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プロローグ

 硝煙と血の臭いが、肺の奥底にまでへばりついていた。


 月明かりさえ届かない、分厚い雲に覆われた夜。

 かつては人々の営みがあったであろう廃墟と化した市街地。

 崩れ落ちたコンクリートの瓦礫の山に背を預けながら、ヤクモ・タケルは浅く、極めて静かな呼吸を繰り返していた。

 状況は、何も知らぬまま、小銃を持たされて戦場に放り出されたあの日から数えても、最悪の一語に尽きるだろう。


 ──お前のその顔が見たかったんだよ、アラガミィ!!


 タケルの脳裏に浮かんだのは、長年自分を傭兵として育ててきた男が見せた、愉悦に満ちたあの顔と声。

 直後に降り注いだ、精密極まる座標指定の集中砲火。


「──あの人に、切られるとはな」


 タケルは静かに、しかし深く絶望した。


 現在、タケルが潜む瓦礫の周囲には、完全武装した敵対勢力の兵士たちが小隊規模で展開している。しかも、その大半が強化外骨格――『slaving(スレイビング) Cloth(クロス)』、通称SCを装備した精鋭部隊だった。

 本来であれば一個中隊をもってしても容易には突破できない戦力だ。

 それをたった一人の傭兵を狩るために投入する周到さ。

 相手は本気でタケルの命――あるいは彼が身に着けている「切札(ジョーカー)」を狙い撃ちにしてきている。


「──クソッ」


 タケルは無意識に漏れそうになった舌打ちを喉の奥で殺し、右腕の手首に装着されたコンソール端末を睨みつけた。

 外見上の損傷は見受けられないディスプレイ。

 だが、機体へのエネルギー供給ラインが沈黙しているのか、幾度となく再起動しようとしても、画面は無機質な赤いエラーコードを吐き出すばかりだ。

 タケルの相棒であるワンオフの第4世代SC『スサノオ』。

 現代の技術水準すら逸脱した規格外の怪物といえるその機体は、先ほどの奇襲爆撃で内部にダメージを受けたのか、著しい機能不全に陥っていた。

 起動しているのは、辛うじて致死の攻撃を防ぐための『最低限の防護装甲』のみ。

 装甲自体の重量は軽量な特殊合金で構成されているが、SCの要である電磁筋肉への電力供給は絶たれ、機体力学による身体強化のブースト機能は完全に死んでいる。

 つまり、今のタケルは「少し硬い防弾服」を纏っただけの、生身の人間と同等の機動力しか持たない状態に等しかった。

 この状態で、5体の第3世代SCと数十体のSCで構成される小隊と真正面からやり合う。

 それは歩兵が戦車の大軍に殴り込みをかけるのに等しい、純度百パーセントの自殺行為だ。


 頭の中で、生き残るためのありとあらゆる戦術シミュレーションが駆け巡る。

 地形を利用した夜間の各個撃破。

 地下水道のマンホールを利用しての撤退網構築。

 ……ダメだ。決定的な戦力差と機動力の不足が足を引っ張り、全フェーズにおいて生存率は一パーセントにも満たない。

 すでに敵の包囲網は完成しつつある。装甲の駆動音が、じりじりと距離を詰めてくるのが聞こえる。

 このままここに潜んでいても、赤外線センサーかサーモグラフィで体温を探知され、十字砲火でハチの巣にされるのは時間の問題だった。


「──やるしかないか」


 タケルは瓦礫の影で、自身の太もものホルスターから一本の武器を引き抜いた。

『高周波ブレード』。

 あらゆる兵装をナノマシンで生成するスサノオの中で、唯一彼が「外付け」の実体剣として装備することを希望した武器である。

 SC本体からの膨大な電力供給が絶たれた現在でも、彼自身の微弱な生体電気を動力源として、このナイフサイズであれば辛うじてブレード部分を稼働させることができる。

 タケルの目的は一つ。

 ここで自分が囮となり、少しでも長く、少しでも多く敵の戦力を前線に釘付けにする。

 そうすれば、爆撃で散り散りになった部下たちが、包囲網の綻びから抜け出して生き延びる確率が、ほんのわずかでも上がるかもしれない。

 死地においてなお他人の心配をするなど、常に理と死の境界線で生きてきた傭兵らしからぬ、ひどく甘い感情かもしれない。

 だが、タケルは元来、ひどく義理堅い男だった。


 タケルは瓦礫の陰から、音を最小限に殺しながら滑り出た。

 敵装甲の擦れる重低音。すぐそこの曲がり角。

 最初の一人が、姿を現した瞬間――。


「――ッ!?」


