第2話 不可思議の森にて②
深い森の中で目覚めてから、すでに丸一日が経過していた。
タケルは、相変わらず出口の見えない巨大な樹海の奥を、ただ黙々と進み続けていた。
この一日で遭遇したのは、異常に巨大化した昆虫類や、甲殻めいた皮膚を持つげっ歯類など、生態系を歪められたとしか思えない不気味な生物たちばかりだ。
だが、タケルが最も警戒――あるいは期待――していた「電撃を放つ巨大トカゲ」の姿は、あの最初の遭遇以来、一度も確認できていなかった。
「──バッテリーもそろそろ限界に近いな」
タケルは歩きながら、右腕のコンソールを一瞥した。
SCには、微弱な蓄電を元にナノマシンを駆動させ、ナノマシンがその電力を元に少しずつ自己発電を行う『自己補完機能』が備わっている。
さすがに永久機関というわけではなく、自己発電によって生じる電力は元の電力の0.8倍程度だが、そのおかげでSCは少ない電力で長時間稼働する、極めてコストパフォーマンスが高い兵器として戦場に君臨した。
よって、あのトカゲの雷撃によって得たわずかな電力だけでも、コンソール単体ならばこうして一日以上セーフモードを維持できていた。
だが、それも永遠ではない。新たな外部からの電力供給がなければ、いずれ完全にシステムは沈黙する。
(やはり、あの雷撃が欲しいな)
昨日仕留めた巨大トカゲの死骸は、その場で入念に解体して調べた。
デンキウナギのような特殊な発電器官や、生体バッテリーに該当するような臓器、あるいは人工的な生体インプラントの類が埋め込まれていないかを隅々までチェックした。
しかし、どう考えてもただの強靭な爬虫類の肉体構造だった。
少なくとも、現代の生物学やサイボーグ技術とは全く異なるアプローチで、あれほどの電撃を発生させていたことになる。
「一体どういう原理だ……? 空気中の静電気を強制的に収束させる未知のガスでも体内に……」
そこまで推論を組み立てかけた、その時だった。
――ガサガサガサッ!!
タケルの前方の巨大な茂みから、何かが猛烈な勢いで飛び出してきた。
タケルは即座に息を殺し、木陰に身を隠しながらホルスターの高周波ブレードへと右手を這わせた。
茂みから現れたのは、巨大なトカゲでも、岩のウサギでもなかった。
「──人間、か?」
タケルの目が、微かに見開かれた。
それは一人の少女だった。
金色の髪を三つ編みにまとめ、民族衣装のような特殊な模様の衣服を纏っている。
久しぶりの他人の存在――しかも、あからさまに現地の人間らしき姿に、タケルはわずかに安堵と同等の警戒を抱いた。
少女は肩で激しく息をしており、その顔には明らかな『恐怖』と『焦燥』が張り付いていた。タケルの姿を視界に捉えると、彼女は大きな真ん丸の目をさらに見開き、必死に何かを叫び始めた。
「───、─────!!」
切羽詰まった声だった。だが、聞き取れたその言語は、英語でも、メジャーな中東言語やロシア語でもない。タケルの知る地球上のどの言語体系にも当てはまらない、完全に未知の発音だった。
「落ち着け。言葉が分からない。一体……」
「───!!─────!!!!」
タケルが英語で牽制するが、少女は顔を青ざめさせながら、タケルに向けて必死に手を振り、叫び続ける。
意思疎通は不可能。
タケルはすぐさま右腕のコンソールを操作した。
「スサノオ、翻訳機能を起動。言語パターンを解析しろ」
『相互翻訳モジュール、起動』
人工音声が数秒のラグの後に復唱した。
コンソールの極小マイクが少女の叫び声を拾い、即席で言語パターンをアルゴリズムに当てはめていく。
やがて、コンソールと接続されている右耳のヘッドセット端末から、翻訳された言葉が再生された。
『──早く!!逃げてください!!!!』
その直後だった。
ドォォォォォォンッ!!
地響きのような重低音とともに、少女が飛び出してきた茂みの奥の木々が、根元から丸ごとへし折られ、宙を舞った。
砂埃を巻き上げながら姿を現したのは、戦車のような太さの巨大な蛇だった。
体長は優に十メートルを超えている。濃紫色の鱗は戦艦の装甲板のように分厚く、頭部には不気味な二本の角が生えている。
それは巨大なカマ首をもたげると、威嚇のシューという金属音めいた呼気を吐き出し、少女とタケルに向けて凶悪な牙を剥き出しにした。
「──もうなんでもありだな」
タケルは一切の表情を変えることなく、ホルスターから高周波ブレードを抜き放った。
恐怖に腰を抜かしそうになっている少女の前に滑り出るように立ち塞がり、タケルは冷徹に刃の切先を巨蛇へ向けた。
「シッ!」
巨大な質量が迫る。タケルは鋭い呼気とともに、巨蛇の一撃を紙一重で回避し、すれ違いざまに装甲鱗の隙間へとブレードを突き立てた。
強烈な火花が散る。超微細振動の刃が鱗を削り飛ばすが、その下の分厚すぎる筋肉の層で刃が止まった。
(──浅い! 今の出力のブレードじゃ、無理があるか……!?)
