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前編 みすてたもの

 笑いを求めている人は猫日記にワープ。

 六月十日



 学校っていう施設は実にくだらない。無意味な勉強に、無価値な人間関係。ゲラゲラと下品に笑って、適当な話題でお茶を濁す。実に馬鹿らしい。

 と、思えるほどあたしは達観していない。

 無意味な勉強に、無価値な人間関係。ゲラゲラと下品に笑って、適当な話題でお茶を濁す。そんなのでも別にいいじゃないか。面白ければそれでいい。彼氏でもいればもっと満足できる学校生活になるんだろうけど、それは無理な相談というものだろう。容姿が十人並みのあたしは、教室にいる男子連中ことモンキーどもと下品な話題でゲラゲラ笑っているのがお似合いさ。

 そういう自分も、嫌いじゃないし。

 でもまぁ、下品な話で盛り上がることすらできない日があるもので。

「あー、きっつ。しんど。なんぎ」

 学校に向かう途中の道。あたしは本当に死にそうだった。

 女の子なら一ヶ月に一度ある、面倒な周期の二日目。

「あー、まじできっつ。めっちゃしんど。しゃれにならないほどなんぎ」

 不機嫌なまま、あたしは学校に向かっていた。

 本当にきつい。なんで世界をお作りになりやがったアバズレ(またの名を神様)は女にこんなきっついもんを設定したんだろうか。まぁ、神話に出てくる神様って大体脳のネジがぶっとんだ性格してるから、こんなもんかもしれないけど。

「………死ねばいいのに」

 意味もなく、世界とか呪ってみた。

 と、その時。

「おはよう、みっちゃん」

 私の幼馴染が、声をかけてきた。

「うい、おはよう、なっちゃん」

 返事を返しながら、私はにっこりと笑う。

 夏木奈津美なつきなつみ。容姿端麗、成績優秀、ちょこっと色白で痩せ気味な体と、ぱっちりとした大きな瞳が特徴的な、隣の家に住んでいる私の幼馴染。髪は長くて、とっても羨ましい。

 ウチの学校は基本的に制服と私服がOKな学校なのだけれど、みっちゃんは私服派、あたしは制服派だ。これは、単純に気配りの問題。あたしは基本的にも応用的にも面倒くさがりで、みっちゃんは几帳面なだけのこと。

