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100円分の片想い


 私の片想いは、毎週百円ずつ増えていく。


 金曜日の午後六時。


 大学からの帰り道、私は駅前の百円ショップに入り、文房具の棚からレジをのぞいた。


「いらっしゃいませ」


 今日もいた。


 肩に触れるくらいの髪を後ろで結び、緑色のエプロンを着けている。胸元の名札には「円井」と書かれていた。


 よかった。


 そのまま帰ろうとして、やめる。


 入店して三秒で何も買わずに帰ったら、さすがに怪しい。


 私は目の前にあった青いボールペンを一本つかみ、円井さんのレジへ向かった。


「いらっしゃいませ」


 円井さんがこちらを見る。


 目が合っただけで、足がもつれた。


「大丈夫ですか?」


「大丈夫です」


 大丈夫ではない。


「こちら、一点でよろしいですか?」


「はい」


 短い電子音が鳴った。


「袋はご利用ですか?」


「大丈夫です」


「シールでよろしいですか?」


「大丈夫です」


 円井さんの口元がゆるんだ。


「全部、大丈夫なんですね」


「あ」


「シール、貼りますね」


「お願いします……」


 ボールペンを受け取るとき、指先が近づいた。


「ありがとうございました」


「こちらこそ」


 店を出てから、自分の返事がおかしかったことに気づいた。


 手の中には、使う予定のない青いボールペン。


 円井さんが笑ってくれたので、百円としてはかなりお得だった。


     ◇


 金曜日になるたび、部屋に物が増えた。


 白い猫のメモ帳。


 消しゴム。


 赤い髪ゴム。


 小さな鏡。


 紙コップ。


 洗濯ばさみ三十個。


 猫の形をしたスポンジ。


 遊びに来た母が、机の上を見て首を傾げた。


「百華、百円ショップでも始めるの?」


「始めないよ」


「じゃあ、この洗濯ばさみは?」


「恋の必要経費」


「恋って三十個入りなの?」


 母は猫のスポンジを持ち上げた。


「これは?」


「それも恋」


「恋って場所取るのね」


 棚の一段が、すでに恋で埋まっていた。


 それでも金曜日になると、私はまた百円ショップへ向かった。


「その髪ゴム、かわいいですね」


 ある日、円井さんが言った。


 私は赤い髪ゴムで髪を結んでいた。


「ここで買いました」


「知ってます」


「えっ」


「私がレジをしましたから」


 円井さんの目が楽しそうに細くなった。


「似合ってますよ」


 家へ帰り、鏡の前で何度も髪を確認した。


 思ったより赤い。


 翌週も使った。


 髪ゴムについては何も言われなかったけれど、レジへ置いた猫柄の付箋を見て、円井さんが顔を上げた。


「今日は文房具なんですね」


「今日は?」


「先週はキッチン用品でしたよね」


「覚えてるんですか?」


「毎週来てくれますから」


「そんなに目立ってます?」


「一つだけ買って帰るので」


「変な客ですよね」


「ちょっとだけ」


「やっぱり」


「でも、次は何かなって楽しみにしてます」


 付箋にシールが貼られた。


「来週も来ますか?」


「来ます」


 返事だけは早かった。


「よかった」


 円井さんから渡された付箋を、落とさないように両手で受け取った。


     ◇


 次の金曜日。


 私は大学の講義中から、何を買うか考えていた。


 付箋の次ならペンケース。


 文房具ばかりでは芸がない。


 造花は気持ちが漏れすぎる。


 ハート型の風船は、ほとんど告白だ。


 結局、決まらないまま店に着いた。


 文房具。


 キッチン用品。


 収納用品。


 また文房具。


「お探しの商品、ありますか?」


 背後から声をかけられ、肩が跳ねた。


 振り返ると、円井さんが商品の箱を抱えていた。


「い、いえ。大丈夫です」


「また大丈夫って言ってます」


「口癖みたいになってて」


「でも、同じところを四周してますよ」


「数えてたんですか?」


「レジから見えるので」


 私は目の前にあった透明な小物ケースを手に取った。


「今日はこれにします」


「急に決まりましたね」


「今、運命を感じました」


「何を入れるんですか?」


「これから考えます」


「運命なのに?」


 円井さんの肩が揺れた。


「前に買った洗濯ばさみは使ってます?」


「どうして覚えてるんですか」


「印象に残ってます。洗濯ばさみだけ買う大学生」


「忘れてください」


「無理です」


 忘れられていない。


 そのことだけで、透明ケースまで急に特別なものに見えてきた。


 円井さんは箱を棚へ置き、レジへ戻った。


 私もケースを持って、そのあとを追う。


「今日はこれなんですね」


「はい」


「本当に、いろいろ買いますね」


「統一感がなくて」


「何か集めてるんですか?」


「一応」


「何を?」


 ケースのバーコードが読み取られた。


「今日は何を集めるんですか?」


 机に並んだものが、一つずつ頭に浮かんだ。


 猫のメモ帳。


 赤い髪ゴム。


 洗濯ばさみ三十個。


 円井さんは、私の答えを待っている。


「……あなたに会う理由です」


 言った瞬間、顔が熱くなった。


 円井さんの手が止まる。


「私に?」


「はい」


「毎週?」


「はい」


「百円ずつ?」


「細かく確認しないでください」


「ごめんなさい」


 謝っているのに、頬は緩んでいた。


「気持ち悪いですよね」


「全然」


「本当に?」


「むしろ、うれしいです」


「うれしい?」


「毎週、来てくれるので」


 円井さんはケースにシールを貼った。


「一つだけ買って、少し話して帰る人」


「特徴だけ聞くと、やっぱり怪しいです」


「私は好きですよ」


「……どっちがですか」


「さて、どっちでしょう」


 ずるい。


 何も言えずにいると、円井さんはレジの横へ目を向けた。


「じゃあ、次はもう少し高くてもいいですか」


「え?」


 指さした先には、駅前の映画館の上映案内が置かれていた。


「あれ、一緒に選びませんか」


「映画を?」


「はい」


「私と?」


「ほかに誰かいます?」


「行きます」


「即答ですね」


「運命を感じました」


「透明ケースのときと同じですけど」


「あれより、ずっと強く」


 円井さんは上映案内を一部取り、私のケースの上に載せた。


「じゃあ、連絡先を交換しましょう」


 スマートフォンを取り出したものの、手が滑った。


 落ちる直前で、円井さんが受け止める。


「大丈夫ですか?」


「大丈夫じゃないです」


「今日は正直ですね」


 画面に表示された名前を見る。


 円井縁。


「縁さんって読むんですね」


「はい。お名前、聞いてもいいですか?」


「百瀬百華です」


「百が二つ」


「安そうな名前ですよね」


「そんなことないです」


 縁さんは私の名前をもう一度眺めた。


「百円分じゃ足りない感じがします」


 また顔が熱くなる。


「百華さん」


「はい」


「映画、何が見たいですか?」


「何でも」


「それじゃ選べません」


「じゃあ、一緒に考えます」


「はい。一緒に」


 透明ケースと上映案内を受け取り、店を出た。


 百円分の片想いをしまうには、そのケースはもう小さすぎた。


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