薔薇色浪漫
希代の魔女-後日談-
「ココンッ」
薬草をすっている時にドアが鳴り、思わず顔をしかめてドアを凝視した。
この独特のノックは馬鹿王子だ。
開けようか放置しようか悩んでいると勝手にドアが開く。
侵入者対策に鍵を閉めて魔法をかけているのだが、馬鹿王子と黒の魔女には通用しなかった。
「こんにちはぁ」
「帰れ、そして勝手に入ってくるな」
「イルゼ、今日こそ結婚をすると約束してくれ」
ニヤニヤと笑う黒の魔女と真面目面をした馬鹿王子。
この二人の来訪はもはや日常になってきつつある。
本当に勘弁してもらいたい。
「無理です」
絶対零度の眼差しを向けても王子はめげない。
それどころか勝手知ったる家とばかりに目の前の椅子に座って寛ぐ王子と家の中を漁る黒の魔女。
大事な事だから二度言います。
本当に勘弁してもらいたい。
「何度来られても無理なものは無理です。いい加減諦めてください」
「イルゼこそ諦めたらどうだ。俺の后になったら贅沢し放題、我が儘言いたい放題ではないか」
「私はお姫様ではないので、そのお金がどこから来てるのか知っています。人様のお金で贅沢するなんて私には無理です。むしろ貴方が王子を辞めたらどうですか? 税金の無駄です」
最初は遠慮して言いたい事を心の内に止めておいたが、今では思ったことをズバズバ言うようにしている。
否定しなかったらヒートアップして止まらなくなるし、なにより私の胃に穴が空いてしまう。
「それはいいな、王子を辞めてイルゼに養ってもらおう」
「……っ!! 止めてください。これ以上付き纏われたくないです。限界です」
本当何を言ってんだ。冗談も程々にしてくれ。
「ねぇ、イルゼ。これ何の魔法道具?」
今まで大人しく?家の中を漁っていた黒の魔女が手の平サイズの黒いボールを見ながら目を輝かせていた。
「それは爆弾です。通常よりも威力の強いものが欲しいという依頼だったので、かなり威力がありますから触らないでください。くれぐれも付いている輪の部分を外さないでくださいよ。この家なんて簡単に吹っ飛んじゃいます」
黒の魔女はこちらを振り返って妖艶に笑った。女の私でもドキリとするほど素敵な笑顔で。
「もう遅いって言ったら怒る?」
「……はっ!? マジ?」
スローモーションで黒の魔女の手元が光るのが見えた。
咄嗟に防御魔法を展開したので爆風と炎はこちらに襲ってはこなかったが、耳の鼓膜を突き破るような爆音が上がる。
そして王子の手をとりながら避難をして見たものは、メラメラと燃え上がる私の家だった。
「……」
「だ、大丈夫か?」
「これが大丈夫なように見えますか」
「いや……あんまり」
どう声をかけようか考えあぐねている王子を気遣う余裕はなかった。
これからどうしよう。
「俺のところに来るか?」
「城、ですか……遠慮します。魔女である私が城に行くのは物騒ですし、村の人に言って家ができるまで厄介になりますから大丈夫です」
「そうか? だが……」
これ以上一緒にいたら強引に誘われそうだったので、村の人にお世話になれないか聞きにいくことにした。
この村は魔女である私にも暖かく接してくれている。
貴重な薬師であることとは別に、この村の人達は温厚で気の良い人ばかりだ。少しの間だったら甘えさせてくれるだろうと軽く考えていたが、時期が悪かった。
皆、明日の花祭りのために来客がきていて部屋が空いてないらしい。
「ごめんねイルゼちゃん、いつもお世話になっているのに力になれなくて……」
「いえいえ、大丈夫ですよ。明日は花祭り楽しんでください」
笑いながら身を引くが、もうあてがなくなってしまった。
これからどうしようか途方に暮れていたところに王子が駆け寄ってくる。
「どうだ?」
「……駄目でした。村の人に頼るのは難しいみたいです。正直、もうあてがありません」
弱音を吐きたくはないが、真実なのでしょうがない。
