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……ただのパンだな

「生きてはいるな。……怪我は?」


 私の視界を割いた金の光。呆然とする私に声をかけるのは、腰まである漆黒の髪が特徴的な男性。黒の眼帯で片方の目は隠れているが、その姿はどこか気品すら感じさせる。しかし行動は少々雑なようで、肉塊となった巨狼を足蹴にして避けていた。

 そして瞳は、誰よりも輝く金色。……間違いなく魔族だ。


 彼は巨狼を切った剣を鞘に納めて、血まみれの手を私に差し出してくる。

 ……これは返り血か、それとも怪我をしているのか。どのように問いかけていいものか分からず困惑し躊躇っていれば、彼が首を傾げた。


「……? あぁ、すまない。痛みには鈍いタチで、怪我をしていたのを忘れていた」

「そ、そこに座ってください!」


 私は飛び起きるようにして立ち上がり、彼を泉の側で座らせる。一言断ってから上質そうな上着を脱がせると、背から腕にかけて魔物の爪跡のような形でシャツが破れ、大きく血が滲んでいた。傷跡にそっと手をかざす。


「もしや回復魔法使いか? 俺は回復系はからっきしダメだから、助かる」


 必死に回復魔法を使おうとしてみるが……やはり何も起こらない。私は申し訳なさから眉を顰め、せめてもの思いでバスケットにかけてあった布を水に浸し、血で汚れた彼の手や体を拭く。そしてポケットからハンカチを出して、傷口に当てた。


「何も出来なくてごめんなさい。……よかったらこのハンカチで血を押さえながら街に戻ってください」

「もしかしてお前、回復魔法が使えないのに治そうとしてくれたのか? 命に関わるような傷ではないからそんな顔をしなくても……って、いやそれよりも、どうしてこの森に? 今日は接近禁止命令を出していたはずだ」


 どうやら先ほどの巨狼が出た関係で、討伐のためにこの辺り一帯には接近禁止命令が出ていたようだ。

 そこを確認しなかったのは私の落ち度なので、素直に頭を下げた。

 

「……申し訳ございません。私、この国に来たばかりの魔法も碌に使えない留学生でして……事を深く考えることなく、足を踏み入れてしまいました」

「留学生……あぁ、珍しい銀色の髪に、魔力持ちの証である金の瞳。ベルク王国から送られてきた資料そのままの容姿だ」


 彼がジッと私を見つめてくるので、思わず目を逸らす。自分と同じ色の瞳でも、気まずいものは気まずい。


(でも私の資料を見てるってことは、この人はそれなりの地位や役職にいる人ってことよね……?)


 彼が何者なのかも分からぬまま、私はまるで事情聴取のように彼から事の顛末を聞かれて説明する。そして魔力入りのパンを投げて魔物の気を引いて逃げたという部分に差し掛かった瞬間に、彼が首を傾げた。


「パン……? パンに見せかけた擬似餌……いや、罠か?」

「ただのパンです」

「は?」


 ご理解いただけなかったようなので、私はバスケットごとパンを手渡した。


「本当だ。パン、だな」

 

 何かが彼のツボに入ってしまったらしく、バスケットを持つ彼の肩が震える。「失礼」と言いつつ手を口元に当てて顔を背けてくるが、笑っているのは明確だ。しかし揺れが傷に響いたらしく、笑い声は苦しげな呻き声に変わった。


「……そうだ! そういえば、巨狼がこのパンを食べると傷が癒えたように見えたのです。もしかしたら貴方の傷も治るかもしれません」


 彼の顔色が変わる。


「……魔獣の傷が癒えただと? 魔獣は普通の回復魔法は効かぬはず。その話は本当なのか?」


 地を這うような低い声色。ゾクリと背筋に悪寒が走る。

 震えそうになるのを我慢しておずおずと頷けば、彼はバスケットの中にあったパンを一口齧った。

 傷が癒える気配はない。──それでも。


「……これは」

「な、何か……おかしいですか?」

「魔法だ」

「え?」 

「お前、魔力を放出させてみろ! 先ほどやったのと同じように、このパンに込めるんだ」


 何が何やら分からないが、私は言われたままにするしかない。ポーションを作るときに瓶を魔力で満たすように、パンの中を魔力のソースでいっぱいにするイメージで魔力を入れ込む。すると彼はそのパンを注意深く観察してから、一口大に千切って……口に入れた。


 キラキラ、キラキラと彼の傷口の周りで光の粒子が舞う。まるで精霊がそこで踊っているかのような光の舞いにただ私が呆然としている間に、傷口は塞がって……裂かれたシャツから傷一つない素肌が見えていた。


(な……何が起こったの!?)

 

 それでも、ひとまず傷は癒えたようでよかった。驚きはしたが傷が癒えてほっとした私とは対照的に、彼は唖然としたまま眼帯を外して、隠された方の目を押さえた。

 

「光だ。見える……」

「あ、ごめんなさい。素肌が見えるのは嫌ですよね、今上着を──」

「違う、見ろ。いや、見てくれ……!」


 ただ事では無さそうな様子で、彼が前髪を手で上げて、顔を近づけてくる。

 見せつけられたのは、眼帯で隠されていた左目。


 右目のような、魔族らしい金の瞳ではない。……色が抜けてしまったかのような、白に近い色だった。


「色が……」

「これは──」 

「──ヴァルディオス様ッ! ご無事ですか!?」


 彼が何かを語ろうとした瞬間、上空から声が響く。

 魔法を使っているのだろう。颯爽と空から現れた細身の男が、私を突き飛ばすように押し除けて、彼……ヴァルディオスという名前だったらしい男性の肩に上質そうなマントをかけた。


「無事だ」

「お一人でSランクの魔獣に突っ込むなんて信じられません! 置いて行かれた我々がどれだけ血の気が引く思いをしたかお分かりで!? 不用心すぎます!」

「それは悪かった。しかし女性を突き飛ばすのはいかがなものか。我々はこの国の顔なのだから、そのような行動は慎むべきだと思う」

「そんなところだけ魔王らしく振る舞うのはやめてください!」


「……ま、おう?」


 地面に尻をつけた状態で呆然とする私。……今、とんでもない言葉が聞こえたような気がする。


「お前、無礼だぞ。このお方は魔王ヴァルディオス様。我々魔族の頂点にあられるお方だ」


 ヴァルディオスと呼ばれた彼が立ち上がる。マントの襟を正す仕草一つにすら威厳があった。


「ヴァルディオス……様」


 強さが滲み出る名前は、端正な顔立ちの彼にしっくりくるもので。魔王なのだと知ってしまえば妙な納得感がある。


「人間の娘」

「は、はい!」

「お前、名前は?」

「エルナ・ハース、です」

「エルナか。エルナ……」


 私に向かって伸ばされる手は、今度は血まみれなんかじゃない。

 助け起こしてくれるのだと思い彼の手を取った私が──考え無しだった。


「エルナ。明日、魔王城に来い」

「はい。……え? ふぇ……ッ!?」

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