私はただのおやつ係
「エルナ。頼みがあるのだが」
ヴァルディオス様と一緒に過ごすようになって一年ほど経った、ある朝のこと。いつも通りヴァルディオス様の私室にやってきた私に、彼は真剣な表情で告げた。
「今週末、魔界グランノクスの貴族たちが集う夜会がある。俺と一緒に出席してもらうから、そのつもりでいるように。衣装はこちらで用意する」
「え……私がですか?」
どうして私が誘われるのか、理解に苦しむ。私がそんな顔をしているのに気がついたヴァルディオス様が「俺がエルナと一緒に行きたいんだ」と補足してくるが、だからその意味が分からなくて困っているのだ。
「あの、私はヴァルディオス様のおやつ係ですよね?」
「そうだ」
「どうしておやつ係が、一緒に夜会に行くことになるのでしょう」
突然ヴァルディオス様の手元が金色に光って、彼が手に持っていたコーヒーのマグが木っ端微塵に砕け飛んだ。ヒュンッと顔の横をマグの破片が飛んでいって後ろの壁に刺さったのでゾッとする。しかしヴァルディオス様のスラックスやソファーがコーヒーだらけになってしまっているのを見て、私は慌てて彼の足元に駆け寄る。ポケットからハンカチを取り出してスラックスを拭いた。
「……待て。まさかまだ通じ合えていなかったのか」
「通じ合えて?」
「なぜだ……いや、いい。俺の独り言だ」
ヴァルディオス様が宙に指でサラサラと何かの線を描き「マリエッタ」と誰かの名前を呼ぶ。すると十秒も経たないうちに部屋の扉がノックされて、一人の女性が室内に入ってきた。初めて魔王城に招かれた時に見かけた、金髪の侍女だ。
「お呼びでしょうか、ヴァルディオス様」
「マリエッタ、まずこの汚れを片付けてくれ。その後については、後で指示する」
「かしこまりました」
マリエッタと呼ばれた女性は魔法を使って、一瞬でヴァルディオス様のスラックスやソファーに出来たコーヒーのシミを消し去る。
……布で拭くくらいでは、全然役に立たなかった。ちくりと、何かが胸を刺す。コーヒーで汚れたハンカチをぎゅっと握り締めた。
「エルナ、今日はもう帰ってくれ。生憎ゆっくり食べている時間が無くなってしまった」
「……はい」
ヴァルディオス様は魔王だ。忙しくて時間が取れない時だってあるだろう。
でもこのタイミングでそう言われてしまうと「夜会に一緒に行く意味を私が理解していなかったから」に見えてしまう。
……私は命令を聞くしかない。
だからアップルパイを入れてきたバスケットはテーブルの上に置いたまま「時間が出来た時にでも食べてください」とだけ告げて立ち上がり、扉の方に向かう。退室する前に一礼しようと、振り返った。
私の視界に映ったのは、仲良さげに話す二人の姿。美男美女で絵になる二人が顔を寄せ合って何かを話す様子は、酷く私の心を掻き乱した。自分の気持ちすら訳が分からなくて、助けを求めるような気持ちで二人を見つめる。
ヴァルディオス様は私の視線に気がつかない。その代わりマリエッタと呼ばれていた女性が意味深な笑みを私に向ける。
……私は逃げ帰るようにして、その場を後にすることしかできなかった。
「おいお前、どうかしたのか? 酷い顔をしているが」
魔王城の廊下を急足で歩いていると、ヴァルディオス様の側近であるギルバートに話しかけられた。
どうかしたのかと聞かれても、自分の気持ちすらよく分からない状態なので、何も説明できない。
困ったように視線を逸らして口を開けたり閉じたりする私を見て、ギルバートは溜息をついた。
「……だから心配だと申し上げたのに」
ギルバートが私の腕をそっと掴む。左手の薬指に銀色の指輪が輝いているのを見て、妻帯者なのだと初めて知った。
私は夜会なんてものに出たことはない。それでも物語で読んだそれは煌びやかで、華やか。婚約者や配偶者と一緒シャンデリアの下で踊るシーンをよく見かける。
(そういえば私、ヴァルディオス様にそういった相手がいるのかどうかも知らないわ)
配偶者はいない……ような気がする。でも幼い頃から魔王になるべくして育てられたのであれば、婚約者くらいはいるだろう。
もしかして、ただのおやつ係である私を夜会に連れて行こうとしたのは、その婚約者を紹介してくれる気だったのだろうか?