私には頼る肉親や親戚など誰もいないのだから。
「やはり俺の所にこないか? 別の町に行くにも宿はいっぱいだろうし、転移魔法も登録していない土地には利用できない。イルゼであれば強引に行けるかもしれないが、それは違法だから無理だろう」
「……そう、ですね」
野宿か城か。
究極の選択で悩んでいると返事をする前に手を取られた。
「そうと決まればさっそく向かおう。歓迎するぞ」
「ちょっ、私はまだ行くとは言ってないんですが!!」
私の主張は聞き入れてもらえず、半ば引きずられるように馬車まで連れて行かれる。
だから村の人達の会話を聞くことはなかった。
「イルゼちゃん、やっと行ったの?」
「そうみたいね。ふふっ、王子様と上手くいくといいわね」
「そうね、イルゼちゃんって意地っ張りだから」
「本当そうよ、こっちがどんだけやきもきしたことやら」
知らぬが仏とはこのことです。
***
転移魔法を利用してあっという間にお城に着いた。
私は嫌っていったのに、馬鹿王子は話を聞かない。
ニコニコと嬉しそうに笑うだけだった。
もう、いい加減悟りの境地に達しそうです。
「お帰りなさいませ」
頭を深く下げた侍女や騎士達に出迎えられて手を引かれるまま豪奢な城の中を進む。
王子が突然どこから来たとも若い娘を連れているにも関わらず、一人として城の人達と目が合うことはなかった。
隙間なく叱れた赤いカーペットは足が埋もれそうなほど柔らかく、まるで雲の上を歩いているかのように不安定だった。
さすが国の中心部、纏っている雰囲気に呑まれそう。
「さぁ、着いた。ここが俺の部屋だ」
振り返って潔く私の様子がおかしい事に気がついたというように王子の顔が曇った。
遅いんじゃ、ぼけ。
「大丈夫か? なんだか顔色が悪い。少し休め」
気遣わし気に王子がソファーへ座るように促す。
素直にソファーに座り込むと王子が手を鳴らした。
少しもたたないうちに侍女が姿を現した。
「お呼びでしょうか」
「茶の準備を」
「畏まりました」
深い礼をとりながら侍女が退出した。
王子の侍女に命令をする様が堂に入っていて一時苦しさが消し飛ぶ。
私の視線に気がついて王子が不思議そうに頭を捻った。
「失礼します」
侍女がカートを持って戻ってきた。
先程は1人だったのだが、人数が2人に増え、無駄のない素早い動きでお茶の準備を整えていく。
「貴方って本当に王子様だったんですね」
「なんだ、今まで疑っていたのか?」
「いえ、そういう訳ではないですけれど……」
いつの間にか侍女が音もなく部屋からいなくなっていた。
広い部屋に、贅を懲らした調度品。
その中で臆することもなく寛いでいる王子がとても遠い存在に思えた。
ああ、最悪の気分だ。
「やっぱり私は帰ります」
腰を浮かせると強い力で手首をつかまれた。
「突然どうしたのだ。何か気に入らないことでもあったのか? そうだったら改善させる。だから何も言わないまま帰らないでくれ」
そうじゃないとは口に出せなかった。
じわじわと目を潤んでくるのが分かって顔を背ける。
「手を離してください」
「離したら出て行くのだろう」
「当然です」
手を強く引かれバランスを崩す。
王子に抱き抱えられ、耳朶に吐息がかかった。
「逃がさない」
「離してください!! 貴方は魔女と結婚できたらいいんでしょう? だったら他の人を紹介しますから私を解放してください」
「ああ、俺は魔女と結婚して楽がしたいんだ。 だから俺と結婚して欲しい」
「それは相手が私じゃなくてもいいですよね?」
「駄目だ」
「理由は!?」
「ない」
悪びれもなくきっぱりした返事に過去最大の殺気が沸き上がった。
こ、こいつ……コロス。
杖を取り出して高々と振り上げる。
杖に意識を集中させ魔力を引き出そうとしていた時、豪快に扉が開け放たれる音で魔力が霧散した。
「お兄様!! 女性を連れ込んだという噂は本当でしたのね!!」
