俺の管理下から出ていない
私の名前を呼ぶ低い声。忘れたくとも忘れられないその人は、現実のものとして私の前に姿を現した。
「ヴァ……ルディオス、さま……」
揺れる漆黒の長髪。誰よりも輝く金の瞳が、振り返って私を捉えた。あの頃と違うのは、かつて眼帯の下に隠されていた左目も、もう片方の瞳に負けないくらいに強く煌めいていること。
「エルナ」
状況が読めない。上半身を起こし、地面に尻をつけたまま後ろにずり下がる。何を言えばよいのか分からなくて、わなわなと震える口を開けたり閉じたりする。
「あ……あの、」
「……さて。この状況を引き起こした小僧はどこに行った? 厳重に処罰せねば」
「──ッ!」
ヴァルディオス様が周囲を鋭い目付きで睨む。
どうしてディオルが魔獣にちょっかいを出してしまったことを知っているのか。いや、そもそもどうして私がここで魔獣に襲われているのに気がついたのか。
ヴァルディオス様は膝を折って私の足に出来た傷の具合を確認してから、私の両脇の下を抱えて無理やり立たせた。
そして、呆然とする私が何を言いたいのか分かったのだろう。口角を上げて、笑みを浮かべた。
「安心しろ。君は一度も、俺の管理下から出ていない」
ヒュッと喉の奥から音が鳴る。
(もしかしてヴァルディオス様は、私の逃亡だけじゃなくて……ディオルのことまで全てご存じなの!?)
少なくとも、ディオルの存在には気が付かれている。しかも、どうやら良い感情は持たれていないようだ。
……逃げなきゃ、ディオルを連れて。私が守らなければ、誰がディオルを守ってくれるの?
震えそうになるのを必死に堪えて、スカートの裾を翻えす。しかしたった三歩走ったところで足元に魔法陣が広がって、魔力で編まれた蔦に絡め取られた。
「エルナ。どうして逃げる?」
「だ……って、」
続きの言葉が出ない。
私はヴァルディオス様のことが好きだった。
でも私には、魔王である彼の側に立つ資格なんて、初めから無い。それに今の私には、どうしても守り抜きたい存在がある。
だから、逃げなきゃ。もっと遠くまで。安全にディオルと暮らせる場所まで。
……ううん。私はちゃんとそんな場所を見つけて、頑張って生活を築き上げてきたつもりだった。
どうして……上手く逃げたはずだったのに、どうして!?
「もう一度聞こう。どうして俺から逃げようとする?」
「──っ、ヴァルディオス様だって! どうして今更、私の前に姿を現したの!?」
彼から離れて、もう六年も経った。私にとって彼は、すでに過去の人……だと思いたいの。
そんな気持ちで叫ぶ。
シュルリと音を立てて、蔦が引いていく。
魔法の代わりに私を後ろから捉えるのは彼の腕。漆黒の長髪が私の頭上から帳のように下りて閉じ込める。
熱の籠った吐息。低い声が耳元で囁いた。
「俺がどれほど我慢していたか。……君は知らなくていい」




