中編 つみとばつとせきにん
というわけで、中編でございます。
六月十一日(前)
今日も雨が降った。
梅雨時だからか、天気予報はここぞとばかりに今日は一日中雨になるでしょうとかふざけたことを言いやがる。湿度はどれくらいか分からないが、不快度は私の上限である100を軽々と突破していた。
「あーくそ、むかつくわ」
天気に毒を吐きながら、私はいつもの道を歩いていた。
と、その時。
「おはよう、みっちゃん」
「うい、おはよ、なっちゃん」
声をかけられて、あたしはいつも通りに返答する。
「今日も雨、降っちゃったね。小雨だけど」
「そーだね。めっちゃ嫌だね。濡れるし」
「私は雨ってそんなに嫌いじゃないけどね」
「あたしは雪も心底嫌いだよ。特に水に濡れてべっちゃべちゃになった雪は始末におえん。車道をなんとかしたいのは分かるけど、ちったぁ歩行者のことを考えてほしいもんだよ」
ちなみに、あたしの住んでいる地方は冬場になると地面から水が出る。これを北海道とかでやると、水が出ると同時に凍りついてえらいことになるのだが、あたしの住んでいるところはそういうことはない。雪は降るけど実に中途半端な量なのだ。
「靴が濡れるのは困るよね。あと、靴下」
「そうそう。で、仕方なくストーブで乾かしたりするわけだ」
今日はそれほど雨が降ってはいないけど、気温は低い。
………寒いし、昼飯はカップラーメンにしようかな。
「ねぇ、みっちゃん」
「ん? なんぞや?」
「昨日、漆磨先輩となにか話してたの?」
ぎくり。
「他の先輩に聞いたんだけど、なんか漆磨先輩と言い争ってたらしいって」
「あー、うん。言い争いというか、一方的に言い負かされたというか」
まさか会話の内容を話すわけにもいかず、あたしは適当に誤魔化した。
なっちゃんは、ちょっとだけ眉をひそめて、言った。
「あんまり、あの人には関わらないほうがいいよ」
「なんで?」
「私も詳しくは知らないんだけど、一年前、この学校で自殺があったでしょ?」
「あーうん。あったような……ああ、あったね」
確か、三面記事に書かれていたような記憶が。
「あの後……その自殺した人を追うみたいに、行方不明者が出たんだって」
「……それに、漆磨先輩が関わっているっていうの?」
「関わってたっていうか……」
なっちゃんは言いにくそうに顔を伏せた。
「その自殺した人の、第一発見者らしいの」
一瞬、なっちゃんの言葉が理解できなかった。
「じゃ、じゃあもしかしたら、漆磨先輩が全員殺した可能性も?」
「探偵まんがじゃないんだからさすがにそこまでは言わないけど、もしかしたら、なんらかの形で行方不明に関わってるのかもしれないよ」
確かに、それならさっちゃんが「関わるな」と言ったのもよく分かる。
見た目は貧弱そうに見えても、実際はとんでもない人間だった、なんてのはどこにでもあるありふれた話だ。
「……人のことを悪く言うのはあんまり好きじゃないんだけど、漆磨先輩ってなにかと有名な人だから……。漆磨先輩の恋人に殴られた男子もいるらしいし」
恋人っていうと、昨日の超絶美女のことだろうか。
まぁ、確かにマーシャルアーツくらいは極めてそうな人だったけど。
「あ、でもそんなに深く考えないでね? みっちゃんって、昔から危険なところでも平気で入っていきそうだから……ちょっと、心配で」
「………んー、否定はできないかなー」
苦笑しながら、私は内心で自分を恥じた。
なっちゃんはこんなにいい子なのだ。ずっと昔から、私の親友なんだ。
そんな子を助けないなんて罰が当たる。
分かっていたはずなのにあたしはいつも逃げていた。自分が傷つくのが嫌だから、なっちゃんがなにかを言ってくれるまで待とうと思っていた。本当になっちゃんのことが大切だったら、なにを捨ててでもなっちゃんを助けなければならなかったのに。
………決めた。
あたしは絶対になっちゃんを助ける。
絶対に、だ。
「なっちゃん。今日は一緒に帰ろう」
「え?」
「大事な話があるの」
足を止めて、あたしはなっちゃんの目を真っ直ぐに見つめた。
「………うん」
なっちゃんは、はにかみながら頬を赤らめて頷いた。
そして、昼。
天気予報は見事に外れ、私たちが学校に来た瞬間に小雨はさっさと晴れ上がった。
あたしは屋上に来ていた。