「シア……そんな噂を聞き付けてわざわざここまできたのか? 最中だったらどうする」
魔力を込め損ねた杖を馬鹿王子の後頭部に振り下ろす。
とてもいい音がしたので、たんこぶの一つでもできているだろう。
「イルゼ!! 何をする」
「それはこっちの台詞です。最中って何の最中ですか」
「それはセッ……もがっ」
「言わなくてもいいです!! だいたい妹君の前ですよ!?」
「まぁ」
鈴が転がるような可愛らしい声が聞こえ、我に帰った。
どこをどう間違えたら冷めた魔女がこんな熱い性格になるのだろう。
やはり馬鹿王子が原因か。
それしか考えられない。
「お兄様が素を見せる人なんて久しぶりに見ましたわ」
「素? 普段もおちゃらけた態度ではないんですか?」
「いいえ、お兄様の猫の皮は分厚いですわ。現に城の者はお兄様を尊敬し、絶対の忠誠を誓ってますもの」
「……」
嘘だ、絶対。
普段いい加減な姿しか見たことがなかった私はその時はそう思った。
しかし2日程城で過ごした時、それが嘘ではないと思い知った。
「ちょっと、そこの貴女」
「はい?」
王子から逃げている途中で、声をかけられた。
豪華な衣装に見を包んだ貴族の女性が、扇を口に当てながら憎々し気な目線を向けられる。
「貴女、最近王子の近くに侍っているそうね。貴女のような下々の者が近づいていい相手ではないこと、分かっていて?」
「あ、あのっ」
「まぁ、わたくしに声をかけないで欲しいわ。汚らわしい」
開いた口を閉じる。
近々こうなる事は分かっていたことだ。
相手を刺激しないように目線を落として大人しくする。
そうして嵐が過ぎ去るのを待つしかない。
「貴女のような人が近づいていい相手ではないのよ。あの方は至高な存在。何よりも尊く、誇り高い方なの。わたくし達さえも遠ざけてらっしゃるわ」
扇で手の平を叩いた音が廊下に響いた。
「わたくし達を差し置いていい度胸ですこと。けれどそれも今日で終わりだわ、邪魔者は自分から出ていくのですから」
気がついた時には遅かった。
鋭い切っ先が避ける暇もないほど近くにあった。
来るであろう痛みと衝撃を覚悟してぎゅっと目をつむると、横から予想外の衝撃に体が弾き飛ばされる。
目を開けると王子が私を庇うように立ち塞がり、ナイフをその身に受けていた。
「王子!!」
刺さっているナイフに怯まず相手の腕を掴み、首に手刀をあびせて意識を奪っていた。
「傷は!?」
「イルゼ、俺は大丈夫だから騒ぐな」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう!?」
王子が刺さっているナイフを抜くと凄い勢いで血が流れた。
黒の魔女の呪いのせいで治癒の魔法は使えず、手で抑えつけて止血くらいしかできないのが歯痒かった。
「幻影で傷を隠せるか?」
「隠してどうするんですか!! 医師に見せないと」
「騒ぎにしたくない、早く!!」
言われるがまま幻影をかけると同時に駆けつけた衛兵が焦った声音を出す。
「お怪我はございませんか」
「大事ない。俺は火急の用があるので後は任せる」
「はっ!!」
王子は立派だった。
深い刺し傷は激痛をもたらし、流れ続ける血は体力を奪う。
それでも歩みは揺るがなかった。
それでも限界はとっくに越していたのだろう。
部屋に着いた途端張っていた糸が切れた操り人形のように崩れ落ちる。
「なんで庇ったんですか!? 私ならともかく、貴方には治癒魔法を使えないんですよ?」
「姫を守るのは王子の役目だろう?」
「じょっ、冗談も大概にしてください」
止血のために服を裂くと黒ずんだ傷が目についた。
刃物に毒が塗ってあったのだ。
「……嘘」
「イルゼ、医者を呼ん、で、くれないか」
いつも飄々としていたはずの王子の顔は青白く、汗が伝っていた。
辛うじて意識を保っているのかもしれない。
泣きたくもないのに涙が溢れた。
このままでは王子が死んでしまう。
