねぇちょっと、待ってよ。

 あたしは、なにを間違えたの?

「君は間違えてない。間違えたのはそこの大馬鹿だ」

「黙っててもらえますか? 先輩」

「黙るのは君だ。夏木奈津美」

 先輩は、微笑を消して無表情になった。

「いいや、黙れと言っても黙らないなら、黙らせるまでだ。君はこの僕が、『最強』の相棒である『箴言奏者』が、丁寧に親密にどこまでも優しくぶち壊してやろう」


 そして、


「せいぜい派手に音を立てて、

 ねじれて折れてひしゃげて割れて、刻んで崩れて壊滅しろ」


 あたしは……あたしが間違ったことを思い知った。



 

 漆磨京介はなっちゃんをどうしようもなく破滅させた。

 たった一言で、なっちゃんを壊してしまった。


「ねぇ、みっちゃん。君は奈津美さんのことが怖くないのかい?」


 漆磨京介と出会った時、同じ言葉を聞いた。

 あたしは、なにも言えなかった。

 確かに……あたしはなっちゃんに恐怖を感じていた。殴られて、非道いことをされてもにこにこ笑っていられるなっちゃんが、理解できなかったから。

 そんななっちゃんが、怖かった。

 沈黙は肯定だった。

 あたしに否定されたなっちゃんは、壊れてしまった。

 あたしだけが救いだったなっちゃんは、壊れてしまった。

 取り返しがつかないくらい。ばらばらに。

「彼女にとって、君だけが救いだったんだよ」

 漆磨京介は虚ろに語る。

 その横顔を見て、私は理解した。

「君も察しがついていただろう? ここにあったのがなんなのか」

 漆磨京介は最初から笑ってなどいない。

「そう……夏木奈津美が殺した、『父親』の死体だ」

 顔で笑いながら、その目は全く笑っていなかった。

「全部、君に同情してもらうためのお芝居だったのさ」

 その声に抑揚はなく。

「奈津美さんが父親を殺したことを責めてるわけじゃないんだ。むしろ、女の子を無理やり手篭めにしようとする男はことごとく死んでいいとすら思っている。奈津美さんがただ父親を殺しただけだったら、僕も彼女を助けようとしていただろうさ」

 その視線に温度はなく。

「でも、彼女は間違えた。よりにもよって、一番裏切ってはいけない人を、『親友』を裏切った。君の好意を利用して、自分に縛り付けようとした。それは……絶対にやってはいけないことだったんだよ」

 その笑顔に感情はなく。

「最初から説明すると、奈津美さんは『父親』を勢い余って殺してしまったんだ。まぁ、それはある意味当然のことでね。誰だって痛いことは嫌だし、辛いことは嫌だ。『父親』を殺した奈津美さんを誰も責めることはできないさ。……でもね、彼女はそこで君のことを考えてしまったんだ。「これが表ざたになって、みっちゃんに嫌われてしまったらもう生きてはいけない」、とね。」

 その言葉だけが、ただひたすらに冷酷で残酷だった。

「だから、お芝居をすることにした。本当は虐待の証拠にするはずだった『虐待の様子を録音したテープ』を使って、毎日虐待されているように見せかけたんだ。わざと最大音量で流して、虐待に見せかけて、君の同情を誘うためにね。……事実、君は良心の呵責に耐え切れなくなって、彼女を助けようとした」

 確かにそうだ。でも、漆磨京介があたしになにも言わなかったら、あたしはもしかしたらなっちゃんを助けようとは思わなかったかもしれない。

「多分、僕が発破をかけなくても、いずれはそうなっていたはずだよ。……君は、優しいからね」

 優しいという言葉がここまで嬉しくなかったのも、初めてだった。

「奈津美さんは、君の優しさに甘えすぎた。自分の『罪』を一緒に背負ってくれると君に期待してしまった。その勘違いを、僕は許すことができなかった」

 その瞳になんの表情も映さぬまま、先輩は笑う。

「だから、今回のことは、全部僕のせいなんだよ」

 見慣れた笑顔を殴り飛ばすのは簡単だった。

 なっちゃんを破滅させた漆磨京介を殺すのは簡単だった。

 でも……。

「………違いますよ、先輩」

 そう、違うのだ。

 漆磨京介は最善を尽くしただけ。

 あたしが『殺人』の片棒を担がないように配慮してくれただけ。

 それが、最悪の結果になったのは………。

「なっちゃんを破滅させたのは、あたしです」

 全部、あたしのせいだ。

 あたしのせいにしなきゃいけない。

 あたしが背負わなきゃいけない『咎』だ。

 なっちゃんを助けられなかったあたしの『責任』なんだ。

 絶対に、誰にも、譲るわけにはいかない。

 それだけは、絶対に、できない。


「今回のことは、全部、あたしのせいです」


 だから、きっぱりと断言した。

 漆磨京介は、苦笑していた。

「そんなに無理しなくても、全部僕のせいにしておけば楽なのに」

「嫌です。これは、あたしが背負うべき罰ですから」

「……やれやれ」

 漆磨京介は肩をすくめて、溜息をついた。

「五年だ」

「え?」

「五年の間は夏木奈津美の入院費、その他諸々の諸経費は僕がなんとかする。その代わり、五年を過ぎた後は知らない。その間に、君がなんとかしてみろ」

 これ以上なく挑戦的な目で、彼は私を見つめた。

「五年の間に、人ひとり救えるだけの強さを、獲得してみろ」


 あたしは力強く頷いて、彼は笑う。

 あたしは、間違いを払拭するために、

 さらに間違いを重ねることにした。



 今日は雨が降っていた。

 明日は少し晴れるらしい。

 昔々、あるところに少年がいました。

 彼は傍観者をやめた、語り部でした。

 これは、ただそれだけの話。

 次回、エピローグ 『せかいのてき』

 屈さず甘えず怯えずに、

 前を向いて生きていく。

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