 敵のセンサーがこちらを認識し、アラートを鳴らすより早く、タケルの身体が低く沈み込み、銃の死角へと強引に飛び込んだ。

 SCのブースト機能はない。だからこそ、洗練され尽くした生身の歩法と体重移動のみで、敵の視界の完全な死角へ潜り込む。

 コンバットナイフ程度のリーチしかない高周波ブレードを、首筋へと正確無比に突き立てた。

 超微細な振動を纏った刃が、硬質な装甲と、その奥の柔らかな肉を容易く切り裂く。

 声帯を潰され、声にならない血の泡を吹いて崩れ落ちる敵兵。

 その崩れゆく身体を瞬時に盾として引き寄せながら、タケルは次弾を放ってきた二人目の懐へと泥臭く飛び込む。

 突き出されたSC用アサルトライフルの銃身を左手で受け流し、同時に右手のブレードで、敵のバイザーのわずかな隙間を脳髄まで深々と抉った。


 三人。四人。

 息は絶え絶えだ。

 機動力で大きく劣るタケルが、それでも生身の傭兵としての絶技のみで、第2世代SCを狩っていく。

 最新鋭の装備に身を包んだ屈強な兵士たちが、小さなナイフ一本を握った一人の傭兵に、次々と物言わぬ肉塊に変えられてゆく。

 だが――純粋な人力による奇跡が、彼に最後まで微笑み続けることはなかった。


「そこにいるぞ! 一斉掃射!!」


 闇を切り裂く怒号とともに、四方八方から無数の銃口がタケルに向けられ、マズルフラッシュが夜を真昼のように照らし出した。

 圧倒的な密度を誇る鉛の弾幕。ブーストの死んでいるタケルには、回避の選択肢など最初からありはしない。

 最低限の防護装甲は小火器の弾丸を辛うじて弾いたが、大口径の対装甲狙撃銃の数発が、装甲の薄い関節部を容赦なく貫き、そしてタケルの生身の肉体を抉った。


「ぐっ……ぁ……っ!」


 焼けるような激痛が全身の神経を駆け抜け、視界が鮮血の色に染まる。

 右肩関節の装甲を砕かれ、左大腿部の筋肉を抉られた。

 タケルは血みどろになりながらも、激痛を強引に意志の力でねじ伏せ、背後の半分崩れかけたコンクリート壁にもたれかかり、どうにかその場に倒れ伏すのだけは堪えた。

 だが、限界だ。負傷により、生身の脚力は完全に奪われた。


「まったく、『荒神』は恐ろしい…… その状態で第2世代はほぼ壊滅とは、敵ながら惚れ惚れする殺しっぷりだな」


 周囲の瓦礫の上に、残った第3世代SC5体と数体の第2世代SCが完全に布陣を終えている。

 逃げ道は完全に塞がれた。

 赤く光る彼らの標準レーザーが、一斉にタケルへと向けられた。


(──これまで、か)


 タケルは鉄錆の味のする荒い血の息を吐きながら、装甲の破片が突き刺さる腕を無理やり持ち上げ、高周波ブレードを逆手に持ち替えた。

 敵の最終目的は、クサナギの最新鋭機であるスサノオの強奪と、パイロットからの情報収集だろう。

 だが、生け捕りにされ、薬物投与と拷問にかけられて口を割るつもりは毛頭ない。

 コンソールの内部システムがエラーを起こしているとはいえ、彼らにスサノオを渡せば、軍事バランスが根底から崩れる可能性がある。

 しかし、ここでタケルが死ねば、タケルの生体認証を必要とするスサノオはタダのガラクタ同然になる。

 タケルはためらいなく、青白く光る刃先を、装甲の隙間から露出した自身の左の頸動脈にぴたりと当てた。

 張り詰めた皮膚に伝わる、冷たい金属の感触。せめて最期は、己の意志で自らの命の引き際を決める。


 タケルが手に力を込め、刃を深々と引こうとした――まさにその刹那だった。



 ――ガシャァァァァァァァァンッッ!!!!



 世界が、真っ白に消失した。

 巨大な龍の咆哮のごとき、大気を震わせ鼓膜を破らんばかりの原初的な轟音。

 分厚い雨雲を一直線に切り裂いた落雷が、一直線に、タケル自身の肉体めがけて突き刺さったのだ。


「な、なんだ!?」

「くっ、目が………! センサーが焼けた!」


 タケルを取り囲んでいた敵兵たちが、あまりの閃光、そして強烈な電磁波にパニックに陥り、目を押さえて呻き声を上げる。

 SCの光学センサーが一瞬で焼き切れ、彼らの視界は完全に奪われていた。

 だが、それ以上の異常事態が、直撃を受けたはずのタケルに起きていた。

 数千万ボルトの電流に全身を焼かれ、一瞬で炭化するはずの彼の肉体は、滅びることはなかった。

 完全に沈黙し、赤いエラーコードばかりを吐き出していたはずのスサノオの無傷のコンソール端末が、あり得ないほどの異常な輝きを放ち、人体を焼き尽くすはずの落雷のエネルギーを強烈な勢いで内部へ吸収していたのだ。