用事がなくて暇ならば、屋上に来いと書かれていたからだ。
待ち人は、屋上に備え付けられてあるベンチに座っていた。どうやら、晴れたおかげでベンチは渇いていたらしい。
「それで……先輩。あたしに何の用なんですか?」
あたしを待っていたのは、羽毛のような口の軽さを持つ男。
漆磨京介だった。
弁当箱片手に欠伸をしていた先輩は、ちょっと意外そうに言う。
「……いや、用ってほどのもんでもないんだけどね。しかしまぁ……あれに気づくなんて、君ってもしかして結構勉強できる方?」
「知りません。つーか、あんな子供じみたやりかたで連絡しないで下さい」
人の歴史の教科書の坂本龍馬様に『もうあかん。しんどい』なんて意味不明な吹き出し書きやがって。危うく大爆笑してしまうところだったじゃないか。
「あと、人の教科書に『まめ知識』とか変なコラムを作らないでください。戦国武将は全員ホモだったとか、別に知りたくありませんでした」
「だって、歴史ってそういう笑える背景がないとつまんないし」
「つまんなくないです」
「やっぱり本当の歴史は『修羅の〇』の中にしかないのか」
「勝手に歴史を改ざんしてんじゃないわよ」
思わず、暴言を吐いてみたが、漆磨京介はにっこりと笑うだけだった。
「それはともかく、ここに来てくれたってことは、僕の話を聞いてくれるって解釈していいのかな?」
「……そう解釈してくれてかまわないです」
「それじゃあ、弁当を食べながら聞いてもらおうか」
口許を緩めて、先輩は自分の弁当の包みを開いた。
ハートマークだった。
「………………あの」
「ん?」
「そのお弁当、彼女さんの手作りですか?」
「カノジョ? 僕にはそんな奇特な存在はいないけど」
意外な言葉だった。
「昨日の超絶美女は彼女さんじゃないんですか?」
「彼女は僕の相棒さん。僕が彼女の仕事を手伝ってるんだよ」
「………じゃあ、そのお弁当は?」
「ああ、これ? 親友のところで働いてるメイドさんが作ってくれたんだ」
絶句。
メイドですか。メイドと言いやがりましたか、このもやしっ子。
「双子のメイドさんでね、二人とも年上で、もろに僕好みなのがポイント」
「……いや、あんたの嗜好はどーでもいいわ」
「そういう冷たい反応も結構好み」
「……帰っていい?」
「あ、安心して。僕は年下には欠片の興味もないから」
なにを安心すればいいんだか、もう訳が分からない。
仕方なく、あたしは自分の弁当の包みを広げることにした。
「……で、話ってなんですか?」
「ちょっと……君の意見が聞きたくてね」
箸を置いて、先輩は私を見つめる。
「『夏木奈津美』に聞いているとは思うけど、僕は一年前、この学校で自殺した女の子の第一発見者だ」
「っ!!」
危うく口の中にあったものを吐き出してしまうところだった。
「……先輩。なんで、なっちゃんが『漆磨京介は一年前起こった自殺の第一発見者だった』って私に言ったことを知ってるんですか?」
「彼女が言いそうなことくらい、彼女の性格を考えれば想像がつくさ」
呆れたような顔をして、漆磨先輩は肩をすくめる。
「まぁ、一年前に女の子が自殺して僕がそれを見つけた。ただそれだけのことだよ」
「いや、ただそれだけって……人が死んでるんですよ?」
「殺人ならおおごとだね。でも、たかが自殺だ」
漆磨先輩は、心底どうでもよさそうに語る。
「あいにく、僕は君みたいに優しい人間じゃない。自殺なんていう『逃げ』でしかないことに『悲しみ』を感じるほどの感性は持ち合わせてないんだよ。死にたいやつは思う存分、自由に死ねばいい」
先輩の言っていることは、間違ってはいない。
でも、あたしは反論する。
「自殺したくなるほど辛いこともあると思います」
「ああ、そうだね。君はそれを知っている。隣の家で、自分の親友が仮とはいえ親に暴行を受けていることを知っている。知っていてなにもしなかった」
「……そうです」
否定の言葉を言う権利はない。
あたしは、知っていてなにもしなかったのだから。
「あたしは、なんにもしませんでした。友達がひどい目にあってるって分かっているのに、怖くてなにもできませんでした……」
勇気が出ないチキン野郎。醜くて愚かな私。
でも、先輩は私を責めることなく、ただ苦笑した。
「それが悪いとは言わないよ」
「……え?」