「……イル、ゼ」
途切れがちに呼ぶ声で覚悟を決めた。
王子の腰にさしてある剣を一気に抜くと、ずしりとした重さが手にかかった。
「な……に、を」
「もう喋らないでください。今から呪いを解いて治癒魔法をかけてあげます。だから、死ななでくださいよ」
飾りではない長剣は鋭く光って、切れの良さを示している。
はっと息を吐いて、王子の傷の上に腕を持ってきて剣を押し付ける。
痛みと共に赤い血が吹き出してボタホダと音がしそうなほど傷に落ちていく。
腕が燃えそうなほど熱を持っているようだ。
気を抜いたら痛みに叫びそうになるのを気力で捩じ伏せて、意識を集中させる。
私の血は魔力の塊。
王子に纏わり付く呪いを壊していく。
激しい抵抗を力で捩じ伏せる。
あまりの激痛にこめかみから汗が伝った。
普通なら何日も準備をして行わないといけない解呪を力技でやってのけ、治癒魔法をかける。
魔力を使い果たし、足に力が入らなくて床にへたりこんだ。
傷が完全に塞がると青白いかった王子の顔色は血の気を取り戻し、流れる血も止まっていた。
「よか……た」
「イルゼ!! おい、しっかりしろ!!」
まどろみを漂っているようにぼうっとしていた王子が弾かれるように体を起こした。
霧がかかったような霞みの中で泣きそうな顔で王子が何かを言っている。
私は意識を手放した。
***
急激に体を引っ張られるような浮遊感で目を開けた。
ペンの音だけが聞こえてくる静かな空間で、体を包み込んでくれるほど柔らかなベッドの上で寝ていたらしい。
傍らに書類を真剣に見つめている王子がいる以外誰も見当たらなかった。
「おう、じ……」
「起きたか?」
書類を置いて王子がベッドの縁に座り、体を起こそうとしていた私を止める。
「まだ寝ておけ、あれだけ血を流したのだから貧血になるぞ」
「それはお互い様です。貴方こそ大丈夫なんですか?」
「ああ、イルゼが治してくれたから至って健康体だ」
王子が顔を歪ませながら慎重に包帯が巻かれた腕をとる。
「失いそうになってやっと理由が分かったんだ」
真剣な眼差しが私を貫いた。
「好きだ」
「なっ……」
「愛してる。私と結婚してくれ」
顔になけなしの血が集中する。
ずっと求婚されては来たが、好きだと告げられたのは初めてだった。
いつもの飄々とした雰囲気ではなく、真面目な顔で真剣に言われて戸惑う自分がいる。
この顔に私は弱いのだ。
「イルゼ……」
王子の顔が近づいてきて目を閉じる。
唇に柔らかいものが一瞬触れて離れた。
目の前には睫毛の本数も数えられそうな程近い距離に王子の顔があった。
腰を抱かれ、啄むようなキスをする。
段々と腰にあった手が下に降りてきて太ももを撫でた。
「ちょっと待ってください」
「なんだ」
「この手はなんですか」
手首を掴んでそれ以上好き勝手しないように力を込めると、ベッドに押し倒された。
「なにってセッ「言わなくて言いです!!」
思わず頭を叩いてしまった。
ああ、これ以上頭が悪くなったら人として終わりなのに。
「駄目なのか?」
「そもそも許可した覚えがありません」
睨みながらきっぱり言うと王子が怯んだ。
「イルゼ……この体勢で睨んでも欲情を煽るだけだぞ」
「はい?」
イルゼが悪いと呟かれて鎖骨に口づけされた。
「なっ、なに」
「諦めろ」
本格的に焦りが襲ってきた時、豪快な音を立てて扉が開いた。
「まぁ、お兄様!! 何されているんですの!!」
「なにって、もがっ」
王子の口から出る言葉は分かっていたので口を塞いだ。
「ふふっ、祝福は何がいいかしら」
いつの間にか現れたが黒の魔女が、壁から肩まで除かせて耳元で囁く。
真っ赤な唇は弧を描いて楽しそうに笑っていた。
「誰のせいでこうなったと思ってるんですか!!」
「うふふふっ、おーほほほっ」
魔女は耐え切れなくなったように笑い声をあげた。
私の変わらない日常は続いていく。
-END-