「お前、何か良くないことを考えているだろう」
まさか。私はヴァルディオス様に逆らう気は無い。ギルバートがギロリと睨むようにして見つめてくるので、私は慌てて首を横に振る。
「あの、離してください……! 私、忙しくて。もう帰らないといけないんです」
「忙しい? あぁ、そういえば最近は学業の成績も良くなってきたと報告が上がってきていたな。そんなに熱心に勉強していたのか」
話が早いので、今はそういうことにしておいてもらおう。そんな気持ちで頷いて手を離してもらい、その場を後にした。
もし本当に婚約者を紹介してくれる気だったのなら。私はもっと精進して、婚約者の彼女にも気に入ってもらえるようなおやつ係にならなければ……居場所が無くなってしまうかもしれない。
(そうなったらヴァルディオス様にも会えなくなるし、ベルク王国に帰らないといけなくなるかもしれない。もっと沢山レシピを覚えて、料理にかける魔法も上達させなきゃ……!)
◇
私は寝る間も惜しんでレシピの研究と魔法の練習に励んだ。
ヴァルディオス様の好みを考えてレシピを増やすのはもちろんのことなのだが、料理を通して魔法を使うのは昔からほぼ無自覚でやってきたこと。意識して気持ちを込めれば癒しの効果は高まるようだが、その辺りも自在に操れるようにならないと、私はいつまで経っても「人間」のままだろう。この国に居場所が欲しい私は、いつもにも増して真剣に料理に取り組む。キッチンにはお菓子やデザート、パンの山が出来始めていた。
「なぁ、何かあったのか? 俺たちはもらえるおやつが増えて嬉しいけどさ……」
ヴァルディオス様のおやつ係である私の「試食係」を引き受けてくれているユリウスが首を傾げる。
ユリアが「乙女になんてことを聞くんですの!? 野暮ですわよ、野暮!」とユリウスの襟元を掴んでガクガクと揺らすので、私は慌てて二人の間に割って入った。
「私はただ、もっと頑張らないといけないなって思っただけよ。喧嘩しないで」
と言ったところで思い出す。ユリウスとユリアは高位貴族の子供だ。……もしかすると、今週末の夜会のことも知っているかもしれない。私は生クリームを泡立てる作業に戻りつつ、ユリウスに問いかけた。
「ねぇユリウス。今週末に開かれる夜会のことって知ってる?」
「ん……今週末って、明日のことだよな? 父上と母上は参加するって言ってた気がするけど、詳しくは知らない。夜会のことを聞くなんて、やっぱり何かあったの?」
「ユリウス、だから貴方は鈍いんですのよ! 久しぶりにヴァルディオス様が夜会に出られるということで、年頃のご令嬢がキャアキャア言って気合いを入れてますわ。でも、どうやらヴァルディオス様のお気持ちは決まっているみたいですから、意味はないでしょうね」
ユリアの少女らしい無邪気な発言が、私の胸を抉る。カシャンと音を立てて、泡立て器が床に落ちた。
(もしかして私、ヴァルディオス様のことが好きなの?)
──違う。
私はすぐさま、そんな甘い考えを切り捨てる。
ヴァルディオス様は魔王だ。たかが魔力持ちの人間が想って良い相手ではない。
私は……孤独だった私に居場所をくれた、都合の良い相手を失いたくないだけ。
……ただ、それだけだ。
「……やっぱり疲れてるんじゃないか? どうせ今日が何曜日なのかも分からなくなっていたんだろ。ちょっと休んだ方がいいって」
ユリウスにそう助言された──翌日。夜会の日の朝。
私は、突然寮まで押し寄せてきたヴァルディオス様の使いだという人たちに、誘拐されるかのように魔王城まで連行された。