高周波ブレード自体は問題ない。
だが、タケル自身の生体電気による微小出力では、刃の長さに限界がある。
反撃に出た巨蛇が、丸太のような太さの尻尾を薙ぎ払う。
丸一日まともな休息をとれず、昨日の戦闘の負傷も完全には癒えていない生身の肉体が悲鳴を上げた。回避がコンマ一秒遅れる。
タケルは腹部に強烈な打撃を受け、数メートル後方へと無様に吹き飛ばされた。
「ぐはッ……!」
肺から空気が根こそぎ吐き出される。地面を転がり、受け身を取ってどうにか立ち上がるが、口の端からは鮮血が滴っていた。肋骨にヒビが入ったかもしれない。
巨蛇が勝利を確信したように、タケルを丸呑みにすべく巨大な顎と牙を開き、ゆっくりと這い寄ってくる。
その激痛で霞む視界の端で、タケルは信じられない光景を目にした。
「……ッ!!ダメッ!!」
先ほどの少女が、巨蛇の側面に立ち、両手を前に突き出したのだ。
次の瞬間、彼女の手のひらから、青白い『雷撃』が一直線に放たれた。
それは昨日見たトカゲのブレスに近い、圧倒的な電気エネルギーだった。
雷撃が巨蛇の横腹に直撃する。バチィッ!という激しい放電音が森に響いた。
だが――巨蛇は少しだけ鬱陶しそうに首を振っただけで、ノーダメージだった。
厚すぎる鱗が絶縁体の役割を果たしているのか、あるいは単純に少女が放った雷撃の「出力」が低すぎるのか。巨蛇の標的が、生意気な攻撃を仕掛けてきた少女へと変更された。
少女の顏が絶望に染まり、震える足でその場にへたり込む。
「──なんだと…?」
だが、その絶望の構図を見たタケルの顔には、恐怖ではなく、狂気じみた獰猛な笑みが浮かんでいた。
彼が見据えていたのは、化け物ではなく、少女の『能力』そのものだ。
タケルは肋骨の激痛を無視して立ち上がり、巨蛇と少女の間に強引に割り込んだ。
そして、己の右腕のコンソールを少女に向け、血反吐を吐きながらも、戦場全体を支配するような怒号を響かせた。
「それ、俺に撃て!!」
少女がビクッと肩を震わせ、タケルを見つめる。
タケルは己の右腕と、少女の手のひらを交互に指さし、もう一度、明確なアイコンタクトとともに命じた。
「お前のその電撃を……俺の腕に撃ち込め!!」
なぜそんなことを望むのかは少女にはわからない。
だが、死線に立つタケルの鬼気迫る『意志』と、明確な要求のジェスチャーは、少女の本能に奇跡的に届いた。
自発的に電撃を浴びようとする狂人の要求。
だが、他にこの絶望的な状況を打破する手段はない。
少女は泣きそうな顔で悲鳴を上げながら、両手をタケルへ向けて突き出した。
「い、いきますッ!!」
放たれる青白い激雷。
それは巨大な蛇を逸れ、一直線にタケルの右腕――スサノオのコンソールへと直撃した。
「グゥゥゥッ!!」
脳を焼くような強烈な電流の痛みが、タケルの全身を凄まじい勢いで蹂躙する。
だが、タケルは歯を食いしばり、白目を剥いて倒れそうになる意識を、鋼の精神力だけで繋ぎ止めた。
『――規程電力、充填完了。システム制限を解除』
『メインジェネレーター……強制再起動開始』
「──待っていた…この時を!!」
「──スサノオ、着装だ!!」
タケルの叫びに応えるように、コンソールから漆黒の流体が溢れ出す。
それはタケルのアンダースーツを瞬時に覆い尽くし、筋肉の動きを完璧にトレースする電磁筋肉と、攻撃を弾き返す強固な漆黒の複合装甲へと、コンマ数秒の内に結晶化・成型されていく。
第4世代SC『スサノオ』。
その真の姿。
顔面を覆うフェイスガードのアイカメラ部分が、凶悪な深紅の光を煌々と灯した。
「助かった。礼を言う」
装甲の外部スピーカーから響く、重厚で冷徹な落ち着いた声。
タケルは迫りくる巨蛇の突進を、スサノオの規格外の出力で――まるで止まった映像を見るかのように左腕一本で正面から受け止め、強引にその進行を停止させた。
衝撃波が周囲の木々を吹き飛ばすが、タケルの足は一ミリたりとも地面から動いていない。
少女が呆然と見上げる中、タケルはゆっくりと右手の高周波ブレードを構えた。
SCからの十分な電力供給を受けたブレードが、鞘から抜け出た刃のように本来の長さへと実体化し、圧倒的な青白い殺意を纏って起動する。
「──さっきの仕返しをさせてもらう」
『荒神』の戦いが、再び始まった。