「………二日目?」

「まーね」

 あたしは頷く。みっちゃんは勘が鋭いのでこういうことは隠せない。

 ま、あたしの顔色見れば一目瞭然かもしれないけど。

「今日も雨だって。天気予報で言ってた」

「げ。まじで? まずったなぁ、あたし、傘持ってきてないわ」

「その辺から適当に拾ってくるのは駄目だよ?」

「あはは、分かってるってば」

 いざとなったら、『パクって』くるから大丈夫。

 傘をパクって意気揚々と家に帰ろうとしたところで、一度盛大に泥水引っ掛けられたこともあるけれど、多分神様がバチとか当てたわけじゃないから大丈夫。

 間違ってても、やり直せばなんとかなるもんだ。

「一緒に帰ろうか?」

「あたしは帰宅部、みっちゃんは文芸部でしょ?」

「部活ならさぼっても平気だよ」

「だーめ。あたしなら大丈夫だよ。クラスでもけっこうもてるし。ちょいと頼み込めば傘の中に入れてくれる野郎はたくさんいるよーん」

「そうかもね。さっちゃん、人当たりいいし」

「をいをい、そこは突っ込むところですぜ?」

 そう言って、あたしはみっちゃんに突っ込みを入れた。

 みっちゃんは「あははっ」と綺麗に笑った。



 そして、放課後。

 みっちゃんの予告どおり、雨が降った。

「あっちゃ、こりゃあセバスチャン(執事)でも呼ばないとどうしようもないわね」

 傘パクってもどうしようもないほどの。超、どしゃ降り。

 困った。

 と、あたしが途方に暮れていると。

「よう、こんなところでなにやってんだよ?」

「困ってんのよ。やたらと馴れ馴れしい押し付けられクラス委員こと東海林真しようじまこと。特徴は眼鏡。以上」

「なんでそんな説明口調なんだよ? あと、人の特徴を一点に集中させるな」

 図書委員の眼鏡委員長は、溜息をついて空を見上げた。

 実はけっこう長身で、あたしは彼を必然的に見上げる形になる。

「雨、降ったな」

「そーね。土砂崩れで何人か死にそうなくらい」

「不吉なことをさらっと言うなよ。じーさんが土砂崩れで死んでるんだからさ」

「こりゃ失礼。でも、そのじーさんもあの世で報われてるんじゃない?」

「なんで?」

「だってぇ、可愛い孫に、彼女ができたんでしょう?」

 確か、そういう話があったはずだ。東海林が告白されたとかなんとか。

 東海林はあたしのことをちらりと見て、苦笑した。

「彼女なんていねぇよ」

「あれ? 断ったの?」

「断った。別に好きでもなんでもない子だったし。今好きな奴いるし」

「ふーん………」

 青春してるなぁ、と内心で感心しておく。

 東海林は空を見上げると、ボソッと言った。

「なぁ、ちょっと聞いていいか?」

「あによ」

「夏木奈津美って、お前の知り合いなのか?」

「うん。幼馴染で、家族よりも少しだけ長い付き合いかな。なっちゃんがどうかしたの? は、は〜ん。もしかして、なっちゃんに惚れましたか?」

「いや、そうじゃなくて……なんつーかさ、あの子、おかしくはないよな?」

「おかしくないわよ。むしろ、あたしよりよっぽど良識ある常識人よ」

「そうか……そうだよな」

 なにか、含みのある口調だった。

「あによ。なんか気になることでもあるの?」

「………なぁ、漆磨先輩って知ってるか?」

「漆磨先輩? それって、あの漆磨先輩?」

 漆磨京介うるしまきょうすけ。一つ年上の先輩で、文芸部所属。髪の色は灰色、身長は百五十センチくらいで童顔、というある意味有名な先輩。

 でも、その漆磨先輩が一体どうしたんだろうか?

「この前、図書委員の仕事の関係でちょっと話す機会があって、学校で誰が一番おかないかって話になったんだけどさ……みんなが適当な教師の名前を出す中で、漆磨先輩だけが『夏木奈津美』って言ったんだよ」

「……怖いって、どこが?」

「……『誰も彼もが彼女を助けないのが、おっかない』ってさ。意味が分からないんだけどさ、その言葉が、なんつーかめっちゃ不安になる言葉でさ……」

 ゾクリ、と背筋に鳥肌が立った。

 なんだ、そいつは。

 なんなんだ、その男は。

 そいつが………みっちゃんの一体なにを。



「知っているもなにもないさ」


 

 声は、背後から聞こえた。

「見れば分かるというか、見なければ分からない」

 灰色の髪に、細い目つき。小学生かと見間違えそうなくらい小さな身長。着ている服はゆったりとした私服で、白い折りたたみの杖をついていた。

 顔だけが幼い仙人みたいだ、というのが第一印象。

 それが、漆磨京介という先輩だった。

「しっかしすげぇ雨だね。洗濯物が乾かなくて困るなぁ」

「……漆磨先輩、ですか?」

「うん。噂をすればなんとやら、漆磨京介参上、みたいな?」

 にこっと邪気のなさそうな、まるで『天使』のようなあどけない笑顔を向けながら、先輩は口を開く。

「それより東海林君、僕は学校で一番怖いのは『目からレーザーを出すヴェート―ヴェン』か『トイレの花子さん(高校生ヴァージョン)』って言ったはずだけど?」

「先輩、それは人じゃないっす」

「じゃああれだ。司書室の田村先生」

「別に怖くないじゃないですか。美人だし、いい先生ですよ」

「彼女、校長とできてる」

「………まじっすか?」

「まじまじ」

 ………なんつー軽さだ、おい。

 羽毛みたいな軽薄さだよ、この先輩。

「それが三番目で、四番目は三年の菊池先輩。新一年生の可愛い系の男子を『総取り』にしたすげぇ先輩だ。ちなみに、僕も誘われたことがある。断ったけど」

「うわ、もったいねぇ。なんで断ったんですか?」

「人には色々事情があるもんだよーん(^^)」

 なにが『だよーん(^^)』だ。顔文字まで使いやがって。

 可愛いけど、可愛いとか思わないぞ、あたしは。

「で、奈津美さんは五番目くらいかな」

「………ちょっと待って下さいっ!」

 そうだ、それが本題だ。

 軽薄な話題に流されそうになったけど、この人はなっちゃんを侮辱した。

 それは許せないと思う。

「なっちゃんが『怖い』ってどういうことですか!?」

「そのままの意味さ。あの子は本当に『おっかない』。涙が出るくらいにね」

「意味が分かりません。なっちゃんは本当に優しくて、気立てがよくて、それでいてとっても強い子なんです! 怖いなんてことは、絶対にありませんっ!」

「………………なら」

 漆磨京介はにやりと不敵に笑った。



「ねぇ、みっちゃん。君は奈津美さんのことが怖くないのかい?」



 背筋を、寒気が這い上がっていく。

「単純なことだ。本当に単純なことだ。ちょっとした観察力があればすぐに気がつくことで、君はそれ以上に気づいているはずだ。なにせ、君の家は彼女の家の隣なのだから、気づかないほうがどうかしている。なのに君は何も言わず、聞かず、同じことを繰り返して、当たり前だと思い返して、ずっとずっと自分を誤魔化している。それは別に悪いことではないとは思うけど、君自身のためにはならない」