 オーバーロード。システムの許容値を遥かに超えた膨大な雷のエネルギーが、ブラックボックス化された回路へと強引に叩き込まれていく。

 コンソールから溢れ出す幾何学的な光の帯が、タケルの全身を包み込んでいく。スタングレネードをゼロ距離で直視したかのように、その光はさらに白さを増し――タケルの意識は、そこでふつりと途絶えた。



 * * *



 ざわざわと、静かな風の音がした。

 肺に入ってくる空気が違う。

 鼻孔をくすぐるのは、先ほどまで世界を支配していた焦げた火薬の臭いではなく、青々とした草花と土の、むせ返るような生命の匂いだった。


「…………ん」


 タケルは小さく呻き、ゆっくりと重い目蓋を開けた。

 視界に飛び込んできたのは、重苦しい雲も硝煙の影も微塵もない、高く澄み渡った鮮やかな快晴の青空と、陽光を透かしてきらきらと輝く無数の木の葉だった。


(──地獄にしてはずいぶんと綺麗な場所だな)


 タケルは警戒を解かぬまま、右手のブレードを握りしめ、ゆっくりと上体を起こす。

 その時、自身の身体がひどく軽く感じられることに気づいた。

 自らを覆っていたはずのスサノオの防護装甲は、跡形もなく消え失せていた。

 装甲を貫通し、数発の銃弾を受けた箇所は確かにひどく痛んだ。

 だが、不思議と出血は止まっており、致命的な臓器へのダメージや、即座に行動不能になるほどの傷ではなくなっていた。

 あの直撃した落雷の火傷もない。

 さらに言えば、素肌に直接まとっている漆黒のアンダースーツにも、焼け焦げた痕一つ残っていない。ただただ、異常だ。

 周囲の状況を視認する。

 そこは、見渡す限りの鬱蒼とした深い森の中だった。

 硝煙も、崩れたコンクリートの瓦礫も、数分前まで自分の命を奪おうとしていたSC部隊の姿も、微塵もない。聞こえるのは小鳥のさえずりと風の音ばかりだ。


「──どういうことだ?」


 タケルは一切の感情を排した冷徹な声で、ただ事実だけを口にした。

 気絶する直前の記憶を辿る。逃げ場がなく自刃しようとした瞬間、凄まじい落雷が自分の身体に直撃し、右腕のコンソールが暴走とも呼べるほどの異常な発光を起こした。

 そこまでは覚えている。

 タケルは自身の右腕を見た。

 コンソールは、今は光を失い、完全にシステムダウンしたかのように沈黙している。

 指先で再起動のコマンドをタップすると、ノイズ混じりの微かなバイブレーションは返ってくるが、ディスプレイはブラックアウトしたままだ。

 そしてなにより、装甲をナノマシンで電磁成型する『着装』のシーケンスがまったく反応しない。

 指示系に重大なシステムエラーが発生しているのか、あるいは機体内のナノマシンを形成・維持するだけの電力が完全に枯渇してしまったのか。

 いずれにせよ、今のタケルは防護装甲すら纏えない、正真正銘の『生身』だった。


 タケルは次に、固定されたホルスターから高周波ブレードを引き抜いた。

 装備の生成に頼らない外付けの実体剣だからこそ、装甲が解除された今も手元に残っている。

 スイッチを入れると、微弱な「ヴン」という耳鳴りに似た振動音とともに、刃がうっすらと青白く発光した。

 ――問題ない。タケル自身の生体電気を利用した、極小出力でのナイフ稼働は生きている。

 これなら生身でも最低限の自己防衛と、獲物の解体くらいはできる。


「現在地不明。部隊との交信手段なし。装甲は解除状態。装備はアンダースーツとナイフ一本か」


 タケルは乱れていた呼吸を整え、ゆっくりと立ち上がり、改めて周囲の巨大な樹木群をぐるりと観察した。

 生い茂る木々の種類を見る限り、植生自体は地球の温帯林、あるいは亜熱帯のそれに近い。

 少なくとも、彼が存在を知る地球上の生態系から大きく逸脱したものではない。

 あの致死の雷撃を受けて無傷だった理由。

 そして、これほど不可解な環境に転移させられた理由。

 タケルは、それについて一考する。


「落雷と同時に、第三勢力が介入してきたか……?俺を仮死状態にして回収し、証拠隠滅のためにどこか別の国の山奥にでもヘリで投棄した……?だが、そんなことをする理由がない。スサノオが必要なら奪えばいいし、俺にしかスサノオが起動できないのを分かっているなら俺ごと連れて行くはずだ」


 考えても、手持ちのデータが少なすぎてこれ以上の答えは出ない。

 だとしたら、傭兵の鉄則に従い、行動あるのみだ。


「よし、まずは水場の確保と、人工物を探す」


 タケルは、太陽の位置を確認して方角の大まかな見当をつける。

 ここはまだ地球のどこか。歩き続けて町か街道を見つければ、いずれ情報と通信手段は手に入る。

 そう信じて疑わないタケルは、一切の足音も立てずに、手つかずの広大な未知の森の奥へと、確かな足取りで歩き出した。


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