「誰だってそうだよ。痛いのは嫌だし、怖いのは嫌だ」
先輩は目を細めて、私を見つめる。
「勘違いしちゃいけない。人はね、そんなに強い生き物じゃないんだ。『誰かを命がけで助ける』なんて、普通は絶対にできっこないんだ」
「でも………」
「万言を尽くしても伝わらない想いだってあるけれど、万言を尽くさないと伝わらないことだってある。自分が本当に『危ない』と思ったとき、人に助けを求めるのも勇気だよ。助けを待っているだけの人間を助ける必要はない」
先輩の言葉は、正しかった。
でも、その言葉を認めたくはないとあたしは思う。
それを認めてしまえば、あたしがなっちゃんを助けようとすることも、
必要のないことだと、認めてしまうことになるから。
「……先輩は強いから、そんなことが言えるんですよ」
「僕は強くない。肉体的も精神的にも、人類史上稀に見るほどの弱い存在さ。ただ、一つだけ分かっていることは、僕のような出来損ないに見捨てられてしまうような、そういう無価値な人間がいるということだけだ」
食べ終わった弁当箱をしまって、漆磨先輩は立ち上がる。
「君がどう思っているかは知らないが、これだけははっきりと言っておく」
「夏木奈津美には、救われる資格などない」
それは、漆磨先輩が自殺の第一発見者だと聞いたときよりも、
はるかに重く、ショックな言葉だった。
「彼女には、君に助けてもらう資格は芥子粒一つほどもない」
「何で………そんなこと、言うんですか?」
「それを、僕の口から言って欲しいのか?」
先輩の言葉に、容赦はなかった。
「君は愚か者だけど、勇気がある。友達を助けようとする尊い想いがある。僕はそういう人間が好きだし幸せになって欲しいと思う。だから……あえて言わせてもらう。夏木奈津美を救う必要なんてない」
「あんたに……なにが分かるのよ」
「夏木奈津美がなにを考えて、なにを思っているのかくらい分かるさ。分かってないのはむしろ君のほうだと思うけどね」
漆磨京介は、きっぱりと言い放った。
「前を向いて目を逸らすな。都合のいいことを考えるな。君が彼女を助けようとしているのと同じくらいの気持ちを、事実に向けてみろ」
もう、なにも言えなかった。
「僕が言いたいのはそれだけだ。じゃあね」
容赦のない言葉だけを突きつけて、あいつは去っていった。
あたしはなにも言い返せず、唖然としていた。
また雨が降ってくる。やっぱり天気予報は当たっていた。
そう思ってはいたけれど、体が動かなかった。
傘が差し出された。
「……濡れるぞ」
振り向くと、そこには長身の眼鏡委員長。
「………………覗き魔」
「覗いてたわけじゃない。漆磨先輩にこの時間に来るように言われただけだ」
「ふーん………」
どうしようかなぁ……。
本当に、あたしはどうすればいいんだろう。
「ねぇ、東海林。あんたって好きな人がいるって言ってたわよね?」
「まぁな。望みは薄っぽいけど、好きになってしまったもんは仕方ない」
「なんでその子のこと、好きになったの?」
「黒髪で巨乳だったから」
「………………サイテー」
「あと、話してて楽しいし、ダルそうに見えて熱血だったし、なにより『これがあたしのスタイルだ』っていうのを持ってたからな。面白いって思った」
「買い被りじゃない?」
「そーか? 女子のくせにクソ分厚い戯言ミステリーノベルスを熟読してるのなんざ、そいつくらいなもんだと思うけどなぁ……」
「面白いじゃん」
「まーな」
沈黙が落ちる。あたしはゆっくりと溜息をついて、東海林を見つめた。
「返事は、この件が片付いてからでいい?」
「っていうか、まだ告白もしてねーよ。断るのはそれからにしろ」
「もう告白したようなもんじゃん」
「うるせ。せめて俺の口から言わせろ。けじめだ、けじめ」
真面目な奴だ。人に色々押しつけられて、損するタイプの人間だ。
まぁ、こういうやつは嫌いじゃないけど。
それに……ほんのちょっとだけ、ラクにもなれた。
感謝はしておこう。
「さて……と。それじゃあ、ちょっくら根性入れますか」
きっと正解なんてないだろうから、
あたしは大間違いをすることにした。
彼女は、ほんの少しだけ寂しがり屋でした。
彼女は、ほんの少しだけ頑張り屋でした。
二人はとても仲良しでした。
次回、後編『かくごのゆくえ』
それだけは、絶対に、できない。