 言葉は、あまりにも核心だった。

「君は事の重大さをしっかりと理解している。同時に覚悟も決めているようだ。でもね、それだけでは足りないと断言しておく。君が行動を起こさなければならないような『決定的』なことが起こった後ではなにもかもが遅い。遅すぎるんだよ」

 言葉は、あたしを責めてはいない。

 今の状況を、語るだけだった。

「僕は、夏木奈津美を怖いと思う。本当に怖いと思う。理解できないからね」

 漆磨先輩はそう締めくくると、傘をさして歩き出した。

 そして、一度だけ振り向いて、あたしに問いかけた。



「君はどうなんだい? さっちゃん?」


 

 徒歩かと思わせておいて、漆磨京介は車に乗っていった。

 しかも、運転席にはダークスーツの似合う超絶美女。

 ………世も末だと思った。

 雨が小降りになってきたので、あたしはいつも通りに傘をパクって帰った。

 東海林はなにも言わずに、「じゃ、また明日な」と言ってくれた。

 その心づかいには、感謝しておこうと思う。

「………ちくしょう」

 部屋の中にこもって、あたしは音楽を最大音量で鳴らす。

 あいつの言葉が、あたしの心を掻き毟っている。

 分かっている。あたしは、ものすごい勢いで間違っていることくらいは分かっている。あたしが馬鹿だってことも分かっている。分かっていても仕方ないことはあるじゃないか、と思ったりもする。思っている。思っているだけじゃ駄目だ。

 でも、怖いじゃないか。踏み出すのは、怖いじゃないか。

 逃げてなにが悪いんだよぅっ!

「………バキバキうるさいんだよ」

 音が混ざる。音楽と悲鳴。壊れる音と音楽。あたしはいつもその音を聞いている。痛いとかやめてとか、そういう声と、殴る音と壊す音。だからあたしはいつもその時間帯だけは音楽を最大音量で聞く。人間の体力には限度がある。夜の十一時に始まる暴行は、三十分継続すればいい方だ。最大音量は三十分だけ。三十分すれば、また平和になる。平和になってくれる。きっとなるはずだ。

 なっちゃんは、大丈夫なはずだ。

 向こうの家がなぜああなったのか、あたしにはよく分からない。ただ、なっちゃんのお父さんが亡くなって、再婚した後ああなってしまったらしい。なっちゃんのお母さんはなっちゃんを見捨ててどこかに行ってしまって、なっちゃんを押し付けられた形になった養父のおじさんは、表向きはいい人だけど、お酒が入るととんでもなく凶暴になる。それで仕事も続かなくて、いつもストレスを溜めて………。

 なっちゃんが、犠牲になる。

 あたしたちはそれを無視している。分かっていて無視している。だって仕方ないじゃない。近所はもう『あの家には関わらない』と不干渉を暗黙のルールにしてしまっているし、家族もすっかり慣れっこになっちゃって、あたしもすっかり慣れてしまっている。

 いや、正確には、自分のあまりのふがいなさにあきれかえっている。

 なっちゃんを助けたいという自分がいるのは事実だけど、それ以上に傷付きたくないと思っている自分がいる。

 近所に嫌われたくないと思ってる自分がいる。肩身の狭い思いをしたくないと思っている自分がいる。他の誰かが都合よくなっちゃんを助けてくれないかなぁ、などと思っている頭のおかしい自分がいる。

 情けなくて醜くてどうしようもない、親友すら助けられないチキン野郎。

 あたしの正体なんて、そんなもんだ。

「………あーあ」

 外からの音が消える。どうやら、今日も終わったらしい。

 あたしは音量を元に戻して、ゆっくりと溜息をついた。


「あー、しんど。きっつ。なんぎ」


 今日も雨が降っている。

 明日も雨が降るらしい。

 人は、誰もが強くはなれません。

 それでも少年はみっちゃんに問いかけます。

 それでいいのか? と。

 次回、中編『つみとばつとせきにん』

 覚悟を決めた時、もうそれは終わっている。

 

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