第3話 不可思議の森にて③
――威圧感。
大気を震わせる巨大な質量が、目の前で鎌首をもたげていた。
タケルは無表情のまま、一歩も引かずに「それ」を観察する。
地球の生態系には存在しない、異常なまでに肥大化した鱗の塊。その鎌首が、空を覆わんばかりの威容でタケルを見下ろしていた。
タケルは背後に庇ったミカの体温を、スサノオの背面センサー越しに感じながら、高周波ブレードのグリップを握り直す。
「隠れていろ。すぐ終わらせる」
「えっ、あ、はいっ!」
ミカが後ろに退いた、その刹那。
巨蛇の巨大な顎が、真空を切り裂きながらタケルへと襲いかかった。
――ガァンッ!
凄まじい衝撃音が響く。
だが、噛み砕かれたのは地面の岩盤だった。
タケルはスサノオの筋力補助を受け、横方向へコンマ数秒の回避運動。
そのまま、巨蛇が引き起こした砂塵を煙幕として利用し、巨躯の死角へと飛び込む。
「出力、正常範囲。……行くぞ」
タケルが地を蹴った。
弾丸のような初速。
さらに、眼前に現れた巨木を支柱として利用する。
垂直に近い角度で幹を駆け上がり、幹を蹴り、人間には到底不可能な起動で動き続ける。
空中で急激な軌道修正を行い、逃げようとする巨蛇の視界の外側――完全な背後へと回り込んだ。
「シィッ!」
巨蛇もまた、野生の勘でそれに応じる。
鞭のごとくしなる巨躯が、後方を薙ぎ払うようにその巨大な尻尾を叩きつけてきた。
衝突すれば、スサノオの装甲ごとタケルの内臓は粉砕されるだろう。
だが、タケルは眉一つ動かさない。
スサノオの照準補正が、網膜に赤いベクトルラインを描き出す。
「斬らせてもらうぞ」
逆手に構えた高周波ブレードが、青白い火花を散らしながら、衝突する尻尾の軌道を真っ向から受け止めた。
いや、受け止めたのではない。
ぶつかってくる質量に、自ら刃を「置いて」おいたのだ。
ギャリィィィィィィィィッ!!
金切り声のような金属音が炸裂し、次の瞬間、巨蛇の尾の三分の一が、まるで断頭台にかけられたかのように空を舞った。
断面から飛散する、紫色の粘質な液体。
「シャァアアアアアアアアアアアアアアッッ!?」
巨蛇が激痛に悶え、地面をのたうち回る。
そのうねりだけで周囲の樹木が次々とへし折れ、地響きが森を支配した。
タケルは着地と同時に、視界の端に点滅する警告灯を横目で見る。
(……拡張兵装の生成プロトコル、依然として沈黙。ブースターも死んでいるか。)
本来のスサノオであれば、SC用対兵器ショットガンでも生成して、一発放てば目の前の相手は沈黙していた。
だが、今のタケルは「少し力の強いだけの歩兵」として、この理不尽な巨躯と泥臭く渡り歩かなければならない。
痛みを堪え、巨蛇が再度の特攻を仕掛けてきた。
なりふり構わぬ、命を賭した突撃。
その巨大な口腔から、何らかの腐食性の液が牙とともに溢れ出している。
「これ以上の電力消耗は非効率だな」
タケルはブレードを正眼に構え直し、スサノオの重心を極限まで低くした。
三、二、一。
巨蛇の顎が開く、その最大開放の瞬間。
「すまない。待たせたな」
タケルは相対していた巨蛇にそう告げると、地を這うような一閃を放った。
閃光。
超振動の刃が、巨蛇の喉元を滑るように通り抜ける。
――ドサリ。
巨大な頭部が、重力に従って地面へ叩きつけられた。
遅れて、その山のような胴体が、激しい砂塵を巻き上げて動かなくなる。
*
「戦闘終了。スサノオ、状況報告をしろ」
タケルは右腕のコンソールを厳しく睨む。
『バッテリー残量:5%。セーフモードでの稼働を推奨します』
「──あの電撃を喰らって5%か、割に合わんな」
「スサノオ。装甲解除。セーフモードに移行しろ」
『装甲解除。セーフモードに移行』
シュゴォッ、と。
大気を震わせる排気音とともに、漆黒の装甲が細かな粒子――ナノマシンへと分解され、霧散していく。
残されたのは、タケルのしなやかな肢体を包む、機能的な漆黒のアンダースーツ姿だけだった。
タケルはブレードをホルダーに収めると、呆然と立ち尽くすミカへと向き直った。
「あ、あのっ……ありがとうございます!」
震える足取りで、ミカが駆け寄ってくる。
「助けていただいて、本当に……。あ、あんなにすごいの、私、見たことありません……! あの、あなたは一体……」
「ヤクモ・タケルだ。傭兵をしている。……すまんが、俺からいくつか聞きたい。ここは地球のどこだ? どこの国のどの施設なんだ」
タケルのその問いに、ミカは、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「ちきゅう……? すみません、聞いたことがない名前です。……それは、遠い異国の名前でしょうか?」
(……地球を知らない? この服装、この言語で、地球という概念すら持っていないのか?)
タケルは即座に質問の内容を切り替えた。
「質問を変える。……さっきの蛇はなんだ。訓練用のバイオ兵器かなにかか?」
「いえ、あれは……凶暴化した魔物です。たまにこうして人を襲うことがあって……」
(──魔物?)
タケルの内心に、冷たい困惑が広がる。
だが、彼はそれを表に出さず、ただ『未確認の危険生物』というラベルを脳内で貼り付けた。
「……次の質問だ。君が使ったあの放電。原理を説明しろ。放電ユニットはどこだ。静電気の蓄積層でもあるのか」
「えっ……? 放電、ユニット……? あの、それは私の……『電撃魔法』ですけど……。魔法、ご存知ないのですか?」
「──魔法…?」
タケルは自分のこめかみを押さえたくなった。
魔物。魔法。
科学的な合理性を信仰する彼にとって、それは「存在してはならないデータ」だった。
「あ、あのっ……今度は、私から質問してもいいですか……?」
ミカが恐る恐る、といった風に、タケルの顔をじっと覗き込んできた。
「……ああ。簡潔に頼む」
「タケルさん……は。もしかして――」
ミカがその澄んだ瞳に、隠しきれない期待と不安を入り混じらせて言った。
「――別の世界から『転移』してこられた方……ですか?」
「───!?」
タケルの思考が、一瞬だけ停止した。
プロとしてのあらゆるシミュレーションが、その一言で灰燼に帰した。
「……夢かなにかか?」
タケルは淡々と返したが、その心臓は、戦闘中よりもわずかに速く鼓動していた。




